第9話 まつたけうめ
《9―1 その場所は》
佐和山の祠からの帰り道、その場にいなかった元と麻美たちは、どんなことがあったのか知りたかったし、当然話題に上がると思っていた。だから、特別聞きもしなかったが、話題になったのは、元をどこで見つけたかとか、どうやって分ったかとか、そんなたわいも無い話ばかりだった。
きっと、山から出るまでは、そうした話をするべきでは無いのだと理解して、元も麻美たちも敢えて聞かなかった。
案の定、その話題が出たのは、佐和山を出てからだった。それを横手に眺められる辺りまで来た時、美姫がおもむろにその方を見やってから、「あのね」と麻美たちに向かって話を始めた。
その時をずっと待っていた元は、色めきだって耳をそばだて、少し側に寄り気味になるよう身体を傾けて聞いた。
「あの祠の件だけど、あそこはやっぱり、暗い穴蔵だったから、変な霊が吸い寄せられたみたいだったの。」
元はその話に、かなり拍子抜けした印象を持った。
そんな簡単な回答なら、ここまで引っ張る必要も無かっただろう、その思ったからだが、ここで自分が横槍を入れるべきでないことは、察しが付いた。
「変な霊ですか。」
麻美はそう聞き返して、万里と顔を見合わせた。
「私達に取り憑いたのは、その変な霊だったんですね。」と万里。
「そうね、自分で言っておいて何だけど、変なって言うのもちょっと語弊があって、正しくは、少し邪な魂のこと。まあ、難しく考えても何だから、やっぱり変な霊でいいわ。」
美姫はそう言って、笑った。
「私たち、超ヤバいとこにいたんだね。」
「怖ーい。」
二人は口々にそう言い合って、相変わらず繋いでいた手を、尚一層ギュッと力を込めて握っていた。
「だから、この間のお坊さんからいただいたお札を付けて、あの祠は封印しておいたから、もう行かないでね。」
美姫からのお達しのように受け止めた麻美と万里は、仲良く「はい。」と返事をしていた。
元は、違和感の
「祠には、実際は何があったんですか?」
円龍から話が行っているのだから、自分には本当の事を話して貰えると思っていた。
しかし回答は同じだった。
「さっき話した通りよ。聞いていたでしょ。」と。
はぐらかされた印象が否めず、疑問符しか無い状態だったが、それ以上しつこく聞くのも憚られた。かといって他に聞く相手もいない。杏子とは相変わらず気まずい空気であったし、面識の無かった紗有里からは聞ける由もないからだ。
ただ、仮に聞けたとしても、恐らく真相は話しては貰えなかっただろう。何故なら美姫が、当面は3人の秘密として口外しないよう、二人にはお願いしていたからだ。
だから結局、元は、佐和山の駅まで、女子大生たちの賑やかな女子会トークが繰り広げられる中、それには入ることが出来ず、ただ傍で聞いている寂しい男子学生役となるしか無かった。
しかし、一人孤立する寂しい旅から救ってくれたのも美姫だった。
駅に着いて、麻美と万里に見送られながら電車に乗った後、丁度4人掛けのボックスシートが空いていたので、一緒に座ろうと元も誘ってくれたのだ。そして、美姫と杏子が並んで座り、一番小さい紗有里が、元と並んで座るよう割り振ってもくれた。
電車が駅を出るとすぐに、美姫が話を切り出した。
「あのね、杏子と紗有里には謝らないといけないことがあるの。実は、勝田君はある理由から、円龍さんに話を全部聞いているの。それをまだ二人には報告していなくて。ごめんなさい。」
「え?なんだ、そうなのか。ふーん。それで、ある理由って何さ。」
「杏子は、勝田君の能力を知っているでしょ?その力を使って、西方の悪鬼って言うのが、関ヶ原のどの辺にあるかを調べて貰ったみたいで。」
電車の中はそれほどの混みようでは無かったが、ガラガラと言う訳でもなく、それなりに乗客はいたから、美姫は少し声を潜め勝ちにして話した。
「なるほど。あの爺さん、結局、自分じゃあ調べられないってことだったんだ。」
「あの爺さんって、円龍和尚のことですか?」
元が、少しムッとした声で問うた。
「勝田君、ゴメンね。西方の悪鬼とか、杏子はまだ信用していないの。私が引き込んじゃったから。」
美姫の仲裁に、元も矛を収めるしか無かった。
「で?勝田はどこからどこまで知ってるんだ?」
相変わらず、杏子は勝田に上から目線で問いかけを行った。
元は、美姫がまだ話していなかったことに、何か意味があるのではと、その顔色を伺ったが、美姫が『どうぞ』とでも言うように、コクリと小さく頷いたので、話し始めた。
「はい。僕が教えて貰ったのは、美姫さんは阿梅さんの生まれ変わりで、杏子さんはおりんさんの生まれ変わりと言うこと。そして、阿梅さんをお守りするお侍さんが美姫さんに憑いていること。家康様と思われる方からの謎のお言葉があったこと、等です。」
「ふーん、だいたい全部か。ところで、お前さあ、私達を名前で呼んでるけど、馴れ馴れし過ぎだと思わねーのか?少なくとも、美姫のことは、〝片倉さん〟だろ。或いは、〝片倉さま〟じゃなーか?」
杏子は、引き続いて、勝田に冷たい。やはり、西軍の者だったリンの魂が、徳川の血を引く者を疎んじるのは、やむを得ないのかも知れない、と元は思った。
「申し訳ありません。ついつい先程来の会話を聞いていて、馴れ馴れしく呼んでしまいました。片倉さんと呼び改めます。」
「杏子ったら。」
美姫は小さく呟いたが、美姫さんでいいとは言わなかった。
「そうそう、私は〝芦原さん〟だから、間違えないように。」
「はい。そして、大谷さんですね。」
「ああ、私は紗有里さんでいいですよ。呼び捨てはダメですけど。」
「あ、・・・はい。」
元は、柔やかな笑顔で答えつつ、会話に入るのも、それはそれで面倒臭いとも思っていた。
それでもその後は、当たり障りの無い学校の話や、学食のメニューはどうとか、恋人がいるとかいないとかなど、若者らしい話題で輪の中に入れて貰い、それなりに楽しい旅路にはなっていた。
ただ、元の一番聞きたかった祠の話は、電車の中で話す話題では無いと、あっさり切り捨てられたため、何も聞けず仕舞いに終った。そして、杏子との距離感も、余り埋められずに終った様子であった。
円龍の呼びかけで、今一度結心寺に集合して、今後の打ち合わせをすることを、佐和山に行く前から決めていた。
すぐに作戦会議を開いた方がいいだろうと、前もって美姫たちに申し入れをして、美姫たちもそれを了承していた。
取り決め通り、東京に戻って数日後、朝早くから一同は結心寺に集合した。
「勝田君には、今日まで何も言わずにごめんなさいね。佐和山の件は、本当のことを、麻美ちゃんや万理ちゃんに言うのも何かなと思って、止めたの。」
「やはりあの話は嘘だったんですね。そして今日は、真相をお話しいただけるんですね。」
元が嬉しそうな顔で言う。
「いやいや、今日はな、元の報告会を先にやるんじゃ。」
円龍が、段取りを変えるような発言をするので、元はちょっとがっかりした顔を見せた。
実は、元が来るよりも一時間早く、美姫たち三人と円龍は結心寺に集まって、先に話し合いを済ませていた。
「なんとも危険なことをされましたな。して、その佐和山の祠は封印されたのですな。」
「石田三成様の魂は、当面そちらで大人しくしていただく必要があるものですから、人々の目に触れないことが一番と思いまして。だから封印と言っても、ただちょっと石を積み上げて、草木を被せただけですけど。」
「それは賢明なことですな。良いことをされました。しかし、三成様の霊が、そういう理由で残っておられて良かったです。もしもそれが怨霊であったなら、さすがに大変なことになっておりましたぞ。」
「そうかもしれねーけど、そん時は、私が絶対に守ってるから。」
「ああ、まあ、そうですな。」
円龍は、いつものごとく、ごま塩の短く刈った頭を撫でて話を濁らせた。
「ところで今日は、お話をしておきたいことがあるんです。あの日、実は、石田三成様から聞いたことがあって。多分、石田様の声は二人には聞こえなかったと思うから、二人も知らないと思うんだけど。」
「ああ、三成さんの声は何も聞こえなかった。紗有里はどうだ?」
「私にも、聞こえてませんでした。」
紗有里の回答を聞くと、杏子は「えー、何だよ、水臭いな。私らにも言ってくれなかったことがあったなんて。」と、ちょっと拗ねたように言うので、横から紗有里が「しょうがないですよ。」と宥めていた。
「ごめんね。でも、これは円龍さんも交えてお話しした方がいいかなと思って。」
美姫は、杏子の手を握って、目を見ながら詫びた。
そうまでされると、杏子も我を張っていられない。
「いや、美姫がそう思ったんなら、しょうがないよ。どんなことか教えてくれ。」
「ほうほう、私もお仲間に入れていただいたということですな。嬉しい限りですな。」
円龍もそれに乗っかって言った。
「実は、私と石田様とで話をしていた時に、堀田さんがスッと出て来て、石田様に私の紹介を始めたんです。『真田信繁様のご息女、阿梅様です。』って。それを受けて、石田様が言われたのです。『竹殿の娘子ということか。』って。」
円龍は、すぐに反応した。
「タケ殿?タケ殿ですと!?」
杏子は、その円龍の驚き様に少し引き気味に見ていたが、意外なことに紗有里が同様に驚きを表していることに、驚いた。
「杏子先輩、本当にタケさんが出てきましたよ!」
「いやそうだけど、名前が出ただけで、本人はどこっ!?」
声高に杏子が言った。
「いやいや、これは驚いた。阿梅さんのお母上はお竹様ですか。もしや、お竹様の姉上はお松様だったりするのかの?」
「そんで、娘に梅ってか?」
杏子がそんなふざけた名付けってあるか?と言う調子で言ったが、「いやいや、決して悪い名ではないから、女子にはそうやって付けていたとしても、おかしくはない。」と円龍が返した。
「女子だからって疎んじてんじゃねーよ。まあ、それはいいととして、そのタケさん、探すのかよ。」
いつも通りの、杏子と円龍のやりとりとなっていたが、美姫も紗有里も、口を挟むことなく、ただ見守っていた。
「探すしかあるまい。」
「どうやって?」
「最初に、何の当てもないところから、あなた方に出会いました。それも、東京に出たその日に。こんな出会いが出来るのであれば、またぞろ可能なのじゃないかのぉ?」
「それなら、そのお竹さんだってとっくに出会ってていいんじゃないか?最初から『竹』と『梅』だって騒いでいたんだからさ。まだそれが見つかっていないのに、何を呑気に言ってんだよ。」
「いやはや、杏子殿は手厳しい。言われる通りじゃが。」
「言っとくけど、三成さんには余り時間がないから、急がなきゃいけないんだよ。そんなに呑気にしてられないんだ。見つかるんだったら、さっさと見つけてくれ。」
「おや?」
杏子の勢いにはタジタジだった円龍が、ふいに顔を上げて問い掛けた。
「三成さんには時間がないと言われたが、詳細をお話しいただけますかな?」
杏子が「あっ。」と動揺を隠さずにいると、「それは、私がお話しします。」と言って、美姫が少し身を乗り出して、説明を始めた。
「円龍さんにお話しするのは、正に釈迦に説法で、申し訳ありませんが」と円龍を見て少し頭を下げながら美姫が言うと、「いやいや、そんなことは」と円龍も頭を下げて、「どうぞ遠慮なく続きを」と先を促した。
「実は、石田様が佐和山に残られていたのは、強いご意志があってなのですが、それも間もなく時間切れとなります。この世に残る魂は、負の感情の思念がとても強い場合です。それらのほぼ全てが亡霊となって、永遠にはいられません。そのままでいれば、いつかは消滅してしまいます。」
美姫は、確認をするように円龍を見た。
「仰る通り、永遠とは参りませんな。」
「そうならないためには、成仏するしかありません。でも石田様は、消滅する気は全くなく、成仏するおつもりでおられます。ですが、大谷刑部様を道連れにできなければ、自分が大谷様の道連れになるお覚悟をお持ちなのです。」
「立派なご意志ですな。」
円龍は合掌しなから言った。
「その成仏するタイムリミットは、次に生まれ変わりをするまでの時間。それが間もなくなんです。後数日。それを過ぎると、成仏出来なくなってしまいます。」
「怨霊となってこの世に留まり、成仏が出来ずにおる小さな魂を取り込んで成長する化け物となって、いずれは消滅する運命となる訳じゃな。」
「はい。」
美姫が神妙な面持ちで答える。
「だから、悠長に探すなんてしている暇はないんだよ。」
杏子がきつい口調で言う
「じゃったら、どうする!?」
円龍が、珍しく厳しい口調で迫った。
初めて見るそうした態度に、杏子も若干怯んだが、紗有里はビクッとなって顔を引き攣らせていた。
「いや、すまんすまん。まだ儂も修行が足りんな。」
美姫だけは、そうした流れに関わらず、考えを述べた。
「ですので、タケさんが見つかるか見つからないか関係なく、私たちだけでも何とかしないといけないんじゃないかと思うのですが。」
円龍は柔和な笑みを浮かべて、三人に目を配りながら言った。
「そう焦ってはいけませんぞ。良いですか。戦力不足では、結果を出せずに終わります。諺にもありましょう、急がば回れ。」
一同は、暫し口を閉ざした。
円龍は場を取り繕うように、一つ咳払いをしてから、話を振った。
「袖すりあうも他生の縁、と言う言葉をご存じかな?」
紗有里が手を上げた。
「はい、私知ってます。歩いてて、袖が擦れる程度の接触でも、何かの因果で繋がっている。前世や前前世、前前前世などで、何かの縁があってのことってことですよね。」
「ほほう、ようご存じでしたな。その通りです。」
「へー、紗有里は色々侮れないな。」
「つまりですな、自分の周りにいる方々は、前世以前に強い繋がりがあった方々が多いのです。前世で、例えばライバルだったり、敵だったりした人が、今世で恋人だったり、配偶者だったりすることがままあるのです。」
「あー、だからDVがあったり、喧嘩して別れたり、殺し合いになったりする訳だ。」
「ははは、それを言ったら仕舞ですな。」
「で?それが何の話につながる訳?」
相変わらず杏子が円龍に噛みつくのを、美姫が抑えた。
「杏子、つまりね、阿梅さんのお母さん程の強い縁の人なら、私のすぐ近くにおタケ様がいるんじゃなかって、そう仰ってるんだと思うわ。」
「ふふ、さすが美姫殿はお察しがいい。その通りです。誰か心当たりはございませんか?」
「察しの悪い私は既におりんだったって分かってるしな。案外、紗有里だったりして?」
「私がおタケ様だったら、佐和山の祠で、石田様がそう言ってますよ。私は見えていなかったんですよね。」
「あー、そう言えば、杏子のことは見えてたけど、紗有里については見えていなかったかも。」
「え?何々?私のことは何て言ってた?」
杏子が、興味有り気に問いかけた。
「えー?なんて言ってたかな?」と言いながら、美姫はその時の会話を思い出していた。
〘そこの
「あー、うん。確かね、目の鋭い、心根の良いお嬢さん、って言ってたと思う。」
「ふーん、美姫は、心根の優しい子だから、嘘が下手だよね。少なくとも、お嬢さんとは言ってなかったよねー、きっと。」
「えー?そうだったかな?そう言ってたと思ったけど。」
美姫の顔に、「もうそれ以上聞かないで。」と書いてあった。
「はっはっは、しかし、ちゃんと見えていたんですね。そして紗有里殿は、前世での関りは薄かったのでしょう。魂の生まれ変わりのサイクルは、その魂の成長度によって変わると思われています。美姫殿も杏子殿も成長度が同等に高いお方ですな。ただ、中心となる方に引っ張られてサイクルが同じになる場合もあるので一概では無いですがな。」
「つまりは、私は美姫に引っ張られて同じサイクルで出てるってか!?・・・うん、まあそれはあるかもしれない。全く同じ時間にいるって、凄いことだもんな。多分。」
「前世でも同じ時間を過ごされて、今世でも全く同じ時間にいらっしゃるとは、誠に凄いことです。」
「さすがです、美姫先輩。何と言っても、阿弥陀・・・」
といったところで、隣にいた杏子が慌てて紗有里に横から体当たりして、その先の言葉を止めた。
「紗有里ー!お前、私のことも少しは持ち上げてくれよー。」と言いながら、倒れ込んだ中で、目で合図を送った。
「すいません。杏子先輩もさすがです。」
しまったという表情と、申し訳ありませんと言う表情が入り混じった顔で、杏子に答えていた。
「そうだろう?・・・で、誰をどうやって当たればいいんだ?」
起き上がりながら、杏子が言う。
「まずは、リストの作成ですな。美姫殿の周りにいらっしゃる縁の濃い方を書き出して下さるかな。」
「でもそれって、超個人情報じゃねーか。」
「いやいや、お見せいただく必要はござらん。書き出していくと、おや?この人は!と思い当たる人が出て来るものです。そうした人がいなければ、もっと枠を広げて探して見る。」
「分かりました。やってみます。」
「お手数でございますが。」
円龍は合掌しながら言った。
と言うやり取りが、事前に行われてからの、元を加えた会合となっていた。だから、当然、元の報告が先となるのだ。
「僕が見たのは、黒い蜷局を巻いた塊です。場所は、関ヶ原の古戦場辺りで、小さな霊が周りにフワフワとしていて、どんどんそれが集まって来ている状況でした。」
「それは、大きな魂が中にいる様子でしたか?」
美姫がまず尋ねた。
「大きな魂ですか?そうですね、見た感じ、中心となっている魂は有ると思いますが、大きいかどうかは不明でした。」
「見てみないことには、何とも言えないけど、千手様の力ではどうにも出来ないって感じだったのか?」
杏子としては、真っ当な質問だった。
「千切っては投げをやるんだったら、多少は何とかなったでしょう。でも、どれだけいるのか分からないほどの邪霊です。キリがないですし、何よりもその前に、僧に手を出すなと釘を刺されていたので。」
美姫が円龍を見て笑みを送った。そして小さく頷きを入れてから、語り始めた。
「この世に残っている魂は、石田様のように残られている方もいらっしゃいますが、大抵は負の思念が形となって残っています。私はそれを〝魂のカケラ〟と呼んでいます。本体の魂は、成仏をしようとしているのに、その想いだけが成仏を拒んでカケラの様に残ってしまっています。そうして〝魂のカケラ〟を失った魂は、生まれ変わった時に、何かが足りない魂になるんです。感情の何かが欠落したり、体が不自由だったり。だから、残っているそのカケラは、絶対に消滅させてはいけないの。必ず、成仏させて、元の魂の中の戻れる様にしてあげないと。」
「はい。分かりました。なんか、お釈迦様に説法を受けてる気になりました。ありがとうございます。」
元は妙に感動を覚えたらしく、目頭を熱くしていた。
『お釈迦様の説法ね。ある意味、ご名答だよ。』
杏子が心の中で拍手を送っていた時だった、円龍からの唐突なひと言があったのは。
「美姫殿は、さしずめ阿弥陀如来様ですな。」
杏子と紗有里はドキリとして固まった。
この後は、掠れた笑いで誤魔化すシーンとなるのかと、皆が展開を思い描いていた時、元が急に立ち上がって叫んだ。
「あーっ、阿弥陀如来様!」
「なんじゃ、ビックリするではないか。」
円龍よりも、杏子と紗有里の方が驚いていた。ただただ、元の顔を見上げて注目した。
「僧、私の守護は千手観音様、芦原さんの守護は馬頭観音様、日光山の三仏の内、菩薩様が2体揃っています。でもその中心となる如来様がいませんでした。もしかしたら、片倉さんは、その阿弥陀如来様なのでは無いですかっ!?」
元は、円龍を見て言った後、美姫を見た。
美姫は「どうしてそうなるのよ。」と独り言の様に呟いて、顔を背けた。
杏子は内心で『こいつ!?』と思いつつ、舌打ちした。
紗有里は、表情を読まれない様、わざとらしく呆れたと言う様に溜息をついて、下を向いた。
「日光山の三仏か。」
円龍は、特に驚きはせず、そう言ってから「そんなこと軽々しく言うものでは無い。」と諌めた。
意外なことに、そう言われると元は簡単に引き下がり「申し訳ありません。先走りました。」と言って着座すると、「ところで、」と別の話題で話し始めた。
「片倉さんは先程、石田様がどうとかと触れられていました。どう言う事ですか?」
「それね。私たちからの報告として、後で言うつもりだったんだけど。」
そこまで言って、美姫は他の三人に目線を流した。
「例の祠にいたのが、石田様だったんです。」
「ええっ!えーっ!!」
元は普通に驚いていた。
その後、石田三成からの話、それから三成が大谷吉継を探している話をして、祠を閉じたこと迄を話した。そして、元の見た関ヶ原の古戦場の黒い蜷局を巻いた塊が、もしかしたら大谷吉継の怨霊かもしれないと言う結末に至り、今お竹さんと思われる人の洗い出しを行うところであると言う話までを加えた。
「それでは急ぎましょう。お竹さんが見つかるかどうかで、色々変わりますよね。」
元が興奮気味に言う。
「勝田さん、急がば回れです。」
紗有里が、円龍の受け売りを言う。
「でも、その黒い塊が大谷吉継の怨霊かどうかは、確認する必要があるよな。」
「確かに。どちらにせよ、一度は行ってみないといけないでしょうな。」
結局、美姫による親戚の洗い出しを行うのは別として、一度全員で関ヶ原の古戦場に出向いてみることになって、解散となった。
《9ー2 関ヶ原へ2》
美姫と杏子は2回目の関ヶ原だ。何も変わらない風景であるのに、二人は、妙な懐かしさを抱いて、何を言うでもなく顔を見合わせた。
一行は、現地集合ということにしてあったので、美姫たちは、始発の東京駅から早目の時間の電車に乗って来ていた。元と円龍は、知り合いの寺に世話になれたと言うことで、前乗りして一泊したようだった。
集合場所は、駅の改札。
一同は挨拶を交わすと、「じゃあ参りましょうか。」と円龍が先導した。
必然的に、円龍と元、美姫たち三人の組み合わせの隊列で歩いていた。
「前にここに来た時は、紗有里はいなくて、この後、あべのハルカスに行った時に、会ったのよね。それを考えると、何か、関ヶ原って運命の地ね。」
「あー、あの時は、美姫が急に大阪に行きたいって言って、焦ったよな。もう、思わず『御意』って言いそうになったけど、その謎は解けたね。」
「あら、また言ったわね。それを言ったら、おりんって呼ぶよって言ってなかったかしら?」
「ふふふ、本当に仲がいいですよね。お二人は。羨ましいです。」
「まあ、前世からの腐れ縁なので。ね、姫。」
「そうね、おりん。」
三人は大笑いしたが、前を歩く二人にも聞こえていて、隠れてクスクスと笑っていた。
相変わらずそんなガールズトークを繰り広げながら、一行の行軍は進んでいた。
「時に美姫殿、お竹様探しはいかがですかの?」
円龍が振り向いて声を掛けた。
「今のところ、どうもそれらしき人は思い浮かばないんです。」
「左様ですか。」
円龍はそれだけ言うと、黙った。
古戦場近くまで来ると、ムードのいい散策スポットとはかけ離れた雰囲気となっていた。
さすがに、兵どもが夢のあとと謳われ、亡くなった兵士の魂が未だに多数浮遊していると言われる、霊場であった。
「元、そろそろか?どうも怪しい邪気を感じるが。」
「後、もう少し先です。」
そう言って先を歩く元は、少し先を指で指し示しながら加えて言った。
「その辺りは、関ヶ原の戦いで、西方が開戦早々切り崩されて、敗走を余儀なくされた辺りです。」
元の言葉を受けて、美姫が詳細を語り始めた。
「その敗走の原因は、味方の裏切り。小早川秀明の裏切りが有名だけど、その前に、その裏切りを察して手配しておいた味方にも裏切り者がいて、その行動が西軍の敗走の引き金になったのよね。」
「ええ、そうです。さすがお詳しいですね。」
「小川祐忠と赤座直保よ。しかも、この二人、事前に東方との密約も無く、勝手に裏切ったから、家康様からも功績を認めてもらえず、領土を没収された間抜けよ。風見鶏的などっちつかず。最後に保身のために人を裏切って、私は大嫌い。関ヶ原の後直ぐに病死や事故死してるけど、いい気味だわと思ってしまう。そう思う自分も嫌だけど。」
ツンとした仕草で、歩きながら美姫は元に顔を向けた。
そうした美姫の振る舞いに、元はすぐに同意した。
「全く僕もそう思います。片倉さんが仰ることに間違いはありません。それが正しいことです。」
杏子は、元の美姫に対する従順ぶりに、『お前は美姫の家来か!?』と、その言動に好感と反感の入り交じった思いを抱いていたが、紗有里が「勝田さんて、美姫先輩の家来みたいに見えますね。」と小声で伝えるので、『お前もそう思うだろう?』と言うジェスチャーで、それを示していた。
「信じていた家来の裏切りに合うなんて、さぞ悔しかったでしょうね。返り討ちにしてやりたかったのに、出来なかった。その思いはきっと相当強い。」と美姫が言うと、「小早川秀秋への呪いの言葉は、本当かも知れませんね。」と元が被せて言った。
「さっきの二武将の死も、もしかしたら、大谷刑部さんの呪いかも知れないわね。」
そう言いながら、美姫は元の顔を見た。
すると、「だとしたら、まだその呪いが続いているんでしょうか?」と、元が意味深なことを返し、「もう少し先です。」と歩を進めた。
そんなやり取りを、円龍は黙って聞いていた。
「この辺なんですが、何か感じませんか?」
美姫は、元に合わせて足を止めると、彼の指さす辺りを眺めた。
まだ陽の高い時間だが、辺りは木々に覆われて広葉樹の葉が日差しを遮っていた。昼間なのに不気味感いっぱいで、何かいるのは間違いないと言う妖しさを充満させていた。
「実はあの辺り、大谷刑部さんが自害した場所では無いかと言われてるんです。」
「そう。それで、勝田君には何か見えるのね。」
美姫は元に向き直って、言った。
「僕には、あそこに黒い霧の塊が見えます。この前来た時よりも大きくなっています。芦原さんや紗有里さんも見えるんじゃ無いですか?僧はいかがですか?」
当たり前のように言うので、杏子はちょっとムッとなった。『お前に指図される覚えは無い!』と言いかけたが、美姫に「どう?」と言われて、その言葉を咄嗟に引っ込めて、紗有里に言った。
「紗有里、どうだ?お前の霊感レーダーに何か感じるものはあるか?」
円龍も紗有里を見て、その回答を待った。
「はい、もの凄くいやな空気を感じます。これ以上近付くと、何かいけないような、怖いような。」
「そうか。じゃあ美姫、霊視してみるよ。」と主体的に視ると言う姿勢を強調しつつ言うと、美姫が「お願いします。」と言うので、すっかりと機嫌が治った。
杏子は、いつものポーズで霊視を開始した。
『げっ!勝田の言う通り、真っ黒な塊が見える。』
「杏子殿、どうじゃな?」
そのままを伝えるべきか、少し考えたが、ここは美姫に委ねることにして、様子を伝えた。
「何かとぐろを巻いてるって言うか、まるでブラックホールみたいな、メッチャヤバい。今までに見たことが無い位の、何というか、、、。」
「それはきっと、色んな魂の塊ね。中心になっている何かがあると思う。」
「いや、霊視だけじゃ無理だ。分らない。」
「いや確かに、やめておいた方が良さそうじゃ。話が分る相手じゃ無いぞ。」
円龍が錫杖を掲げて何かに備えていた。
「今日はまずは下見ということでしたから、引き上げますか?」
元の提案に、円龍は「そうじゃな。」と言いながら美姫を見た。
「そうね、あれが西方の悪鬼かもしれない。だとしたら、円龍さんが仰る通り役者が足りないと言うことよね。」
と言う話で纏まりそうになっていた時に、突然美姫が叫んだ。
「ダメです。今ではありません。今出て来てはいけません!」
「どうしたのじゃ?」
「美姫!どうした!?」
円龍と杏子がすぐに心配して声を掛けた。
美姫が急にどこを見るでも無く、視線を宙に這わせながら、慌てているのは、傍から見れば明らかにおかしい。
「ダメ!石田様、まだダメです!」
〘刑部の気配がある。大変強い奴の気配だ。〙
石田三成の魂が、美姫に思念を送り、美姫の中から飛び出ようとしていた。
他の者たちには、何が起こっているのか当然分からない。
「三成さんか、なんで言うこと利かないかなー!」
杏子が思わず呟いた。
「杏子殿、それは石田三成様のことですか?」
円龍が杏子に問い掛けると、若干『しまった』と言う表情を見せながら「まあ、そうなんだけど。。。。」と口籠もった。
「元っ!力を使え!!美姫殿に何か起こっておる。皆に分かるようにするのじゃ!」
円龍が慌てて指示を出した。
「はい!」
元は、すぐ様、手を前に突き出すと、印を結んだ。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行」
元の後ろに千手観音像が姿を見せ、光を放ち始めた。
隣で、円龍が錫杖を掲げながら、経を唱えていた。
「姿を見せよ。」
円龍がそう言うと、白くモヤモヤとした霧状のものが現れ、その中に人の姿が見えた。
「石田様!」
美姫が叫ぶ。
「やっべー、ちょっと早過ぎだよ。焦り過ぎだって!」
杏子は紗有里の手を握りながら気配を伺った。
「何故に此処に石田様の魂が?佐和山の祠に封印されたのでは?」
円龍の問いに美姫が答えた。
「あのままあそこに放って置くわけにはいかず、やむを得ず、仮成仏をして貰いました。本当に時間がなくて、あのままでは怨霊になってしまうと心配で。だから、大谷様を見つけ次第出て来て貰うつもりだったんです。でも、今じゃなかった。」
「しかし、出てしまったからには、何とかせねばならん。元、石田様をお守りしろ!」
「はい!」
元は返事をすると、黒い霧の前に出て、身構えると、美姫は白い霧の中に向かって視線を這わせながら問いかけを行った。
「石田様、大谷様の気配はどこからしてますか?」
〘そこの黒い塊の中心部。良からぬ多数の強い魂が、奴の周りを取り巻いている。〙
三成からの返答を聞くと、美姫は円龍に向かって言った。
「やっぱり、あの黒い塊の真ん中が、刑部様です!」
「そうですか。」
円龍は、美姫がそのように霊との交流が出来ることには、何も疑念を持たずにそう回答すると、続けて言った。
「大谷刑部様を如何にして救い出すか、考えねばなりませんな。」
「はい。」
美姫は、この状況をどうにかしないと、と言う思いで精一杯だった。
〘刑部、待っていたぞ。いざ、我と共に参ろう!〙
三成が、黒い霧の中心部に問い掛けをしていた。だが、何も返事が無かった。ゴーゴーと言う雑音の様な思念が届くだけで、声らしきものは聞こえなかった。
そんなやり取りが聞こえているのも、美姫一人だけだったが、杏子はタイミング良く紗有里に声掛けをした。
「紗有里、何も聞こえないか?」
「はい、、、いえ、呻き声にも似た、怨みの声の様な、そんな思念が感じ取れます。なんか、色々と入り混じって、男性、女性混ざって、ああ、気持ち悪くなって来た。」
「紗有里、それ以上やると、紗有里が取り込まれるから止めて!」
美姫が紗有里を制止すると、杏子が言った。
「美姫、どうする?三仏の力でも何とも出来ないか?」
「分からない。」
円龍たちは、石田三成の霊に寄って来る小さな魂を、傷つけない様に一つ一つ成仏させながら祓っていたが、多勢に無勢で部が悪かった。
「でも、このままだと、石田様が取り込まれてしまうかもしれない。杏子も、円龍さんたちに加勢してくれない?」
「いいけど、紗有里は誰が守る?」
「私が傍にいる。」
「分かった。」
「杏子、魂のカケラ、傷つけない様に気を付けてね。成仏させてあげて。」
「承知!」
杏子は、円龍たちの所に走った。
「紗有里は私から離れないでいてね。あの黒い塊に近づいて見る。」
「はい。」
美姫は、ズイズイと歩を進めて、塊に近寄った。
「美姫先輩、ああ、勝手に頭に入って来ます。女の人の声、絶対に許さないって、、、。」
「紗有里、大丈夫?ダメそうだったら言って。私もまだ力のコントロールが出来なくて。だから、ダメだったら、離脱する様にみんなに言うから。」
「美姫先輩、私は、大丈夫。ああ、言ってる、絶対に許さないって。それは、大谷刑部さんのことみたいです。」
美姫は「え?」と思わず口に出していた。
「何故、大谷刑部様が?、、、どう言うこと?」
大きな疑問が沸き起こるだけだった。そして、その疑問をそのまま、
「あなた達は誰なのか教えてください。何故、そこで大谷様の魂を取り込んでいるのか、教えて。」
黒い蜷局の怨霊達は、怨霊化している大谷刑部の霊の回りをグルグルと飛び回って、取り囲むようにしていた。
〝阿梅さん、力を貸して!〟
美姫はそう強く念じて、体の前で手を合わせた。
すると、次第に色々な思念が、美姫の中に呼び込んでくるのが分った。
〘秀吉を許さない。秀吉を許さない。秀吉に
〘そうだ、そうだ、そうしてやる。〙
〘絶対に許さない!〙
〘此奴は、われらの餌食。逃がすものか。〙
〘だめじゃだめじゃ、秀吉もその回りの者も全てが難い!〙
美姫の耳に、いや心に、数々の憎悪に満ちた思念が、言い換えれば、黒い蜷局を巻いた魂たちの思いの丈が、一気呵成に流れ込んだ。
「そう言うことなのね。分かった。。。でも、この想い、強力で何て沢山の魂の数なの。どうしたらいいの?」
美姫は蜷局を巻いている魂たちの思念は読み取れたが、その思いをどう処理して良いのかが分らなかった。
呆然として、想いを受け取るだけで、動けずにいた美姫に、杏子からヘルプの叫びが聞こえた。
「美姫ーっ!やばい!三成さんが黒い魂に引き寄せられてる!」
美姫はハッとして、声の方に向いた。
〘ぎょうぶ、おまえを、そのままにしてはおかない。必ず、連れ帰るぞ。ぎょうぶっ!意識をしっかり持てっ!〙
石田三成の魂は、美姫により既に成仏をした形になっている。それが引き込まれてしまっては、浮遊している魂の欠片と同様、エネルギーとして吸い尽くされて、消滅をしてしまう運命となるしか無い。
「石田様っ!」
美姫の叫びが能力の覚醒に繋がったのか、突如として阿弥陀如来が姿を現した。
〘ぐわーーーーっ!!!〙
〘うえーーーっ!!!〙
〘やめろーっ!!!〙
蜷局を巻いていた黒い魂の数々が、呻き声を上げながら、散り散りに空に舞った。
〘刑部ーっ!目を覚ませ、儂じゃ、石田三成じゃ!刑部ーっ!〙
それまでグワーングワーンとしか聞こえていなかった中心部から、声が聞こえるようになった。それも地響がするような、身体を通して聞こえ来る異様さを以て伝え来る声だった。
〘誰だーっ!この儂を、起こす奴は誰だーっ!〙
「大谷刑部様っ?」
〘刑部っ!お前か、儂じゃ、石田三成じゃ!目を覚ませっ!〙
三成の霊が、黒い霧の中心部に引き寄せられるように近付き、大谷刑部の魂との接触をしようとしていると、ちりぢりに離れていた黒い蜷局の霊たちからその思いが、美姫に伝わって来た。
〘おのれー、この光、眩しい。〙
〘近寄れぬ。〙
〘くそぅっ、ここまで我らを苦しめて、尚も虐げるというのかっ!許せぬ、何という無慈悲、、、、この者達に罰は無いのかっ!〙
〘許せぬ!〙
〘なんと口惜しいことか!〙
美姫は、この蜷局を巻いた魂達が、何故にそれほどに苦しみ、それほどに恨みを持って、大谷刑部や石田三成を追い詰めようとしているのか、それが分っていても、それを支持することは出来なかった。
「もう止めて!これ以上、あなたたちに苦しみを与えたくは無い!私は、大谷刑部様と石田三成様を救えればそれでいいんです!」
美姫がそう叫ぶと、阿弥陀如来の輝きは一段と強くなり、黄金色に目映い光を放ち、辺りを飛んでいた小さな魂のカケラは、次々と浄化されて姿を消して行った。
「何というお力。さすがは阿弥陀如来様じゃ。」
円龍も元も杏子も、既に力を閉じ、美姫の放つ力にただただ見入っていた。
美姫の三成霊と大谷刑部霊を救いたいという思いが、大谷刑部の魂を揺り動かした。
〘お、お、おお、、、、おまえは、、、、三成か、、、。〙
阿弥陀如来の力で浄化が進み、大谷刑部の魂に正常な感覚が戻りつつあった。
〘刑部、意識が戻ったか、、、儂と共に参ろう。一緒に、この世を去るのだ。ここでのやることは終えた。〙
〘そうはさせるか。こやつは私らに誓ったのだ。こやつの魂は私らのもの。お前も取り込んでやる!〙
「なんで!?なんでそこまで?」
黒い蜷局は、猛烈な勢いで数を増し、より大きな蜷局となって刑部の魂に向かって降りて来た。
「止めて、止めて、あなたたちを傷つけたくない!」
美姫は、いつしか涙を流していた。
「だめ、来ないで、来ないで!」
だが、黒い大きな蜷局となった魂の塊は、大谷刑部の魂に向かって来て、幾重にもなって巻き付いた。
〘みつなり、儂のことはもういい。お前だけ行け。儂は、魂を売った。恨みさえ晴らせればそれでいい。だから、おまえは、・・・。〙
それだけは思念として美姫に届いた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。あなたも救いたいけど、この魂たちを傷つけることは出来ない。必ず救います、あなたも、その回りの黒い魂も。。。だから、待っていて下さい。」
美姫は、胸の前で手を合わせ、そして一礼すると三成の霊に向かって言った。
「石田様、一度戻って下さい。」
美姫は体勢の立て直しをするしか無いと、三成の霊の回収に努めたが、三成は聞かなかった。
〘ダメだ!儂は心に決めておる。こやつが来られぬなら、儂もここに残ると。〙
「聞いて、石田様。私が必ず助けます。だからお願い、今は私の言うことを聞いて!」
〘いや、儂はこやつを裏切らぬ。ここに残る。〙
「ダメです。それ以上近寄ると吸収される。」
一人で慌てている美姫の側に、円龍が近寄って問い掛けた。
「美姫殿。何が起こっていなさるのじゃ。説明して下され。」
「石田様が、ここに残ろうとしてしています。でも、それだと魂が吸収されちゃう。」
取り乱したように美姫が言った。
「あの黒い大きな蜷局の霊は、何とも出来ませんか?如来様のお力で。」
