第18話 松平通温ノ乱
江戸城周辺は、押し寄せてくる軍勢で騒然としていた。
『松平通温ノ乱』とでも称すべきこの戦の首謀者は無論、松平通温であったが、彼が扇動する形でこの計画に乗り、その戦力を構成したのは、主に幕府に対して強い不満を抱く旗本奴たちであった。
その主だった組を挙げると、
黒楓組…………約五百名
星勝組…………約四百名
東西峰組………約四百名
葛木組…………約三百名
金狼銀狼組……約二百名
秋冬春組………約百五十名
その他、中・小規模の組や、町奴と呼ばれる主に町人たちで構成される組も多数加わっていた。その数、ゆうに五千を越える。
いや、それだけではない。さらに浅井月影作・量産型絡繰武者約三千体が戦力として加わっていた。
計八千もの兵力が突如として蜂起し、一斉に御城へと攻め入ったのである。旗本八万騎と言われるが、それだけの兵力を集わしめるには当然、時間がかかる。御城に詰めている兵力だけでは到底、持ちこたえることなどできないであろう。
すでに内濠に備え付けられた御門の幾つかは破られ、曲輪への侵入を許していた。
「城の連中の狼狽える顔が目に浮かぶ」
絡繰飛行船で城の上空へと向かう通温は窓から地上を見下ろし、酷薄な笑みを顔に浮かべた。
「もはや将軍の首が飛ぶのも時間の問題であろう。それにしても笑いが止まらん。やつら、騙されているとも知らず、我先にと城に押し寄せているぞ」
各組に貸し与えた絡繰武者約三千体。それらには、無事に将軍の殺害に成功した後、この乱に加わった者たちを皆殺しするよう命じてあった。
討幕を名目にして彼らを扇動したが、通温には幕府そのものを滅ぼす気は毛頭ない。自らが将軍となるためには、将軍殺しの汚名を着せるだけ着せて、邪魔者はすべからく排除しておく必要があるのである。
「後はあの御庭ノ者どもを一掃するだけよ」
通温は先ほど飛び立った塔へと視線を向けた。
天空絡繰ノ塔には、侵入した者を確実に始末するためのある仕掛けがしてあった。さしもの御庭ノ者たちも、生きて帰ってくることはまず不可能である。
「ふはははは! ついに天下は余のものぞ!」
通温は己の勝利を確信し、高々と笑い声を響かせた。
剣華は残る力を振り絞り、決死の抵抗を続けていた。
剣聖弐号が放った横薙ぎの一撃を地に伏せて躱しつつ、肆号の上段斬りを剣で受け止める。そこへ参号の、狙い定めた背中からの鋭い突き。剣華はそれを致命傷さえ避ければ良しと瞬時に判断。僅かに身体を反らして右肩を貫かせておき、そこから痛みを堪えて回転するように一閃。『剣聖』三人の大腿部を一太刀で斬り裂いた。
だが、相手はやはり絡繰化されていた。
足に傷を負ってもまるで怯むことなく、むしろ愉悦の表情すら顔に浮かべ、三人が間断なく襲い掛かってくる。左腕を一寸ほど斬られ、脇腹を突かれ、膝頭を削られた。辛うじて致命傷を避けてはいるものの、剣華の身体はとうに限界を超えていた。
囲まれては不利だと分かっていても、もう足がまともに動かず、包囲網から脱することができない。
(もはや、これまでか……)
さすがに希望を失いかけたそのとき、銃声が大空に轟いた。
弾丸の雨が際どく剣華のみを避けながら次々と着弾し、三人の『剣聖』は後退を余儀なくされる。
見上げると、宙を舞う人影があった。
「めんどくせぇけど、一応、助けに来てやったぜ」
二丁の銃を手に、言葉とは裏腹な楽しげな笑みを浮かべ、一右衛門が頂上へと着地した。
「剣華さん、ご無事でございましたか」
さらに塔の外側から真鶴、常盤、珠藻が次々と現れる。どうやら頂上の外縁部に鉤縄を掛けて、下の回廊から飛び上がって来たらしい。
「少し遅くなったようじゃのう」
最後にもう一人、軽やかに頂上へと降り立つ人影があった。
保長であった。
「お、お主、生きていたのか……?」
「当たり前じゃ。儂を誰じゃと思うておる」
驚く剣華に、保長は白い立派な顎鬚を上向かせて胸を張った。
「大丈夫ですか! 酷い怪我ですよ!」
