感情による病

怒りは己を焼き尽くす

 うつ病になり、何も出来なくなっていた時、ずっと横になっていました。


 でも、横になれば担当編集とのトラブル、大げさに言ってしまえば、セクハラ、パワハラ、モラハラの記憶がよみがえり、激しい怒りに身を震わせていて、神経が休まることはなく、余計に神経をすり減らしているような状態でした。

 そして回復することなく、半年程ほぼ寝たきりで過ごしました。


 件の担当編集には、きちんと謝罪はしてもらったんです。でも、怒りは収まらないどころか酷くなる。それはなぜかと考えました。


 学校や会社などでも問題があれば謝って解決。みたいなことがありますけど、それって当事者の気持ちは置いておいて、世間的に問題を「終わらせてしまう」行為であって、解決には至らないのではないかと思いました。(とはいえ、加害者側からしたら、謝ることしか出来ないとは思いますけど・・。)

 それによって、謝罪により無理やり終わらせた怒りはどうなるかというと、当人の心に残るわけです。

 でも、「謝罪されて終わったことだから、この怒りは忘れなければいけいない」と自分に言い聞かせて収めようとします。


 ここが問題だと思うんですよね。怒りとは、犯罪や、テロ、暴動などの原動力になるほど、想像以上に激しいものです。

 怒りとは炎です。

 そんな激しく燃え上がってしまった炎は、謝罪というわずかな水では簡単には消えません。そして消えない炎は、理性では消すことが非常に難しく、自分の精神、心を燃やし続け、やがてうつ病など、様々な精神疾患に陥ってしまったり、人によっては犯罪に繋がってしまうのではないだろうかと思います。


 それじゃあ、その怒りを消すにはどうすればいいのか?というところなんですが、私の場合は、その時どうして欲しかったのかと、自分が納得することを鮮明に思い描くことが効果的でした。


 前の章でも述べたのですが、私はアダルトチルドレンという性質を持っていました。

 今回、編集者に抱いた怒りは、子供時分に抱いていた家族への怒りに上乗せされたようで、相当な怒りになってしまっていたのです。

 

実際自分の想像の中で、怒りの原因となった人たちに対して、自分が望む形で謝罪させてみると、「自分はやれるんだ、自分はこの人たちよりも強いんだ」とスッキリと心が落ち着き、何故か自信が湧いてくるような気持になりました。


 特に父親は自分の中の最強であり絶対的であり、いなくなっても支配されていた分、その開放された思いは特に強かったです。そして不思議なのですが、その後、あんなに無意識に怯えていた、父に対するトラウマは消えたように思います。


 人によるトラウマとは、消えない怒りなのかもしれないと思いました。









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