間違いなく君だったよ―同題異話SR短編集―
西藤有染
June『間違いなく君だったよ』
野生の鶴は義理堅いんですよ?
間違いなく君だったよ
何かを叩く音がする。鳴っているのは扉のようだ。
今まで眠っていたのだろうか。どうにも頭がはっきりしない。
扉の音は絶えず続いている。来客だろうか。応対するために部屋から出る。
外に立っていたのは女性だった。その顔に見覚えは無い。服装は今時珍しい着物だ。辺りの薄暗い中で、彼女の肌や服の白さはやけに際立っていた。
彼女はこちらを目に止めると、目元を潤ませながら、かすかに震える声で、こう言った。
「お久しぶりです。あの時、あなたに助けていただいた鶴です」
「あ、そういうのは結構です」
迷わずそう答え、間髪を入れず部屋の中に戻る。切羽詰まった用件かと思いきや、ただのいたずらだったらしい。ああいった手合いは無視するに限る。
しかし、すぐに扉が鳴り始める。どうやら彼女は懲りずにまだ続けるつもりのようだ。しばらく無視を決め込んでいたが、止める気配は一向に無さそうだった。
あまり関わり合いになりたくはないが、これ以上は近所迷惑に繋がりそうだったので、仕方なく再び部屋の外に出る。
扉の前の女性は、先程とは打って変わり、不安げな表情で口を開いた。
「あの、もしかして私の言葉が通じていないのでしょうか?」
奇妙な質問だと思ったが、素直に「通じていますよ」と返す。同じ日本語なのだ、通じない方がおかしいだろう。途端に彼女の顔色が明るくなった。
「それを聞いて安心しました。あなたが中に戻ってしまったのは、私の言葉がどこか変だったせいではないかと心配になってしまったのです」
言葉ではなく内容がおかしかったのだが、そこは訂正しておくべきだろうか。
「これでようやく、あなたとお話ができるのですね」
彼女はそう言うと、物思いに更けるように遠い目をし始めた。
自分の都合で話を進めていく目の前の女性に、得体の知れない恐怖を覚える。もしかしたらこれはいたずらなどではなく、新興宗教や悪徳商法の勧誘の類なのではないか、という考えが頭を過り、相手に対する警戒が強くなる。
「あの、どちら様でしょうか」
「先程も申し上げたではありませんか。以前あなたに助けていただいた鶴ですよ――って、ああちょっと待って下さい! 黙って部屋に戻ろうとしないでください!!」
意味が通じても話は通じない相手だと悟ったので、無視を決め込もうと部屋に戻ろうとしたが、引き止められてしまった。
「せ、せめて私のお話だけでも聞いていただけないでしょうか?」
「いや、ホント、勧誘とかそういうの結構ですから。もう間に合ってるんで、他をあたってください」
「勧誘ではありません! むしろ恩返しに来たのです!」
「恩返し」などというきょうび日本昔話以外では耳にしないような言葉が出てきたことで、警戒心がさらに高まる。
「そんなことを言われても、怪しい壺やネックレスなんて絶対に買いませんよ!」
「そのようなおかしなものをあなたに押し売りするわけが無いじゃないですか!」
「知るかそんなの! 初対面なんだから分かるはずがないだろ!」
思わず熱くなり、素の口調で語気を荒げてしまう。すると、彼女は黙り込み、俯いてしまった。驚かせてしまっただろうか。
悪いことをしてしまったような気になるが、相手が相手なのだから遠慮する必要はないと気持ちを持ち直す。むしろ、これに懲りて立ち去ってもらえはしないだろうか。
「……やはり、覚えておられないのですか?」
顔を上げて上目遣いでそう言う彼女に、一瞬ほだされそうにもなるが、ここで騙されてしまってはどのような目に遭うか分からない。彼女は演技派の詐欺師なのだと考えを改め、こちらも徹底抗戦の構えを見せる。
「覚えているも何も、あなたのような変人の知り合いなんていませんから」
「そんな……」
動揺している様子が、はっきりと見て取れた。これだけ演技が上手なら、女優として成功を収められただろうに、どうしてこんなことをしているのだろうか。
「そんな、私のどこが変わっているとおっしゃるのですか!」
いやそこじゃないだろ、と突っ込みたくなるのをぐっと堪え、冷静に言葉を返す。
「自分のことを鶴だと言い張るなんて、変人以外にあり得ないでしょう」
「ですが、事実と異なることを申すわけにも参りませんし……」
「それを事実と思い込んでる時点で既におかしいんだよ!」
再び声を荒げてしまうが、彼女は気にした素振りも見せず、不思議そうに首を傾げただけだった。
今のやり取りで、彼女は詐欺師などではなく、思い込みが激しいだけのただの変人なのだと察した。途端に目の前の女性に対する恐怖が薄れ、逆にここまで好き勝手された分の仕返しをしてからかってやろう、などと考え始めてすらいた。
「分かりました。あなたが鶴だと仮定しましょう」
「仮定ではなく事実なのですが」
不服そうな顔の彼女を無視し、言葉を続ける。
「その証拠を見せてください」
「証拠ですか?」
「そうです、あなたが本当に鶴であるという証拠です」
鶴が人の姿になるなどありえないのだ。そんな妄想を証明するために、彼女は一体どのような設定を用意し、どのような荒唐無稽な証拠をでっち上げてくれるのだろうかと、内心ほくそ笑んでいたのだが、
「ありません」
「は?」
予想外の返答に、間抜けな声を漏らしてしまう。
「ですから、証拠などありませんと言っているのです」
彼女のその振る舞いに、内心戸惑いが生じる。
予想していた反応としては、痛いところを突かれて慌てふためくか、もしくは何かしら用意していたものを披露してくるかのどちらかを想定していた。
前者であればその反応をからかい、後者であればその用意された設定の粗をつついてやろうと考えていたのだが、実際に返ってきた答えは想定外のものだった。
「……それでしたら、今ここで鶴の姿に戻ってみてください」
「それもできません。実を言うと、自分でも気が付かない内に人の姿に変化していたので、姿を変える方法が分からないのです」
戸惑いを隠しつつ伝えた要求に、彼女は淀みなく言葉を返す。それは、小学生のようなひどく稚拙な言い訳だった。しかし、ただの
「それではあなたが元々鶴だったなんて信じられませんよ」
言葉とは裏腹に、もしかしたら本当のことなのではないかと思い始めている自分がいた。
「そんな……。会えば一目で理解していただけるものだと思っておりましたのに……」
「こんな荒唐無稽な話、信じられるわけないでしょう」
「ですが『鶴の恩返し』では鶴が人の姿になっても受け入れてもらえていたではありませんか。てっきり、人間の世界では当たり前のことなのかと」
……やはり、彼女は単に思い込みが激しいだけである気がしてきた。昔話に影響され、自分を鶴だと思いこんでしまっている哀れな人なのではないだろうか。
「あれは物語! 作り話だから受け入れられてるの! 普通なら鶴が人間になるなんてありえないから!」
「そう言われましても、こうして鶴から人の姿へと変わることができているわけですし」
「だったら人から鶴に戻ってみてくれって言ってるの!」
「それはできません」
こちらが話が堂々巡りになっていることに苛立ちを覚えているのに対し、彼女は困ったように眉を
「百歩譲って、あんたが鶴だとしてさ」
目の前の相手に対して、今更口調を取り繕う必要性などもはやないだろう。
「あんたを助けたのっていつの話? そんなことした覚えが全く無いんだけど」
言葉の節々に表れる苛立ちを隠さずにぶつけられた彼女は、悲しげな表情を見せながら口を開いた。
「それは当然のことでしょう。あなたは死後、長くここに留まりすぎたせいで、あなたという存在自体があやふやになりつつあるのですから」
「……は?」
彼女の言っていることが理解できなかった。死人扱いされるなんて
彼女は表情を変えること無く、言葉を続ける。
「あなたには鶴を助けた記憶どころか、その他の記憶すら無いのではありませんか?」
「そんなわけ無いだろ、何を言って……」
反論の言葉は尻すぼみに消えていった。彼女と話す前は何をしていたのか、思い出せなかったのだ。
俺は何をしていたんだ? 平日なら学校に行っていたはず、というか俺は学生なのか? 会社員、フリーター、あるいはニートの可能性だってあるが、そもそも今日は平日なのか? 曜日は? 日付は? 西暦は?
「名前、年齢、職業、家族、友人、好物、趣味、何でも良いのです。何かひとつだけでも、あなた自身について思い出せることはありますか?」
名前、そうだ、名前なら……。しかし、いくら頭を抱えてみても、何も頭に浮かんでは来ない。自分が何者なのか、全く思い出せないのだ。
「嘘だ、そんなはず……」
「自分の名前すら思い出せませんか。それほどまでに長い年月が過ぎてしまったのですね」
「ち、違う、ただ、寝起きで、寝起きだから頭が回っていないだけで……」
そもそもこいつは、突然やってきた妄想癖のある迷惑なただの変人なのだ。それなのに、なぜそんなやつの言うことを真に受けて動揺しているのだろうか。
「なにか、何かきっかけがあれば……」
そうだ。自分の部屋だ。生活していた空間を見れば、すぐに何もかも思い出せるはずだ。そうすれば自分が正しくて、あいつが間違っていることが証明できる。
しかし、中に入るや否や、その部屋の異様さに気づいてしまった。そこには何も無かった。机も、タンスも、冷蔵庫も、人が生活している形跡と言えるものが何ひとつとして部屋に置かれていなかったのだ。
「何だよ、これ……」
「お分かりいただけましたか」
背後から聞こえた声に振り返った。彼女は扉の向こうから言葉を続ける。
「あなたは既に亡くなっているのです。この部屋で自殺し、魂だけがこの場に留まり続けているのです」
「自殺ってなんだよ。俺はまだ死んでいない、こうしてちゃんと生きているだろ」
そう反論する声は、自分のものとは思えないほどに弱々しかった。
「……気づいておられないのですか?」
「何のことだよ」
問いに対する答えは、行動で返ってきた。彼女が扉を開けること無くすり抜けて、中へと入ってきたのだ。
「あなたはこうして扉をすり抜けてこの部屋を出入りしていたんですよ」
嘘だ、そんなはずはない。無意識での行動だったから覚えがないだけで、出入りの際には扉を開けていたはずだ。
そう考えて伸ばした手は、しかしドアノブをすり抜けてしまった。
前に出したことによって視界に映った自分の手は、輪郭がぼやけており、人体というよりも
「俺は、本当に死んでいるのか……」
「ようやく理解していただけましたか」
こうなってしまっては、彼女の言うことを信じざるを得ないだろう。
「じゃあ、あんたが鶴だっていうのも、本当のことなのか?」
「最初からそう言っているでしょう」
奇人狂人の
「肉体というのは、それぞれの存在を確立させる型のようなものなのです。それを失ったから、私は鶴から人の姿に変わることができ、その一方であなたは記憶を失い、存在が希薄になってきているのだと思います」
その言葉に、ひとつの疑問が浮かんだ。
「なんでお前の姿はそんなにはっきりしたままなんだよ」
同じ魂だけの存在となっているにも関わらず、彼女は俺とは違い、姿だけでなく意識や記憶も確固として薄れていないように見える。
「私には目的がありますから」
「目的?」
「死してなお達成したい目的、すなわち未練があるので、私は私を保ち続けていられるのです」
つまり、何の目的も無く自殺した俺には未練が無いから存在が薄れていっているのだろう。それにしても、未練として残り続けるほどに強い願いとは一体何なのだろうか。
「あんたにはどんな未練があるっていうんだ」
「助けていただいたあなたに、恩返しをすることです」
その言葉に耳を疑った。
彼女は、自らの欲望の発露ではなく、他人への返報を執着としてこの世に留まっているというのだ。生粋の利他主義に、理解できない震えが来る。
同時に、別の疑問が浮かんだ。彼女の執着の相手は、本当に俺なのだろうか。
「恩返しをする相手を間違えているんじゃないのか? さっきも言ったとおり、俺にあんたを助けた記憶は無いんだぞ?」
「いいえ、間違いなくあなたでしたよ」
そう言ってこちらを見つめる彼女の目は、真っすぐで自信に満ちていた。
「なんで、そこまで自信を持って断言できるんだよ」
「……あの日、私は飢えを
突如始まった回想を、遮ることなく素直に耳を傾ける。彼女は目線を下に向けながら、言葉を続けた。
「そこへ偶然、子供が通りがかりました。彼は、小さな手を傷だらけにしながら、必死で罠を解こうとしてくれたのです」
彼女の視線は、俺の手に注がれているように見えた。人の手としての形も成していないような霊体の手を見て、何を想うのだろうか。
