期待と不安ほど不必要なものはない
期待と不安は、まだ見ぬ未来に対して勝手に妄想し、思いをはせる行為です。つまり、どちらも現実になる可能性が低いということです。
ストレスや精神的なダメージは、現実と理想のギャップから来ることが多くあります。ですが、理想と現実が違うのは、当たり前なことなのです。
誰かや、何かに期待するということは、自分の理想を押し付ける行為であり、自分の欲を誰かに押し付け、求め、それが叶わないなら相手に対して期待外れと思ってみたり、怒ったり嫌いになったり、傷ついて被害者気分になってみたり・・・。
とても愚かな行為だと思います。
私はあらゆることに期待を抱いてきました。そして、そのほとんどが叶わず、傷つき、うつ病になりました。
そして、気が付いたのは、「他人」は「他人」の人生を生きている。「自分」は「自分」の人生を生きなくてはならないということです。
もっと言ってしまえば、他人は自分のことなど他人事であり、どうでもいいと思っているということです。
他人に期待し、他人の目を気にしながら生きるということは、自分ではなく、他人の人生を生きるということだと思います。でも、その他人は自分の人生の責任を決してとったりしてくれませんし、とることもできません。
期待することを諦める。きちんと自分の人生を意識していくということが大切だなと思いました。
不安も同じく、起こり得ないことを妄想、心配し、ストレスを感じ、極端になれば病気にもなってしまう厄介なものですが、農耕民族にとって、不安とは死を避けるための本能のようなものだと思います。
不安を感じることは仕方がないので、感じている不安は、大体は起こらないと理解することが大切だと思いました。
関連小説
哲学/鏑木レイジ
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 10話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます