近未来電脳都市の黄昏

田中紀峰

1話完結

「斎藤。」

昼下がり、ナポリタンを食っていた俺に、いつもは無口な店主の原口が、ふきんで皿をみがきながら、カウンターごしに話しかけてきた。

「なんだい。」

「全国チェーンのコーヒー屋がね、この店をテナントに貸してくれっていってきてるんで、貸すことにした。」

「へえ、そうかい。それで。」

「しばらく店長は続けるつもりだ。」

「えっ。」

「フランチャイズってやつだ。店のオーナーはあくまでも俺だが、雇われ店長になる。」

「そんなややこしい身分になるくらいなら、この機会に、隠居でもしたら。」

「体が動くうちは、なんかやってないと落ち着かない。」

「君には息子さんがいたよな。」

「ああ。不動産屋に勤めてるんだが、俺が死んだら店は息子に譲ることになるだろうよ。息子もいうんだ、いつまでも個人商店にしておいてもたかが知れてる。テナント貸しにして、そのうち法人化して、株式会社組織にでもしようってね。相続税対策に。」

「へえ。そういうもんかね。」

俺は戦後まもなく秋葉原で電気部品の小売りを始めた。屋号は「斎藤電商」。間口はわずか三間、つまり五メートルばかりで、奥行きはかなりあるが、客がすれ違うのもたいへんな、ごくさえない個人商店だ。この原口の店、原口珈琲店は、斎藤電商のはす向かいにあって、昼の休憩には決まって、学生バイトに自分の店を任せて、原口の店でコーヒーを飲んだものだ。

「あんたは自分の店をどうするんだい。」

「俺はもともと大家に店を借りて商ってるんだ。自分の持ち家じゃない。この店は俺の代で終わりさ。」

「そうか。」


原口の店は一週間もすると内装工事がはじまって、原口珈琲店は、日本中どこにでもあるような、ありふれた名前のチェーンの喫茶店になった。

「どうだい、新しい店の店長さんというのは。」

「客の入りも、売り上げも、さすがに増えたな。だが名前も内装もメニューも、客層も変わっちまって、全然自分の店の気がしない。しかも俺の息子がね、近頃秋葉原ではメイド喫茶かラーメン屋が流行るんだ、うちもラーメン屋にしようなんて言うんだ。」

「それで。」

「嫌だよ、ラーメン屋の亭主なんて。そんなことやるくらいなら引退しちまうよ。メイド喫茶なんて論外だ。」


秋葉原という町はどんどん狂ってきている。

でっかい自社ビル持ちの電気店は時代についていけず次々に倒産。そういうところはちいさなテナントにしきられて貸し出され、メイド喫茶やラーメン屋がごちゃごちゃと出店してくる。昔は秋葉にラーメン屋なんてなかった。あっても普通の中華料理屋だったんだ。それが一軒成功すると、古い部品屋が店をたたむたびにメイド喫茶やラーメン屋が進出してきて、いつの間にやら秋葉原はラーメン屋の町になってしまった。


「斎藤電商」の隣もついにラーメン屋に変わってしまった。ここももとはと言えば部品屋だったがオーナーがくるくる変わって、洋もののゲームとかグッズなどを売ってたが、それもつぶれて、ついに飲食店になってしまった。


まあしかし日本は資本主義社会、需要と供給でなりたってる。秋葉原がコスプレとかラーメンの町になるくらい仕方ない。そんなことでいちいち腹を立ててはいられない。


隣のラーメン屋はずっと閑古鳥が鳴いていた。何しろ秋葉原はすでにラーメン屋だらけで、競争もはげしい。長くはもつまいと思ってたら、案の定半年でまたもや店の改装を始めた。新しい店は「無国籍B級グルメ店」を謳うよくわからん店で、どうせまたすぐつぶれるだろうと思ってたら、どういうわけかどんどん客が入りだして、俺の店の前まで行列ができるようになった。