「しかし、私がかかった罠は、幼い子供の手で解除できるほど甘いものではありませんでした。結局、彼が助けを呼んでその場に戻ってきた時には、私は既に飢えと罠による怪我で衰弱し、亡くなっていたのです」
彼女は視線をこちらへ戻し、微笑んで回想を締め括った。その表情から、彼女がその思い出を大切にしていることが伺えた。
だが、こちらの問いに対する答えはまだ出ていない。
「その子供が俺かどうかは結局分からないじゃないか」
「分かりますよ。あなたが私の亡骸の前で大声で泣いていた時から、ずっと見ていたのですから」
「……ストーカーじゃないか」
「随分な言い方ですね。せめて、守護霊と呼んでください」
そう言ってむくれた彼女の顔に、ふと影が差した。
「……いえ、そう名乗るのはおこがましいかもしれません。私には見守ることしかできなかったのですから」
「幽霊なんだから、生きた人間に干渉できないのは当たり前じゃないのか?」
幽霊の事情などは分からないが、物質をすり抜けてしまうような体なのだから、基本的に干渉できないと考えられるだろう。
「それでも、目の前にいるのに手出しができないというのは、とても辛く、もどかしいことなんです」
そう呟く彼女の顔は暗い。
「始めは、例え霊体としてでも傍にいることが恩返しに繋がると思っていました。ですが、昔の私はただの鶴でしたから、あなたが辛い思いをしていることは分かっても、その詳細はわかりませんでした。あなたが目に見えて塞ぎ込んでいくのが分かっても、その理由はわかりませんでした」
話す声に、かすかな震えが混ざり始めていた。彼女の中で溢れそうな感情を堪えようとしているのだろうか。
「結局、私はあなたの身の上に起きたことを理解できないまま、あなたは自ら命を断ってしまったのです」
内容が抽象的だったのは、彼女が事態を把握できていなかったからであろう。自分のことのはずなのだが、他人の話を聞かされているようで、いまいち実感が湧かない。
「あなたの言葉を理解できていたなら、あなたに私の言葉を伝えることができたなら、何か違った結果をもたらせたのではと、自らの無力をずっと嘆いておりました」
それでも、彼女が嘘偽りなく話していること、本気であることは伝わってきた。
「だからこそ、こうして人間としてあなたと話せていることは、天にも登るほどに嬉しいことなのです」
彼女が心の底から願ったからこそ、お互いが人の姿で会話を交わしている今があるのだろう。
「これでようやく、あなたに恩返しができます」
そこまで思われていることを、ありがたいと思う。しかし同時に、遠慮が生まれる。
「結果として俺はあんたを助けられなかったんだから、そこまでする義理は無いだろ」
「助けようとしていただいたというだけで、十分恩を返すに値します。野生の鶴は義理堅いんですよ?」
結果の伴っていない行動に死んでなお恩を返そうというのは、義理堅いという域を超えてしまっているのではないだろうか。
「それに、恩を返すって言ったって、死んでからじゃあ遅過ぎるだろ」
「遅くなんてありませんよ。まだ先があるわけですから」
何を言っているのだろうか。死んだらそれでおしまいだ。
現状、霊としてこの世に留まってはいるが、それで何ができるというわけでもない。ただここにいるというだけだ。そこに意義など何も無い。
「幽霊として恩を返していくって言いたいのか?」
「いいえ。来世で恩を返すと言いたいのです」
突然の来世という言葉に困惑する。あるかどうかも分からない生まれ変わりを宛てにしているというのだから、困惑するのも当然だろう。
「そんなものがあるなら、俺はとっくに来世に生まれ変わってるはずだろ?」
「本来であればそうなるはずでした」
本来であれば、ということは何か理から外れるようなことをしてしまったのだろうか。
「未練も何もないあなたが、存在を薄れさせながら、それでもこの世にとどまり続けているのは、来世への生まれ変わりを拒絶しているからなのでしょう」
「……死後の世界、思いに左右されすぎじゃないのか」
思わず呟いてしまう。
姿かたちを変えるのも、自己を保ち続けるのも、果ては生まれ変わりの拒否までも感情ひとつで思いのままになってしまうのだ、あまりに自由が過ぎるのではないだろうか。
