第8話 天才剣士の憂鬱

《8ー1 付けの支払い》 


偉業を成し遂げた美姫は、さすがにニュースで取り上げられる話題の人となった。

大会自体には、地元のテレビ局も取材には来ていなかったので、映像は一般客が撮ったファミリービデオしかなかったが、それがまたネットに上げられて話題となり、逆にテレビ局でも使用される形となって、ネットの方で更に沸騰して、再生回数は数日で何十万回と上がっていた。

美姫は美人と言うこともあり、週刊誌は例によって、“美し過ぎる天才剣士“として取り上げた。そのお陰で、過熱ぶりは追っかけが出るほどの過剰人気となって、取材の申込みが、引切りなしに来て、美姫たちは身動きが取れない日々が続いた。

一方で、この大会での円龍の所行も、結構な話題となった。

高邑万里の協力もあって、警察からのお咎めもなく、大会からの責めもなく、その辺は円龍にとっては差し障りなく済んだが、誰かが撮った除霊のシーンが話題となっていた。お祓いや除霊などの問い合わせが少しずつ盛り上がって行き、ついには取材の申し込みまで入るようになると、妙な忙しさに追われる羽目となった。


「さてさて困ったもんじゃな。世間はすぐに加熱しおって。美姫殿も動きが制限されて弱っておるのではあるまいか。」

「申し訳ありません。私が浅はかでした。こんなことになるなんて。」

「いやいや、美姫殿は何も悪いことはない。あの場で、美姫殿が力を出しておったら、世間はもっと加熱しておる。儂に任せて正解じゃ。」

「え?私の力?」

「惚けても無駄じゃ。高邑なにがしに憑依しとった悪霊は、儂が除霊した後、そなた、薙刀の先で浄霊したじゃろう。直接手を触れることなく、しかも一瞬で浄霊するとは、相当の手練れ。儂にもそんな芸当は到底出来んことじゃ。そんなことが知れたら世間は放っておかん。どこからとなくやって来るのは、取材や出演交渉の輩などではなく、宗教の関係者になってたじゃろう。」

「円龍さん、何のことですか?私は何もしていませんよ。それは多分、私に憑いてる堀田さんだと思います。あの時、『儂にお任せを』って声も聞こえましたから。紗有里ちゃんもそんなこと言ってましたし。」

「ほお、、、。まあ、良かろう。いずれにしても、気を付けることじゃ 。人の噂も七十五日。ここはじっと動かんことじゃな。西方の悪鬼も、例の祠も気になるとこじゃが、焦って動くタイミングではない。良いな。」

「分りました。」

美姫は、電話を切ってから、フーと一息ため息を付いた。

〘嘘をついた罪悪感のような感情でございますな。〙

堀田頼幸の声が聞こえた。

『放っといて下さい。人の感情を読むなんて失礼です。しかも女性の感情を読むなんて、デリカシーが無さ過ぎです。、、、あ、いや、デリカシーじゃ分らないわね、えーと、そう、気遣いが全く足りないと言う事です。いいですか、今度やったら許しません。』

〘あ、いや、申し訳ありません。ですが、私は姫を按じております。〙

『私が呼んだ時だけ出て来て下さい。それ以外は、控えていて下さい。分りましたね!』

〘えっ、、、はい・・・かしこまりました。〙

頼幸の気配が消えた。と言っても、完全に消えた訳ではないが、気が萎えたのは分った。

「ふー、人の感情を読むなんて失礼・・・、この私がよく言ったものだわ。やっぱり気が立ってるのかな。」



それから2ヶ月近くが過ぎたあたり、諺の通りとなった。

学校のサロンにすら、学生に紛れて入り込んでいた雑誌の記者たちも、この頃になると姿を消していた。

睦和大学には、最近の学校には必須とも言えるお洒落な喫茶サロンが、当然のように備えられている。最近流行のタピオカドリンクも置いてあるから、いつも結構な賑わいもしていた。

その一角で、美姫と杏子、紗有里の三人がテーブルを囲んでいる。

それまでは学生からも注目されて、なかなか静かに話をするということが出来ないでいたけれども、そろそろクリスマスだの年末年始だのとざわつく季節となって、彼女たちの回りは逆に、以前と同じ静けさを取り戻していた。

美姫を見て目で追う人の姿は、殆ど見られなくなっていたから、その変化は肌で感じられた。


「最近は少し落ち着いて話しも出来る。美姫も災難だったよな。」

「杏子も紗有里もごめんねぇ。とんだ災難に巻き込んじゃって。」

「いや、私達は災難なんてことはないよ。大学で個人戦4連覇なんて、どんな競技だって普通出来ることじゃない。天才と言うよりも超人、話題になって当然だよ。迷惑どころか、逆に鼻が高い。だけど、記者の連中がうじゃうじゃ寄って来て、回し蹴りをくれてやろうかってくらいうざかったけど。ホントマジでイラついた。奴ら遠慮ってものが無いんだよ。」

「杏子先輩もかなり我慢しましたよね。って言うか、かなり怒鳴り飛ばしてましたよね。それで記者の人達も恐れを成して来なくなって。私も気持ちが良かったです。すかーっとして、さすが杏子先輩って思いました!」

紗有里が嬉しそうに話す。

それを聞いて、「さすが杏子。」と囃しながら美姫が笑うと、「だってマジでむかついたんだよ。」と杏子が笑いながら返していた。

「でも円龍さんにも悪いことしちゃった。」

美姫はポツリとそうこぼして、タピオカ入りのドリンクを一口吸った。

「う~ん、でも、向こうも、賑わって良かったんじゃないか?相当行列作ってるらしいぞ、いまだに。」

「そう言うの、みんな好きですからね。そう言えば、麻美さんや万里さんはどうしてるんですか?また憑依されていたりしてないですかね?」

紗有里も美姫に合わせてタピオカドリンクを一口吸って、口に入ったタピオカを噛んだ。

「そうなのよ紗有里、私も心配で。。。例の祠も行けなくなっちゃったし。」

この2ヶ月の間に、美姫が紗有里を呼ぶ呼び方も変わり、“ちゃん“付けではなくなった。それだけ距離感が詰まったことに、紗有里は満足していた。

「そう言えば、そんな話もあったっけ?侍は静かになったまま出て来ないのか?」

「そこは触れないで。出て来られても困るのよ。だから。」

紗有里が、杏子に目で何かを言っていた様に見えた。『何かあったのかしら?』と言っているように見えた。

「そんなことよりも祠よ。杏子も行ける?紗有里はどうする?」

「美姫に一人で行かす訳ないだろ。私はお付きの者だからね。」

悪ふざけがちょっと混ざったような顔で、杏子が答える。

「私も行きますよ。もちろん。私も仲間ですよね。」

紗有里は真顔だった。

「よし、それじゃあ、三人で行こう。」

そうと決まればと、三人のスケジュールを合わせて、行く日程を決めた。

美姫はその場で、麻美に連絡を取り、祠に案内して貰うよう依頼をした。


「麻美ちゃん、元気だったわ。その後も薙刀の鍛錬に余念はないみたいだけど、例の祠はもう近付いてないんだって。」

「そりゃあそうだろうな。行ってたら、余程の間抜けだ。」

杏子が笑いながら言う。

「結構、彼女の方にも取材が来たみたい。何も言わないように最初に釘を刺しておいて良かったわ。万里ちゃんも元気らしいわ。」

「あの、円龍さんはどうしますか?」

紗有里が確認をするかのように、美姫の顔を見て言った。

「円龍さんは忙しそうだから、取り敢えず私たちだけで行こうと思ってるの。」

それでどうかしらと、美姫は二人の顔に目線だけを投げた。

「私はいいけど。」と杏子は、事も無げに返した。

「お二人が大丈夫なら私に異論はありません。」

そう言って、紗有里は残ったタピオカドリンクを最後まで飲み干した。

「じゃあ、一応行くって言う報告だけは入れておくね。」と美姫。

その後は、行程のスケジュール作りは杏子の担当と決まって、その日の会合はお開きとなった。



《8―2 久能の苦悩》


『確かに見たことがある。あれは、だこかで見た。』

若干、時を遡る。

勝田元が、円龍を訪ねて日光を訪れる少し前のことだった。

先般の大学空手選手権大会での杏子との試合で、久能は阿修羅の姿を2回、間近で見て、その姿を目に焼き付けていた。

2回目もまともに食らったのは、その姿をより鮮明に目に焼き付けるためだった、と言ってもいいかも知れない。

『最初に見た時に、やけに懐かしい感じを持って、思わず2回目にじっくりと見てしまった。あの脳天杭打ちは効いたなぁ。芦原杏子、惚れちゃいそうだぜ。でも、あの攻撃、両方から来るように見える回し蹴りはまやかしだ。2回来るあの蹴り、実際には最初は右から、次は左から、それを必死に避けようとしゃがむから杭打ちをまともに食らう。それが阿修羅蹴りの正体だ。そう見せているのが、あの阿修羅だ。俺は見切ったのに、あの阿修羅に魅了されてしまった。』

久能は、その阿修羅像を見たことがあると、記憶を頼りにパソコンでネットの写真を見て、恐らくこれだと思った一体を実際に見てみようと、現地を訪ねていた。

日光山輪王寺。

改築されたお堂の中、三仏がその雄姿を見せている。

左から馬頭ばとう観音像、阿弥陀如来像、千手観音像と並んでいる。

「これだ、この馬頭観音像こそ、芦原杏子の阿修羅像だ!間違いない。これだ。何て美しい。俺はこれに魅了された。」

久能は、暫くの間その像の前から動かず、見とれた。

「しかし、ここは元の叔父さんが住職を務めている寺があるとこだったよな。偶然なのか?芦原杏子と勝田は何か関係があるのか?」

久野は、どうしても知りたくて、そのまま輪王寺に入った。

「結構参拝料取るんだな。貧乏学生には堪えるぜ。」

チケットを受け取ると、階段を上がって境内の中に入って行った。

「円龍和尚って言ったっけ。聞いてみるか。」

久野は、歩いている坊さんを掴まえて、円龍和尚はいるか聞いた。が、いるにはいるけども、何処にいるかは分からないとの返事で、忙しいのでこれでと素っ気なく去られてしまった。

「何だよ。折角参拝料払って入ったんだから、合わせてくれよなー!」

と、ぼやいていた正にその時、雪駄が砂利を擦る音が近くに寄って来るので、気になって振り向いたらその音の主が円龍だった。

「おや、これはこれは、輪王寺にようこそ。デートですかな?」

円龍はそう言いながら、連れは何処に?と言う素振りで回りを見渡した。

「いやいや、こんな貧乏学生、デートの相手なんていませんよ。」

久能が言うと、円龍は改めて彼の格好を見た。正に着の身着のままと言うスタイルに、思わずうんうんと頷いてしまった。

「それでは、今日はご参拝でいらしたのですか。」

「まあ、参拝というか、こちらの三仏を拝みに来ました。」

「それはご熱心に。」

円龍は、そう言うと合掌した。

「特に、馬頭観音像、いや阿修羅像を拝みに参りました。」

久能は、阿修羅像を特に強調して、その反応を読もうとした。

「 ほう、阿修羅像、、、馬頭観音像を敢えて阿修羅像と呼ばれるとは。」

「世間一般では、顔が三面あると阿修羅って思うんですよ。俺も今日までそう思っていたんで。」

「ははは、そうでしたか。」

「んで、その『阿修羅』を見に来たんです。」

ここでもう一度、阿修羅を強調して言った。

「ほうほう。」

円龍と久能の心の読み取り合いのような、視線の合った間が数秒過ぎた。円龍からそれを一度逸らすと「して、ご感想はいかがでしたかな。」と言ってまた視線を戻した。

「円龍和尚は、あの日、どうしてあの会場にいらしていたんですか?勝田は、来ることは知らなかったと言ってました。それなのに、来なければ行けなかった理由があったんですよね。」

