怒りのままに決断しろ

naka-motoo

怒りを消されるな!

 怒りを鎮めろというのは他人の怒りを封じ込めたい奴の詭弁だ。

 試しに見てみなよ?

 人に冷静になれっていう奴ほど自分の利害が絡むと怒り狂ってるだろ。

 それも『正当な怒りです』などと卑怯極まりないコメント付きで。


 だから、俺は怒るのをやめない。


 あいつらだけに怒る特権を渡せるかよ。


「『雇用契約』この法的根拠わかってんのか!?」

「法律と信頼は違いますよ」

「法の根源がわからなければ人間の生活などひとつも成り立たんのですよ!」

「じゃあ、アナタが生きてる意味ってなんですか。法律に書いてあるんですか」

「話題を逸らすな!」

「逸らしてんのはアナタだろうが!わたしはただウチの所員の採用時に『業績次第だが段階的に給与を引き上げる』と口頭で説明した上で雇用してるんだからその約束を守ろうとしてるだけだ!」

「本社は赤字に転落するんだ!」

「ウチの所員はきちんと事業計画を達成して業績の立て直しに貢献してる!本社の人間が原価割れで商売して利益を食い潰さなければグループ全体でも計画を達成できてたんだ!専務!ならアンタが天下あまくだってきたその大元の『超優良企業』とやらに原価計算きちんと見せてまっとうな価格で取引交渉してくださいよ!」

「それはできん!」

「なら辞めちまってくださいよ!というか最初から『わたしは経営者の器ではない』と言って辞退してくださいよ!アンタの器はせいぜいその超優良企業かなんかの部長なんですよ!」

「上司に向かって何を言う!」

「上司だと思ってるから言ってるんだ!アンタが役員じゃなきゃ私は『いいお天気でございますね』とあしらってシモの世話を受けて死ぬまで生きててもらえばそれでいいんだ!」

「しゃ、社長に聞いてみろ!」


 俺が専務室を出ようとすると社長に内戦電話を奴は入れてた。


 子供かよ。


「田嶋クン、ウチの業績分かってるだろうね」

「社長。子会社とはいえウチの所員たちは計画以上の収益を上げました。もちろんグループ全体が改善途上ですから計画数値を超えた労働分配率とするわけにはいきません。ですが計画当初からモチベーション維持のために許容された範囲です」

「そんなカネがあるなら本社の優秀な人間の給与を上げて効果をより大きくする」

「社長。ウチの所員たちは確かに高齢ですがそれぞれのもと居た会社を勤め上げてきた言わば即実戦の傭兵部隊です。転職するにあたり人生設計をも描いて決断してくれています。もし合理的に給与が上がらなかったらお子さんの進学を諦めざるを得ないという所員もいます」

「だったらなんだ」

「本社で社長や専務の直轄部署の社員たちの中には実働を伴わずして他部署や子会社よりも給与の高い社員たちがいます」

「キミの僻みだろう」

「僻みでもなんでもいいですが同じグループで痛みを分けるというのなら少なくとも本社のその社員たちよりも努力して激務をこなしている子会社の社員たちにきちんと処遇してあげたいと考えます。このままではお子さんを進学させるために転職する所員も出るかもしれません」

「ふう。辞めれるもんなら辞めてみろ」

「・・・なんですって」

「辞めれるもんなら辞めてみろと言ったんだ。その所員たちが辞めてどこへ行けるものか」

「・・・本気で言ってるんですね」

「ああ」

「ならば私が辞めます」

「なっ!?」

「この状況ではわたしはマネジャーとしての責務を果たすことはできません。辞めさせていただきます」

「ちょ!ちょっと待て!」

「辞めてどうなるかは分かりませんがとにかく社長と専務という立場上の経営者でしかない方たちとはもう仕事をしたくありません」

「ま、待ちなさい!」

「いいえ、もう結構です。お焦りになるのは同じ給与・処遇でまた新たな人間を雇う自信がないからでしょう?ですがそれは普段からなさっていたことの結果でしかありません。よい後任を雇用できることをお祈りします」

「う・うう・・・社、社内で誰かキミのポジションをできる人間を後任に・・・」

「業務内容もそうですが、この給与でわざわざ尊敬できない人のために働こうという社員は、多分、いないだろうと思います」

「う・・・」

「失礼します」


 ああ。

 このビル、こんなにボロかったんだな。

 まあ退職までの1ヶ月間、所員さんたちに罪はないから引き継ぎはしっかりやった上で終わるとするか。


「田嶋さん」


 ん? 誰だ? 若い女だな。


「田嶋さん、あなたは怒ってますか?」

「え?ええまあ」

「そうですよね。ちょっとこちらにいらしていただけませんか」

「え。ちょ、どうして私の名前を」


 おいおい。俺は行くともなんとも言ってないのにどんどん歩いて行きやがって。

 スーツだからこの辺の会社の子か?

