ハロウィンの夜、仮装のような格好をした女性に恋を求められたら

刹那END

ハロウィンの夜、仮装のような格好をした女性に恋を求められたら

 ハロウィン。

 アメリカで行われている秋の収穫を祝う毎年恒例の行事だ。

 本場では、仮装をした子供が近所を回って、お菓子をもらいに行く。

 それくらいのものらしいが、近年、日本でもよくわからないくらいの盛り上がりを見せ始めている。

 盛り上がり方を勘違いして、軽トラックを倒し、奇声を発する輩まで登場してしまった今、日本のハロウィンはまさに混とんと化してきた。

 そんな中でも、仮装をして、街を歩き、みんなでインスタにあげる写真をスマホで撮りまくる人たちは、まだ、ハロウィンを正当に楽しんでいるのかもしれない。


 その波に乗り遅れまいと、今年は僕も、街へと繰り出した。

 派手な仮装をする勇気はなく、ただのワイシャツにネクタイをして、ジャケットの代わりに白衣を羽織った。

 化学系の研究室にいる学生か、研究員のつもりで丸い眼鏡を掛けた。

 クオリティの低い仮装だったのにもかかわらず、ハロウィンの夜に道行く人々はとても優しく、一緒に写真を撮ってくれた。

 ハロウィンの街を練り歩くのは、楽しかった。と思う。

 というのも、僕は街を歩いていた時の事をよく覚えていない。

 その後に出会った人が衝撃的で、異質で、全てを呑み込んでしまうようなもので、それ以前の事など、トイレの紙切れほどの価値しかなかった。


 あれは人だったのか。

 その疑問の答えは、一枚の紙に書いてあった。








 ハロウィンの夜。

 大通りから外れた比較的、人通りの少ない路地に行き着いた僕は、その人を見た。

 コツコツと音を辺りに響かせながら、歩く女性の姿。


 彼女の被っている淵の大きな黒い帽子には、いくつもの赤いバラが飾り付けられている。

 闇に擬態するような黒いドレスをその身に纏い、肘まで覆うほどの長くて、これまた黒い手袋を付けている。

 パイプタバコをその手で軽くつまんだ彼女は、白い煙を吐き出しながら立ち止まる。

 唇は薄黒く、肌は雪のように白かった。

 そして、その中でも際立っていたのは、赤く光る瞳の色だった。


 ハロウィンという舞台の上であっても、彼女の雰囲気は明らかに異様だった。

 そんな女性に、僕は恐る恐る声を掛ける。


「それって、なんの仮装なんですか……?」


 僕の質問を聞いて、彼女は一瞥をくれると、興味なさげに答えだす。


「仮装、ですか……私は普通の格好をしてるつもりなのですが、仮装に見えますか?」

「わあああああ! ごめんなさい! 失礼な事を聞いてしまいました! とても可愛らしくて、普通だと思います! はい!」


 明らかに普通ではない格好だと思うが、それは僕の価値観の問題であって、彼女にとっては普通なのだ。

 だから、彼女を傷つけてはいけないと思って、そう言った。

 彼女が気を悪くしていないか、顔を窺ってみるが、彼女は無表情のまま、手に持っていたパイプを片付ける。


「あなたは仮装してるのですか?」


 少しは僕に興味を持ってくれたのだろうか。

 彼女は、頭からつま先まで、僕の事を眺めると、難しい顔をしながらそう聞いてきた。

 こんなにも魅力的な人に、少しでも興味を持たれた事が嬉しくて、それは口調にも表れていた。


「そうだよ! この格好は化学系の研究者のつもりで、白衣に丸メガネ掛けてるんだ! まあ、他の人の仮装に比べれば全然なんだけどね!」

「そんな事ないと思います。素敵です」


 褒めてくれる彼女に、掛けているこのメガネもレンズの入っていない伊達メガネだという事を、手に持ちながら説明する。

 感心しながら僕の手元をじっと見つめてくれる彼女に、僕は自然と笑顔になっていた。


 それにしても、綺麗な人で、気を抜くとずっと見入ってしまうくらい、周りの空気が、彼女の色に染まっていくような気がする。

 不思議な雰囲気に飲み込まれないように、僕は伊達メガネを彼女に掛けてあげる。


 あれ? これは、もう……飲み込まれてしまっているのでは?


 気づいた頃にはもう遅かった。

 でも、彼女は悪い人ではなさそうなので、特に問題はないだろう。


「気に入ったならあげるよ! ハロウィンだしね。トリックオアトリート!! ……ってまあ、お菓子じゃないんだけど……お菓子もいる?」


 そう言って、白衣のポケットに仕込んでいたチョコレートを彼女に渡した。

 いると答えてもいないのに渡された彼女は、ぽかんとした表情でこちらを見ている。

 甘い物が苦手でなければ、まずいものではない筈なので、僕は、にこりと笑ってみせた。

 それで信用してくれたのか、彼女は、袋を開けて口の中にチョコを放り込んだ。

 その瞬間、目を見開くと、大きな赤い瞳を此方に見せながら、感想まで言ってくれる。


「甘くて、美味しいですね」

「でしょう! この日の為に頑張って選んだからね!」


 楽しむ為にはそれなりの準備も必要だ。

 そう思って、白衣と丸メガネを買ったり、渡す用のチョコレートを買ったりしていた。

 こんなにも素敵な女性に喜んでもらえると、僕も準備した甲斐があったというものだ。


 それに、僕も思いのほか、ハロウィンを楽しめているような気がする。

 やはり、自分ではない何かになりきって、夜の街を皆で歩き回るというのは、人を開放的な気分にさせてくれるのかもしれない。


 彼女もそんな気分を味わいたくなって、ふと街を歩きたくなったのだろうか。

 でも、彼女は自分の格好を普通だと言っていた。


「あの……私のお願いを一つ、聞いていただけないでしょうか? あなたになら、話しても良い気がしました……」

「お願いですか……? 良いですよ」


 即答してしまったが、彼女なら、あまり変なお願いをされる事もないだろう。

 それよりも、彼女が自分に一体どんなお願いをしてくれるのかの方が気になっていた。



「私に……――――恋を教えてくれませんか?」



 ハロウィンの為に用意した僕の伊達メガネを掛けた彼女が、真剣な表情でそうお願いしてきた。

 それ聞いた僕はこの時、どんな顔をしていたか。

 多分、驚きと戸惑いが入り混じり、それでも笑顔を続けようとする複雑な表情をしていたに違いない。


「それって……僕と恋をして教わりたいってこと? それとも、僕から他の人との恋を教わりたいの?」

「方法はなんでもいいです。とにかく、私は、恋を知らないといけないんです」


 彼女の赤い瞳は一心に僕の事を見つめ、そこに余計な感情は一切なかった。


「そっか……そうだよね! 最初、告白されたのかと思って、びっくりしちゃったよ」

「そう受け取って貰っても構いません」


 その言葉と彼女の態度だけでも、恋を知りたいという必死な気持ちが伝わってきた。

 ハロウィンの夜に、その相手を探す為に、彼女は一人、歩いていたのだろうか。

 それなら、恋の「こ」の字も知らない僕よりも適任者はたくさんいるはずだ。

 だから、僕は首を横に振った。


「僕からは教えられないよ。こんなにも素敵で可愛らしい女性を、恋について詳しくもない僕が振り回すわけにもいかない。あなたがとても真剣なのは伝わってきたから、それに応える事ができる人はきっといるはずだよ。僕じゃあ、中途半端になっちゃう」

「そうですか……」


 落ち込む様子の彼女を見ていると、それにつられて此方まで気分が沈んでしまう。

 しかし、今日はハロウィンなのだから、こんな気分のままではいけないと、彼女の手をとった。


「僕から教えられることは、今日がハロウィンってことと、その楽しみ方だけ! 恋を教えてくれる人も見つかるかもしれないし、一緒に回ってみませんか?」


 偶然出会った彼女と、このまま別れてしまうのは、もったいないと思った。

 これは僕の中の欲が表に出てきた瞬間で、断られたり、嫌がられたりしてもしょうがないとも思った。

 しかし、彼女はもう片方の手を僕の手に添えて、言う。


「お願いします」


 彼女に受け入れられた後、僕は、彼女と一緒にハロウィンを楽しんだ。

 厳密には僕が一人で楽しんでいただけで、彼女が楽しんでいたかどうかは分からない。

 それでも、目の前の全ての出来事を彼女は、新鮮な面持ちで見つめていた。

 その姿は、まるで子供のようで、僕も童心に戻ったかのように、ハロウィンで盛り上がる夜の街を歩いた。







 ハロウィンの翌朝。

 ハロウィンを楽しんだ後、家に帰った記憶はあるが、それ以外の事は曖昧にしか憶えていない。

 彼女と一緒に過ごしたハロウィンが全て夢だったのではないかと、錯覚してしまうほど、現実離れした楽しい時間だった。


「頭……痛い……」


 呟くのと共にベッドから体を起こす。


「スー……」


 気持ちの良さそうな寝息がすぐ傍から聞こえてきて、横を見た。

 座椅子に座って机に突っ伏した状態の、黒い髪の女性が僕の家で寝ている。

 ハロウィンの夜に出会った彼女が何故か、僕の家にいる。

 しかも、僕がベッドで寝ていたのに、彼女はドレス姿のまま、机と自分の腕を枕にして寝ている。


 なんで、彼女をベッドに寝かしてあげなかったんだ! 僕は!


