東京D奇譚
諸星モヨヨ
それはかつて夢の塊だったもの
冷たい風が吹き抜ける。
乾いた草の香りが鼻を掠め、私は
剥がれた塗装の破片が宙を舞ってどこかへ飛んでいく。
視界は横倒しになっていた。
私はどうやら少し眠ってしまっていたみたいだ。
身を起こし、朽ちかけのベンチに座り直すと私は改めて周囲を見回した。
はて、と思う。
ここは一体どこだ。
私は…………私は一体どこにいた………いや、今私がいる場所がどこなのか、それすら記憶にない。
立ち上がって少し歩いてみた。
崩れかけた木製のジェットコースター、錆び付いて赤茶けた観覧車。
破壊され、スプレーで落書きされた回転木馬。
遠くに浮かぶ巨大な夢の残骸。
記憶を手繰り寄せるように私は辺りを黙々と歩いて回った。
次第にここがかつて、大勢の人で賑わっていたような気がしてくる。
広い往還に人が溢れ、キャラメルハニーの香りを充満させたワゴンが並んでいる。遠くに無数の風船を売る店員がいて、子供がねだって大声を上げている。
それがこの場所の本来の姿ではないのか。
夢の王国、それがこの場所を指す言葉ではなかった?
しかし今は見る影も無く、タイルは剥げ、風に晒された紙コップがぐしゃぐしゃになって転がっている。
ここには何もない。
徹底的に自然を廃し、人の手で作られた楽園は今、ただの箱になった。
もう少し歩くと風景が私の記憶を少し掘り起こしてくれた。
私は何時か、ここで遊んだことがある。
そうだ、この通りを抜けていけばメインストリートに出る。
往来には数多くの外国風な店が並び、よく駄々をこねて両親を困らせたものだ。
足取りが軽くなって私は少し速足で通りを抜けていく。
メインストリートへ出た。
やはり、記憶の通りだ。
しかし、記憶があるだけに、変わり果てたその姿は胸に応えた。
ショーウィンドーはすべて叩き割られ、所々焦げ付いた後もある。
私は再び(いや、先ほどよりも幾分足取りは重かったが)歩き出した。
店内にはガラスの破片が散乱し、何も並んでいない棚が地面へ突っ伏している。
卑猥な落書きも至る所。
歩きながら、ため息にも近い息を私は吐いた。
遠い昔、ここで遊んだ記憶も活気づいた往来も今となっては、果たしてそれが現実だったのか危うい。
本当に夢の王国なんてあったのだろうか。
全部、全部、夢だったのではないか?
くだらない考えが私の頭を満たしていく。
必死に私はその考えを打ち消そうとした。
そんな、そんなはずはない。
私はこの王国に心を支えられていたはずだ。
私だけではない。多くの人間がこの場所で癒され、現実への活力を貰って去っていったはずだ。
それに、それに私は…………
ここであった出来事を書き留めていた………はず………
涙は出ない。
悲しくないからだ。
かわりに、胸の中が空っぽになった感覚があった。
何か本来ここに納まっているはずだったものがすっぽりと抜け落ち、空洞を空っ風が吹き抜けている。
なにか、大事な物を無くしてしまった気がした。
メインストリートを抜けると、入場ゲートが見えた。
数回振り返ると私は足早にゲートを出る。
駐車場だった。
厳密には“元”駐車場だろう。
アスファルトはひび割れ、走行には向かない。
中央には廃車が山と積まれている。
すべて奈良ナンバーだ。
私はてっきり東京にいるものだとばかり思っていたが…………
ハッとした。
そして全てを悟った。
そうか、そうだったのか………
風が吹いた。
身を刺すような冷たい風だ。
風を睨むように振り向くと、観覧車の向こうの空が薄青く淀んでいる。
私にはそれが朝焼けなのか、それとも夕暮れなのか、私には分からない。
だが、どうであれ私はもうここにはいてはいけないのだ。
風に背を向け、割れたアスファルトを踏みしめながら私はとぼとぼ、どこへとも知れぬ道を歩いて行った。
東京D奇譚 諸星モヨヨ @Myoyo_Moroboshi339
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