剣華の元へと走り寄ってきた真鶴が叫んだ。
真鶴の手のひらから剣華の身体へと〝気〟が注ぎ込まれる。
琉球武術『手』――『生命気流』
強い〝気〟の流れは、全身の細胞を活性化させ、自己治癒力を高めてくれる。傷はすぐには癒えないが、それでも剣華は幾らか身体が楽になったのを感じた。
「真鶴、剣華さんのことはあなたにお任せします」
「任せるですよ!」
「わたくしたちは――こいつらの始末といこうか」
常盤が妖刀・鬼切丸を抜き、性格を変えた。
「あたしの可愛い剣華ちゃんを傷つけた罪は重いよ?」
「儂も少しは本気を出すかのう」
珠藻が牙を剥き、保長が暢気に言う。
「御庭ノ者どもめ、我ら『天雲剣聖』の力、見せてくれるぞ!」
常盤、珠藻、保長を、弐号、参号、肆号が迎え撃つ。
両者が激突する目前、一右衛門の刹那の銃撃が、弐号と肆号に襲来する。身を翻す二人を絶妙な連弾で追いかけ、敵を分断させた。
珠藻、常盤、保長の三人は独りになった参号へと突撃する。参式『変幻』を発動して一網打尽にせんとした参号の技を、常盤の鬼切丸が弾き飛ばす。
懐へと一気に忍び込んだ保長が、忍者刀を参号の胸、腹、足へと叩き込む。同時にいつの間に投げていたのか、鎖分銅がよろめく参号の身体へと瞬く間に巻き付いていき、身動きできなくさせた。
その間に珠藻が姿を変じていた。全身を金色の毛並みが覆い、背に九本の尾が現れる。燃え盛る炎を弾丸のごとく発射。火柱が参号を包み込む。
常盤が跳んだ。鬼切丸を高々と上段に振り上げ、激烈な刀氣を迸らせながら参号の頭上へと迫る。
妖刀・鬼切丸――『鬼ノ脳天両断』
炎を、その中で焼かれていた参号もろとも、縦一文字に斬り裂いた。背後の石床に鋭い斬痕が穿たれる。
参号の焼け焦げた身体は両断され、もはや完全に動きを止めていた。
「参号っ!」
「離れるな! 一人ずつ確実に殺れ! まずはあの二人だ!」
弐号、肆号の二人は銃弾に撃たれることも厭わず、二人同時に戦線から離脱していた真鶴と剣華へ襲い掛かった。
「いらっしゃいませですよ!」
真鶴はいったん治療の手を止めると、深呼吸して瞬時に〝気〟を練り込んだ。
琉球武術『手』――『飛速気砲』
打ち放たれた強烈な〝気〟の砲弾が弐号と肆号を襲う。両側に跳んで辛うじて直撃を避けたが、二人の間に距離が開く。
弐号の頭上へ、いつの間にか剣華が飛翔していた。
「うおおおおおおっ!」
絶叫し、残る力を振り絞っての脳天唐竹割り。それは僅かに躱され肩へと直撃するも、そのまま右腕を切断した。
腕を失っても痛みを感じない弐号は、着地で片膝を付いた剣華へ、残った片手で上段から剣を振り降ろす。
一右衛門流銃技――『十弾一撃』
棒のごとく縦一列に連なった十もの弾丸が、弐号が握る天剣の刀身に直撃、弾き飛ばす。その隙に、剣華は足を踏ん張って身体を起こしながらの逆風(さかかぜ)で弐号の胸を斬り上げる。さらに振り上げた剣を、一拍の静止の後、足を踏みこみながら一気に振り降ろして再度の脳天唐竹割り。弐号の頭を斬り裂いた剣は、首まで達してようやく止まった。
「さて、後はお前だけだぜ」
一右衛門が銃を指でくるくる回しながら、残された肆号に向けて言った。
「ふ、ふふふ。なかなかやるではないか」
追い詰められたはずの肆号は不敵に笑い、ゆっくりと後退する。だが、すぐに外縁に到達して、もはや後がない。
「だが、この塔を上って来た時点で、すでにお前らの負けは決まっていた」
「あんだと?」
一右衛門が怪訝に眉をひそめたその直後、
「せいぜい、苦悶の声を響かせて死ぬが良い!」
そう叫び、肆号は頂上から宙へと身を投げ出した。
「お、おいおい、さすがにここから落ちたら終わりだろ」
ややあって、どん、という大きな音が響いてきた。
「げ、まだ動いてやがらぁ」
外縁から地上を見下ろした一右衛門が、呆れたように言った。
そのとき、塔の下方で凄まじい炎が燃え上がった。炎は明暦の大火もかくやとばかりな勢いで、あっという間に塔の一層全体を覆い尽くす。
「これは、してやられたのう」
同じく下を見下ろし、保長が顔をしかめる。
遅れて剣華も下を覗き込むと、予め燃えやすいような仕掛けがしてあったのか、炎は上層へ燃え移りながら轟々と勢力を拡大させていた。
「えー、これって、やばいんじゃない?」
「ど、どうするですか!」
「これでは、逃げ道がない……」
「いえ、まだ諦めるのは早うございます」
悲壮感漂う中、常盤が落ち着いた声音で言った。
「く、くく、ま、まさか、こ、こんなにも、か、簡単に、し、侵攻できる、とは」
川田金次は後方に陣取りながら、自兵や絡繰武者が一ツ橋御門を通って
弟・銀次が率いる先手部隊は真っ先に中へと突撃しており、今頃は将軍の首を取るべく本丸目がけ一気に攻め込んでいるところであろう。「金狼銀狼組」よりも規模の大きな組はあるが、絶対に後れを取る訳にはいかない。
やがて親衛隊を引き連れた金次自身も橋へと近づいた。城側の戦線はかなり後退しているのだろう、交戦の喧騒はほとんど聞こえてこない。
「よ、よし、ぼ、僕たちも、と、突撃だ」
金次は濠に架かった橋を渡ると一ツ橋御門の第一門(高麗門)を潜った。
一ツ橋御門は枡形門である。第一門を通った先に矩形の空間があり、その右手に渡り櫓が付いた第二門(渡櫓門)があった。第二門を抜ければ、親藩や譜代大名などの広大な江戸藩邸が並ぶ曲輪内である。一ツ橋御門のほぼ正面には不浄門とも呼ばれる平川御門があり、そこから一気に城へと侵入できるはずであった。
だが、高麗門を通ったところで、異変は唐突に起こった。
突如として響き渡る怒声、喚声、悲鳴、剣戟の音、銃声、肉を斬る音。
つい先ほどまでは、まるで聞こえてこなかったそれらが、不意にすぐ近くで響いてきたのである。
「な、な、何だ? 何が……?」
狼狽する金次の足元に幾つもの弾丸が穴を穿った。親衛隊の陰に隠れて見遣ると、渡り櫓の上に鉄砲組が配置されていた。
「に、人形どもを、た、盾にしろっ」
咄嗟の判断で、絡繰武者を盾にしながら弾丸を防ぎ、前進していく。
しかし金次は、渡櫓門を潜った先で言葉を失った。
そこは凄惨な戦場と化していた。あちこちで城兵と手下たちの戦いが繰り広げられており、地面には多くの屍が転がっている。だが、屍はそのほとんどが、先に突入していた金次の手下たちであった。
金次はその中に、弟・銀次の死体を見つけた。右肩から左の脇腹にかけて太くて深い裂傷が走り、巨体から中の臓器がはみ出している。
「ぎ、銀次っ! ど、ど、どうしてお前がぁっ!」
駆け寄った金次に忍び寄る巨大な影があった。
それは虎であった。それも、体高七尺はあろうかという大きさの。
白い毛並みのその虎は、慌てて頭目を守ろうとした親衛隊や絡繰武者を、丸太ほどもある太い前脚で次々と踏み潰し、また鋭い牙で噛み潰していく。
「な、何だこの、ば、化け物は……」
驚愕と恐怖に身を震わせる金次へ、虎が射抜くような鋭い視線を向けた。
「ひ、ひぃっ!」
咄嗟に踵を返して逃げ出そうとするが、虎の速さは尋常ではなかった。地響きを立てて瞬く間に追い付くと、頭から金次に噛み付いた。頭蓋が、鎖骨が、胸骨が、瞬く間に噛み砕かれ、金次は痛みを感じる前に絶命した。
「さすがは、うちの可愛い式神ちゃんたちどすな。敵軍を完全に喰い止めとるどす」
天守の上から戦場の様子を見渡し、巫女の少女が満足げに呟いた。
彼女は御休息御庭ノ者が一人にして、呪術の天才。
名はみことと言った。
御城は今、彼女がかけておいた『
また、もう一つ ―― 式神『十二天将』
様々な呪術に精通する彼女であるが、そのもっとも得意とするものが『陰陽術』であり、その奥義が式神『十二天将』であった。
十二天将とはすなわち、騰虵、朱雀、六合、勾陳、青竜、貴人、天后、大陰、玄武、大裳、白虎、天空 ――
この十二神の内、みことは現在、六柱を同時に呼び出していた。
半蔵御門――朱雀
平川御門――白虎