久能の鋭い洞察に、円龍も言葉を詰まらせた。

『この者は、何かを知っているのか?余り関係の無い者に首を挟ませるのも、無用なことじゃし、どうするかの?』

「和尚は、あの阿修羅を見に来たんじゃ無いですか?芦原杏子の阿修羅を。」

久能が、鋭い目つきで、ずいと身体を前に出して迫った。

「久能君と言ったかな、時に君は、出身はどちらかな?」

「え?静岡です。」

「ほー、やはり静岡ですか。静岡で、久能と言えば、久能山に何かご関係がおありでは?」

「あー、久能山関係の誰だかの親戚とか遠戚とか。子供の頃は、よく連れて行かれけど、それだけです。」

「おやおや、それでは、この東照宮とも無縁の方では無いですな。」

「んーと、そうは言っても、勝田ほどの直接的な血筋という訳では無いんで。」

「いやいや。」と言いながら円龍は、朗らかな笑顔で大きく頷いた。

「あー、と、そうじゃなくて、、、え?久能山の縁者だと何かあるんですか?」

「いやいや、名前を聞いて、もしやと思うただけじゃ。」

「話を誤魔化そうとしていませんか?俺は、阿修羅の件で、何か知っているんじゃ無いですかって、聞いているんです。」

久能は、円龍ののらりくらりとした話に、少しいらついていた。

「久能君、君はその阿修羅と儂が関係あると思っておるようだが、何故かな。先程来申している通り、ここに祀っているのは、馬頭観音様であって阿修羅像ではないぞ。」

「いえ、俺が見た阿修羅は、間違いなくここの馬頭観音像です。この目に焼き付けたんです。そのために脳天踵落としを食らったと言ってもいい。」

「なんと?」

「それは、俺の魂が、もの凄く郷愁の念に駆られて、何か、メッチャ懐かしいような、超久し振りにあったような、そんな懐かしさを覚えて、見とれたからです。」

『こやつ、もしや杏子殿と同じ様に、以前に馬頭観音様に選ばれたことがあるのやも?』

円龍は、驚きでまた言葉に詰まった。

久能は、全部を話し切って後は返事を待つだけの面持ちで、円龍が口を開くのを待った。

全てを話す訳にはいかないにしても、杏子のことは話してもいいのかも知れないと、円龍は口を開いた。

「 それでは、儂の知っていることを話そう。」

そう言うと、一般の参拝客の入れない、社殿の中に久能を通した。

「芦原杏子殿は、馬頭観音様の化身と同化しておる。その予知があって、あの日、儂は会場に駆けつけた。そして見た。確かに馬頭観音様の化身が現るのを。そして、そなたがそれにやられるのもな。」

「教えて下さい。勝田は、初めからそれが見切れていました。あの回し蹴りが、阿修羅の蹴り、つまりは幻影の蹴りが混ざっていることを、勝田は分っていました。それも最初から。だから正確にそれらをかわして、踵落としも受け切れた。そうですよね。」

「さて、儂は武術のことは良く分らんでな。しかし、それは先に久能君との戦いを見て、それで見切ったのでは?」

「いいえ奴は、いや勝田は、俺が対戦する前、つまり芦原杏子が阿修羅を見せる前から、それが自分には通用しないと言ってました。どうしてそんな自信があるのか、その時は聞かなかったけど、ずっと引っかかってました。」

「ほう。あやつは自信家じゃのぉ。」

円龍はひたすら惚けるしか無かった。

「いやつまり、勝田にも阿修羅を凌ぐ力があるのじゃないですか?と、聞いています。」

「さて、儂はそんな話は聞いたことが無い。そんな秘密が、この輪王寺に?」円龍は、驚きを表して言った。

「ここの馬頭観音の力を持つ者がいるなら、それ以外の力を持つ者がいてもおかしくない。そうじゃないですか?しかも勝田は、円龍和尚の甥っ子。つまりは、この寺の血筋。そういうことです。」

「さて、どうじゃろう。そんなことがあるもんかの?現に芦原杏子殿は、この寺とは全く関係の無い方じゃがの。」

「俺は、ただ知りたいだけなんです。勝田にどんな力があってもいい。でも何で俺は、あの阿修羅を見て、懐かしさを覚えたのか、知りたい。」

「なるほどの。では話そう。あの馬頭観音様の力は、芦原殿が産まれながらに備えておった力では無いそうじゃ。つまり、化身の方が必要に迫られて憑依する形で宿ったと思われる。とすればじゃ、そなたが幼き頃に、或いはそなたの前世やそのまた前世などで、同じ化身が宿ったことがあったとしてもおかしくはない。その記憶が、瞬間的に魂の中に蘇ったのかも知れん。そういうことではなかろうか。」

