第10話 いざ

《10ー1 いざ関ヶ原》


「円龍さん、まだお竹さんが見付かっていませんが、大谷刑部様を取り巻いている女性たちの魂を、先に助けてあげると言うのは、ダメでしょうか。」

美姫は、巻物を手に入れて、直ぐにでも関ヶ原に向かいたい気持ちが立ち、前田資料館を出て直ぐに、円龍に話を持ちかけた。

「やはり、美姫殿なら、きっとそう言われると思っておりました。実を申すと、ここに来る前、土佐に一度寄ってから来たのですが、そこで一泊した時に、また声を聞いたのです。」

「声?」

美姫が聞き返すのに合わせて、杏子も顔をそちらに向けた。

「土佐に行ったのは、前に申しました通り、お松さまの御化粧料は土佐の守様にお渡りしたので、そこに何か手懸かりが無いか、それに詳しい方がいるので、訪ねてみた訳です。それから加賀に行くことにしたのですが、その夜に『加賀から関ヶ原に向かえ。』と言う声を聞きましてな。」

「そりゃまた、家康さんとおぼしき方からのお達しだと?」

杏子の言い様は、かねてよりは大分抑えられていた。

「少しは信じてくれるようになりましたかの?」

円龍は和かにこたえた。

「と言うことは、先ずはこのまま、関ヶ原に向かうので正解と言うことですね。」

美姫の声は明るかった。

「儂の話を信じていただけるなら。」

「じゃあ、まだ時間も早いので、直ぐに行きましょう!」

「いや、それは待て、美姫。これからだと、電車の接続的に、古戦場に到着出来るのは多分、夜中になる。宿も取れるかどうかだぞ。」

「怪しげなモノ達は、明るいところが苦手、暗いところを好む傾向がありますからな。敢えて、そうした時間に行くのは、避けた方がよろしいでしょうな。」

「もっと早く着けるのかと思いました。」と美姫は肩を落とした。

「先日、関ヶ原に同行させていただいた折りに、儂と元が世話になった寺があります。ちょっと、そこに聞いて見ましょう。一泊させて貰えるかも知れません。」

「それは助かります!」

早速、円龍が寺に電話をしてみると、運良く泊めて貰えことになった。

「円龍さん、ありがとうございます。」

「そうと決まれば、折角だから、紗有里も呼んだ方がいいよな。」

「それなら、元も呼んでやってもいいじゃろうか。きっと、役に立つでな。」

そうと決まれば善は急げで、杏子が、関ヶ原行きの行程を作成した。

「『急に土佐に行くことはないよな!?』とは確認したけど、急に関ヶ原に行くことになるとはな!」杏子に言われて、美姫は返す言葉もなく頭を垂れた。

「ごめん、杏子。」

「と言いながら、しっかりと宿泊の用意はして来ましたけど。」

笑って言う杏子に、美姫は抱きついて感謝を表した。実は、美姫も、ちゃっかり簡易な宿泊の用意はして来ていた。

「さすが杏子、私の性格を理解してるね!」

美姫のセリフに、「もちろんです。姫様。こうでなきゃ、侍女は務まりません故。」と、したり顔をして見せていた。

「でもホントに杏子には感謝だよ。」

そう言って美姫は、改めて杏子に抱きついた。


金沢からは、名古屋行きの特急しらさぎ号で米原に向かった。そこで、東海道線に乗り換えをして、関ヶ原に入る。

米原までの約2時間は、美姫と杏子の二人は、円龍とは通路を挟んで別々に座った。

金沢の前田資料館応接室での、当主を待った小1時間の間に、色々と話も出来て、会話の題材も無かったと言うこともあったが、円龍も一眠りをしたいと言うことで、別に座ることになった。

「色々と動いてくれて、お疲れなのね。もう寝てるわ。」

「まあ、爺さんだし、四国の土佐まで足を運んで、ご苦労なことだよ。」

「でもお陰で、話も早く進んで、一足飛びにこの巻物を手にすることが出来た。感謝よね。」

「爺さんの道楽に、付き合わされたような感じで始まったけど、なんだかんだ、美姫が主役の話だったってことになる訳だもんな。」

「主役って言うか、任務ね。私がこの世に生まれた理由みたいな。ちょっと大袈裟だけど。フフフ」

「お供させていただきます。」

杏子もそう言って笑った。


米原で乗り換えをしたら、程なくして関ヶ原に着いた。駅からは寺まで徒歩で数分の所にあった。綺麗なお堂があり、そこを一晩貸して貰うことが出来た。

その晩は、お堂のご本尊を眺めながら、怨霊となっている魂の数々について、美姫は思いを馳せた。ついにお竹様は見付かっていないが、黒い蜷局の魂たちは救えるだろう。でも、大谷刑部の魂までも救うことが出来るだろうか。それが敵わなければ、石田三成の魂も危ういことになるかも知れない。

不安が頭をもたげる。

「美姫。大丈夫。美姫なら絶対何とかする。私の知ってる美姫は、そんな凄い人だよ。」

「杏子。ありがとう。いつも側にいいてくれて。杏子のお陰で、勇気が出たよ。」

と言ってる時に、お堂のドアがガタガタと揺れた。

思わず「ひゃっ!」と美姫が声を上げて、ドアの方を見る。ガラスの向こうに人がいるようだった。

「誰か来たみたい。檀家さんかな。こんな時間に。」

美姫が時計を見た。18時を過ぎていた。既に外は真っ暗になっていたので、外の明かりに浮かんだ人影は、場所柄、少し気味が悪い。

「誰かな?」

杏子はこういう時にも頼りになる。スタスタとドアの方に歩いて行くと、お堂内の明かりに照らされて、外の人の顔が見えた。

「美姫―っ!紗有里が来た!」

「えーっ!早いね。」

美姫の声が、途端に明るくなった。

杏子がすぐにドアを開けて、紗有里を中に引き入れる。見ると、外にもう一人の人影。

「あ。」

「なんか、同じ電車になっちゃって。」と紗有里。

「あら、勝田君も来たのね。早かったじゃない。紗有里を送り届けてくれてありがとう。円龍さんなら、向こうの住職さんのお住まいにいますよ。」

美姫に促されて、元はぺこりと挨拶をすると、案内された方に歩いて行った。


「紗有里ー。早かったじゃない。明日来ると思ってた。」

「巻物の話を早く聞きたくて、飛んで来てしまいました。美姫先輩、杏子先輩、私は出し抜かれて悲しいです。」

「ゴメンね。そんな大ごとにするつもりで行ったんじゃなかったんだけど、円龍さんとバッタリ会って。そしたらとんとん拍子に色々とね。ごめんなさい。」

美姫は、紗有里を抱きしめて、頭を撫でた。

それから三人は、巻物の話や、そこに至る顛末などを話して、明日への決意を確かめ合った。


そして翌日。

お寺の朝は早い。

美姫たちは眠そうな目をして、朝食を済ませた後、朝の8時に寺を出発した。

徒歩で20分もかからない場所でもあり、神経を集中させる時間としても、丁度良い時間だったから、歩いて向かった。

現地に入ると、遠目からでも確認出来るほど、黒い霧の塊は、尚一層の大きさを有していて、蜷局を巻いた黒い塊は、中心となっている大谷刑部の霊の回りを、グルグルに巻き込んで、その存在を飲み込もうとするが如きだった。

「怨霊と言うよりは、悪霊と言う雰囲気ですね。以前よりも様子が違っています。」

元が所見を言った。

「この前来たことで、何か刺激を与えてしまったのかも知れんの。」

そう言いながら、まずは、円龍が事前準備として、四方に香を並べて焚いた。

「では、これから儂が経を唱えるので、元と杏子殿は、それぞれ霊の両側に立ち、その力を使って結界を張ってくれますか。」

「結界を張る?」

杏子は、そんな力の使い方は知らなかった。

「イメージすれば大丈夫です。全体的に覆い包むように、気を張り巡らせる感じで。後は、菩薩様の力で、邪なモノの出入りを遮るようにします。」

元のレクチャーに、分ったような、そうでも無いような杏子だったが、取り敢えずものは試しで、「分った。やってみる。」と答えながら、元とは反対側に回って、位置取りをした。

円龍の反対側に美姫が陣取って、霊の四方を4人で固めた。紗有里は、円龍の側で待機した。

「では、皆さん、参ります。」

そう言うと、円龍はおもむろにお経を唱え始めた。

円龍の経を聞いて、その場の霊たちがざわつき始めたのが分った。

「嫌な感じの気が、動き始めました。」

紗有里の言葉を元に、元がまずは、千手観音の力で、黒い塊となっている霧全体を包み込むように、気の幕を張った。

その動きを見て、杏子も、見よう見まねの形を取ったが、全体を包み込むまではいかなかった。

「焦らずに、ゆっくりじっくり試して下さい。僕がまだいけますので。」

蜷局を巻いた黒い魂たちが、大谷刑部の魂の回りを旋回し始めた。

「行きます。」

美姫は、円龍、紗有里、杏子、元、と順に目を合わせて小さく頷くと、巻物を両手で広げ、目を閉じた。

そして『力を貸して下さい。お願いします。』と念じてから、黒い蜷局を巻いた霊たちに向かって言った。

「さあ、みなさん、帰りましょう。皆さんをお迎えに参りました。さあ!」

美姫の後ろに阿弥陀如来が、燦然と輝く光を放って姿を見せた。

〘ぐえーっ!!〙

霊たちが、悲鳴をあげて散り散りに飛び回り始めた。

〘ぐうーっ!!ぐえーっ!!〙

霊たちが上空に旋回しようとするのを、元の結界が阻止した。

「さあ、みなさん、恐れずにこれに掴まって!」

美姫はそう言って、巻物を両手で差し出した。と、その左端が手を離れて、シュルシュルシュルと伸び渡り、巻物は、まるで生き物のように、蜷局を追ってヒラヒラと飛んで行った。

〘ぐえーっ!!捕らえて、また殺すつもりだ。〙

〘ぐうー!苦しい、止めろー!〙

〘死ぬ苦しみ、悲しみが癒えぬぞー!〙

美姫には、そうした霊たちの嘆きや苦しみの声が、耳で聞こえると言うのでは無く、心に直接伝わると言う形で、入って来ていた。

「苦しいよね、悲しいよね、辛い、辛い気持ち、私がそれを理解するなんて、到底出来ない。ごめんなさい。でもね、思い出して。楽しいこともあったでしょ?嬉しいこともあったでしょ?きっと、沢山沢山あったと思うの。そんな思い出も黒く塗らないで、無かったことにしないでください。その想いを大事にして、もう一度、もう一度楽しい思い出を作って、嬉しいことが一杯の命を生きましょう!だから、信じて、私を信じて、これに掴まって下さい!」

美姫は涙をボロボロと零しながら、声に出して言った。

円龍は、読経どきょうを中断して美姫を見ていた。

紗有里は、霊たちの嘆きが聞こえたのか、しゃがみ込んで耳を塞ぐ仕草をしていたが、途中から美姫の祈りを聞いて、霊たちの動きを探るように伺っていた。

元と杏子は、霊たちの動きに注意しながら、その言葉を聞いて、涙を浮かべていた。

「お願い!!!私を、私を信じて!!!!」

美姫は、叫ぶようにそう言うと、右手に掴んでいた、巻物の片端を、グイと上に掲げた。

「これに触れて!触れるだけでいいから。」

その合図と共に、巻物の片端は、速度を速めて動き回り、飛び回るのを緩めた霊たちを捉えて、次々と巻き取っていった。

巻き取られた霊たちは、包帯を巻かれるように、グルグル巻きにされてその中に閉じ込められた。

そうして、ついには、そこにいた全ての霊は、いなくなった。

巻物はそれを確認するかのように、大谷刑部の霊の回りを旋回した後、最後は、阿弥陀如来の光の中に吸い込まれるように入って行った。それを見て、美姫は、右手で掴んでいた巻物の端を離して、完全に光の中に消えていくのを見届けた。


「これで、可哀想な女性たちの霊は、成仏が出来ました。良かった。」

「美姫殿、安心するのはまだ早いですぞ。大谷刑部殿の魂は、怨霊化が進んでおります。蜷局を巻いた霊たちがいなくなり、逆に霊力を増しているので、危険ですぞ。」

「はい。分りました。」

『又兵衛、いますか?これから石田様を解放します。お守りして下さい。』

〘阿梅様、こちらにおります。ご命令、畏まりました。命に替えても。〙

『命は、捨ててはなりません。それも命令です。良いですね。』

〘ありがとう存じます。〙

「石田様、これから大谷様をお助けします。石田様からも、お声掛けをいただけますか。」

〘阿梅殿、私は段々と意識が薄れてきた。どうなっているのだ。刑部の気配は分かる。〙

「もう少しです。石田様は、待っていて下さい。必ず、大谷様をお連れします。」

〘大丈夫だ、儂が行く。〙

「無理をせずにお願いします。」


「紗有里殿、大谷刑部様から何か聞こえましたか?」

「いえ、ゴーゴーと言う音しか聞こえません。言葉はしゃべって無いか、喋っていても聞き取れません。」

「そうですか。」

円龍は、経を唱える声を高めて、更に力強く経を読んだ。


「芦原さん、大谷刑部様の魂が暴れ出したら、私の結界だけでは持たないかも知れません。その時は、お願いします。」

「私が上手く結界を張れないからか。クソッ、どうやるんだ!」

杏子は、結界の張り方に悪戦苦闘していた。元々、攻撃は得意だったが、防御は得意ではなかった。

「大丈夫です。焦らないで下さい。私が出来るところまで何とかします。」

『クソッ!いいとこ取りか?格好良過ぎだろ!』

杏子は、正面の元に眼差しを向けて、そう思った。


「さあ、行きますよ!大谷刑部様!こちらにお戻り下さい!この手に、どうぞお掴まり下さい!」

阿弥陀如来の光が、更に強く辺りを照らし、その辺を彷徨っていた小さな魂のカケラや、邪な霊の数々は、ピカリと小さな光を発しては、次々と浄霊されていった。

「あー、あの光は、霊が浄霊されて成仏していく時の光だったんだ。」

杏子は、結界張りに苦闘しながら、そんな光景を惚れ惚れと見ていた。


「紗有里殿、どうですか、まだ何も?」

「まだ何も聞こえません。それに、気がどんどん重くなっているような感じがします。」

「まずいの。」

季節は冬であり、山の中でもあるから、風はかなり冷たい。

防寒対策はしていてもまだ寒いくらいかも知れない中、全員の顔に汗が浮かんでいた。


〘刑部よ、儂だ。三成だ。さあ、役目は終った、早く参ろう。この手を掴め。〙

返事は無かった。地響きをさせながら、黒い霧の塊は、三成の魂に接触を試みてきていた。

〘そうだ、この手に掴まれ。さあ。〙

しかしそこに、三成の気持ちに応える意志は、存在しておらず、三成の霊は、その力に引き込まれていた。

〘うわッ!〙

「あ、だめ、引き込まれる。又兵衛、押えて。」

〘さっきからやっておりますが、何とも凄い力で。〙

「大谷刑部様!戻って!ダメです。三成様を引き込んではダメです!」

声は届いていないようだった。

向こう正面から、円龍が叫ぶ。

「美姫殿!ご決断が必要かも知れませんぞ!さもなくば、三成殿も道連れになります。」

「だめ、だめ、約束したんです。お二人とも守るって。だから、ダメ――――ッ!刑部様ァーーーーーッ!」

円龍は杏子に顔を向けた。

「杏子殿!美姫殿には出来ぬ。その場合は、そなたが何とかせねばならぬ。石田様をお守りするのじゃ!」

円龍の叫びに、杏子は迷った。

「確かに。・・・でも、・・・でも、美姫、お前はどうしたい?」

杏子の呟きは、美姫の元には届いていない。


〘刑部、既に悪霊にまで落ちたか。済まぬ。儂のせいだ。お主だけを悪霊にはせぬ。好きなように致せ。〙

「三成様、諦めてはダメです!もっと頑張って!」

〘阿梅、すまぬな。世話になった。これも儂の本望。こやつを一人にする訳には参らん。さらばじゃ。〙

「三成様ーー。」

「美姫ーーッ!どうしたらいい?私は、私はどうしたらいいっ!?」

「杏子?ダメよ、刑部様を傷つけてはダメ、お願い、私は二人とも助けるって、約束したの。だから、お願い・・・!」

「美姫・・・、分った、私は、お前を信じるよ。」

そうしている間も、三成の魂は、悪霊化した大谷刑部の霊に取り込まれようとしていた。

〘阿梅様!このままでは、私も引き込まれてしまいます!何か手立てはないですか。クソ、物凄い力で引きよる!〙

「又兵衛、もう少し、もう少し頑張って!でも、死んじゃダメよ。引き込まれる前に、手を離して。あなたまでいなくなったら、私。。。」

〘申し訳ありません。私は、姫様のお役にたてるなら、この手は離しません。姫様は、どうぞご自分のお役目をお果たし下さい!〙

「又兵衛!絶対に何とかするから。もう少しだけお願いします。」

〘姫、ご安心を。この又兵衛、そう易々と死には致しません!〙

「ありがとう。」

又兵衛は、笑顔を見せていたが、それが分かる者は、美姫以外にはいなかった。

「刑部様!目をお覚まし下さい!」

美姫の必死の問い掛けにも、相変わらず返事はない。ゴーゴーと言う、声とも音とも知れない音を響かせているだけだった。

「こうなったら、実力行使しか無いわ。」

決死の覚悟で美姫は、黒い霧の塊に向かって歩を進め、引き込まれようとしている、石田三成の魂を引き戻そうと、霧の中に手を差し込んだ。

その瞬間、電撃の様な痺れが全身に伝わった。

「あー―――――っ!」

魔界に手を差し込んだような、おぞましい感触と、恐ろしい感覚が、美姫の意識に入り込んできた。

〘人面獣心となり、祟ってくれよう。人面獣心となり、祟ってくれよう!〙

「あ、あ、大谷刑部様、、、、。」

「美姫――――――ッ!」

美姫の叫声と共に、阿弥陀如来の輝きに陰りが見えたのが、杏子には分かった。

「美姫、美姫ーーーーーーツ!返事をしてくれ!」

「あ、あ、あ、杏子、、、、。」

「美姫、美姫、もういいよね。私は、お前を守るのが仕事だ!!」

杏子はそう言うや、一気に得意の戦闘モードに入り、オーラを全開にすると、馬頭観音の顔が憤怒の顔に切り替わった。

そして「ウーリャーーー!!」と言う、叫び声と共に、黒い霧に向かって阿修羅蹴りを炸裂させた。相手が人間では無い場合、阿修羅蹴りは、馬頭観音が放つ攻撃として相手に刺さる。

〘ぐわーーーーつ!〙

叫び声とも雄叫びとも付かぬ声が、辺りに響いた。もちろん、それは聞こえる者のみにである。

黒い霧は、ダメージを負ったらしく、動きが少しの間止まった。

美姫の手が、霧の中から抜けた。

それでも、三成の霊を取り込もうとする意志は、変わらずにあるらしく、三成の霊は今、正に取り込まれる寸前まで差し迫っているのが見えた。

「ダメ―――――――――ッ!」

美姫の悲痛な叫びが、関ヶ原に響き渡った。

木霊となってそこかしこに、その声が響き渡った。


助けられなかったと、美姫の目から涙が溢れた。

もはや、大谷刑部の魂は、助けられない。放っておけば、三成の魂がただただ飲み込まれるだけだ。それを防ぐには、悪霊と化してしまった大谷刑部の魂を、阿弥陀如来の力で封じるしか無い。

だが、強い負の意志を持った怨霊悪霊は、成仏する意思がないから、浄霊と共に消滅してしまう。

自分が、それをするしか無い。その魂を消し去るしかないのかと、涙が溢れた。

だが、そんなに時間は残されていない。

「ごめんなさい。大谷刑部様。。。石田様、許して。」

そう声を掛けて、黒い霧に、ゆるゆると手をかざした。

「ご、ごめんなさい、、、、。」

涙で景色がかすんで見えたその時、美姫の背後からシュッと白い一筋の光が走り、大谷刑部の魂である黒い霧全体を、包み込んだように見えた。

美姫は、ハッと我に返り、目を凝らした。

目映く光る白い光に包まれて、暫く黒い霧はじっと動きを止めた。


『え?何?私はまだ何も。。。』

美姫がそう思っていると、声が聞こえてきた。


〝父上、父上〟


エコーがかかったように、反響する女性の声。


『父上?と言う事は!・・・母上。』

美姫は、無意識に心の中でそう思った。


〝父上、お目をお覚まし下さい。もう戦は終りました。お帰りの時間でございます。さあ、こちらに。〟

〘あ、あ、あ、儂は。。。なにを。。。。お、お前、お竹。何故ここに。〙

〝父上をお連れしに参りました。ほれ、石田様もそこにおりましょう。〟

〘あ、、、み、三成か。〙

〘刑部、やっと目が覚めたか。さあ、時間が無い、急ぎ参ろう。〙

〘済まぬな。迷惑を掛けた。〙

〝さあ、それでは参りますよ。〟

それから直ぐに、白い光に包まれた大谷刑部の魂と石田三成の魂は、阿弥陀如来の光の中に吸い込まれていった。

美姫はそれをただ見送っていた。

「母上・・・。」


辺りは、何事もなかったかのように、風がそよぎ、鳥の声がそこかしこから聞こえた。

「いったい、何があったんだ?」

杏子も元も、きょとんとしていた。

一部始終が見えていたのは、美姫一人だけだった。


「紗有里殿、何があったか、お分かりになりましたか?」

「最後に、大谷刑部様の魂から声が聞こえました。正確には聞こえませんでしたが、目が覚めたのかも知れません。」

「いずれにしても、気配は消えた訳じゃ。美姫殿、どうなりましたのじゃ。」

美姫は、円龍からの問いに答えることなく、その場に倒れた。

杏子が叫び声を上げながら、美姫の元に駆け寄った。

紗有里は、その場から動けずに立ち竦んだ。


杏子は美姫の傍らに座り込んで、その身体を抱き起こした。

「美姫―、美姫―――ッ!」

美姫の意識は戻らなかった。

「霊との間に何かあったのじゃろうか。」

「白い光が黒い霧を包み込んだのは見えました。それで動きが止まり、その後は、片倉さんはその白い光を見送った様に見えました。」

「と言う事は、白い光が大谷殿を包んで消し去ったと言うことか?それを美姫殿がするとは、思えんがの。」

「でも、片倉先輩は、手を翳して、何かをしようとしてました。」

「そう言えば、最後に何か呟いたような・・・、」

そんな会話を聞いて、杏子が叫んだ。

「んなこたあーどうだっていいだよっ!!美姫の心配をしろ!!」

「あ、いや、申し訳ない。霊による何か障りのようなモノかと、思ったものでな。」

いつものことながら、済まなそうに頭のごま塩を撫でながら円龍は言うと、「どれ」と、美姫の手を取り、脈を診た。それから、呼吸を確認したり、熱を測るなどしてから、「取り敢えずは、霊とは関係の無いことで、病気という訳でもなさそうじゃ。」と言いつつ、「急ぎ、病院に連れて参ろう。」と言った。

しかし、道路脇からかなり森の中に入ってきていた。

「私が負ぶって行くよ。紗有里、ちょっと手伝ってくれ。」

杏子は、紗有里に介助をして貰いながら、美姫を背に負ぶった。

「道路まで出たら、タクシーなり救急車なりを呼びましょう。」

元が携帯を出すよりも早く、円龍が世話になっている寺の住職に電話をして、救急車とタクシーを頼んだ。

「兎に角、急いで道まで戻る。」

美姫を背負って、杏子は古戦場の森の中を歩いた。



《10ー2 戦い終って》


美姫は、杏子の背中に揺られながら、夢を見ていた。

それは、遠い遠い遥か昔の記憶だった。

まだ幼い自分が、その時も誰かに背負われていた。

耳を過ぎる風の音、草原の中を踏み進めて行く足音、ハアハアと言う背負い主の息遣い、遠くから聞こえる怒号のような声。

ダメージを受けた自分に、安心出来る素材は何も無いのに、その背中は、とても安心をくれた。

身体は激しく揺さぶられていても、そんな事は気にならない安心感だった。

「急げ!」

「こっちだ。」

「大丈夫か?」

色々な声色に混ざって、馴染みの声もあった。

「大丈夫!」

自分を背負ってくれている人の声だった。

まだ、幼さの残る女の声だった。

「大丈夫、大丈夫、あたいは全然大丈夫。だから、お前だって大丈夫だろう。なあ、姫。お前を、お守り出来なかったら、あたいは、生きている意味が無い。だから、命に代えても、お前を守る。」

ハアハアと言う息切れの中に、そんな台詞が聞こえた。

美姫は少しだけ意識が戻った。

「すまない。世話をかける。この大事な時に、我ながら情け無い。」

「姫。。。良かった。」

脚と頭に痛みを覚えた。どうやら、足を挫いて、転んだ拍子に頭をぶつけて、気を失ったらしい。そんな記憶が戻って来た。

「もう少しの辛抱だ。必ず助けるから、我慢してくれ。」

相変わらず、息の切れた呼吸の中で、その声は聞こえた。

「姫をお守りするのが、あたいの任務。姫は、生きる事だけを考えて!」

美姫は、それを聞いて、涙が溢れた。

薄れ行く意識の中で、曖昧になっている記憶の中で、そこは関ヶ原の地で、その草原の中を移動していると言う事だけは、分かった。


「美姫?、、、美姫?」

杏子が、美姫のうわ言を聞いて、背中に声を掛けた。

円龍も紗有里も元も、一様に美姫を見た。

「杏子殿、どうしたのじゃ。」

「いや、何でもない。」

杏子には聞こえた。自分を按じて声を掛けて来たのを。

『何だよ、美姫。なんて言ったんだ。』

そう心に思いながら、杏子は顔を美姫の方に向けた。

美姫の頬を伝った涙が、杏子の頬に流れた。

『美姫、泣いてるのか?』

杏子の左肩に乗った美姫の頭は、口元が杏子の耳の辺りに位置して、美姫の囁くような声も、杏子だけには聞こえた。

本当に微かな声だった。

「いつもありがとう、おりん。世話をかけて、すまない。」

杏子は、自然と涙が溢れた。

「どうしたのじゃ、杏子殿。何かありましたか。」

円龍が心配そうに声を掛けた。

元も紗有里も注目した。

「杏子先輩、どうしたんですか?何かあったんですか?」

「なんでもない。大丈夫。」

泣きながら言うと、鼻を啜った。そして、付け加えて言った。

「美姫をこうして背負えて嬉しいんだ。嬉しくてしょうが無い。ただそれだけだよ。」


やがて道路脇に出ると、すぐに救急車とタクシーが来て、美姫は病院に運び込まれた。

医者に診て貰った所、恐らくは疲労によるものと言うことで、皆は一様に安堵の色を見せた。

取り敢えずは、栄養剤が点滴され、安静にして経過を見守ることとなった。


杏子からの一報を聞いて、美姫の母親も飛んで来て、状況を確認し、付き添うこととなった。

そうなった理由の説明には、円龍も杏子も苦慮したが、それでも真実を話すしかないと、円龍が、一から説明をすると、母親は何故か納得をした。

実は、父親は片倉家の末裔とは知っていたが、母親もまた、真田の末裔で、しかも真田幸村何世だかの血筋と言うことであった。

片倉家と真田家、両家の血を引く末裔であれば、そういうこともあるかも知れない、と何の疑いもなく、全てを真実として納得をしていた。



《10ー3 論功行賞》


だだっ広い、板の間の広間の真ん中に、美姫はまた、着物を着て座っていた。

「阿梅、苦しゅうない、面を上げよ。」

それ声は、聞いたことのある声だ。そう、家康と名乗るお年寄りの声だ。しかも、今日の声は、とても明るく華やいで聞こえた。

此度こたびの働き、見事であった。礼を申す。」

「ありがたき幸せ。」

美姫は、操られるように、そう言いながら、深々と頭を下げた。

顔を上げて改めて見ると、家康はとてもニコニコとして嬉しそうにしていた。

「何故、此度、そなたに任を授けたか、聞きたいであろう。それを説明しよう。」

一度、目の前のお茶に手を伸ばして、一口啜ってから、また、話を始めた。

「儂は、あの者達を救えなかったことが、心残りでどうしようもなかったのだ。あの者たちと言うのは、秀次に連座させられてしまった女達だ。中には年端もいかぬ者もおり、秀次の顔さえも知らぬ者もいた。最上(※1)には相当に嘆願を受けたが、叶えてやれんかった。」