「さっき、私が強く思いを込めたら、彼女たちは苦しそうにして逃げました。もはや怨霊として留まりすぎて、成仏できる期間は過ぎてしまったのかも知れません。力を使ったら消滅してしまうかも知れない。それじゃあ、可哀想すぎて、私には出来ません。でも、彼女たちを外さない限り、大谷様の魂は、この地に縛られていて、それを外すことが出来ない。私、どうしていいか分らない。」
「美姫殿、温情は捨てなければならない時もある。それがまた、優しさと言うこともある。決断なされよ。」
その言葉を受けて、美姫は円龍を強く見返した。
「美姫、、、。」
杏子は、美姫のその覚悟を持った目を見て覚った。そして、それを代弁するかのように、言葉にした。
「美姫。三成さんを兎に角一度戻そう。力尽くで。戦力不足だったんだ、元々。出直そう!」
美姫の顔に生気が戻ったようだった。
「うん、分った。杏子、ありがとう。」
美姫は、強い意志を持って三成の封印に掛かった。
〘待て、待て、儂は奴を連れて行かねばならん。止めてくれ!〙
仮にでも、一度成仏をしている魂は、この世に長く留まることは出来ない。美姫の如来の力によって、三成は引き込まれて封印された。
「はあ、はあ、はあ、やっぱり、役者が足りなかったのよね。」
「そうそう。一度退却して、戦力を整えようぜ。」
「さあ、そうと決まれば長居は無用じゃ。引き揚げましょう。元、しんがりを頼むぞ。」
「はい、お任せ下さい。さあ、急いで。」
円龍は、美姫たちを先導して、関ヶ原駅に向かって行った。
杏子と紗有里は、美姫の両脇に付いてその後を追った。
《9ー3 退却》
暫く歩いていると、元が走って来て、一行に追いついた。
「ご苦労じゃった。」
「ありがとう。」
円龍が労いの言葉を掛けるのに続けて、美姫もお礼の言葉をかけた。
「いえいえ、お役に立てて。」と、元は軽く会釈をして返した後、「ところで」と、続けて回りの顔色を窺いながら、美姫に声を掛けた。
みんなも、美姫には聞きたいことが色々あった。
霊との会話内容など、分らないこともあったし、そもそも霊の正体は一体何なのかと言う事もそうだった。
だいたいのことは、美姫の台詞と説明だけで大凡の見当は付いたけども、ハッキリ分ってる訳ではない。
でも今は、その時ではないと思って、気を利かせていた。
その静寂を、元の「ところで」が、打ち破ろうとしていることに、皆一様にビクリとしていた。
そんな空気を感じ取ったのか、少しトーンを落として、元が続けた。
「聞いても大丈夫ですか?」
少し間があった。
「そうよね。何があったのか、知りたいわよね。」
美姫は、杏子や紗有里に向かっても、問いかけの言葉を投げた。
「美姫が、話してもいいなら。」
杏子がそう言うのに、紗有里もこくりと頷く。
「あそこには、大谷刑部様の魂があって、石田様も出て来てしまったのだけど、その回りに、黒い蜷局を巻いたいくつもの魂があって、その魂と、恨みを晴らすための契約をしたみたいなの。そして、その蜷局を巻いた黒い魂たちは、女性の魂で、不条理に殺されてしまった魂たちだった。」
それの補足をするように、円龍が口を開いた。
「儂が思うに、三条川原で不条理に殺された、豊臣秀次の女達ではないかと。」
「三条川原って、京都だろ?なんで関ヶ原まで来てるんだ?」と杏子が問う。
「ある日突然前触れもなく殺されると、その場に留まるしかないのじゃが、不条理でも死ぬ用意をしてから死んだ者は、そこには留まらないことが多い。もちろん、成仏できた魂もあったじゃろう。しかし、残念ながら成仏できなかった魂は、浮遊する。秀吉憎しの思いで、大坂城の秀吉の回りをふよふよとしていたのかも知れん。そんな頃に、死が既に迫っていた大谷殿を見付けた。大谷殿は、関ヶ原で強い憎しみを持って亡くなる。そしてそのまま、その魂に取り憑いて怨霊となった。と言うことではないかの。」
「正にそうだと思われます。ご存じだったのですか?」
「そのような言い伝えが寺にありましてな。恐らくこれじゃろうと。」
「確かに秀吉が憎いと。そして、秀吉に与している者も憎いと言ってました。理不尽な殺され方をした女性たちの魂でした。悲しみがもの凄く伝わって来ました。あの大谷刑部様の魂が、地縛霊として強い憎しみの思念を発していたので、その回りを取り巻き、邪な魂や小さな魂のカケラを呼び込み、成長していったように思います。」
「その、蜷局を巻いた黒い魂たちは、なんで秀吉の魂に取り憑かなかったんだ?」
杏子が円龍に疑問をぶつけた。
「恐らくじゃが、秀吉は思いのままに生きて、寿命尽きて亡くなった訳じゃ。この世に未練がなかったのじゃ。だからあっさり成仏が出来て、霊が取り付く島もなかった、と言うことだったのではないかの。」
「ハッキリ言って、クソな奴だな。」
「杏子、それは言い過ぎ。あそこまで成り上がるのは、それだけの人物よ。それに、残念ながら阿梅さんのお父様、真田信繁様は豊臣方なのよ。」
「あ、・・・そうか。クソッ、なんでそんな奴の味方に!」
「
円龍が、一応のフォローを入れた。
「それで、その可哀想な女達を、美姫は葬る訳にはいかなかった、と言う訳か。それは美姫らしいし、私も賛成だ。何とかしてやろう!クソな奴に代わってさ。」
「僕も、出来る限りのことをします。何でも言って下さい。」
「私も協力します。美姫先輩!」
「一つに纏まったようじゃな。やるしかあるまい。」
「みんな。ありがとう。」
美姫は、必ず全ての霊を助けると、新たな思いが宿った。ぐずっている暇は無い。
そこで、ふと我に返った。
自分の持つ力は、既に秘密では無くなったのだ。何故に、円龍たちはそれを聞いては来ないのだろうか。
『もしや、ご存じだった?』
美姫のそうした疑問は、果たしてその通りであった。
古戦場を抜けて、関ケ原町の町並みからやや賑やかな声が聞こえ始めた頃、円龍が、美姫の傍らに来て言ったのだった。
「やはり、美姫殿は阿弥陀如来様のお力をお持ちだったのですな。初めからそうでは無いかと、思っておりましたが。」
「初めから?」
美姫は問い返して、笑みを溢した。
「私自身、それを知ったのはつい最近ですので、私よりも先に気が付かれていたんですね。」
「本当はもっと早く気が付かれていたのではありませんか?目を背けていただけで。」
円龍の鋭い突っ込みに、美姫は何も返せなかった。
《9ー4 新たな使者》
そして、その日の夜だった。
美姫は明け方近くに変な夢を見た。
枕元に綺麗な着物を着た女性が座っていた。
美姫は慌てて起き上がり、「誰ですか?」と尋ねた。
だが、その女性はただ微笑むだけで、何も答えなかった。
不思議に思って、もう一度尋ねた。
今度は、丁寧に聞いた。
「あの、どちら様でしょうか?」
そう言いながら、布団から抜き出て、その女性の向かいに座った。
その女性は、相変わらず微笑むだけだった。
美姫は、おかしいと思って、「あの、、、」と言って、その女性に触れようとした。
その途端、女性はスッと姿を消した。
「えっ!?」
目の前で、突然姿が消えてビックリした時、美姫はガバッと布団から起き上がった。
「えっ!?」
確かに先程布団から起き上がって、女性の前に座っていたはずなのに、今、布団から起き上がっていた。
「え?なに?夢だったの?」
暫く、辺りを見渡しながら、呆然としていた。
「あれは、誰かしら。見覚えが無いけど、知ってる人かな?」
未だ呆然としている美姫に、又兵衛が声を掛けた。
〘阿梅様、いかがされましたか。〙
『ああ、又兵衛か。いや、何でもない。』
〘しかしながら、今、お松様の気配を感じましたが。〙
「え?お松様?」
〘阿梅様はご存じないでしょうな。加賀の前田利家様のご正室の、お松様でございます。〙
「え?加賀の前田松様?」
