第523話 憂鬱

「はぁ・・・・・・憂鬱だぜ」

 闇奈が風洛高校3年7組に転校して来た翌日。午前7時半過ぎ。のそりとベッドから起き上がった影人は眠気の靄が未だに掛かった頭を軽く押さえ、そうぼやいた。

「はぁ・・・・・・学校行きたくねえな・・・・・・」

 再びため息が漏れる。このままもう1度温もりを持っているベッドに寝転がりたい。学校になど行かず夢の世界に旅立ちたい。

(「零」の力を使ったらいくらでも学校は休めるんだよな・・・・・・)

 今の影人はやろうと思えば現実世界を改変できる。まさに神の如きだ。今まで自分の欲望のために――露骨に自分の利益になるようなこと――その力は使ってこなかったが(あくまで影人の認識では)、今回ばかりは流石に使いたくなってくる。それ程までに、影人は今日学校に行きたくなかった。

「・・・・・・だけど、やっぱりそれは流石にだよな」

 だが、いくら前髪の化け物といえども、学校を休むためだけに世界を改変するのはやはり気が引けるらしい。当たり前である。そんなクソみたいな理由で世界を改変すれば、様々な世界を管理しているあのシトュウですらもブチ切れるだろう。世界もブチ切れる。何もかもブチ切れる。

「おはよう影人。今日も可愛い寝顔だったよ」

 影人が仕方なく、本当に仕方なく学校に行く決意を固めると、そんな声が掛けられる。悍ましい言葉と共に笑顔を向けて来るのは零無だ。毎朝毎朝同じ言葉と同じような輝く笑顔。今でも見聞きするたびにゾッとする。影人はいつも通り零無を無視してベッドから出た。

「おはよう・・・・・・」

 洗面所で顔を洗った影人は寝巻き姿のままリビングへと出た。

「おはよう。どうしたのあんた。何かいつも以上に元気ないわね」

「・・・・・・元から死んでるけど、今日はもっと死んでる感じ」

 リビングにはいつも通りと言うべきか、日奈美と穂乃影の姿があった。2人とも既に朝食を摂っている。影人も遅れて食卓に着く。影人の席にはトーストが2枚とハムエッグ、チーズとミニサラダが置かれていた。帰城家の朝食は日奈美の気分によって和食と洋食に分かれるが、どうやら今日は洋食の気分らしい。どちらにせよ、ご機嫌な朝食だ。影人は「いただきます」と手を合わせてトーストを手に取った。

「で、何でそんな元気ないのよ。また何かやらかしたの?」

「またって何だよ・・・・・・別に、俺が何かやらかした事なんてないだろ」

「自分探しの旅、宇宙人の誘拐、留年・・・・・・よくもまあ自信満々でそんな事が言えるね」

「うっ・・・・・・すいません・・・・・・」

 ジトっとした目を向けてくる穂乃影に影人は謝罪の言葉を口にする。確かに、穂乃影が列挙した事実は間違いなく影人がやらかした事だ。だが、それらは仕方がなかった事だ。本当に避けられなかった。どうしようもない運命だったのだ。穂乃影には既にその辺りの事情は話しているので、その事はよく分かっているはずだ。だが、そう言われれば謝るしかなかった。

「・・・・・・別に大した事じゃないよ。いや、俺からすれば大した事かもだけど」

「どっちなのよ」

「・・・・・・昨日、転校生が来たんだよ」

 日奈美のツッコミを無視しながら、影人はそう言葉を切り出した。

「へえー、女の子?」

「まあ・・・・・・うん。で、その転校生がなぜか俺が気になるとか訳のわからない事を言い出してさ。しかも、無理やり俺の隣の席に来やがったんだ。だから無駄に注目を集める事になって・・・・・・憂鬱なんだよ」