(※1:出羽守最上義光のことで、秀次最後の側室、駒姫の父親。駒姫は、まだ15才だった時に側室として迎えられたが、側室入りする大坂への移動中に、秀次は切腹となった。にも拘わらず、秀次の女達の一人として連座させられた。)


家康は、逡巡をするかのように、一度大きく一息ついて、それからまた続けた。

「自分の意志とは関係の無い所で、無理矢理に殺されなければならない憤りや無念たるや、儂は想像に絶す。本人もそうだが、回りの者の苦しみ悲しみ、そうしたものを、儂は守ってやることが出来なかった。その時の無力さを、儂は悔いておる。だから、せめてその者たちが、怨霊となって、消滅するような可哀想なことがあってはならないと、そう心に決めた。だから、そなたを遣わせて、何としても助けると誓ったのじゃ。」

美姫は、ただ聞いた。何故自分だったのか、それは成り行きかと思っていたが、それの答えも家康は話した。

「それならば、すぐにでもと思うであろう。だがな、そう簡単ではないのだ。その霊たちは、あちこちに分散してしまっていたからな。そう思っていたら、刑部の魂が丁度いい具合に、皆を集める力となって働いた。それを一網打尽にすれば良いことになったが、今度はそれが出来る者の人選が上手く行かぬ。その辺の坊主ではこれ出来ぬことじゃ。ところがじゃ、そこへ来てお主が現れた。400年やそこらで生まれ変わるはずもない魂の成熟度を持った者でありがら、次の生まれ変わりが、なんと400年後となっておった。そんな優れた者にすがらない訳がない。400年であれば、怨霊となった魂は消滅せずにおるだろう。そこで救ってやろうと、色々と布石を打った。松に頼んだ伝言に堀田も役に立ったであろう。ハハハ、思った通りになった。」

その女性たちの魂を救えたのは、美姫も嬉しかった。だが、美姫は、石田三成と大谷刑部の魂を救うことが、家康からの使命と、初めは思っていたのだ。

「三成と刑部はな、自分の意志で勝手に戦場に出たのだ。戦であれば命を落とすこともある。当然その覚悟は出来ており、その上での討ち死にだ。なんの後悔も無念も、本来はないはずじゃ。だから、その魂がどうなろうと、儂としては知ったことではない。・・・ただ、今回は、女たちの寄る辺として利用させて貰った。その働きに免じて、お竹をそなたの守護霊として遣わして、助けてやったのだ。その辺は、考え違いをしてはならぬぞ。」

美姫は、家康の考えに、深く感銘を受けたものの、救える魂を救わないことには、やや不服もあった。

「ところでな、此度の働きに、褒美を取らせようと思うておる。儂は、人は生かす者と思うておる。だからな、いずれ信繁の息子である大八に、お家の再興を許そうと思う、それでどうじゃ。」

「上様、ありがとうございます。父上も喜ぶと存じます。」

「いずれじゃ、いずれ、な。少し後のこととなると思うが、それは許せ。それから、・・・後な、此度、貸与した力であるが、そのまま、そなたに貸し与えることにする。不条理に、無念な死を遂げた魂は、まだまだ沢山ある。それらを、そなたの器量で救ってやればいい。その判断は、そなたに任せる。存分に思慮致せ。」

美姫は、『え?それは私に言ってるの?』と思いながら、その思いは声になることはなかった。

「それでは以上じゃ。」

家康は、立ち上がると、障子の方へ進み、その外へ消えようとしていた。

そして、いざ、その外へ消えようとしたその最後に、振り向いて美姫に声を掛けた。

「本当にようやってくれた、礼を申す。美姫とやら。」

そうして、家康は障子の外に消えた。

『え?今、何と言われました?私の名前を?』


「待って、待って下さい!上様!上様―ッ!」

美姫は思い切り叫んだ。

そして目が覚めた。病院のベッドの上で半身で起き上がり、手を伸ばしていた。見ると、その手を優しく握っている人がいた。

「うえさま、、、」

辺りをそろりそろりと見回していると、母親と目が合った。

「美姫、大丈夫?」

「あ、え?あれ、上様は。。。。」

「上様?うふふ、おかしな子ね、」

「、、、あ、お母さん、ただ今。」

「お帰りなさい。現代へ。」

母は、優しい笑顔で答えた。

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家康からの伝言 堀部俊巳 @toshimi_h

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