エピローグ 今はまだ違う存在



 鱗水晶で作った薬を飲んだマーガレットは、周囲が驚くほどに回復をし、発作を起こすこともなくなった。

 それから一月後、マーガレットは十六歳になった。当初、カイルの取引先も招待し、盛大におこなうつもりだった誕生パーティーは、ごく小規模なものに変わった。マーガレット自身がそうしたいと望んだのだ。


 メリッサはパメラに手紙を書いた。ナイジェルが捕まり、人魚騒動は彼の虚言だったとされた。

 彼がメリッサに懸想をしていたこと、そして父親から断られているのに、家族の留守中を狙って彼女を自分のものにしてしまおうとたくらんでいたことは、多くの村人が知っていた。だから、彼が牢から出て、村に戻っていくら真実を主張しようが信じる者などいない。

 だとしても、メリッサが人魚の力を持ったまま、村へ戻ることはやはり危険だし、そんなことはカイルが許可しない。けれど、パメラ以外の人物に読まれても問題のない内容なら、大丈夫だろうということで、手紙だけは出すことができた。


 手紙には、ナイジェルに言いがかりをつけられて追われていたが解決したこと、ダラムコスタの町で働き、元気にしていることを書いた。

 メリッサの生活はあいかわらずアルフォード邸の使用人のままだが、週に二日ほどラファティの助手もするようになった。

 力を失ったラファティに血を提供することで、しばらくの間、彼の薬局では以前と変わらない品質の薬を販売できる。メリッサは詳しい金額までは知らないが、カイルはラファティにかなり高額な「薬代」を払った。だから、助手が二人になっても余裕なのだ。


「また月を見ていたのか?」


 いつものように夜の海を泳いでいるとランタンを持ったカイルがやってくる。メリッサは足を変えて岬の下にある岩場にあがる。


「はい。私は月も星も、遠くの漁(いさ)り火(び)も大好きですから」


「知っている」


「カイルだって、夜の海が好きでしょう?」


 マーガレットの病が治り、メリッサが鱗水晶を失うこともなく、なにもかもがうまくいった。

 昼は彼のことを「カイル様」と呼び、夜にこうして会うときは「カイル」と呼ぶ。はじめて二人が出会ってから何も変わらない。カイルが「ルーナ」という名前で呼ばなくなったことだけが、二人の変化かもしれない。

 海が好きか、という質問に、カイルは答えない。前にもその話はしたので、答えはわかりきっている。少しの沈黙が気恥ずかしくて、メリッサは今日の出来事を話し始める。


「そういえば、マーガレット様が船に乗ってみたいと話していましたよ」


 メリッサの仕事は屋敷の使用人で、マーガレットの話し相手。だから今日の出来事を話そうとすると、どうしてもマーガレットのことになる。

「船に?」


「カイルのお仕事に興味があるんですよ、きっと」


 カイルは明らかに嫌そうだ。病気が治っても、ただ一人、血のつながった妹だからついつい甘やかしたくなるのだろう。


「船は、おまえたちが思っているほど、綺麗なものじゃないと思うぞ。男くさいし、汚いし、危険だ」


「過保護ですね」


「自覚はある。……でも改めるつもりはないな」


 実はもう一つ、マーガレットはギュルセルの故郷を見てみたいと話していたのだが、きっとその話をしたらカイルはますますむくれてしまうだろう。そんな気がしたメリッサはその話は胸の内にとどめた。


「なあ、メリッサ。ひとつ確認しておきたいことがある」


「なんですか?」


 二人で大きな岩の上に座り、ただ夜空を見上げていると、突然カイルが口を開く。


「おまえ、なにもなかったように普通に屋敷で働いているが、俺が求婚したことは忘れていないよな?」


「え!? でも、あれはなしになったんじゃ?」


 カイルのために鱗水晶を外す。その言葉の意味が求婚であることくらい、メリッサにもわかる。だが、ラファティの提案でメリッサは人魚の力を失うことがなかったので、その話もどこかに行ってしまったような気がしていたのだ。


「順序を守ることにしただけだ。中途半端にしたくないからはっきりさせておきたい」


「はっきり?」


「そうだ、俺たちの今の関係は『恋人』だ。それも、将来を誓い合っている恋人だからな。……時々おまえが忘れているんじゃないかと思うと、すごくムカつく」


 メリッサをじっと見つめる彼の表情は、少し不機嫌そうだった。メリッサは別に忘れているわけではない。ただ、ふだんから意識すると心臓がもたないというだけのことだ。


「ふふっ、カイルは時々子供みたいに拗ねますね」


 互いに引き寄せられるように、抱きしめ合う。


「ねぇカイル、私はカイルの体温を感じるのが好き。海と同じくらい」


 カイルの腕の中はまるで海のようだ。彼に抱きしめられると心地よい安心と、よくわからない胸のざわつきで波をただようような気持ちになる。

 好きな人の腕の中なら、ただ優しい気持ちだけで心が満たされるのだと彼女は考えていた。恋を知らなかった彼女の予想はみごとにはずれる。カイルはメリッサの知らない気持ちを、これからもっと彼女に教える存在なのだ。だから不安になる。


「俺は、儚く消えてしまうんじゃないかとちょっと不安になるな」


「そ、そうなんですか? 冷たくてごめんなさい。体質ですから」


 カイルも同じなのだ。少しの不安は、決して不快なものではない。だからこうしてお互いの存在を確かめ合う。


「ああ。だからもっと強く抱きしめてもいいか?」


「はい」


 カイルの心臓の音と穏やかな夜の波の音。二つの律動に感覚を支配され、メリッサはそっと瞳を閉じた。



 今はまだ違う存在。でもいつか――――。





 終

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陸の人魚と嘘つき商人のフェアリーテイル 日車メレ @kiiro_himawari

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