 サラダのプチトマトをフォークで突き刺しながら、影人は自分の悩みを家族に告白した。

「え!?」

「え・・・・・・」

 影人の話を聞いた日奈美と穂乃影は共に驚いた顔になった。

「何それ!? それなんて逆少女漫画!? ちょっと影人! その話もっと詳しく聞かせなさい!」

「可哀想・・・・・・遂に頭がどうかしたんだ・・・・・・」

 日奈美は興味津々といった様子で、穂乃影は影人の話を妄想だと思っているのか哀れな者を見るような目を影人に向けてくる。我が妹ながら何とも失礼である。影人は軽く息を吐いた。

「いや、妄想じゃないぞ。確かに妄想なら、夢ならばど◯ほどよかったでしょうって感じだが・・・・・・ちゃんと現実だ」

「で、で!? どんな子なの!? 可愛い系!? 綺麗系!? アプローチはされたの!?」

「母さん朝からうるさいよ・・・・・・アプローチかどうかは分からないけど、やたらと距離は詰めてくる感じかな。いきなり下の名前呼びしてくるし・・・・・・」

「きゃー! いいわねいいわね! 新たなラブの予感! 流石はこんなゲテモノみたいな見た目だけど私の息子! 隅には置けないわね!」

 日奈美は更に興奮した様子になる。どうでもいいが、よくもまあ実の息子に向かってゲテモノだなんて言えるものだ。ウチの女性陣は自分に対する扱いが雑だ。影人は軽く泣きそうになった。

「は!? でも、これはピンチよ! シェルディアちゃんやソニアちゃんにとって新たなライバルが! また教えてあげなくちゃ!」

「母さん、それだけは勘弁してくれ・・・・・・」

 そんな事をすればまず間違いなく面倒な事になる。シェルディアとソニアが家に、もしくは影人に向かって突撃してくる。なぜだか、そんな光景が影人には容易に想像できた。

「・・・・・・まあ、俺の元気がない理由は以上だよ。本当に勘弁してほしい・・・・・・」

「贅沢な悩みねえ。まあ、結局その転校生ちゃんとどうなるかはあんた次第だし適当に頑張りなさい」

「何を頑張るんだよ・・・・・・」

 日奈美のよく分からない感想に影人はツッコむようにそうぼやく。帰城家の朝食はこうして過ぎて行った。

「はぁ・・・・・・じゃあ、行ってきます」

 午前8時15分ごろ。ギリギリまで家で粘っていた影人はため息と共に家を出た(穂乃影は既に家を出た。なぜか不機嫌そうだったが)。

「・・・・・・」

 学校に向かう足取りがいつもより圧倒的に重い。登校している生徒たちからの視線が影人にぶつけられている気がする。ヒソヒソと何かを話されている気がする。自意識過剰であればどれ程いいか。だが、恐らくは気のせいではないだろう。

「地獄だ・・・・・・これからしばらくの間これが続くのかよ・・・・・・」

 校門を潜った辺りから更に周囲からの視線が強くなった。影人はポツリと誰にも聞こえない声で愚痴をこぼした。

「・・・・・・」

 昇降口で靴を履き替えた影人は校舎内を進み、自分の教室の前へと辿り着く。クラスに入るための教室後方の引き戸に手をかけた影人は、一瞬戸を引く事を躊躇う。だが、いずれは必ず引かねばならないのだ。であるならば、躊躇しても意味はない。影人はグッと戸にかける手に力を込め、戸を引いた。

「行城さん! 昨日は楽しかったね! あんなに盛り上がったの初めてかも!」

「本当本当! 行城さん歌もすっごく上手かったし! 美人で歌も上手い! 行城さんアイドルになれるよ!」

「行城さん! 今日も放課後一緒に遊ぼうぜ! 俺もっと行城さんの事を知りたい! 仲良くなりたいんだ!」

「俺も俺も!」

「私も!」

 教室内に入ると、クラスのほとんどの生徒たちが影人の隣の席に群がっていた。生徒たちに囲まれながら、影人の隣の席に座っていた闇奈はニコニコと笑いながら生徒たちに応じていた。

「嬉しい言葉をありがとうございます皆さん。私は幸せ者です。昨日の今日で、こんなにも皆さんと仲良くなれたのですから」

(・・・・・・どこからどう見てもクラスの人気者だな)