大手御門――玄武
内桜田御門――青竜
馬場先御門――騰虵
和田倉御門――天空
「そやけども、さすがにこれだけ同時に呼び出すと、さすがにうちも辛いわ。……そろそろ『陰隠術』の方は解除してもええやろ」
みことは一人呟き、御城を囲むようにかけていた術を瞬時に解いた。
「こ、これは……?」
通温は絡繰飛行船から江戸城を見下ろし、唖然として目を瞬かせていた。
つい先ほどまで、靄がかかっているかのように城内を展望することができなかった。それが今、不意に城内が見渡せるようになり、まるで予期していなかった光景が目に飛び込んできたのであった。
およそ八千もの勢力が、もはや壊滅寸前の状況にまで追い込まれていたのである。
城内には予め入念に準備していたかのように無数の兵が配備されており、城に突入してきた軍勢を完全に数で圧倒している。さらにその中には、あやかしか鬼か、巨大な生き物が動き回り、瞬く間に敵を蹴散らしていた。
「い、一体、何が……」
「残念やが、誘い込まれたのは、おのしの方やったようやのう」
不意に背後から声がした。振り返ると、身の丈六尺を越える大男が立っていた。
「な、何者であるか!」
怒鳴り声を上げた後、はっとして慄いた。船の中に自分が見知らぬ者が乗っているなど、考えられない話であった。
「わしが御庭番の御頭や」
「な、に……?」
通温の声が掠れた。喉が急速に乾き、反面、全身から汗が拭き出す。
「おのしの企みは大よそ分かっておった。やから、予め十分な備えをしておいたのや。それを知らず、まんまと事を起こしてくれおったのう。はっはっは」
御頭と名乗る男は大ぶりな口を開けて笑った。
(ま、待て……こやつは……)
通温の脳裏にふと過るものがあった。だが、その考えはあまりに突飛で、すぐに否定する。
(い、いや、そんなこと、あろうはずもない)
「さて。そろそろ、この反乱の首謀者を罰せんといかんのう」
男が大きな足を前に踏み出す。
「ひっ……」
と、通温は情けない声を出したが、
(……ま、待て。あ、焦るではない。むしろ、これは好都合よ。この場でこやつを)
そう思い直し、顔に不敵な笑みを浮かべた。
「ははははっ! 愚か者め! 余の警護は完璧ぞ!」
通温が哄笑を響かせた瞬間、男の背後から、潜んでいた『剣聖』伍号が襲い掛かる。
予めそれを読んでいたのか、すでに男は背中に負っていた怖ろしく長い獲物を手にしていた。豪快に振り回すと、巻かれていた布が飛び、その正体が露わになる。
それは笹状の刃を持った大槍。
徳川家康の四天王の一人、本多平八郎忠勝の愛槍――『蜻蛉切』
「むぅぅんっ」
男は人間離れした膂力で、気合とともにそれを一閃。伍号の胴体が一瞬にして両断される。さらに上下が分断しても構わず動こうとする伍号の頭部を、次の一撃で容赦なく破壊した。
「他愛も無いのう。本物はもっともっと強かった」
無残に転がる伍号を嘆かわしげな瞳で見下ろし、男が呟く。
「な、な……」
鬼神めいた強さを目の当たりにして、通温は恐怖のあまりその場にへたり込んだ。だが、不意に湧き上がった憤怒、あるいは義憤が、恐れさえも吹き飛ばした。目に鋭い狂気を浮かべ、口から激しい口角泡とともに怒号を飛ばす。
「ぶ、無礼者めが! その槍を誰に向けていると思っておる! 余はっ……余こそは、正統なる将軍ぞ!」
「言い残すことはそれだけやな」
しかし男は冷めた目で通温を見下ろし、おもむろに蜻蛉切の切っ先を持ち上げた。
「ま、待て! 待ってくれ! よ、余はまだ死にとうないっ!」
通温は再び顔中を恐怖の色で染め、命請う。大義名分など、自らの命の前には塵のごときものであったらしい。
「おのしのような痴れ者になど、どう足掻いても国の中心は務まらぬ」
だが、男はそう吐き捨て、容赦なく大槍を振り降ろした。
「死ぬがええ」
炎は塔の半ば以上を呑み込んでいた。
黒煙が濛々と上がり、熱風が下から吹き上がってくる。頂上はさながら蒸し風呂状態であった。一右衛門が額から吹き出す汗を着物の袂で拭きながら言う。
