第7話 美姫の能力

《7―1 侍霊》


都内のとある場所にある寺院。

門前の木札きふだには結心寺けっしんじと書かれている。

円龍の古い友人が住職を勤める寺院があるから、そこに来られたしと言う提案に、3人揃って集結していた。

「して、そのお侍の霊は、何も障りがないと言われたが、誠にそうなのですか?」

「ええ、多分、何もないと思います。」

着いて早々、円龍の問いに美姫が答えて言った。

「それが本当なら、何とも不思議な話じゃ。地縛霊でも浮遊霊でもない、中途半端な形じゃな。差し詰め、見守り霊とでも言うのかの。守護霊に近い感じか?で、美姫殿は、直接話が出来ると言われたが、普段はどんな具合いなのじゃ。」

円龍は、それが見えているのかのような目配せで、美姫とその後方とに目線を動かしながら話をしていた。

「お侍さんは、まぁ、本人が言うには、堀田頼幸さんですけど、彼はひたすら阿梅さんを按じています。私の姿は見えていないらしく、阿梅さんに対して時折声を掛けて来るって言う感じです。と言うのも、やはり、姫と家来なのか、いつもは話しかけては来ないんです。でも、じっとそこにいるのは分ります。何か、気配というか。・・・私も、なるべく応じない様にしているんですけど、たまに意思を読まれることがあって、ドキッとすることがあります。」

「ほう、例えばどんな具合いじゃろう。」

円龍は3人を、用意してあった座布団に着座するよう促すと、御本尊を背にした”定位置”に、自分も座した。

「何かにビックリして、ハッとした時に、『何ごとか!?』みたいな声がして、その声にも驚いちゃう、みたいな。」

「なるほど、それで、、、侍霊は、その、驚いた理由を聞いてくるんじゃろう?それが何かハッキリしないと、心配なままでは、引っ込みがきかんと言うか、、、」

美姫を守るかのようにその左右に座していた紗有里と杏子は、両脇から美姫の顔を覗き込んで回答を待った。

「うーん」と言いながら、少し間を置いて、美姫はクスリと笑みをこぼしながら、ちょっと照れた様子で続けた。

「『すまない。別段何もない故、心配せずとも良い。』みたいな感じで心に思うと、フッと気配を消していきます。」

「おー、さすが姫様。」と、杏子が茶化す様に言う。

紗有里も「おー。」と言う反応を見せていたが、杏子のそれとは違っていた。そこは、先輩への尊敬もあってのことと思われた。


例の大阪のホテルにて、この日の会合の件は決まっていた。

『何かあったら、相談して下され。』と言っていた円龍の意見を聞きたいと言う美姫の強い押しに、紗有里はもとより杏子も反対は出来なかった。

「仰ってた通り、不思議なことが起こりました!」と電話口で美姫が言うと、「何がありましたか!?お二人ともご無事ですか?」と少し慌てたような口調の円龍に、取り敢えず支障は無いようだが、霊が取り憑いてしまったので、すぐに相談をしたいと言う旨の話をすると、電話口からでも円龍は様子が把握出来たらしく、取り敢えずは大丈夫なようだから、会って見定めましょうと言う事になり、その後直ぐに会う場所を設定してくれたのだった。


決して大きい寺ではなかったが、敷地内にはお墓も数十基建立こんりゅうされており、お堂もまぁまぁの広さがあった。中には立派なご本尊もあり、四人での会合には、逆に勿体ない広さを有して、掃除が行き届いた空間は、澄んだ空気とお香の香りが、たかぶる気持ちを抑えてくれていた。

だが、そんな鎮静効果も、円龍には効かなかったらしい。

「しかし、驚きましたのぉ。美姫殿は不思議な方じゃと思うておりましたが、まさか本当の姫君が生まれ変わりとはの。阿梅様と書いてオウメ様。これは正しく、『マツタケウメ』の内の『ウメ』ではなかろうかと、儂は思っておるのじゃが、どうじゃろう。昔は、おなごの名前は、呼ぶ時には大抵頭に『お』を付ける。従って、阿梅様は、元は『梅』という名前じゃろうと思う。つまり、『マツタケウメ』は、待っている『タケとウメ』じゃ。違うかのぉ。」