 その光景を見ていた影人はそんな感想を抱きながらソッと影を薄くして自分の席へと向かう。そして、影人は自分の席に腰を下ろした。

「あ、影人くん! おはようございます」

 だが、いくら影を薄くしても隣の席に座ればバレるものだ。着席した影人に対して、闇奈は早速挨拶してきた。同時に、闇奈の周囲のクラスメイトたちの視線も影人へと注がれる。

「・・・・・・おはようございます」

 この場面で流石に無視するわけにもいかない。影人は渋々といった様子で挨拶の言葉を返す。

「うわっ、ヤバっ。行城さんいつの間にか帰城くんのこと下の名前呼びじゃん」

「ガチじゃんガチじゃん。行城さん、マジで帰城くんのこと狙ってるんだ・・・・・・」

「ぐぐぐ・・・・・・ミトメタクナイ・・・・・・ミトメタクナイ・・・・・・!」

「やっぱり俺も前髪伸ばすか・・・・・・」

 クラスメイトの視線が好奇と嫉妬の混じったものに変わる。影人は控えめに言って吐きそうなほどに最悪な気分になったが、闇奈は影人の事などお構いなしに言葉を続けた。

「そうだ影人くん。今日も一緒にお昼を食べませんか? もっと色々と、深くお互いの事を知るために」

「・・・・・・今の言葉には語弊がありますよ行城さん。も、じゃありません。俺とあなたは昨日一緒に昼食を食べていない。学食で俺が座ってた席の前にあなたが座ってきただけです」

「うーん。でも、やっぱり一緒にご飯を食べた事は事実ですよね」

「いや、だから・・・・・・はぁー、認識の相違ってやつですね」

 クラスメイトからの注目を集めている中でこれ以上あまり喋りたくはない。意識しているので可能性はほとんどないだろうが、ボロを出して自分の本性がクラスメイトにバレるかもしれないからだ。それだけは避けたい影人は意識的に会話を切り上げたのだった。

「そうだ。昨日から気になってたんですが、影人くんって凄く前髪が長いですよね。どうして何ですか? それと、よろしければ影人くんの素顔を見せてくれませんか? これから影人くんの素顔をぜひ見てみたいんです」

「あ、それは私も気になってた」

「私も! 何でわざわざそんなに前髪伸ばしてるの? 気になる〜」

「俺は帰城の素顔の方が気になるな。何か風の噂で聞いたけど、帰城って実は凄えイケメンらしいじゃん」

「あ、それ俺も聞いた事ある」

「え、マジで? それが本当ならめちゃくちゃ気になるんだけど」

「ねえねえ! 素顔見せてよ帰城くん!」

 闇奈の発言で、周囲のクラスメイトたちの視線が好奇一辺倒になる。生徒たちの心に好奇の炎が灯ったのだ。

(こいつ・・・・・・! マジでいらねえ事しか喋らねえな・・・・・・!)

 影人は前髪の下の目で闇奈を睨んだ。闇奈に対する苛立ちの感情が募る。昨日から今日にかけて、闇奈は余計な事しか話さない。しかも、「仲良くなる」と確定気味に言った事も気に入らない。というか、何だその噂は。いったい誰がそんなデマを流したのか。影人は根も葉もない噂を流した誰かを恨んだ。