「前世やそのまた前世、そんな昔か?でも確かにそれはあるかも知れない。」

「謎は解けたようじゃの。まあ、まだ人生始まったばかりじゃ。」

円龍はやれやれと思いながら、久能に出口を案内して、彼を見送りながら思った。

『馬頭観音様が、彼では無く杏子殿を選ばれたのは、美姫殿が関係しているのじゃろう、恐らく。残念じゃったのぉ、久能君よ。』


帰りの道々、もう一度三仏のお堂に寄って、久能は馬頭漢音像を見上げた。

「もっと最近、前世やそのまた前世などではなく、もっと最近、見た気がする。いつだったんだろう。」

暫くそのまま見つめて、やがて帰途に就いた。


それから数日の後、久能は勝田に会って、杏子との関係や勝田の持っている力について、しつこく聞いた。

そして、杏子の阿修羅についての記憶や、自分も見切ったことなど、知っていることも全部話して、元の反応を調べていた。



《8ー3 佐和山の祠》 


十二月の初め、週末を利用して美姫達三人は、予定通り佐和山に向かった。

出来れば日帰りでと、紗有里の希望をきいて、早朝の新幹線で向かったので、米原に着いたのは、まだ午前の早い時間だった。

現地では、麻美の他に万里も一緒に迎えてくれて、そこから総勢5人で祠に向かうことになったのだが、タクシーだと全員乗れないから、それなら徒歩で向かおうと、散策を楽しむことにした。

麻美が万里にも声を掛けたのは、一人で行くのが怖かったのと、やっぱり万里も一緒に来て、一緒に真相が分った方がいいと思ったからだった。

「女子ばかり5人もいると、すっげー女子会っぽい感じだけど、私はちょっと浮くな。」

杏子が自虐的に言う。

「私と杏子は同じ年だから、それなら私も浮いちゃうじゃない。」

「えー、片倉さんは逆の意味で浮いてますよー。超雲の上の存在ですから。ねー、万里。」

「そうです。私達の憧れ、スターです。目標に出来ない、神様的な存在です。」

「凄い信奉のされ方ですね。美姫先輩。私的には、杏子先輩も超人ですよ。」

「そこで持ち出さなくていいから、紗有里。」

女子会的な会話は、エンドレスで続いた。

しかし、佐和山の入り口に着くと、気持ちが引き締まったのか、全員が無口になった。


「何か、神秘的なムードが漂ってきましたね。」

紗有里が、美姫と杏子に声を掛けた。

「紗有里、何か感じるのか?」

杏子は、そう言うと紗有里の手を取った。

「こうすれば、お前の感覚が私にも伝わる。意外とお前の動物的な感覚は侮れないからな。」

「ふふふ、杏子先輩とは、もういけない仲ですもんね。」

「おい、紗有里、ふざけてる場合じゃないんだ。それに、事情を知らない二人が勘違いするだろ。」

そんな話をしていると、麻美と万里も手を繋いで歩き来だした。

「ここから先は、私達もいつも手を繋いで歩いてるんです。あの、お二人もそうだと思いますが、変な仲じゃありませんので。」

「おお、そうか。」と杏子は、逆に呆気に取られ、何を言う訳ではなく、紗有里に目を向けた。

辺りは、散策路から大きく外れて、木々の生い茂る普通の山肌となっていた。

「本当にこんなところをいつも歩いてたのか?」

杏子がさすがに気になって、麻美たちに声を掛けた。

麻美は「はい。いつもじゃ無いですけど。たまにこうして。」と振り向いて答えた。

「なんか、空気が重くなってきましたね。」

紗有里が、何かを察したようだった。

「大丈夫です。もう少しです。あの木々の間の草が生い茂った中にあるんです。」と万里。

「美姫、大丈夫か。」

杏子は、美姫を振り返って声を掛けると、「私は大丈夫。今日は私もパンツにスニーカーだし。」と、笑顔で答えた。

「何かあったら何でも言ってくれよ。美姫に何かあったら、円龍じじいにも怒られるが、私が自分を許せなくなる。」

「杏子ったら。私は、世間では超人って呼ばれてるのよ。大丈夫よ。それよりも前の二人を心配して。」

歩き進める内に、かなり草深い箇所になって来たが、尚も一行はそれらを分けて突き進んで行った。すると、城壁の一部だったのかと思われる石垣の残骸に突き当たり、見るとその端に人が一人入れるかと言うような横穴があるのが見えた。側に行って良く見てみないと、それが穴であるのかどうか分らない程度の物で、よくもこんな物を見付けた物だと、美姫たちは感心した。

「しかし、良くこんなところにチョイチョイ入って来たな。しかも、この穴の中に入るなんて、相当な度胸だ。案外二人は肝っ玉が座ってるんだな。」

「そんなことはありません。だって、ここは三成様のお膝元ですから。」

万里が祈るように言った。

「その空気は、変わったのかも知れないわね。」

美姫はそう言うと、麻美と万里の手を取って続けて言った。

「この中には二人はもう入らない方がいいわ。それと、申し訳ないけど、佐和山の入り口まで引き返して、お使いをお願いしたいんだけど、頼まれてくれるかしら。」

「はい、勿論です。片倉さんに頼まれたら、私達はいやとは言いません。何でも言って下さい。」

麻美が即答するが、万里も頷いている。

「ありがとう。あのね、多分その辺に学生がいると思うの。勝田元って言う人なんだけど、その彼を探してここに案内してくれる?」

「美姫っ、勝田元って、あの勝田か!?」

杏子が素っ頓狂な声で、驚きを表した。

「杏子、ごめんね。円龍さんから、どうしても彼を連れて行くように言われて。でも、一緒には要らないかなと思って、ちょっと時間差にしてみたの。」

「何だよ、全く円龍じじいめ。クソ。あ、そうだ、麻美と万里さ、その学生のことを教えるよ。ちょっとガタイのでかい奴で、まあ顔は十人並みってとこかかな。空手をやってる奴だから、手が結構ごつい。そんな情報でゆっくり探してくれ。急がなくていいから。」