〘お松様は、関ヶ原の後は、ずっと江戸にいらして、阿梅様が産まれたのは、関ヶ原の後ですから、ご存じないのも無理からぬことです。〙
「どうして、又兵衛は知っているの?」
〘私も結構な年であるのは、ご存じでしょう。その昔、お松様がいらした家でお仕えをしておりました。ところが、色々とあって、私はその後、口利きをいただき、今の真田様にお仕えすることとなった次第です。ですので、大変恩義がございます。〙
「そうなんだ。。。お松様。『まつ』・・・。あーっ!!」
《9ー5 竹はいずこ》
美姫は、この出来事を、電話で杏子に話した。
既に季節は十二月の後半。クリスマスで世間は賑わいを見せるところだが、授業も試験に直結した内容になることが多く、遊んではいられない。
学生もたくさんいる中で話すには気兼ねするというか、声を潜めた会話にならざるを得ない。
特に、二人は学校では有名人で、注目されているから尚更だ。
だから、敢えて、直接では無く、美姫は電話での会話を選んだ。
「お松さんが?え?まじか。それって、例の『まつたけうめ』の『まつ』なのかも知れないって、美姫は思うんだ。」
「有り得ることじゃない?だって、ここに来て、行き成りお松様が出て来るんだよ。」
「もうしっちゃかめっちゃかだな。坊さんの世迷い言じゃ済まなくなって来た。」
「杏子も、信じざるを得なくなったでしょ?」
「まあ、かなりね。で、どうする?紗有里には話すにしても、坊さんや元にも話すのか?」
「それはちょっと大ごと過ぎるかも知れない。どうしよう。お松様に会うって、どうしたらいい?」
「加賀の前田家に行ってみるとか?」
「う~ん、・・・」美姫は少し考えた。
「行き成り行っても、会ってくれないよね。それにどう説明していいか。」
「だね。」
「やっぱり、円龍さんに相談しよう。」
「しゃーねーな。」
と言う会談の後、美姫は円龍に電話で話した。
「何ですと!お松様が。詰まりは、まつたけうめは、お松様、お竹様、阿梅様の三人と言うことになる訳ですか。これは驚いた。」
「そうだとしたら、お松様にはどうやって会えますか?」
「そうですな。お松様は、最後は
「でも、阿梅さんは、生まれてからずっと九度山にいて、そのまま大坂の役です。どうしてお松様との関わりが出て来るのでしょう。」
「さて、大坂の役の後、どこかで袖擦り合ったか、分りませんからな。」
「それじゃあ、お松様も生まれ変わりが?」
「とは言え、お竹様も見付かっておりませんから、それは何とも・・・。」
「そうですね。」
煮詰まった結果、円龍が少し時間を欲しいと言うので、そこで電話は終った。
円龍が電話の最後に、「そのお侍さんは、お松様と分って、何か声を聞いたりしなかったのでしょうか。」と聞いたので、美姫は電話を切った後、すぐさま又兵衛を呼び出して聞いた。
しかし、又兵衛も何も聞いていないとの回答だった。
〘ただ、何か訴えかけていたような感じがしておりました。〙
『訴えかけていた?』
〘はい、私は、そのように感じました。〙
そして、またその夜。
美姫は明け方近くにまた同じ夢を見た。
枕元に綺麗な着物を着た女性が座っていた。
美姫はハッとして起き上がり、布団脇に出ると正対して座り、尋ねた。
「前田松様でございますか?」
その女性は、またしても微笑むだけだった。
「私に何かご用があって、いらして下さったのですよね。」
美姫は聞きたいことをただ尋ねた。
「私に何をさせたいのでしょうか。教えて下さい!」
それでも何も回答が無かった。
が、今回は手に何かを持っていることに美姫は気が付いた。
「それは?」
女性は、その問いに対して、意味深に一度瞬きをして見せた。
「教えて下さい。それは、何でしょう?」
美姫の問い掛けに、頷きを見せたように見えた。そしてまた美姫が、その手に持った物をよく見ようと側に寄った時、その女性は姿を消した。
「あっ!」
美姫が呆然となって辺りを窺っていると、美姫は布団の中にいることに気が付いた。
「えっ?」
と言うところで目が覚めた。
「ええっ?いったいどこからどこまでが夢なの?」
美姫は起き上がって辺りを見渡した。
『又兵衛、いますか?』
〘はい、こちらに。〙
『また、お松様がいらしてませんでしたか?』
〘はい。お松様の気配に気が付きました。この度は、何かお持ちのようでした。〙
『ええ、又兵衛。何を持っていたか分りますか?』
〘あれは、何でしょうか。細い筒状の物のように見えましたが、巻物でしょうか?〙
『巻物?・・・巻物。そうですか。ありがとう。』
〘お役に立てましたか?失礼致します。〙
又兵衛の気配が消えた。
美姫は、またそれを杏子に電話で話した。
「へー、巻物か。それを美姫に渡したいのかな?」
「分からないけど、どうしようかな。今夜も何か夢を見るのかも知れないし。私は、履修している授業は今期終わったから、動けるんだよね。杏子は?」
「ああ、私ももう無い。美姫が行くなら一緒に行くけど、どこに行く?」
「行くとしたら、金沢ね。前田家の資料館みたいのがあるのよ、ネットで調べたら。」
「ふーん、ああ、これか。前田土佐守の資料館とかになってるけど。これ?」
「うん。円龍さんからの話だと、土佐の前田家と言うのがあって、お松様縁の物はそちらに所蔵されているかも知れないって。だから、前田土佐守資料館だったら、もしかしたら何かあるかもって思って。」
「へー、そうなんだ。円龍のおっさんに言ったら、一緒に来るって言うかもしれないな。」
「勝田君も来たりして?」
「そうなったら、紗有里も呼んでやらないとだな。」
「そこまではしなくていいかも。」
「じゃあ、久しぶりに二人旅と行きますか?」
「そうね。今夜また新しい情報が無ければ、早速明日にでも。」
「了解。因みに、泊まりじゃ無いよな?いきなり土佐に行くとか無いよな?」
「ふふふ、多分ね。」
そして、翌日。
その日は、特別おかしな夢は見なかった。
美姫が金沢に行くことに安堵して出なくなったと、いい方向に捉えることにした。
平日だと言うのに、年の瀬が迫っていたせいか、金沢行きの新幹線は、思いの外席が埋まっていた。
それでも、今回は2人だったから、それ程に囁く声じゃなくても、周りに聞こえる心配は無さそうだったのは、案外ストレスが無かった。
「取り敢えず、資料館を見て回る感じ?」
「そうよね。まずはそうかな。前田家の当主に会いたいって言っても、不審がられるだろうしね。」
美姫は自虐の笑いを見せた。
「じゃあ、正体を明かしてやるか。」
「もっと不審がられるって。」
美姫は笑った。
東京から金沢までは、凡そ2時間半。
午前中のうちに金沢に着いて、そのまま資料館に向かった。バスで10分程だったから、直ぐに到着出来た。
早速入館料を払って、資料館に入った。中は静かだった。整然と陳列された文化財の数々に、まずは目を奪われた。
そうして、取り敢えずは陳列物をじっくりと見て回っていると、2人の目に見慣れた人物が映って、一様に驚いた。
「円龍さん。」
その声を聞いて、円龍は振り向くと「おやおや、これは驚いた。直々に来られましたか。」とニコニコと笑顔を見せた。
そして手招きをすると「こちらは、ここの館長さんです。」と言って紹介を始めた。
「実は、色々と説明を伺っていたのですが、お松様に関わる何か伝承のことをご存知ないか、お尋ねをしていたところなんです。」と言って、今度は美姫の紹介を始めた。
「館長、こちらは、真田阿梅様です。」
これには流石に美姫も杏子も唖然とした。
ところが、一番驚いていたのは、館長だった。
「円龍和尚、今何と言われました!」