「・・・・・・俺が前髪を伸ばしているのに特別な理由はありませんよ。ただ落ち着くから。それだけです。それと、俺の素顔はお見せできません。単純に恥ずかしいので」

 一応真実の理由を影人は述べた。嘘は何1つ言っていない。今影人が前髪を伸ばしているのは本当に落ち着くからだし、素顔を他人に晒すのも少しだが羞恥の感情がある。

「えー。いいじゃん。減るものでもないし。笑うとかは絶対しないから」

「そうそう」

「頼むよ帰城〜」

 盛り下がるような影人の発言にクラスメイトたちは不満そうな顔になる。中には食い下がる者もいた。しつこいと思いながらも、影人が再び拒否の言葉を述べようとする。

「そうですか。なら仕方がないですね。すみませんでした影人くん」

 だが、その前に闇奈が申し訳なさそうに影人に謝罪の言葉を述べた。そして、闇奈は周囲の生徒たちに顔を向ける。

「私の発言が元なので非は全て私にありますが、皆さんもこれ以上は。皆さんにもコンプレックスはあるでしょう?」

「あー・・・・・・そうだよな。悪い帰城。ちょっと興奮し過ぎてたわ」

「だよね・・・・・・人が嫌がる事はしちゃいけないもんね」

「帰城くんの素顔はやっぱ気になるけど・・・・・・うん。行城さんの言うように無理やりはダメだよね」

「ごめんね帰城くん」

「あ、いえ・・・・・・」

 闇奈の言葉で落ち着いた生徒たちは申し訳なさそうに影人に謝罪してきた。まさかそんな言葉を言われるとは思っていなかった影人は軽く戸惑った。

「素晴らしい。さすがです皆さん。うん。私たちならきっともっと仲良くなれます」

 すかさず闇奈がクラスメイトたちを称賛する言葉を放つ。すると、クラスメイトたちは照れたような、しかし嬉しそうな顔になった。

(こいつ・・・・・・)

 その光景を見ていた影人は、ほんの少しだけ闇奈に対して畏怖に近い感情を覚えた。なぜか。それは闇奈が言葉だけでクラスメイトたちの心を巧みに誘導したからだ。しかも、昨日の今日で。

(意図的にやってるのか・・・・・・? いや、でもやっぱりこいつからは・・・・・・)

 悪意や目的のようなものはまるで感じられない。影人は悪意というもので色々と痛い目を見ているので、他の者よりかは敏感なつもりだ。だが、やはり闇奈からは何も感じられない。

(・・・・・・無意識の天然か。どっちにしろ、人心掌握が上手いな)

 人目を引く容姿に加えてこれだ。これならすぐにクラスだけではなく学校中の人気者になるだろう。

(まあ、俺には関係ないがな・・・・・・)

 隣の席だろうが。自分に対して興味を持っている女子であろうが。人目を引く容姿をしていようが。影人は自分から積極的に関わるつもりはない。影人はクラスメイトや闇奈から顔を背け、窓の外を眺めた。

「ふふっ・・・・・・」

 そして、闇奈はそんな影人を見て笑っていた。












「じゃ、今日は終わりだ。気をつけて帰れよー。面倒はごめんだからな」

 そして、あっという間に時は過ぎ放課後。紫織の言葉と共にクラスメイトたちは一斉に立ち上がった。むろん、影人もその内の1人だった。

「影人くん――」

「じゃあ、俺はこれで」

 闇奈が影人の名前を呼んだ直後、影人はスッと闇奈の隣を横切った。そして、素早く教室から去った。

「あらあら・・・・・・やっぱり、ガードが固いですね」

 そんな影人の背を見つめながら闇奈は小さく笑う。その笑みはどこか、どこか――

「行城さーん! ねえねえ! 今日も一緒に遊ぼ!」

「私行城さんに似合う服がある店知ってるんだ! 一緒に行こ!」

 クラスメイトの女子たちが闇奈の元に集まってくる。闇奈は一瞬口元を真一文字にすると、振り返りいつも通りの笑顔を浮かべた。

「そうですね。ぜひ」










「さて、今日はどうするか・・・・・・」

 足早に昇降口へと向かった影人は靴を履き替えながらそう呟く。今日もバイトはないのでこの後はフリーだ。

「・・・・・・『しえら』で茶でも飲むか」

 何となくそんな気分になった。行き先を決めた影人はそのまま校門を出て「しえら」へと向かう。

「ん?」

 だが、校門を出て少しした辺りでスマホが鳴った。メールの着信を伝えるものではない。電話だ。影人はポケットからスマホを取り出し画面を見た。

「っ、会長・・・・・・?」

 そこには真夏の名前が映し出されていた。

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変身ヒロインを影から助ける者 大雅 酔月 @bubg

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