「杏子ったら。。。」

美姫は、さすがそれだけじゃ探せないからと、用意して来た顔写真を一枚、彼女達に渡した。

「それじゃ、頼むわね。」

「ゆっくりでいいからな。ゆっくりで。何なら、一緒にお昼ご飯でも食べて待っててくれていいぜ。」

杏子の念の押しように、美姫も紗有里も笑うしかなかった。


「なるほど、ここね。」と、美姫が横穴に恐る恐る近寄って、中を覗いていると、「美姫、まず最初に私が入るよ。」と言って、杏子が中に入って行った。

麻美の用意して来た蝋燭を預かっていたが、電池式のランタンランプも用意して来ていたので、杏子は中に入る際に、まずはそれを付けて入った。

続いて美姫が入り、最後に紗有里が入った。

ランプの明かりだけではさすがに暗かったので、蝋燭に火を付けて数本を置き、三人は一頻り様子を窺った。

中はそれほど広くは無く、何処かに続いている構造でも無さそうだった。

「天井もさほど高くないのに、よく薙刀の練習が出来たな。」

「まあ、ギリギリ出来なくは無いわね。でも、ここで火を焚くと、酸欠になる可能性があるわね。」

「それで薙刀を振って汗をかいたら、頭が朦朧としても不思議じゃないな。紗有里はどうだ?」

「なんか、寒気がすると言うか、空気がかなり重いです。」

「そうね、何かよく分らないけど、誰かに視られているような感じがする。」

一呼吸おいて、杏子が言う。

「霊視、してみようか?」

即答はせずに、ゆっくり杏子に振り返ってから美姫が答えた。

「ちょっと、怖いでしょ。さすがに杏子でも。大丈夫?」

「ここまで来たら、やるしか無いでしょ!やっぱり、いるとしたら奥の方かな。」

杏子はそう言うとすぐに、精神を集中して霊視を開始した。

すると、「やばい。凄い強い霊気の塊が見える。」と言って、霊視を解除した。

「美姫、どうする?とんでもないことになるかも知れない。」

「杏子、私にも見せてくれる?」

美姫が事も無げに言うので、杏子は疑問無く従った。

「分った。多分、これで見えると思う。」

杏子は、美姫の手を取って、霊視の体勢に入ると集中した。やがて、美姫の目にも、もやもやとした光の玉が映り始めた。

その玉は、次第に白く大きな玉となっていき、それから『うおーんうおーん』と反響するような音が、美姫の頭の中に響き始めた。

「え?何なの?これ・・・。」

お化け屋敷の中に入った気分だった。

「何が始まるの・・・?」

「美姫、大丈夫か。どうする?場所も分ったし、一旦引こうか?」

「杏子、紗有里ちゃんの力を使って、声を聞くのは出来る?」

「それはちょっとヤバいかも。紗有里が持たないかも知れない。」

「先輩方、私の心配は要りません。私も声を聞いてみたいです。」

紗有里は、キッとした表情で、二人に言った。

美姫と杏子は、顔を見合わせて、「じゃあ、お願いしようか。」と美姫が言った。


杏子は、例の口写しの準備として、紗有里を右腕に抱き、唇を吸った。

紗有里はうっとりとするように柔和な笑顔を称えて、グッタリと杏子の腕に身を任せた。

そして、あのどこからともなく響く声で、霊気の塊に向かって話しかけた。

「アナタハダレデスカ?」

ゴワーンゴワーンと言う音が響いた。しかし、それ以上のことは無く、声は聞こえなかった。

〘阿梅様、お話をしても良いですか。〙

久し振りに、堀田頼幸が声を掛けた。その声は、今、口写しをしている二人にも、聞こえていた。

『どうしたの?急用?』

〘ここには、怪しげな霊が多数おります。お気を付け下さい。私は、阿梅様の守護役。阿梅様がお止めになりましても、ここはと言うところは、顔を出させていただきます。〙

『そうか。それは頼もしい。それで、今がその時なのだな。』

〘はい、ここには、邪な者達が、かなりおります。そのような気で、満たされておるように感じます。そして、その他に大きな魂が一つあり、それがどうも私の存じ上げているお方のような。〙