興奮した口調でまくし立てる円龍を、紗有里はやや冷めた顔で見ていたが、杏子は冷め顔を通り越して怒り顔で責めた。

「そんなことより坊さん、美姫はどうなんだよ。侍の霊が憑いたまんまで平気なのかよ。それの確認で来てるんだぜ。坊さんの世迷い言なんかどうだっていいんだよ!」

「杏子。」

美姫が杏子の手を握ってたしなめた。

「それに、『タケ』って何だよ。どこにいんだよ。」

「いや、それはこれから、のぉ、、、。」

円龍は、杏子にはいつもたじたじだった。


霊を取り払うには、除霊と浄霊とがある。

除霊は単純に取り憑いた霊を払うもので、霊その物はそのままにある状態で、浄霊は霊を成仏させて、取り払うから霊そのものがいなくなる。

どちらが難しいかと言えば、当然浄霊である。

侍霊を除霊するのでも、杏子の能力では難しいようだった。

「大事なのは、除霊しないで大丈夫なのかって話だよ。そもそも坊さんは、除霊は出来んのかよ。」

「杏子、私は、今はこのままでいたいの。堀田頼幸さんがどうしてそこまでして阿梅さんに会いたかったのか。そうしないといけない理由があると思うの。」

「さすがは美姫殿。先程も申しましたが、その方の霊は浮遊霊でも地縛霊でも無い。庇護に満ちた愛護の霊のような、守護霊に近い。しかしながら、守護霊は一度成仏してから降りて来られる。成仏せずにこれまでこの世に残っているには、相当に強い思いがあったはずじゃが、強い思いは負の力が勝る。負の力ではなく残っていたのは、残らねばならなかった理由が、何かあるはず何じゃ。」

「それが知りたくて坊さんを訪ねて来たんじゃん。頼りになんねーな。」

呆れたような口調で杏子に責められて、円龍は「いやーかたじけない。」と言いながら短く刈った白髪混じりの頭を撫で、弁解するように言った。

「儂もな、自慢じゃないが、除霊も浄霊も出来ることは出来る。じゃが、霊の強さによっては、浄霊はかなり能力を消耗する。この侍の霊は、先程来申しておるように、思いがとてつもなく強い。浄霊するのは儂でもひるむほどに強い。とは言え、取り払うほどの悪い思いは伝わって来ない。じゃから、美姫殿が大丈夫であるなら、もう少し様子を見てみたいのじゃ。」

「なんかよく分らないけど、美姫は大丈夫なのか?」

杏子は、円龍の話を聞いて、改めて美姫に言葉をかけた。

「私は、堀田頼幸さんの思いを、もう少し聞いてみたいと思うの。円龍さんが言われるように、何かあると思うから、それを知りたい。」

「美姫先輩は、お心が優しいから、だから阿梅さんとも繋がったと言うか、生まれ変わりとしていらっしゃるのだと思います。私は美姫先輩の思いに賛成です。微力ですが、何かあった時は、私もお力になります。」

「あー、もう、紗有里の力じゃマジで微力だろ。いざという時は、坊さんが責任を持って守れよな。」

「もう、杏子ったら。」

円龍は、「お任せ下され。」と言うように、うんうんと頷きながら、『さすがは、姫様とお付きのお守り役じゃ。このお守り役が側におれば、まずは大丈夫じゃろう。』と内心で思っていた。



《7―2 依頼》


円龍は、美姫たちの話を受け、かねてより考えていたことを実行しようと、はじめのもとを訪ねることにした。

まだ学校は夏季休暇から明けていなかったので、元とは直ぐに会う都合が付いた。部活の他に夜は毎日では無いもののアルバイトもしていたので、暇を持て余していた訳では無かったが、その日は午後が空いていたのだ。

折角だから、円龍は元の住むアパートも見てみようと思っていたが、東京の地理は疎かったので、分かり易い駅近の喫茶店で会うことにした。

雰囲気のいい気の利いた音楽が、会話の邪魔にならない程度のボリュームで掛かっており、コーヒーの華やいだ香りがカフェイン欲をそそる店だった。

「珍しいですね。僧の方から私に会いに来ていただけるなんて。」

「今回は儂の方が魂胆があって来ておる。ハハハ」

「僧の魂胆とは、空恐ろしい。退散した方がいいかも知れませんね。」

元は笑いながら冗談めかして、どんなレベルの話か探った。

「ハハハ、元じゃ無いと出来んことじゃ。嫌だと言ってもやって貰わないといかんのじゃ。」

「へー、私を頼って来ていただけるなんて。怖いもの無しの僧にも、出来ないことですか?」

「如何にも。あー、いやいや、儂は怖いもの無しじゃ無いぞ。怖いものだらけじゃ、フッフッフ。まあそれは置いておいて、今回のことは、お主の能力に頼るのが、手っ取り早いでな。」