その客層というのが得体が知れぬ。みんなぽっちゃりとした体形で年は二十から三十、もしかするともう少し年をくったやつもいるかもしれんが、みんながみんな、センスの悪い服をきて、リュックをしょって手提げ袋をさげている。どうみても女にもてない独り者だ。

なにか怪しげな雑誌を見ながら、秋葉ではこの店がどうだあの店はどうだなどと論評している。そして一時間ほどもおとなしく待ち続けて、カレーだかハンバーグだかよくわからん超大盛りのまずそうな料理を、味わっているんだかいないんだか、もくもくと平らげて、飲み物はただお冷やだけ飲んで帰っていくのだ。

俺はぞっとした。

いったいどこからああいう人種がわいてくるのだろう。なぜ、いつからこの町は、こんな町になってしまったのだろう。


そうしているうちにまた同じ通りの部品屋がつぶれて、今度はみょうちくりんなバーができた。酒を飲ませる店だ。そういう店はだいたい昭和通りのほうにあって、電気街の中にはめったになかった。そういう店まで電気街に浸食してきたのを見て俺は戦慄した。

秋葉もかつては夜八時にもなれば、電子部品を買い漁る客足も絶え、閑散としたのだが、このバーは俺が店を閉めたあともずっと営業してて、昼も酒を出してて、メイドなんかがわらわらと男客と一緒に飲みにきている。

俺は、いやな予感がしてきた。つまりこいつらは、メイド喫茶に同伴出勤したりアフターしたりしているのに違いない。いつの間にか秋葉原は風俗街に変わりつつある。しかも、日本中、いや世界中でここにしか存在しない、変態どもの不夜城になろうとしている。


「斎藤、俺の息子がこの店をハンバーガー屋にしたいっていうんだ。」

例によって昼休みにコーヒーを飲んでいた俺に原口がぼそっと話しかけた。

「へえ。あんたはどうする。」

「もうこりごりだ。こんな町は俺の好きだった秋葉原じゃない。きっぱり足を洗うよ。」

それから例によって店はまた改装されて、一見ふつうな雰囲気のハンバーガー屋になった。コーヒーでももらおうかと入店した俺はメニューをみてびっくりし、実際にまわりで食べている料理をみて改めてびっくりした。この店の名物だというメガバーガーというハンバーガー。俺はスーパーサイズミーという映画を思い出した。

マクドナルドのスーパーサイズのハンバーガーというのが一時物議をかもしたのだが、このハンバーガーはそれよりか何倍もでかいのである。

そのうえ、ダブルメガバーガー、ダブルメガベーコンバーガーなどいくらでも増量可能。

ちなみに注文しさえすれば、ギガバーガーというとてつもないサイズのハンバーガーも出してくれるらしい。

フライドポテトやフライドチキンの量も半端ない。

これはもう日本人もアメリカ人をバカにできない。肥満大国アメリカですらこんなばかげた暴挙には及ばなかっただろう。

秋葉原は世界最先端の電脳都市であったはずだ。世界に先駆ける未来都市だったはずだ。ゲームやアニメやパソコンなら、まだよろしい。技術、アート、そうしたものが愛好される町になるなら、なればよろしい。

しかし今や脂質依存、炭水化物依存症の亡者たちに占領されようとしている。美味ではなくただひたすらカロリーを求める。さらに驚くべきことには、こんなに秋葉原が深刻な状況になりつつあるのにマスメディアは批判するどころか、バラエティ大食い番組などで面白おかしく取り上げて煽ろうとさえしているのだ。


今や俺の店先には何十メートルも肥満児たちが行列を作り、その合間をメイドとその同伴客が腕を組んで通り過ぎていく。俺はきっと悪夢を見ているのに違いない。これは白昼夢に違いない。

だが、やはり夢ではなかった。秋葉原はオタクたちの煩悩を掻き立て、オタクたちを搾取する町になった。彼らは無意識のうちに虐待されているのだ。


例の原口のハンバーガー屋も繁盛した。外人も多い。飽食と肥満の合衆国アメリカからもいまやこの秋葉原に大食いにチャレンジしにくるという。国籍にかかわらず、また言葉も通じなくても、そういう連中はすぐに意気投合するらしい。世も末だ。


ある日俺の店に、ビジネスマン風の若い男がきた。すらりとスーツを着こなしたイケメン。あまり俺の店にはこないタイプの人間だ。

「初めまして、わたくしこういうものです。」

と差し出した名刺を見ると、「原口信二」と名が記してある。

「父とは長い間親しくしていただいたと聞きました。」

「なんだ。君は原口の息子か。」

「そうです。」

「何か用があってきたのか。」

「ええ。単刀直入に申し上げます。私は父の店を継いで今回ハンバーガー店に商売替えをしましたが、おかげさまで大変成功しており、二号店を出そうと考えているのです。」

「それで。」

「いろんな地所を検討しました結果、本店から間近な斎藤様のお店が一番私どもにとりまして都合が良いと判断しまして、こうして、お声掛けにまいった次第です。」

「何。この店をよこせというのか。俺に店を辞めろと。」

「このようなことを申し上げますのは大変失礼にあたることは重々承知しておりますが、斎藤様も、私の父と同様、たいへんなご高齢です。立ち退きにあたりましては、退職金がわりに、十分なお礼を差し上げたいと考えております。私の父と古くからのお知り合いの斎藤様への、感謝の気持ちとお考えいただき、ご遠慮なくお受け取りください。」

「君の独断か。それとも、君の父と相談したうえでのことか。」

「父はもう完全に隠居しまして、すべて経営判断は私個人で行っています。」

「俺はね、この電気街がだんだんと飲食店や風俗店に浸食されていくのを、苦々しく思っているのだ。俺はまだ働ける。この店を辞める気はない。」

「そうですか。わかりました。本日はご挨拶までにとうかがいましたが、もしお気持ちが変わりましたら、いつでも、その名刺の番号にお電話ください。」


そうやって原口の息子は慇懃無礼にお辞儀をして、店の前のコインパーキングに駐めていた黒塗りの車に乗り込んで、運転手に指図して去っていった。


その日の夜だった。大家から電話があったのは。

「あなたに貸しているテナントだが、あと半年で更新だったね。悪いが最近不景気でね、テナント料を上げさせてもらうよ。」

「なんですって。今もうちは、利益を出すのはぎりぎりなんです。これ以上値上げされたら、うちの斎藤電商は、赤字になってしまう。」

「実はね、良い話が来てるんだ。今より倍も払おうという客が現れてね。」

「まさかその客というのは、原口という男ですか。」

「そんな客のプライバシーは明かせぬがね。ともかく賃料値上げに応じられないというのであれば、半年以内に出て行ってもらうしかないね。」

大家は一方的に電話を切った。

俺はごみ箱に投げ捨てた原口の名刺をのぞきこむしかなかった。


                *


二〇二〇年、秋葉原の治安と風紀は乱れに乱れ、一般市民にとって耐えがたいものとなった。しかしながら日本経済に貢献するオタク産業をただ規制してしまってはもったいない。都民にとって、オタクが搾取されてどうなろうと知ったことではないのだ。また一部の研究者には、秋葉原という町を中心に発展してきたオタク文化というものが、今後どのように変容していくのか、見届けたい気持ちもあったのである。

「昔吉原を東日本橋から浅草の郊外へ移転したように、また最近、築地市場を豊洲に移転したように、秋葉原を移して隔離しましょう。」

東京都議会はそう決議した。

たまたま東京オリンピックが終わり、跡地が使い道もなくさびれていていたので、有明のビッグサイトを中心として「新秋葉原」が作られた。

こうしてオタクには、異質な少数民族として生きていく場所を与えられたのである。

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近未来電脳都市の黄昏 田中紀峰 @tanaka0903

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