『知っている人?』

〘いや、知っている方ならば分かるはずなので、知らぬのかも。〙

『はっきりしないのね。でも、危険な場所という事は分かったわ。それと、中心にいるのは、あなたが敬うレベルの魂と言うこと。侍で少し地位のあった人よね。』

美姫は心の中で、それを確認すると、二人に口写しを止めるように言った。


「お侍が言ったことは、何となく聞こえた。大きな魂って、それが西方の悪鬼なのか?」

美姫の声かけで、杏子は、口写しの技を解除して、紗有里を床に座らせながら言った。

「わからない。杏子はどうだった?何か聞けた?」

「いや、その大きな魂は、ゴワーンゴワーンって音が響くだけで、聞こえたのは、侍の言葉だけだった。」

それを床で聞いていた紗有里が、口を挟んだ。

「私には、少し聞こえました。遠いところから微かに、『誰』とか、『探す』とか。」

「さすが本家ね、杏子は力を増幅し過ぎて、余計なものまで聞こえ過ぎちゃったのね。」

「なるほど、そう言うこともあるのか。」

杏子は、改めて感心しながら紗有里を見た。そして、美姫に向き直ると「でも、結局の所、何を言ってるかは、分からないな。」とポツリと漏らした。

「そんなことないよ、杏子。何か聞いて分かることを言っている、って言うことが分かったんだから、相当な収穫じゃない?」

美姫が笑顔で言うのを「なるほど」と杏子が受けて、紗有里の顔を改めて見た。紗有里も、役に立ったと嬉しそうに笑顔を作っていた。

「で、どうする?美姫。」

その問いに、美姫は少しの沈黙を持った。

何かを思案している様子で、杏子たちは暫くその回答を待った。

「私が、やってみようかな。」

美姫には珍しく、呟くような声だった。それでもシンと静まった祠の中では、紗有里にも聞こえていた。

「え?」

声を出したのは杏子だった。

「いや、美姫は阿梅さんの生まれ変わりだし、何かあると思ってはいたけど、何があるのさ。それは、私も知りたいよ。」

「実はね、ずっと封印していたものがあるの。昨日、夢を見て、思い出して。」

美姫がポツリポツリと言う。

「話してもいい事なら、聞かせてくれ。」

紗有里は立ち上がって、杏子の横にピッタリとくっ付いた状態で、息を潜めて頷いた。



《8-4 10年前》


美姫が昨晩見た夢、それはーーー。

昨日の夜、今日の祠探索が気になって、美姫は少し興奮していた。そのせいかも知れない。変な経験をした。それは、昔見た夢を、俯瞰した形で見ていると言う夢だった。

それは丁度10年前。

美姫が12才の頃。

夢の中で、美姫は、とても広い部屋の真ん中にいた。

冷たい板の間で、美姫は、着物を着てそこに正座をしていた。

部屋の片側一方には、連続した何枚もの障子が連なっていて、その部屋は閉ざされていた。

正面に、一段高くなったひな壇があり、更に一段高く畳敷きになった四角い物が置かれ、その中央には、立派な座布団が用意されていた。

勿論、自分が座るところではないことは理解出来た。

スッと障子が一枚開いて、一人の老人が入って来た。その老人はとても立派な着物を着ていて、段の中央の座布団に当たり前のように座った。障子は、他の者が閉めたのか、いつの間にか閉まっていた。

美姫は何も言わずに、その老人を見て、深く頭を下げた。

「面を上げよ。」

その老人が言った。

美姫はその言葉に従って、顔を上げて老人を見た。

「そなたは、真田信繁の娘、阿梅であるな。」

十二歳の美姫には、何のことか全く意味不明だったが、なぜか自然と返答していた。

「何かのお間違いで、小山田の娘にございます。」

「それは、信繁の娘であることが分ると、片倉家にもその主である伊達家にも迷惑が掛かると思うてのことであろう。」

老人の言葉は、特段詰問調という訳でもなく、平坦な声質だった。

そこにいるのは、確かに自分だった。

その老人を正面から拝し、どんな顔かも見えていた。

「小山田の娘に違いございません。」

自然と言葉が出るのが不思議でならなかった。

「按ずるでない。儂はかなり殺生をしたが、それは平和な世を作るためのこと。人を殺す趣味はない。誓うて言う。そなたが真田信繁の娘であろうと、片倉家に咎めはせぬ。」

「上様。私の命はどうなりとしてくださいませ。私は、小山田の娘にございます。」

「阿梅!儂が信じられぬか。この家康、齡十二の娘に嘘など言わぬし、手にかけることなどせぬ。」

家康と名乗る老人は語気を強めて言った。

美姫は暫く考えた。

家康と言えば、徳川幕府を開いた人だ。社会の日本の歴史で習った。その人と何故こうして話をしているのか。しかも自分のことを『オウメ』と呼んでいる。

何もかもチンプンカンプンだった。


「上様。申し訳ございません。梅にございます。ご無礼を致しました。」

美姫はそう言って、深く頭を下げていた。

「うむ。それで良い。」

家康と覚しきその老人は満足そうに、笑みを浮かべた。

「ちゃーんと、調べは付いておる。そなたが阿梅であることはな。そして、理由があるからそなたを呼んでおる。」

「理由?」

美姫は、そう言って恐る恐る顔を上げて、老人家康の顔を伺った。

「これより、お主は儂の元で仕事をして貰う。」

家康は、顔に笑みを浮かべて、顎に蓄えた髭を左手で撫でながら言っていた。

「上様、それはどのような。」

美姫は、いや阿梅は驚いて言った。

そこにいるのが自分なのか阿梅なのかがハッキリしなくなって来ていた。

何故なら、『もしや伊達家に対する、間者的な内容の任務であったとしたら、自害しよう。』そう考えている阿梅の意思があることが、美姫に分ったからだった。

「按ずるな。今生のことではない。来生のことじゃ。」

「来生?」

「儂は、今生で命尽きた後、ややもすると生まれ変わって出ることができんのじゃ。この世での修行の時間が殆ど終っておるからの。されどそなたは来生、凡そ400年の後、今一度生まれ変わる。その時に、儂の代わりに仕事をせよ。それが任務じゃ。」

阿梅は、良く分らないと言う顔で、じっとその老人、家康の顔を見た。しかし、こう返答したのだ。しかも、その時の言葉は、美姫が声を重ねて言っていた。

「畏まりました。その任務、しかとお受けいたします。」

「うむ。頼んだ。その代わりに、生まれ変わりし折に、そなたにこの力を貸与する。」

そう言った時、老人の後ろから光り輝く柔和な笑みを湛えた神仏が現れて、美姫に迫って来た。

そこで目が覚める。

あー、そんな夢を見たな、と思いながら、その光景を見ている。

そう言う夢だった。



《8-5 対面》


その話を聞いた後、杏子と紗有里は顔を見合わせた。

「まじか。直接、家康から、任務を、受けて、いた?」

途切れ途切れの発声が、その驚き様を表していた。

「十年前?十二歳って阿梅さんは何歳で片倉の家に行ったの?」

「確か、十二歳の時よ。」

「じゃあ、家康にはメッチャバレバレだったって事だったんだ。そして、美姫の任務が、阿梅さんの魂が、えーっ!!」

「美姫先輩、その光り輝く柔和な笑みを湛えた神仏って、何なのですか?」

「それはよく分からないんだけど、それから不思議な能力が付いちゃって、それが気持ち悪くて、『凄く嫌っ』て叫んだら、消えたのね。でも、都合良くその力は使えて、要らないって思う時は使わなくて良くて。それに、杏子の馬頭観音菩薩様や勝田君の千手観世音菩薩様みたいに、姿を見せてその力を使うってことは、したことはないのよ。」