「命あるものの願いとは、それほどまでに強いものなのですよ。それこそ、常識の枠を超えてしまうほどに」
霊体とはいえ、人の姿を得た鶴が言うと説得力が違う。
「あなたが来世を拒絶する理由には、恐らく生前の出来事が関与しているのだと思いますが、私にはその原因は分かりません。恩返ししようにも、私ではあなたの問題を根本的に解決することはできません」
私にできることはたったひとつだけです、と彼女は続ける。
「来世で、私があなたの友達になります」
道徳の授業で小学生が発表するような解決策に、思わず力が抜ける。
「それが何の解決になるって言うんだよ」
すると、彼女は胸を張ってこう答えた。
「私という絶対的な味方がいるというだけで、心強くありませんか?」
「なんだよ、それ」
意図せず吐息が漏れる。それが、笑うことによって溢れたものであると遅れて気づいた。笑ったのは久方振りのことではないだろうか。
思えば、会って間もないにも関わらず、目の前の鶴女には予想外の方向に振り回されてばかりだ。それによって、存在の薄くなってしまった俺の感情が次々と引き出されている。
「来世ではあなたの傍に寄り添えるような友人になりますから。それが、あなたへの恩返しです」
彼女の宣言は、恩返しと言うにはあまりにも押し付けがましいものだ。こちらの都合も知らずに一方的に「友達になります」と言ってきているのだから、見ようによってはただのストーカーだ。
一方で、こんな変なやつに振り回されるのも悪くないのかもしれない、と思い始めている自分がいた。
だが、こちらがそう願ったところで、現実はそこまで甘くないだろう。
「そんな都合よく一緒になれるものじゃあないだろ」
「そうですね、願いが強い力を持っているとは言え、恐らく離れ離れになってしまうことでしょう」
ですが、と彼女はあいも変わらず自身に満ちた様子でこう続けた。
「私は人の姿に変わることができた奇跡の鶴ですよ? 来世であなたを見つけ出すことなど、朝飯前です」
根拠など全く無いが、彼女なら本当にやってのけてしまいそうな気がした。
「ですから、来世に不安になることはありません。安心して成仏してください」
「そんな口先だけの約束で安心できるわけがないだろ」
そう言いながら、急速に自らの意識が薄れていくのを感じていた。経験したことは無いが、これが成仏するという感覚なのだろう。
言葉とは裏腹に、彼女の言葉に安心してしまっているのだ。どうやら俺は思っている以上に単純な人間だったらしい。
こちらの変化は彼女の目にも映ったようで、
「……素直じゃありませんね」
そう言って彼女は微笑んだ。
内心を見透かされたことに恥ずかしさを覚えるが、それも満ち足りたような感覚に上書きされていく。
眠りに就く前のまどろみのような感触の中で、別れの挨拶を告げる。
「また来世で」
自らの声に彼女の声も重なって聞こえたような気がした。
○●○●○●○●○●○●
「ねえ、あのさ」
「どうしましたか?」
「昔、友達になろうって約束したの、覚えてない?」
「誰の話ですか?」
「私と君の話」
「そんなの、わざわざ約束するようなことでは無いと思うんですけど」
「でも、確かにしたんだよ」
「……わかりました。仮に約束してたとしましょう」
「仮に、じゃなくて事実なんだけどな」
「いつそんな約束しました? 私にはそんな記憶無いんですけど」
「生まれる前」
「……それって、お母さんのお腹の中でってことですか」
「違う違う、前世での話だよ」
「また先輩のそういう変な癖が出てきましたね」
「変な癖も何も、事実だし」
「うわ、危ない人だ」
「私のどこが危ないっていうのさ!」
「急に前世とか言い出すような人なんて明らかに危ない人でしょうが」
「でも事実であることに変わりはないし……」
「それを事実と思い込んでいる時点で既に危ないんですよ」
「酷いなぁ。ちょっとくらい信じてくれたっていいじゃん」
「仮に前世があってそこで先輩が約束してたとして、その相手が私かどうかなんて分からないじゃないですか」
「いいや、間違いなく君だったよ」
〈了〉
間違いなく君だったよ―同題異話SR短編集― 西藤有染 @Argentina_saito
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