「千手観世音菩薩様のお力を、と言うことですか。」

「左様。」

頼んであったホットコーヒーが運ばれて来た。

「これは美味そうなコーヒーじゃな。今日は儂の奢りじゃ。」

「ありがとうございます。高いコーヒーになりそうですね。」

元が口元に笑みを浮かべて言う。

「これから詳細を話す。それを聞いたら、我が定めとして動かずにはおれんぞ。」

円龍はそう言って、ズズーとコーヒーを一口啜った。



《7―3 薙刀全国大会》


美姫は、円龍との会談の後は、侍霊とは程良い距離を取って、阿梅として時折話をして、上手くやっていたらしい。


暫くして、なぎなた部が全国大会を迎える時期となった。

大抵の大学は、団体戦は3年生以下で戦い、4年生は、個人戦に出るか出ないか個人の判断に任せていた。

陸和大学でもそのシステムは同じだったが、美姫は個人戦に登録していた。

やるからには最後まできっちりやる、それは美妃の根底にある信念だ。

初出場した1年生の時から美姫はそのタイトルを手にしており、しかも、その地位を3年間守ったタイトルホルダーだった。

大学生最強として名を馳せ、君臨し続けた王者である。当然、それを打倒すべき相手として日々を過ごして来た人もいるだろう。彼女に憧れて薙刀を覚え、鍛練を積んで来た人もいるかも知れない。そうした人達に対しての礼儀として、4年生である今年も出るべきであると考えたのだ。



陸和大学の薙刀部は、美姫のお陰で部員数は多い。大会に出ない他の部員は全員、2階の観客席からの応援であるが、その一帯は一際声援が大きい。

杏子と紗有里は、そうした一群には入らず、紗有里の広報の立場を利用してアリーナに入れて貰い、美姫の側での応援を決め込んでいた。


「阿梅さんも薙刀の腕は凄かったらしいよね。美姫が強いのも頷ける。」

「拘るのね。杏子ったら。私は私。片倉美姫だから。いつまでもそんなこと言ってると、おりんって呼んじゃうよ。」

「マジか。そんな呼び方されたら、ひざまづいてしまうぞ。」

二人は顔を合わせて、大笑いした。紗有里は、少し遠慮がちに含み笑いに留めた。

「なんか、少し緊張してたみたい。負けたくないしね。」

「美姫は強いよ。ずっと見てたけど、反射神経とか相手の動きの読みとか半端ない。私も美姫と戦ったら負ける。これはマジで。」

「そりゃそうよ、素手と武器持ちじゃあ、当たり前よ。逆にそれで負けてちゃ、優勝は出来ないわ。」

大会を前に昂ぶる気持ちが、美姫の語調を強めていた。


杏子が言うように、美姫には天性の才能があって、ほんの僅かな呼吸の違い、もっと言うと気の動き、筋肉の動きなどで、相手の次の動きが把握できた。相手の動きは手に取るように分かるから、先にかわすことも攻撃を決めることも可能なのだ。

そんな彼女に、敵などいる筈もなかった。

ところが、ーーー。


「あの子のあの動き、凄い。」

美姫がポツリと言った。

「ヤバいね、あいつ。」

個人戦の一回戦が始まっていた。

体育館の広いアリーナを、いくつかのスペースに区切って、数試合同時に行なっている。

その内の一つ、関西にある大学の2年生で、籠原かごはら麻美あさみと言う選手が、奇声を発して繰り出す薙刀が、異常なほどに攻撃的で、相手の薙刀を払い落とさんばかりに力強く技を決めていた。

しかし、杏子が『ヤバイね』と言ったのは、そのことでは無かった。

「あの子、競技を楽しんで無いね。勝ちたいとか、そう言う思いが伝わって来ない。いわゆる、殺気をめちゃくちゃに漂わせて、何なんだろう。」

「そうだね。あの子ーーー。」

美姫は、途中まで言って、その先を言わずにいた。

「先輩、むこうの選手もです。そうです、私が大阪に行っていたのは、この二人を取材するためだったんです。すっごいのがいるって友人から情報貰って、実際に見てみたくて。そしたら、お二人に会って今日に至るです。この選手です、見てるだけでも怖い感じがしたのを覚えてます。」