「そんで、その都合良く使える力って何?」

杏子が、恐る恐る尋ねる。

「ごめん、その力の内容だけは聞かないで。お願い。」

美姫は顔の前で手を合わせて言った。

「すっげー気になるけど、美姫が言うなら聞かない。それより、今やらないといけないことをしよう。」

美姫は「うん、そうよね。やってみよう。」と力を込めて言った。

「私らはどうすれば良い?」

「そうね、取り敢えず、、、」そう言ってから美姫は、二人の手を取って「側にいてね。」と言った。


それから美姫は、目を閉じて精神を統一して、『又兵衛も力を貸して。』と念じた。

〘ここにおります。何なりとお命じ下さい!この又兵衛、命に代えても使命果たします。〙

『心強いが、命は粗末にするな。』

美姫はそう命じて、もう一人、自分の中の阿梅に願った。

〝阿梅さん、力を貸して!〝

そう強く念を入れたその時。

家康と名乗る老人が、最後に言った言葉が、頭の中に共鳴した。

『視ると言う思い、聴くと言う思い、触れると言う思い、それが邪念無く強力に発せられた時、それぞれの能力が覚醒する。忘れるでないぞ。』


「そう言えば、最後に呪文みたいなこと言ってた。」

美姫は心を落ち着け、家康からのアドバイスを思い出して反芻した。

『視ると言う思い、聴くと言う思い、触れると言う思い、それが邪念無く強力に発せられた時、それぞれの能力が覚醒する。』

美姫は全神経を集中して、感覚を鋭敏にして構えた。

目を閉じ、丹田に気を集めるように深く息を吐く。

それから、ゆっくりと目を開けた。

『あなたは誰?』

心の中で呟いた。

それに応えるかのように、白い玉は、徐々に人の姿に形をなして行き、先程来、頭の中に響いていた音も、次第に言葉として解せるようになって来た。

美姫は全身から鳥肌が立つのを覚えた。

目を大きく見開き、耳の感覚を更に鋭敏となるよう、集中した。

〘それがしは、・・・・石田三成・・と・・・申す・・・・・。友を・・・探している・・・・。〙

反響しながら聞こえてくる声が、はっきりと言葉となって頭の中に届いた。 

思わず「えっ!」と言う声が出て、呆然として口を開けていた。

一度に色々な情報が入って来て、軽いパニックだった。

杏子が少しだけ心配になって、「大丈夫か?」と、そっと声をかけてみたが、美姫の耳には入らなかったらしい。

霊が自分の目で確認出来たこと、その霊の声が聞こえたこと、そしてその霊の正体は石田三成だったこと、『それに、友を探している?どういうこと?』

さすがに驚きが多過ぎた。

「美姫、美姫!」と呼ぶ杏子の声が、美姫の耳に届いたのは、美姫の名前を4回目に呼んだ時だった。

「え?何?・・・えーと、どうしよう、何から話したらいい?」

美姫は、訝しげな表情の杏子に顔を向けると、続けて言った。

「ここに石田三成様がいて、友を探しているって?」

「え、えーっ!やっぱり本物がいるのか。麻美や万理の言ってたのは本当だったんだ。びっくりだ。」

「確かにそれもそうだけど、いきなり、石田三成さんて、最初に霊視した相手が石田三成さんて、びっくりなんだけど。」

「美姫、落ち着いて、阿梅さんは姫様だからそれほど位の差はないんだろ?落ち着いて、ゆっくり事情とか聞いてみよう。」

「そっか、杏子ありがとう。聞いてみる。」

美姫は、石田三成霊に向き直ると、改めて目を瞑って精神の統一をすると、目を見開いて念じた。

『友とは、どなたのことでございますか?』

美姫は、人型にゆらゆらと揺れている白い塊に注視していた。相手は何かを伝えて来ているのか、ただ沈黙しているのかは、美姫にも分からない。

『又兵衛、いる?』

〘はい、ここに。〙

『ここにいた大きな霊は、石田三成様だったよ。聞こえてた?』

〘はい。聞いておりました。石田様は先の関ヶ原にて負けて、後に東軍に捕まり、口惜しくも斬首されました。その魂が彷徨っておられるのでしょうか?〙

『どうなのかしらね。』

そんな会話をしていると、暫くして、三成の声が再び届いた。

相変わらず遠くから響くような声だった。

〘そこもとは・・、武家の娘子か・・。御名を・・お聞かせ・・ 願いたい。〙

『えっ。私が見えるのね。あ、阿梅さんの姿の方か。』

美姫は、少し冷静になって、返事をしようと思ったのだが、『えーと、名前かぁ。阿梅って言うのもアレよね。とは言っても片倉美姫じゃ意味ないわよね。』などつらつら考えていた。

〘阿梅様、石田三成様のご無念伺ってみましょう。〙

『ご無念を?そんなこと聞いてどうするのよ。ちょっと待って。考えてるから静かにして。』

そんなやり取りが伝わったか、三成の声が聞こえた。

〘従者を・・連れている・・・・・見ると、・・・どちらかの姫君・・・〙

杏子たちは、何が行われているか分からないでいたが、紗有里は密かにその声を聞こうと、口写しを行なっていた。少なくとも、又兵衛の声は聞こえるようになっていた。

「杏子先輩、どうやらお侍さんが、ややこしい事を言って困らせてます。」

「侍は出て来るなよな、って紗有里、それ盗聴じゃないのか。」と言いながら苦笑した。


〘そこの女(おなご)は・・・侍女のようだな・・・。なかなかに・・・鋭い目をしておる・・・。心根は・・・正直である。〙

相変わらず遠くから響くような声で、美姫の頭に直接入って来た。

『そこの女?侍女?あ、おりんね。前世ではそう言うことになっていたみたいだけど。』と思っていた時、〘何をおかしなことを言っております。〙と、又兵衛が勝手に出張って来た。