「おいおい、このままじゃ焼売になっちまうぜ」
「ちょっ、珠藻! 胸元開き過ぎですよ!」
「熱いんだから仕方ないじゃない。誰かさんと違って胸が大きいし」
「もぎ取ってやろうですか!」
「ほんと、少しくらいあげられたら良いんだけどねぇ」
「憐れむような目で見るのやめるです!」
「こんな状況でよく喧嘩ができるな……」
真鶴と珠藻の状況を選ばない低次元な争いに呆れ、ふと空を見上げた剣華はこちらへ向かってくるあるものを見つけた。
それは御城へと向かったはずの絡繰飛行船であった。
船は瞬く間に上空へとやって来ると、ゆっくり降りてきた。着陸する。
「なんとか間に合ったようやのう」
船の胴体から顔を出したのはなぜか御頭であった。
「あ、あの男はどうなった!? 御城は!?」
剣華が問うと、御頭は快活に笑って、
「城の方は大丈夫や。……あの男は、そこに寝ておる」
言われて目を向けると、船の中に男が倒れていた。醜く目を見開き、口から泡を吹いている。地面には失禁の後があった。ただ気絶しているだけのようである。
「すまんが、そやつには色々と訊かねばならんのや」
剣の柄に手をかけた剣華を、御頭が言葉で制した。それでも抑え切れず、剣華は鯉口を切って船へと歩を進める。常盤が前に立ちはだかった。
「剣華さん」
「おのしの気持ちは分かるが、ここは堪忍や。……知らぬ間に殺されるより、厳しい罰を受けた方がよほど辛いやろうしの」
「………」
剣華は必死に殺意を押し殺す。
「それよりも急ぐのじゃ。もうそろそろ炎が上がってくるわい」
保長が促し、皆が飛行船へと集まろうとしたそのとき、何か鋭利な物体が虚空を切り裂いて飛んだ。
右目、左胸、そして膀胱の計三か所。
棒手裏剣が、保長の身体に突き刺さっていた。
「や、保長さん!」
「そやつに近付くな!」
慌てて駆け寄ろうとした真鶴を、御頭の一喝が止める。
「ど、どういう――っ!?」
状況が理解できず狼狽える剣華の目が驚きに見開いた。
「かっかっか。上手く儂に化けたようぢゃが、さすがに本人がここにいたらのう。見破られるに決まっとるぢゃろう。まぁ、本物はもっと男前ぢゃがのう」
先ほど棒手裏剣が飛んできた飛行船の陰、そこから現れたのはもう一人の保長であった。
「なるほど、これは迂闊じゃったな。貴様は死んでおらんかったのか」
手裏剣が突き刺さっているにも関わらず、先の保長が至って落ち着いた口調で言葉を発した。
「当たり前ぢゃ。儂があれしきの爆発で死ぬ訳なかろう」
「おいおい、こりゃあ、どういうことだよじじい。お前が本物だとしたら、あいつは一体何もんだよ?」
一右衛門が目を丸くして訊く。
「かっかっか。やはり阿呆には分からんようぢゃのう」
「あんだと?」
「そやつは月影よ。鬼才と言われた絡繰技師・浅井月影ぢゃ」
保長が明らかにした事実に、その場にいた皆が息を呑んだ。
「ちょ、ちょっと待て。どういうこったそりゃ? 月影と言やぁ、もう五十年も前に死んでいるはずだろ? 万が一生きていたとしても、百歳はとうに超えてるぜ?」
「やはり阿呆ぢゃのう。見よ、あやつは全身を手裏剣で刺されても、まるで痛痒を感じておらぬ。これがどういうことか分かるか?」
「……絡繰人間」
剣華が呟いた一言に、保長が満足げに頷いた。
「正解ぢゃ。すなわち、奴は自分の身体を絡繰化し、ずっと生きながらえておったのぢゃよ。月影が作ったとされる絡繰の数は限られておる。にもかかわらず、なぜこれほどまで多くの絡繰が未だに出回っておるのか、儂には前々からずっと疑問ぢゃった。月影が遺した絡繰術の記録を手に入れた誰か有能な絡繰技師が、月影の絡繰を再現しておるのかもしれんと考えておったが、答えはもっとずっと簡単ぢゃった。なにせ、本人が生きておったんぢゃからのう」
「ちっ。だから、月影の絡繰拳銃が俺の持っているやつ以外にも存在してやがったのか」