紗有里の指摘に促されて目を向けると、美姫はギョッとした。

「どう言う事?」

高邑たかむら万里まりと言う、やはり2年生の選手だった。同じ様に異常なほどの殺気を纏い、相手選手を叩きのめさんばかりの勢いで攻撃をかけていた。

「籠原麻美は、2回戦は、第一シードの美姫だね。そして、高邑万里の2回戦は、第二シードの市村いちむら彩花あやか。美姫をライバル視して闘志を燃やしてる奴じゃん。観戦者的には面白いけど、当事者としては不気味以外の何物でも無いな。」

杏子が、真剣な声で言うのを、二人の選手の動きから目を逸らさずに美姫は聞いていた。


そして、勝ち上がった二人の選手との2回戦を迎えた。

市村彩花は、相手の高邑万里を見るよりも、美姫にじっと視線を向けていた。

『必ず勝ち上がりなさいよ。今年こそは、あなたを破って、私が優勝するから!』と語っているようであった。

美姫もその視線に気づき、軽く笑みを作って、小さく頷くように挨拶を交わした。

『お互いに頑張りましょう!』のつもりであった。

籠原麻美は、美姫との対戦でも、その気迫は変わらなかった。気迫と言うよりは殺気に近いそれは、相対してみるとかなりピリピリと伝わってくることが、美姫は分った。

『目が尋常じゃないわ。』

その動きも怪しさが溢れた。開始線までのほんの数歩だったが、ゆらりゆらりと身体を揺らして歩いていた。


「勝負始めっ!」

審判員の掛け声で試合は始まった。

「てーいっ!!きえーっ!!」

試合が始まった途端、動きが変わった。

薙刀を大きく振り回していながら、その動きは非常に機敏だった。そして、無駄のない足運びで美姫に迫った。

いつもなら、相手の動きは全部見切って、技を返す美姫だったが、籠原麻美の攻撃は、ギリギリかわすのがやっとだった。

『あの子、気の流れがおかしい!やっぱり、何か異様な気を纏ってしまったのね。』

「いえーっ!!どえーっ!!」

「せい、せい、はっ!」

下がり気味に、攻撃をかわすも、反撃のタイミングが合わず、防戦一方の美姫に不意に堀田頼幸の声が聞こえた。

〘姫、左!すね!小手!〙

籠原麻美の攻撃がその通りに来る。

思わず美姫は場外に逃げた。

〘姫、敵は怪しい魂を有しております。よこしまな気配を感じます。お気を付けなされよ。〙

『分ってます。気が散るから、声を掛けないで下さい。それに、助太刀はご無用に願いますっ!』

美姫は心にそう念じた。

〘ははっ、申し訳ありません。〙

堀田頼幸の声は、これ以降無かった。


審判員が、美姫に注意を与える。原点1が与えられた。

「やべー、押されてるじゃん。」

杏子が、前のめりになって、心配気に見ている。

「あんな片倉先輩初めて見ます。去年は素人目にも圧倒的強さだったのに。」

紗有里が言うのに「ああ」とだけ返す杏子。

美姫の後輩達も、遠くから声援を飛ばしているが、皆手に汗握り、一様に驚いたような顔をしていた。

『片倉先輩のあんな姿、見たことがない。』

『美姫先輩、頑張って!』

そんな思いを、全員が共有しているかのようだった。


美姫は、開始線まで戻り、目を瞑り精神を統一した。そして、カッと目を見開くと、先程までと目の色が変わっていた。

『来なさい!』

美姫は、薙刀を相手に向けて真っ直ぐに伸ばし、動きを止めた。

そして、籠原麻美が奇声を発して美姫の薙刀を振り払い、小手を打つ。

それが、まるでスローモーションに見える程のスピードで、美姫の薙刀は、あっという間に籠原麻美の面を捉えた。

「面っ!!」

その刃先は、籠原麻美の面の上で止まっていた。

審判員は全員、「面1本っ!」と言って美姫側の旗を挙げた。

会場から、「おー」とか「きゃー」とかの声が一斉に上がった。

遠くから応援していた後輩達は、皆が抱き合って喜びを分かち合いながら「きゃー、やっぱり片倉先輩は絶対よ。強過ぎーっ!かっこいいーーーっ、憧れちゃう。」と口々に、美姫を称えて叫んでいた 。


「すげー、あんな美姫は初めて見た。一瞬何か光ったように見えたけど、何が起こったか見えなかった。」

杏子が思わず呟いた。

「凄い。」

紗有里も、それ以上の言葉が出なかった。


しかし次の瞬間、それまでの歓声が、一斉にどよめきに変わり、歓声を上げていた後輩達も一様に静かになった。

籠原麻美が、その場に崩れ落ちたのだ。

誰もが何が起こったか分らず、ただ様子を見守っていたが、倒れた籠原麻美はピクリとも動かずにいたので、審判員が慌てて駆け寄り、会場に待機している医者に、直ぐ来るように合図を送った。

同じ大学の部員達が駆け寄って、「麻美、大丈夫?」と口々に声を掛けながら、防具を外して様子を伺っていた。時折、美姫に目を向けて『何をしたのよ!』とでも言いたげな顔付きでいる部員もいた。

それを尻目に美姫は、一度、開始線まで戻って正座をすると、礼をして頭の防具と小手を外した。そして合掌をしながら数秒黙想をすると、立ち上がって籠原麻美の元に歩み寄り、その傍に座って彼女の頭を優しく撫でた。

「あさみちゃん、大丈夫よ。起きて。」

そっと声をかけると、不思議なことに麻美はゆっくりと目を開いて、美姫を見上げた。

「あっ、片倉美姫様!」

ビックリしたように声を上げると、「うわぁーっ」と言いながら飛び起きて、数歩後ずさり、美姫に向かって正座をすると、「ありがとうございました!」と言って畳におでこを付けながら礼をした。

それに応えるように美姫も改めて「ありがとうございました。」と静かに言って頭を下げた。

その様子を見て、呆気にとられながら「君、大丈夫か?少し休んでた方がいいんじゃないか?」と医者が、心配して麻美に声を掛けているところに、呼んでおいた担架が到着した。

「もう大丈夫です。元気です。ご心配をおかけしました。」

麻美が元気そうにそう言うので、医者は少しいぶかったが、特段ダメージも見受けられなかったので、審判員に一言二言何か言ってから、担架はもう要らないからと下げさせ、自分も待機場所に戻って行った。


「籠原選手、2本目行けますか?」

そう審判員が尋ねると、麻美は「はい、行けます。」と元気よく答えたので、審判員が二人に準備をするよう指示を出すと、試合は再開された。

それから数秒。

「すね、1本!」

いつも通りの試合運びで、美姫は簡単に試合を決めた。

「早っ!でもまぁ、いつも通りの美姫だな。」

杏子が、安堵の表情で勝利を讃えた。

勝ち名乗りを受けた後、杏子達の元に戻る途中、隣の会場が目に入った。市村彩花が高邑万里に圧倒されていた。


「ありゃダメかもな。市村彩花もかなり善戦してるけど、既に1本取られてるし、時間ももう無い。薙刀落とす反則も二度取られて、圧倒的に押されてる。逆転出来る要素が無いことは素人でも分かる。な、紗有里もそう思うだろ?」

「そうですね。何か市村さん、動きに重さを感じる気がします。」

「運が悪かったわね。」

必死に声を上げる市村彩花を、本当に気の毒そうな顔で見ながら、美姫がポツリと言った。

そして、審判員が時間切れを告げて、高邑万里の勝ちを宣言するのを確認すると、美姫は一度アリーナを後にした。


外の通路を歩いていると、後ろから「片倉美姫様。」と呼ぶ声が聞こえたので、美姫は歩を止めた。

「あら、麻美ちゃん。どうしたの?」

「あれ、お前はさっきの。」と杏子も反応した。

「すいません、突然。でも、万里ちゃんを助けてあげて欲しくて。お願いします、万里ちゃんも助けてあげてください!」

今にも泣きそうに顔でそう言うと、麻美は深く頭を下げた。

「助けてあげてって、今、圧倒的に勝ったばっかりじゃん。それに『も』って何の話だ。」

杏子の言葉に麻美は顔を上げると、「違うんです。あれは万里ちゃんじゃありません。」と訴えるように答えた。

「麻美ちゃん。麻美ちゃんと同じようなことになってるってことよね。何があったか詳しく話してくれる?」

「美姫先輩、それってもしかしたら、憑き物ってことですか?」

「憑き物?紗有里は憑き物が見るのか?」

「何となく、空気の重さと言うか、雰囲気みたいな。私の野生的な勘、みたいなもので、、、。」

「意外と侮れないやつだな。」

杏子が、ちょっと見直したぜというような顔で、そう言っているのを遮るように、「それよりも麻美ちゃん、教えてくれる?何があったか。」と美姫が話を戻した。

「はい、私と万里ちゃんは同郷なんです。滋賀県の米原と言う所なんですが、高校が同じだったんです。大学は京都の大学に進んで、別々の学校に行くことになったんですが、それでもそれぞれ薙刀部に入って頑張っていたんです。今年は学校で夏に合宿をやって、、、」

と言ったところで杏子が「あのさ、その辺のくだりは必要なのか?」と口を挟んだが、美姫が「杏子。」と言って諌めて、「麻美ちゃん、続けて。」と先を促した。

「えーと、それでも、今年の大会に向けて二人でもっと頑張りたいって思いが一致して、地元でミニ合宿をやることにしたんです。」

「同郷の二人が、地元でミニ合宿をやることになった、でいい話なんじゃないか?結局。」と、また杏子が口を挟むが、確かにそうだけど、と思いながらも「だから、杏子。」と美姫が再度諫めて言った。

「で、そのミニ合宿で何かあったの?」

「はい。私の叔父さんが、あ、父のお兄さんですけど、その人が住職をしている小さなお寺があって、そこでミニ合宿をやることにしたんです。それは佐和山にあって・・・」

そこまで聞いて、美姫が「佐和山!?」と急に声のトーンを上げて復唱した。

「何だ、美姫、サワヤマって何かあるのか?」

「サワヤマって、人偏に左って書く『佐』に、平和の『和』に『山』って書く、佐和山のこと?」と紗有里が分かり易く確認をする。

「はい。米原に佐和山は他にありません。」

「佐和山は、石田三成さんの居城があったところなの。」と美姫。

杏子が、それを聞いて、「は~ん」と大きく2、3度頷きながら「なるほどー、大坂だの関ヶ原だのって話がまた出て来たって訳だ。えっ、ってことは、石田三成の呪いとか祟りとか、そう言うことに繋がるってことか!?」と、謎が見えて来た様な話振りで、美姫と紗有里に同意を求めた。

「私たち、いえ、地元の人達は多分みんな、石田三成様を悪く言う人はいません。素晴らしい人だったと信じてますし、信奉してます。」

「そうよね、私もそう思ってるわ。それで、何か起こったのよね。」

美姫が杏子に軽く目配せをすると、杏子は少しバツの悪そうな表情で目を逸らした。

「佐和山城跡には、神秘の力があると私たちは思っていて、あ、私たちって言うのは私と万理ちゃんのことですけど、その二人で秘密の祠に行ったんです。」

「秘密の祠っ?」

さすがの美姫も、驚きを隠さなかった。

「いよいよ妖しい話になって来たじゃねーか。紗有里、どう思う?」

「杏子先輩、最後まで話を聞きましょう。」

紗有里にも諌められると、ちょっと拗ねた様に「はいはい。」と言って麻美に目を向けた。

「私たち、佐和山を探索してて、変な横穴を見つけたんです。そこには、何とも言えない空気があって、不思議と力が漲ると言うか、元気になれる、そんな感じがあって、って言う時に行っていたんです。」

