第3節 伊藤ワールドの考察

伊藤氏の作品で共通しているのは、「ハッピーエンドではない」ことだ。しかし「バッドエンドである」かは、読者からみたらそうかもしれないが、主人公からみると、バッドエンドであるかは微妙なところである。

なぜなら、本作、虐殺器官、ハーモニーにおいては、彼ら(主人公)は選んでその結末を迎えているからだ。ゆえにバッドエンドであるかはいえない。


本作とハーモニーでは、生きている環境になんらかの苦しみを抱えている点が共通している。生まれ落ちる環境を主人公が選んだわけではない。しかし、そこで生きることを強いられている。生きづらさが強調されている。


本作と虐殺器官では、紛争が続く中で平常でいようとするものと、平常にさせるために何らかの処置を受け、結果壊れる過程が共通している。


こんな世界でなぜ生きる。

ぼくたちがえらんだわけではない。


そんなメッセージが本作からは伝わってくる。


作品では、なぜ生きるのか、模索しつつも振り回す側と振り回される側が存在する。そして、現実は淡々と進む。

まるで、今の世界のように。

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The_Indifference_Engine.ーThe Indifference Engineから『伊藤計劃らしさ』を読みとくー 香枝ゆき @yukan-yuki

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