 歯並びが綺麗な子だな。


 あ・・・と、公園か。


「田嶋さん。これを握ってください」

「ちょ、ちょっと、貴女、それって」

「銃です。実弾も入っています」

「まさか」

「すみません。目立ちたくありません。手早くお願いします」

「いいんですけど・・・」


 うわ、なんとなく雰囲気で握っちゃったよ。やっぱりそれなりに重いな。


「田嶋さん、因みにその銃は5人の殺害に使用されました」

「え」

「気をつけてください。落とさないでくださいね」


 冷たい・・・


「田嶋さん、もういいですよ。合格です」

「合格?」

「はい。本物だろうが偽物だろうが銃を見せられていきなり握り込むということはあなたが本当に我を忘れるぐらい怒っていて、しかもそれが日常の状態に近いことの証明です」

「それはつまり」

「怒りっぽいということですね」

「まあそういう性格だとは思いますが、貴女は何なんですか?私を何かの実験にでも使いたいんですか?もしかして詐欺グループとか何か犯罪組織の仕事ですか?」

「いえ、実験など何の意味もありません。実戦です。実戦にお誘いしたいんです」

「実践?あ、実戦?」

「はい。そしてむしろ詐欺をするような人間たちを排除するための実戦です」


 悪人狩りでもやれと?


「つまりまだ法の裁きに遭っていない犯罪者に制裁を加えるような、そういう作業ですか」

「犯罪者、というか明らかに犯罪であるのにそのままスルーされて罪を犯した本人は普通に生きて、場合によっては社会的成功を収めるような、そういう不公平をなくすための仕事です」

「抽象的でわかりません」

「たとえば、いじめ、とか」

「え。いじめって、学校でのいじめですか?」

「はい」

「い、いや!それは俺もいじめには腹が立つが銃で撃つなんてそこまでは」

「勘違いしないでください。銃はあなたの自殺用です」

「え・・・」

「あなたはさっきも社長さんや専務さんとのやりとりで怒りのピークでしたよね」

「え!なんでそれを!」

「抑え切れないぐらいの怒りの時にもしあなたが車を運転していたら?」

「車?う・・・運転に支障をきたすでしょうね」

「そんな曖昧な表現をしないでください。怒りに任せてアクセルを踏み込んでしまいたくなりませんか?」

「そうかもしれません・・・」

「そうなったら他の人たちを巻き込んでしまいます。わたしが今お誘いしている仕事は、こんな理不尽が許されるのかという法に触れないように巧妙に卑怯な悪事を働く人間に対してあくまでも議論で立ち向かい説き伏せて悪事をやめさせる、そういう仕事です」

「僧侶の説教のようなものですか」

「それが一番近いです。そしてあなたの社長や専務どころではない見たこともないような卑怯な悪人と対峙することになります。わたしたちが取り組み始めてかなりの時間が経ちますが成功率はとても低いです」

「どのくらい?」

「コンマ以下ですね。1%行きません」

「・・・・・」

「成功しなかった場合、あなたの腹立ちは身を捩っても抑え切れないぐらいになるでしょう。悔しさのあまりに壁を拳で打っても、お酒に逃げようとしても、大声で怒鳴り散らしてもおさまらないような怒りに苛まれるでしょう。そんな時にあなたが車を運転したり電車のホームに立っていたらどうなりますか?」

「もしかしたら、他人を傷つけてしまうかもしれません」

「それほどの卑怯な悪人に対峙するんです。だから、あなたがに見舞われた時に即座に決断して、銃で自身のこめかみを撃ち抜いていただきたいんです」

「・・・これまでに何人自殺したんですか?」

「人数は言えません。ただ、失敗した者のほぼ全員がそうしました」

「いじめのことを言ってましたね。その仕事ではどうだったんですか?」

「・・・それは今わたしが抱えている案件で、いじめをしている子を説得中です・・・ただ、その子供はこれまでのどの大人よりも悪人です。だから、わたしは命を懸けて怒りをもって説得しています」

「・・・・・どうしてなんですか?説得するなら冷静な人間の方がいいんじゃ?」

「あなたは悟りすましたような言葉で心が動きますか」

「・・・・・・・・そうですね」


 そうだな・・・・


「いかがでしょう。やっていただけますか?」

「・・・・すみません。俺にはできません」

「・・・そうですか。残念ですが。では、失礼します」

「え、いいんですか?俺にそこまで喋って銃まで見せたのに」

「あなた自身半信半疑でしょう?他の方に口外しても同じですよ。失礼します」


 信じるも信じないもない。

 これは事実だろう。


 なぜなら冷静に見える彼女のその目は、瞳孔が赤く見えるぐらいに怒りで発狂しているような色だった。

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