「地元の人達はみんな知ってるの?そこは。」

「それは分からないです。私たちは二人の秘密と言うことにしてるので。」

「そこで、何があったの?」

「私たち、もっと強くなって、全国大会に行きたい。片倉美姫様に会いたいって念じたんです。」

それを聞いて杏子が、「片倉美姫様。」と小さく復唱して言うのに、美姫は冷たい視線を投げて、麻美に向き直ると言った。

「その『様』って止めてね。普通に片倉さんとか美姫さんとか呼んでくれる?」

「そんな畏れ多いこと。雲の上の方ですから。こうやって、お話をさせていただいているだけでも、畏れ多いのに。」

麻美は、頭を垂れながら、申し訳なさそうに言った。

「どうして?ちょっとだけ年が上なだけよ。そう呼んでくれないと、私も麻美様って呼ぶよ。」

「ダメです!!そんなの、絶対ダメです。絶対止めてください!」

麻美が手も首も大きく振って、拒絶の仕草を見せるが、美姫は笑みを浮かべて「じゃあ、約束ね。」と言って麻美の手を取って、指切りをして見せた。

「あー、畏れ多過ぎる〜。」と麻美は大袈裟にうな垂れた。

「それで、祠の話、もう少し聞かせてくれる?」と美姫は仕切り直して、話題を戻した。

「ああ、はい。その祠では、二人で予選会突破を願って、蝋燭の灯りを頼りに、乱取りをしました。あ、蝋燭は、中が暗いのを知っていたので、二人で予め用意して行ったんです、何本も。 そして、暫く乱取りをしたところで、何か段々と気分が高揚してくるのを感じて、そしたら、どうしても勝ちたいか?って聞こえた様な気がして、でも気分が高揚しているから、そう聞こえたんだと思うようにして『絶対に勝ちたい!』って叫んだんです。でも、その時、私だけに聞こえた自分の心の声だと思っていたんですが、万里ちゃんも同じように『絶対に勝つ!!』って叫んでて、ちょっとだけあれ?って思ったんですけど、その後は記憶が、何かおかしいんです。斑らと言うか、分かっているような分かっていないような感じで。気が付いたら、片倉美姫様と、あ、いや、ごめんなさい、片倉、、さん、が目の前にいらして、対戦しているのも半分は分かっているんですけど、体が勝手に動くと言うか、嬉し過ぎてパニックになっていつも以上の力が出ていると言うか、お酒に酔って前後不覚になりながら、対戦しているみたいな感じで、目が覚めたら片倉さんが目の前に、あああ、私って何やってるんだろうー!」

麻美は、通路の床にぺシャリと座り込み、頭を抱えた。

「自己嫌悪しかありません。」

「それって、憑依ですね。私も経験があります。」

「ほー、それでその後はどうなったんだ?」

紗有里のカミングアウトに、杏子が興味を示したが、そこには美姫も聞き耳を立てた。

「あ、私は、自分で憑依されたのが分かったので、神社にお祓いを受けに行きました。」

「へー、神主さんて、結構ちゃんとしてるんだ。」

杏子が意外そうに言う。

「神社自体に神聖な力が宿っているんです。まあ、一言で言うと、神が宿ってるってことです。神主さんは、その力を集中してくれる人、的な?」

紗有里が、自慢気に言うのを、「本当かよ。」と杏子が落とした。

「でも、片倉さんは、その神聖な力を使うことなく、その憑き物を」とまで麻美が言うのを塞き止めるように「麻美ちゃん、私は何もしてないから。」と被せて美姫が言うと、「片倉さん、万里ちゃん、助けて、あの祠に誘ったのは私なんです。」と涙ぐんで手で顔を覆った。

「でもさ、美姫があの面打ちをした時、何か光ったよな。紗有里も見ただろう?」と杏子は紗有里に同意を求めつつ、「肩にいるお侍が、そいつを切り離したとかあったんじゃないか?」と続けた。

「そう言うことも考えられますけど、、、いずれにしても、片倉先輩が助けられるかも知れませんよね。」と紗有里。

美姫は、自分もしゃがみ込んで、未だ床で悲観にくれている麻美の肩を抱いて「麻美ちゃん、私に出来ることがあれば、何でもやってあげるけど、凄い力のあるお坊さんも知っているから、大丈夫。直ぐに呼んで万里ちゃんを元に戻してあげるから、もう泣かないで。」と言いながら、その胸に包み込んだ。

「ありがとうございます。ありがとうございます。よろしくお願いします。」

麻美は、安堵したのか、美姫の胸でわーわー泣いた。



《7―4 除霊・浄霊》


「あの坊さんの世迷い言みたいな話も、何か現実味を帯びて来ちゃった感じだよな。変な侍は美姫にくっ付くし、美姫は真田の姫様だったし、これで今度は佐和山?とかにいる石田三成が、坊さんの言う『西方の悪鬼』って可能性が出て来てさ。」

