第11話 『首相で辿るドイツ戦後史』書き終えて。

8人と日本31人(憲法成立後)余りにも違うのでそこに興味を持って書き出したのである。

日独の歴史的背景も違うので一概に数字だけで比べられないが、粗製濫造と云われても抗弁しようのない数字である。ドイツでは、ワイマール共和国からナチス時代までの反省を生かした政治的工夫がよくなされている(その辺は本編で十分書いた積りである)。それが安定政権を生んでいるのであるが、制度だけでは14年も16年も一人の首相が出来ないであろう。独裁国家ではない。4年に一度の選挙の洗礼があるのである。やはり政治的に人物が優れていたと評価すべきであろう。


日独の首相比較をしてみた。

ドイツは州首相か市長を経験した人が5人いる。日本は細川氏(熊本県知事)一人である。地方政治を経験して中央へはいいことだと思う。日本ではどうしてそれがないのだろう?

日本の首相の供給先は?以前は池田、佐藤、宮沢らの官僚組8人、最近はもっぱら橋本、小泉、福田、麻生、安倍らの二世組が9人と多くを占めている。ドイツの首相では皆無である。また2世議員というのも少ない。


それとドイツ首相たちは、戦前それなりの苦労(苦悩)体験をしている。アデナウワーはケルン市長時代ナチスに批判的であった故に市長を解任、迫害を受けている。ブラントはナチスから逃れて海外逃亡、潜伏12年を経て西ドイツ市長となっている。エアハルトは第一次世界大戦に従軍し重傷を負う。その後大学で経済学等を学ぶが、ナチ党を支持する団体に加入するのを拒否したことで大学教授資格試験に不合格になっている。キージンガーはナチス党員だった経歴があり何かとそのことで批判にあった。シュミットは兵役でドイツ国防軍士官、イギリスの捕虜になっている。シュレーダーは父親をロシア戦線で亡くし、母と妹の極貧生活の中で大学を出ている。新生ドイツにかける個人的思いも深かったと思わざるを得ない。


それに比べて日本では、戦時下を官僚で過ごした人たちは、生活は質素であったろうが無事な生活を送っている。小国主義を唱えて対中戦争の膨張主義を正面から批判したのは、ジャーナリストであった石橋湛山ぐらいである。岸信介は東條内閣の閣僚であった。戦犯であったか、なかったかは別にして、ドイツでは首相になることは絶対考えられない事である。近年に入って2世議員が連続して首相になっている。政治の世界での人材供給力は日本ではどうなっているのかと、将来を危惧するのはわたしだけであろうか。

 

ドイツの連邦制、これは歴史的背景があって一概に日本に適用できるものでもない。でも、先の東北大震災で感じたのであるが、小さな地自体は住民に近いところで懸命に頑張った。しかし県は国に強いことも云えず、中途半端な存在と映った。廃藩置県、明治時代に作られた県、市町村体制のままでいいのか。対案として語られているのが道州制である。九州のGDPはオランダに匹敵するという。道州制をとるならドイツが非常に参考になると思える。ドイツの参議院は選挙で選ばれるのではなく、州政府に4~6の席が割り当てられる。地方が国政に参加出来、地方自治が担保されるのである。第2衆院とその存在感を問われている日本の参院改革、地方自治、道州制と絡ませたら面白いと思う。


それから、日本では地方選挙といえば無党派が主流になっている。ドイツでは州、市まで政党政治が貫徹している。日本の政党も地方をもっと重要視すべきである。わたしが今の野党であれば、地方から攻め上がる。沖縄独立党、九州独立党、名前だけでも独立を使いたい。東北脱原発党とか。

 8人の首相を勉強してみて日本再生を考える上で大変に参考になった。最後まで拙いノートをお読み頂いてありがとうございました。

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ドイツ、歴代首相で辿る戦後史 北風 嵐 @masaru2355

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