第2話 明治拳法界の苦悩

 大村小次郎が現れるまでの明治拳法界は、停滞をきわめていた。

 幕末になり、各地に剣術を教える塾が乱立し、武士だけでなく、町人、百姓までもがわんさと押し掛け、猫も杓子も剣術を習った。そのブームは明治になってからも続き、文明開化により武士が失業したこともあって、旧武士である士族による起業が盛んになったゆえんでもあろう。

 このあおりを食ったのが、拳法界だった。


 拳法は、素手素足で相手を倒す、格闘術である。むろん、基本的に強靭な肉体が求められる。得物さえ手にすれば普通人でもある程度は戦える剣術と違い、一般人から遠い存在であることは明白だ。低迷は、必然的なものだった。


 東京の麻布は、もと紀州藩の上屋敷があった場所。明治になってもまだ建物が残っていたが、その片隅の小さなもと中間ちゅうげん部屋に大村左門なる者が拳法塾を開いたのは、確か明治3年のことだった。

 大村左門は、もと紀州藩士。歳は50歳くらいで、幕末には紀州藩で拳法指南役を務めていた。

 剣術を武士の基本武術とするのが普通だが、紀州藩はその点で異彩を放っていた。紀州の北端に根来ねごろという地名が、ある。そう、そこは紀州藩の隠密おんみつ、つまり8代将軍徳川吉宗以降は幕府隠密(お庭番ともいうが)を務めた人間を輩出していた。ゆえに、狭いところで活動する必要から、剣術でなく、拳法のような体術を鍛錬していたのであろう。また吉宗将軍就任以降は紀州藩士が幕府の中心になって活動することが多くなり、基本的な体術が奨励されていたのであろう。

 大村左門は、代々、根来奉行を務める家柄だった。

 そういえば、安政3年ころだったか、紀州根来で大一揆が勃発し世間が騒いだが、当時根来奉行だった大村 左近さこんという人物が1日で鎮圧したといううわさを覚えている。それが、大村左門のことだったのかどうかはわからない。


 しかし、大村左門の拳法塾は、不振を極めた。左門の拳法は、秀でている。しかし残念ながら士族の商法というやつで、とにかく教え方が悪い。左門が口にすることといえば

 「おい!」

 「あほ!」

 「こら!」

の3言だけだったらしい。

 当然、入門した弟子たちは、短期間でやめていった。弟子がまだ士族の子弟であれば忍耐もできようが、ほとんどが町人の子弟である。左門の武士然とした態度には、到底耐えられないのだった。


 さて、このころの明治拳法界の実情を話そう。

 拳法とは、いっさいの得物を使わず、おのれの肉体、とくに拳(こぶし)だけで戦う。非常にシンプルな戦い、である。

 しかし、ここに文明開化の波が押し寄せてきた。

 停滞を怖れ焦った拳法界は、あろうことか、拳だけの戦いという譲れない原則を、あっさりと崩してしまった。柔道、相撲、空手の要素を、ふんだんに取り入れてしまった。その結果、明治拳法は、なんとも悲惨な姿に変わり果てた。


 拳法の本来のルールは、拳だけで突きあい、相手を圧倒して立ち上がれないように、つまり戦意を喪失させたら、勝利である。しかし、拳だけで相手の戦意を喪失させるのは、すごく時間がかかった。観客にとっても、酷く冗長な時間が延々と流れた。そこで、短時間決着が求められた。

 相撲は、ひざから上が地面についたら負け、である。

 柔道は、技が決まったら、終了。

 空手は、足技も可能で、派手な動きのため観客受けする。

 これらの点を取り入れて、拳法界に新しいルールが誕生した。


 それによると、

 △ 試合場は、土俵や区画は一切設けない。拳法は本来、場所の制限がないのだ。ただ、観客の都合上、一応の自然の区画を用意した。そこは、拳法界が幹部会を定期に開催している寺院の、前庭である。二方向は建物に囲まれ、一方向は広く空いている。そこに観客席・審判席を設ける。そしてあと一つの方向は、高さ5メートルほどの崖になっていた。崖までは意外と距離が少ないので、極端に後ずさりなどをすると転落する恐れがある。まあ、気をつければだいじょうぶだろう。

 

 △ 試合は、一度に1試合のみを行う。審判団の検討の苦労を思ってのことだ。もちろんそれは建前で、本音は会場を分散することによる観客数の見栄えの減少を見せないためだった。

 

 △ 観覧料は、基本、徴収しない。拳法界審判団の資金力が豊富なためで、また寺院の保護もあった。ゆえに、会場には完全出入り自由である。もちろん、用心棒は雇ってある。

 

 △ 試合進行は、まず、1対1で、柔道・相撲・空手などと同じく、相対してあいさつする。このとき、一方の人物は必ず崖を背にして立たねばならない。そしてあいさつのしかたは、会場の入るときにだけ頭を下げるが、相対したときは互いに一礼をせずにじっと相手を見つめることが義務づけられた。これは、観客に緊張感を与えるためである。一礼すると、スポーツになってしまうからだ。拳法は、あくまでやるかやられるかの格闘技だから。

 

 △ 一礼の代わりに、試合する者は、拳を握ってひじを折り顔の前に位置させる。つまり、ファイティングポーズをとらせる。ただここでおかしな点は、ファイティングポーズを、なんと片方の腕だけで取らせることだ。その片方とは、観客席・審判席の側にある、片方の腕である。崖を背にして立つ者の右側に観客席・審判席が設けられる。つまり、試合する者は、崖を背にする者は右腕で、崖に対する者は左腕で、ファイティングポーズをとるのだ。この間、もう片方の腕は、だらりと下げたままにする。何ともおかしなポーズだが、あくまで観客向けのポーズなので、こうなった。

 

 △ そして試合開始。審判長が、宣言する。すると、対戦者は、まず見合ってから、がしっと組み合う。これは、レスリングの試合形式を取り入れている。まず両腕で組み合うことで、観客に始まったぞ、とアピールする狙いだ。そしてこの後、両者は、いわゆる差し手争いをし合う。両腕で組み合ったら、次は相手を転ばせる行動となるのがレスリングだ。ところが拳法界では、レスリング形式は取らずに、相撲で組み合った時のように腕による差し手争いの形を取り入れた。

 

 △ さて、ここで非常におかしな、厄介なルールが採用された。それは、この差し手争い、片方の腕だけで行うべし、ということになったのだ。片方とは、観客席・審判席の側の腕だけで差し手争いを行え、ということである。もう片方の腕で差し手争いをしても、観客や審判団には見えないから意味がない、というわけだ。考えたらおかしなことだ。格闘技なのに、興行的な要素を色濃く押し出している。これではまるで、ショーではないか。

 

 △そして、この差し手争い、いったい何の差し手争いなのかというと、試合者は互いに相手を投げ飛ばすことが、勝敗決定への道とされているためだ。つまり、柔道・相撲の投げ技を、互いに仕掛け合うことになっていた。そのため、相手の腕を自分に有利なように腕の力やわきの締め力であやつり、投げ技で優位に立つように持ってゆくのだ。投げられたときに、上半身が先に地面についたほうが、負けである。

 

 △ところが、片方の腕だけで差し手争いをし、そして片方の腕だけで相手を投げなければならない。非常に困難である。そこで、投げ技をかけやすいように、これはルールには入っていないが暗黙の示し合わせとして、相手が投げの姿勢に入ったら、自分も投げの姿勢に入って、たがいに力を合わせて投げ合うことになった。というか、それはもう投げというより、互いに協力して転ぶ、ということだ。そしてこれはルールなのだが、投げる方向、つまり転ぶ方向は、必ず観客の側でなければならない。そして投げ合うというか転び合う時に、必ず、足を高々と上げて転ばなければならない。要するに、派手に転ぶのだ。この結果、もう差し手争いなどはまったく意味がなく、けっきょくは勝敗は転んだときに相手よりいかに先に地面につかないか、で決まることが普通になった。

   

 △ 互いに絡み合うようにして転ぶため、勝敗の審判は困難だった。検討に長時間を要して、観客もだれた。


 さて、大村左門の拳法塾も、この拳法新ルール導入により少し活性化して、弟子が3名入門した。しかし、左門の指導不得手もあって、弟子3名はことごとく、この新ルールの試合に敗れ続けた。差し手争いが苦手で、観客受けしなかったのである。

 そう、いつしか勝敗判断は、観客受けしたかどうかで決まるようになっていた。審判団の検討はそっちのけにされ、差し手争いで優勢になったと観客が判断したときに、勝利を勝ち取るのだ。


 さらに、おかしな事態になった。

 拳法の試合から、投げの打ち合いが消えたのだ。そう、差し手争いが、試合のメインイベントになった。対戦者は、差し手争いを平均15分、長い時では小一時間近くも続け、観客の熱を上昇させた。

 このため、対戦者は、またまた互いの示し合わせで、差し手争いで優勢になってもその決まった状態を優勢な側がわざと落として再び互角に持ってゆくような状態になり果てた。差し手争いの時間を、なるべく長引かせるためである。

 拳法は、スポーツどころか、格闘技でさえなくなった。

 観客も次第に、飽きてきて、試合会場は閑散としていた。

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大村流拳法伝説 よほら・うがや @yohora-ugaya

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