美姫はまた次の試合が近くなったので、アリーナに戻った。杏子達も一緒に戻ったが、二人は少し離れて観戦していた。

「どうでしょうか。麻美さんが言うように、石田三成さんは、土地では敬われている訳で、そんなことをするでしょうか。」

「おいおい、本気か?相手は死んだ魂だ。そんな正気が通用する訳ないだろう。」

杏子が、声を抑えながら、語気を強めて紗有里に言う。

「それは確かにそうですが、、、」


美姫は順調に三回戦も勝ち上がり、準決勝で第2シードの組の勝者である高邑万里との対戦を迎えた。

競技場脇に、市村彩花が来ていた。

「あなたにアドバイスなんて無用かも知れないけど、あの子の薙刀は狂気の剣よ。まともにやったら切られるから、せいぜい気を付けてね。それだけ言いたくて。じゃあ。」

本当にそれだけ言うと、市村彩花は美姫に背を向けて、アリーナを後にして行った。

美姫は、「ありがとう。あなたの分も頑張るわ。」と、その後ろ姿に声を掛けて見送っていた。


高邑万里は、麻美の時同様にゆらりゆらりと競技場内に入って来て、開始戦まで進んだ。

〘こやつ、さっきの気配よりも邪なるものを漂わせております。人斬りの臭いが致します。相当にタチが悪いですぞ。お気を付けくだされ。〙

『堀田さん、私は大丈夫だから。声を掛けられると気が散るの。止めて。』

〘阿梅様、この又兵衛にも少しは頼ってくだされ。こやつは人斬りですぞ。しかも手強い。〙

『私は負けませんから。出て来たら、承知しません。いいですね。』

それ以降は、頼幸の声はしなかった。

『言い過ぎたかしら?まあ、今考えることじゃないから、集中しないと。』


間も無くして、審判員の声とともに試合が開始された。

高邑万里は、奇声を発しながら、勢い良くブンブンと薙刀を振って来た。それに対して、美姫は的確な防戦をしつつ、間合いを計った。防戦ばかりの時が少し続いた中、万里の気が一瞬だけ外に向いた。美姫は、そのほんの僅かな隙を衝いて、万里の間合いに入り込んだ。

「でえええーーーーーいっ!!」

接近して薙刀を交えた後、そのまま高邑万里を押し込んで進み、彼女を場外に押し出して、重なり合うように倒れ込んだ。

会場から、どよどよとした声が上がった。

観客席で観戦していた美姫の後輩達は、相変わらず心配気に観戦をしていて、反応は籠原麻美戦の時と同じだった。


重なり合うように倒れた二人に、審判員は、旗を振って両者に戻るように指示を送っていた。


「ふー、何とか間におうたか。しかし、これはいかんぞ、急がねば!」

そう言って会場に現れたのは円龍だった。万里の気が一瞬だけ散ったのは、円龍が会場入りしたその時だった。

実は、一回戦の試合を見た時から美姫が、何か起こるからと、円龍を呼びつけていたのだ。

そして今、高邑万里との対戦に、ギリギリ間に合って到着した次第だった。

「あー、ちょっと待たれよ。その娘は儂の孫娘じゃ。御守りの札を渡し忘れて、今到着したところ!これを渡さずにおったら、死んでも死に切れん!お待ち下されーっ!」

芝居にしては大袈裟が過ぎるが、それ程に言われると、審判員も待たざるを得ない。

「他にも試合をしているので、静かにして下さい。直ぐにそのお札を渡したら、下がって下さいよ。」

そう言われて、円龍は内心でニンマリとしながら「お優しい方で良かった。」と言って、高邑万里の側に近寄って行った。

高邑万里は、近寄る僧の気配を感じ取って、振り向き様に薙刀を振った。

円龍は、素早く持っていた錫杖しゃくじょうでそれを払うと、スッと彼女の間合いに入り込み、左手を顔の前に出して合掌をしながら「南無ーっ!」と叫び、彼女の足元近くで錫杖を強く打ち付けて「悪霊退散っ!かーーーっっ!」と発した。


見える者には見えただろう。高邑万里の体から、ゆらりと立ち上る黒い霧があった。

その時、近くで見ていた美姫が、スッと薙刀を振った。

「おい、また今、一瞬光ったよな。美姫が薙刀を振った時、光っただろう!?」

「そうですか?私には見えませんでしたが。」


会場では何が起こったか訳が分からず、他の試合も一時中断してその一点に注目が集まっていた。

そしてまた、高邑万里がその場に崩れると言うシーンが、皆の目に映り、シンとしていた会場が、逆にざわつきたった。


その後は、麻美の時の巻き戻しを見るようだった。

審判員が心配気に駆け寄って医者を呼び、担架を呼ぶ。

美姫は、開始線まで戻って一礼をすると防具を外して数秒黙想をする。それから高邑万里の元に歩み寄ると「まりちゃん、もう大丈夫だから、起きて。」と言う。それまでピクリともしなかった高邑万里が、パチリと目を開けて、美姫を見てビックリする。そこまでは、麻美の時と全く変わりない光景が続いた。

ただ違ったのは、円龍が警備員に取り押さえられて、会場から引きずれ出されたことが、新たに加わったシーンだった。


正気に戻った万里に、最初に駆け寄ったのは、麻美だった。抱き付いて泣いて喜んだ。万里も、一緒になって泣いていた。

それから、警察も来て少しおおごとになったのは、かなり大きな違いとなったのだが、試合はそのまま続行された。ただ、万里はその後の試合を棄権したので、美姫は不戦勝で決勝に勝ち上がり、決勝戦は、難無く2本連取して、結局、個人戦4年間連覇という、前代未聞、前人未到の記録を打ち立てて、薙刀の個人戦全国大会は幕を閉じた。

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