「真田、阿梅様です。」
「そんな!えええっ!!本当に、本当に、あなたが阿梅様ですか?」
美姫は、何か意図が有ってのことと察して、否定も肯定もせず、じっと館長を見据えて言った。
「お尋ね致します。こちらに、お松様からお預かりしている、巻物はございませんか?」
館長はそれを聞いて腰を抜かした。
「はー、えー、本当に、本当に、いらした!!!、、、これは大変だ、大至急、ご当主にお知らせをしなければ!」
そう言うと、ポケットから携帯を取り出して、電話をかけた。
「至急、当主にお知らせをいただきたい。阿梅様がお見えになりましたと。」
その後、館長も落ち着きを取り戻して、3人を応接室に通して、そこでお待ちいただくよう伝えると、姿を消した。
暫く待った。
当主が来るとのことだったから、待つしか無かった。
事務員がお茶やお茶菓子を出して、待たせて申し訳ない旨を告げて、部屋を後にした。
かれこれ小一時間待った頃、バタバタと音がしてドアが開いた。
そこには、
「お待たせをして申し訳ない。私が、前田家の現当主でございます。」
「お待ちしておりました。」
円龍が答えると、当主が逆に答えた。
「いや、お待ちしていたのは、こちらでございます。実に、400年お待ち致しました。その時が本当に来たのかと、感慨も深い。」
当主は、しみじみと語った。
「して、阿梅様は、こちらでございますか。」
当主は、美姫に向かって、それを言った。
「見ての通りだよ。私の筈が無いだろう。」
杏子がそう言うと、当主は軽く会釈をした。
「つきましては、その家宝と言いますか、伝承の品をお見せいただけますか。」
円龍からの申し入れに、当主が言った。
「いや、これは阿梅様に直接手渡しをする決まりなので。」
改めて当主は、美姫に向き直ると、「阿梅様。大変恐縮ですが、阿梅様と証明出来る何かをお持ちですか?」と質問をした。
「証明出来るもの。。。」
美姫はちょっと考えて、杏子と円龍に目をやった。
「いや、当家の祖先、お松様からの預かり物である巻物がある事は、外部には秘密にしておりました。その宛名が阿梅様である事も同様。従って、それを所望して来られた事自体が証明とも言えますが、これと言う形のあるものが欲しいと、この後に及ぶと思うのです。何せ、400年お待ちしておりました。間違いがあってはいけません。」
当主は神妙な顔で訴えた。
「確かに。」
美姫にもそれは理解出来た。と言うよりも、当然の事と思えた。
「ですが、私を阿梅と証明出来る人は、1人しかいません。その人は、いつも私の側におりますが、皆さんには見えないお方で、声も聞こえません。」
当主は眉をひそめて美姫を見ると、じっとして考え込んだ。
「そんな話をしたら、変な人だと思いますよね。」
美姫は、気不味い笑みを浮かべて、溜息をついた。
「困りましたな。儂らは鵜呑みに信じておりましたが、それが違うと思ったことはただの一度もありませんでした。そして、それを証明するだけのお力も見ております。」
「お力を?さて、それはどの様な。」
当主の円龍への問い返しに、美姫は首を振った。
「円龍さん、それはここでは。」
それから少し沈黙があった。
ほんの数秒だったが、気不味い時間は長く感じられた。一番気不味く感じていたのは、当主だったかも知れない。
「変な質問かも知れませんが、お梅様は、本名が真田阿梅様なのですか?」
当主からの質問に、美姫は一度円龍に目を向けてから、直ぐにその目を当主に戻して答えた。
「いえ、本名は片倉美姫と申します。伊達藩の家臣で片倉小十郎重長の末裔に名を連ねております。」
「あ、阿梅様の?」
当主は、少し混乱をして来た模様だった。
「どうじゃろう、一度その巻物をこちらの美姫殿に、お見せいただけないじゃろうか。美姫殿にしか分からない事があるかもしれませんぞ。」
「私は、当家の言い伝えを実行したい。400年の後に阿梅様がこの巻物を取りに来るから、渡して欲しいと、お松様が言い残されたことを、今まさに実行する。私の代でそれを行えると言う誇りと責任に、立ち竦んでおります。ご容赦ください。巻物の形状とか特徴とかはご存知ですか?」
美姫は、真っ直ぐに当主を見て答えた。
「お松様が持っていたのは、この位の長さの物でした。」
「何と仰いました?」
「確か、お松様は、この位の巻物を持っておられました。」
「どこでそれを?」
「私の枕元で。」
それを聞いて当主は、真白い絹の布地に包まれた長細い物を、応接のテーブルに置くと、包みを解いた。フワリと絹地が広げられると、そこには桐の箱が現れて、当主はその蓋に手を掛けた。
ふー、と一つ息を吐いてから、意を決した様に蓋を取る。
中には、やはり絹地が重ねられた台座に守られる様に、巻物が一本あった。
真ん中を結び紐で括られて、それを挟む様にして上に『阿梅様へ 』、そして下に『松』と書かれていた。
「こちらでございます。品質管理のために、時々中身を確認させていただいておりました。ですが、親書ですので、書面は広げてはおりません。私も初めて見ることになります。さあ、どうぞご覧ください。」
美姫は、当主を見つめて「よろしいのですか?」と念押しをしてから、円龍と杏子を見てひとつ大きく息を吐いた。円龍と杏子は、何も言わず、ゆっくりと頷いていた。
「失礼します。」
美姫は、巻物を手に取った。美姫の華奢な指が結び紐を摘んで引っ張ると、紐は簡単に解けた。巻紙の端を掴んで、少しずつ広げていく。
紙のカサカサとした音だけが、部屋の中に広がった。
『阿梅様へ
この手紙を、本当に貴方様が読むのか、私には分かりません。
とても不思議な気持ちで書いております。
何故なら、いつか必ずこれを取りに来るから、渡して欲しいと言付かりました。しかも400年ほども後になってとのこと。狐に化かされた思いですが、貴方様に託した事があり、それを達するに、これが必要とのことでした。
そして、貴方様に伝えないといけない事があります。
家康様からのご伝言です。
「救えなくてすまなかった。今、改めて救う故、これに掴まれ。」
以上でございます。 松』
美姫がその両端を持って広げると、両手を左右に伸ばした位で、その巻物は弛みなく広がる位の長さだった。
達筆な書だったが、読むことが出来る書だった。
当主がその書を見て、美姫に聞いてきた。
「これはどう言う意味でしょうか。貴方は、お分かりになるのですか?」
顔を上げた美姫の目には、涙があった。
「はい。分かります。これで救える魂があります。」
いく粒もの涙が、頬を伝って落ちた。
その時だった。
書面の余白と言う余白に、次々と文字が現れて、紙の端々には朱色の梵字が浮き出て来た。
「こ、これは!」
当主は驚いてソファーに仰け反った。
円龍も目を丸くして驚き、その書を覗き込んだ。
「これは、法華経じゃな。」
「法華経!?」
「そして、梵字は全て、如来様を示すもの。阿弥陀如来様、大日如来様、薬師如来様、釈迦如来様。」
円龍の解説に、当主は改めてその書を食い入るように見ていると、円龍は当主に迫った。
「どうじゃな。これでもまだ、美姫殿に疑念をお持ちかな?」
当主は、少しの間、書と美姫と円龍とに目線を走らせてから言った。
「ま、間違いなく阿梅様です。確認させていただきました。そしてこれは、誰かを救うための物だったのですね。」
当主は大きく頷くと立ち上がった。
「阿梅様、お松様からの預かり物、しかとお渡し致しました。」
美姫は、涙に腫らした目を当主に向けて、「はい。」とだけ答えた。
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