 昨日の自分を叱りつけながら、彼女を起こさないように、そっと床に降り立つ。


 そもそも、何故、彼女が僕の家に上がり込んでいるのか。

 もしかして、無理やり彼女を連れて来てしまったのではないかと不安になって、昨日の夜の、家に帰りつくまでの事を懸命に思い出そうとする。

 頭が痛いのもあってか、はっきりとは思い出せないが、ぼんやりとした記憶が浮かんでくる。


 二人組の小悪魔のような仮装をした女性に、チョコを渡したら、お返しにと彼女らもチョコをくれた。

 それを食べた後からの記憶が曖昧だ。

 睡眠薬か毒でも入っていたせいで、そこからの記憶がなく、今も頭痛に苦しんでいるとも考えられる。

 だが、もっと身近な犯罪ではない理由が存在していた。


 ウイスキーボンボンだったんだ……


 貰って食べたチョコレートの種類はそれで間違いないだろう。

 何故なら、僕は、極度のアルコールに弱い体質だからだ。

 アルコールを体内に入れると、瞬時に睡魔が襲ってきて、そこから朝までの記憶がなくなっているという事は多々あった。


 チョコレートを食べた後の記憶はないが、どうにかして彼女を連れて家まで帰ってきて、そのまま僕はベッドで寝た。

 服装も昨日の夜のワイシャツネクタイ白衣姿のままなので、その推理で納得がいった。


 問題は、記憶のない間の僕が、彼女に対して失礼な事をしていないか、だ。

 深呼吸をして、心を落ち着かせながら、寝ている彼女の様子を窺う。

 その服装に乱れはなく、彼女の寝顔も穏やかで、一枚の写真のように美しい。


 大丈夫……そうかな……?


 少しだけ安心するのと同時に、彼女の傍らに置いてあった紙とペンに目がいった。

 紙はレポート用紙で、僕の部屋にあったもので間違いない。

 それは眠る前に、彼女が誰かに宛てて書いた手紙だった。

 どんな事を書いているのか気になって、僕は勝手に手に取って、読んでしまう。




 親愛なるマリオネ様。


 私、マリアは今、リクという男性の元にいます。

 リクはとても良い人で、これからは雨風を凌げる彼の家に、一緒に住まわせてくれると約束してくれました。

 あなたからの最後の課題を達成する為に、私は、リクと恋に落ちます。リクも快く、私に協力してくれます。

 きっと、私は人間になってみせます。

 マリオネ様もどうか見守って下さい。


 あなたの大切な人形 マリアより。




 この手紙にあるように、僕は彼女をこの家に住まわせると約束したのだろうか。

 この手紙にあるように、彼女が僕と恋に落ちるように、僕が協力すると言ったのだろうか。

 この手紙にあるように、彼女は人間ではなく……――――


「――私は人形です」


 目を覚ましていた彼女が、唐突にそう呟いた。

 赤い瞳で此方を見つめながら、そっと立ち上がる。


「ですが、マリオネ様からの最後の課題をクリアすれば、私は人間になれます」

「それが……恋をすること……?」


 彼女は頷いて、僕の手を握る。

 その手は暖かく、彼女の可愛らしい姿を見ても、とてもじゃないが人形とは思えない。

 人形のように美しいとは思うが、それはまた別の話だろう。


「リク。どうか私と恋をしてくれませんか……?」


 ハロウィンの夜に出会った彼女は、僕に恋を教わろうとしていた。

 それを僕は断ると、彼女は酷く落ち込んだ様子だった。

 そんな彼女を楽しませようと僕はハロウィンに彼女を連れ出した。


「そう約束したのは、昨日の僕……?」

「そうです」


 ハロウィンの翌朝に目覚めた彼女は、僕と恋をしようとしていた。

 それを約束したのは、酔って記憶も無くなるくらい僕だ。

 言い訳ならできるが、それをしたら、また、彼女の悲しい様子を見る事になる。

 どうやら僕は、彼女と恋をして、彼女を人間にするしかないようだ。


「そっか……じゃあ、僕と恋して、人間になりましょう」

「はい!」


 この時、僕は彼女の笑顔を初めて見た。

 恋を求めていたのは彼女だが、本当に恋に落ちてしまったのは僕の方だったのかもしれない。



 ハロウィンの夜、仮装のような格好をした女性に恋を求められたら――――

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