〘石田様、それがしは堀田又兵衛頼幸と申しまして、真田家に仕える者にございます。勝手に発する無礼をお許しください。〙

いつもは美姫の肩の上、と言うか後方に顔を出しているだけの又兵衛が、今は美姫の前に出て、片膝を付いた姿勢で三成を見上げて言上している。

紗有里に触発されて、杏子も霊視を行なって、そんな又兵衛の姿を見て固まっていた。

「紗有里、お侍が、出て来たよ。」

「はい、なんか石田様に真田の家来だって言ってますね。美姫さんの命令でしょうか。」

「まさか。」杏子がチラリと紗有里を見て言った。


三成霊は、又兵衛を確認して、頷いているように見えた。

〘こちらの姫は、真田信繁様のご息女にて、名を阿梅様と申します。〙

〘察するに・・・、竹殿の・・・娘子であるな・・・。〙

竹殿と言うのは、大谷刑部吉継の娘で真田信繁の正室であった女性のことである。後年は尼寺入りして竹林院と名乗った。

〘左様でございます。〙

又兵衛は軽く頭を下げながら返した。

それを確認するや、白くもやもやとした人影だった三成の姿は、瞬く間に二人の目の前に近づいて来て、遠くで聞こえていたような声は、鮮明なものとなって聞こえ始めた。

〘おうめ殿。竹殿の娘子とお会い出来るとは、好都合。正に天の助けである。〙

美姫が驚いているところに、三成は立て続けに声を響かせた。

〘力を貸していただきたい。大谷刑部殿を探して欲しい。〙

これまでの問い掛けとは違って、非常に強い意志の思念が響いた。

「大谷刑部様?」

〘そうだ、そなたの御爺様でもある、大谷刑部吉継殿だ。〙

『大谷刑部吉継様。』

美姫の頭の中で、歴史物語が浮かんでいた。

『関ヶ原の戦いの折、圧倒的に優位だった西軍は、開戦して直ぐに劣勢を強いられた。その原因となったのは、味方の裏切り。開戦早々切り崩されて、敗走を余儀なくされてしまったのが、かの大谷刑部吉継様。』

〘私の詰めが甘かった。〙

『石田様、大谷刑部様をお探しされているのは、もしや。』

〘奴め、怨霊となっている可能性があるのだ。だが、それは私のせいだ。奴を怨霊にしたままにする訳にはいかない。必ず連れて行く。だから、探してくれ。友を。〙

美姫は合点がいった。家康様がし残したのは、これなんだと確信した。

『分かったわ。そう言うことね。』

美姫は大きく頷いた。

「石田様、大谷刑部様の居場所が分かったら、どうすればいいですか?」

美姫が三成に訊いた。それは声に出ていたので、他の二人も聞いた。

〘その場所に、案内(あない)して欲しい。〙

「えーと、石田様は自縛霊よね。移動出来るの?」

美姫が三成から視線を杏子に向けて言った。

杏子は、急に振られながらも、美姫の聞いていることの真意は理解した。

「ここから移動出来る距離はかなり限られる。そこが関ヶ原だったら、ちょっと無理かも。」

杏子が、そう答えていると、横にいた紗有里が、杏子の袖を掴んで頻りに引っ張っていたので、「どうした?」と声を掛けると、紗有里が目を見開いた顔で「後ろ後ろ!」と言うので、杏子も霊視を止めて振り向いて見ると、声にならない驚きを表した。

「あ、あれが美姫の・・・!」

それは黄金色に輝き、眩い光を発して、柔和な笑みを湛えた神仏、阿弥陀如来像だった。

杏子も紗有里もうっとりとなって見とれた。

「だから、邪気が何も無くなってたんですね。道理で私たちの力が、何の障害も無く使えていた訳です。」紗有里が呟いた。

「ああ。」杏子は、それしか声が出なかった。


「関ヶ原だったとしたら、移動出来る距離じゃないと言うことは、石田様にはここで待ってて貰わないといけないのかな。」

美姫が杏子に話し掛けていた。

「ん?ねえ、杏子?」

声を掛けられて、杏子は美姫を見たが、その顔は口を開けたボウーッとした表情だった。

「杏子、どうしたの?大丈夫?紗有里、何があったの!!」

「何も無いです。美姫先輩をうっとりと見てたんです。」

「もう、何のことよ。もういいわ、阿梅さんに聞く。」

そう言うと、美姫は目を閉じて黙想を始めた。

『阿梅さん、私はどうすればいいの?教えて!!』

美姫が強く心に念ずると、再び家康の言葉が自然と入って来た。

『視ると言う思い、聴くと言う思い、触れると言う思い、それが邪念無く強力に発せられた時、それぞれの能力が覚醒する。忘れるでないぞ。』

『そうか、触れると言う思いか。』

美姫は、悟りが開けたかの思いだった。


元が祠に到着したのは、全てが終わった後だった。

美姫たちが祠から出て、そこに入る横穴を塞ぎ終えていた。

「遅くなってすいません。」

麻美が伏し目勝ちに杏子を見て、首をすくめて言った。

「おー、勝田元か。久し振りに会った。何しに来たんだ?」

杏子のわざとらしさに、美姫も紗有里も苦笑するしかなかった。

「あ、芦原さん、お久し振りです。その節はどうも。、、、あの、美姫さん、遅くなりました。ご案内いただいた籠原さんが、途中で具合が悪くなられて、少し休んでいたので。」

「えっ!麻美ちゃん、大丈夫なの?」

美姫は、また霊に憑かれたのでは無いかと心配をしたが、杏子が麻美の側に寄って、小声で「仮病か?」と訊ねると、麻美は小さくコクリと頷いて、「すいません。」と言うので、杏子は麻美の頭を撫でて、「そーか、頑張って歩いたらちょっと具合がね。ここは寒いし、気を付けないとな。もう大丈夫なのか?偉かったぞ!」と、声高に褒めた。

その様子に、美姫は状況を察した。

「そう言うことね。」

そしてまた、紗有里と顔を見合わせて苦笑した。

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