一右衛門が気に喰わなさそうに言う。
「ようやく分かったか阿呆よ」
「いちいち阿呆阿呆うっせぇんだよ、じじいが!」
「月影、おのしの企みもこれで終いや。反乱は完全に鎮圧した」
「終い? かっかっか」
御頭の言葉に、保長――浅井月影はなぜか愉快気に笑った。
「……儂の笑い方を真似するの、やめてくれんかのう」
本物の保長が顔をしかめる。
「別に、城を落とすだの、将軍を殺すだの、儂には最初からまるで興味ない」
「どういうことや。ならば、おのしはなぜ通温に手を貸した?」
「あやつが儂に絡繰を作るための最適な環境を提供してくれたからじゃ。それ以外に、理由などないわ。儂はただ絡繰を作れればそれで良い。己の身体を絡繰化して生きながらえているのも、ただそれだけじゃ」
恐らくそれは真実なのであろう。保長の話し方のままではあるが、そう告げた月影の言葉には一切の迷いが感じ取れなかった。
「……なるほど。やが、だからと言って、おのしを見逃す訳にはいかぬ。この乱のれっきとした共謀者やからのう」
御頭が蜻蛉切を手に、月影に向けて一歩足を踏み出す。それを合図に、その場に集う御庭ノ者たちが一斉に戦う体勢を整えた。
そのとき、急に激しい揺れが一行を襲った。
塔が傾き始めていた。
「かっかっかっか。早う逃げんと、もろとも死ぬぞい」
月影が嘲笑を残し、宙へと舞い上がった。跳んだのではない。鳥のごとく、空へと飛び上がっていた。
真鶴が咄嗟に飛翔して追い〝気〟を乗せた回し蹴りを放つも、月影の足元を掠めて空を切った。保長が手裏剣を放ち、一右衛門が銃弾を撃ち、珠藻が炎を飛ばす。しかし、いずれも素早く錐もみしながら上昇していく月影を捉えることはできなかった。
「早く脱出いたしましょう!」
常盤が焦燥の声を張り上げた。すでに塔は大きく傾いで、危うい状況となっていた。
月影を追うことは諦め、急いで船へと向かう。御頭が乗り込んで操縦席へと走る。続いて保長が乗り込み、さらに常盤、剣華が乗ろうとしたときであった。
ついに塔が倒れ始めた。
それとほぼ同時、船が浮かび上がる。
「常盤!」
保長が手を伸ばし、その手を常盤が掴む。
「剣華さん!」
今度は常盤の手を剣華が掴んだ。
「うおおおいっ!」
「一右衛門!」
剣華は一右衛門へと手を伸ばす。だが、届かない。仕方なく伸ばした足に一右衛門が辛うじて跳び付いた。
「待って!」
今度はその一右衛門の脚に珠藻が跳び付く。
最後に、まさに今倒れゆかんとする塔の頂上から真鶴が跳び、珠藻の脚を掴んだ。
「あ、危なかったですよ!」
危機一髪。その直後、ついに塔は完全に倒壊し、炎の中へと呑み込まれていった。
見世物の軽業のように見事に連なり、江戸最強の武芸集団――御庭ノ者たちは大空を飛んでいた。
「かっかっか。江戸中の者が何事かと儂らを見上げておるわい」
「……何というか、少々、恥ずかしくございますね」
「そうだな……」
「つーか、珠藻っ、脛毛を引っ張んじゃねぇよ!」
「仕方ないでしょ。むしろ、ぼうぼうにしてるあんたが悪いのよ」
「しゃーねぇだろ、生えてくるんだからよ!」
「ちゃんと処理しなさいよ」
「こここ、こら珠藻! あああ、足を揺らすなですよ! おおお落ちたらどうするですか!」
「待て、お主こそ揺らしているぞ」
「ゆゆゆ、揺らしてないですよ!」
「真鶴は高いところ駄目なの? やっぱり身体が小さいからかしら」
「まるで関係ないですよ!」
「それにしても重いのう。そうぢゃ、一右衛門、お主だけ落ちたらどうぢゃ?」
「殺す気かよ、糞じじい!」
「喧嘩はやめてくださいませ。……それと保長様、わたくしの胸元を上から覗くのも絶対におやめください」
「ばれたか」
頭上には覚めるような青空が、眼下には江戸の都が広がっている。
空から見下ろす限り、どうやら叛乱はすでに沈静化したようであった。
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