あの日のホワイトデー

 シャボン玉のように浮かぶ思い出。大きさや鮮度はばらばらだけれど、大人になった今でも時折思い出す過去がある。



 ベッドに寝転びながらカーテンを少し開けると、太陽の日差しで部屋はたちまち明るくなった。

 布団が引っ張られて横に目をやると、日差しが眩しかったのか頭の位置で布団ガードしている人が……。はみ出ている茶色がかった髪に触れた。こうして撫でるのはもう何回目だろうか。スマホでカレンダーを確認する。流れ込んできた1つのシャボン玉。



 あの時はまだあなたの髪の色が黒かった頃。



 高校1年生。バレンタインデーから1か月が経ったホワイトデーの日のこと。



 朝のあいさつ運動で腕に風紀委員の紋章を付けて校門の前に立つ。肌寒さがまだあって、校舎は白くどんよりと光っていた。元気にあいさつをしても返ってくる生徒たちの声はいつもよりも小さく感じられる。

 期末試験も終わり、授業も補講や自習が中心。3年生はもう学校には来ていないし、閑散とした空気だ。新しい季節の香りを纏った空気は静かだった。今日はホワイトデーだというのに……。

 みっちーや叶恵曰く、そんな空気の中でのホワイトデーだから、毎年あまり盛り上がらないらしい。お菓子の受け渡しが行われるのはごく一部なんだとか。



 本来はもらったチョコレートのお返しのためのホワイトデーではあるが、チョコレートの交換は既にバレンタインデーで済ませた。匿名もらったチョコレートもいくつかあったけれど、匿名だから誰に返して良いのか分からないし返しようがない。だから、お返しという意味でのホワイトデーは私の中では機能しない……。

 でも、私にとっては恋人ができて初めてのホワイトデーだ。こういうイベントは「お返し」という形でなくとも、とことん楽しみたいと思う。だから今日は焼いたクッキーを持ってきた。用意した小袋は2つ。1つは玲華先輩にあげる用、もう1つは千夏先輩用だ。



 元々、玲華先輩のためにクッキーを作る予定だったのだが、生地を作る段階でやらかした。砂糖と塩を間違えて入れてしまったのだ。指ですくって舐めてみたが酷い味だった。仕方なしに捨てようと思ったが、脳裏にある人物が浮かんで手が止まった。千夏先輩だ。

 チョコレートにカレー粉を入れるというとんでもないレシピをみっちーに教え、バレンタイン当日も歪な形のチョコレートをみんなに配っていた。千夏先輩にもらったチョコレートを食べたみっちーはお腹を壊したと言っていた。悪ふざけも良いところだ。みっちーの仇を打つためにも私はこの失敗を利用して制裁を下してやろうと、そのまま生地を焼いたのだ。



「千夏先輩、これどうぞ」



 休み時間に千夏先輩のクラスを訪ねて、平然を装って小袋を渡した。普段あまり仕掛ける側に回らないから少し緊張する。



「お」



 千夏先輩は眉毛を上に釣り上げた。



「ホワイトデーなので!」



 魂胆を悟られまいと、後輩らしく少し高めのはきはきとした声を出した。

 バレンタインデーの時はお互いにお菓子交換したから、お返しという意味で渡しているわけではない。日頃の仕返しという意味で渡しているのだ。



「へぇ、クッキーか。作ったの?」



 千夏先輩はいつもの感じで聞いてきた。今のところは怪しまれてない、と思う。



「はい、千夏先輩と違って手作りです」



 値札付きのマフィンを手作りだと言って手渡す誰かさんとは違うから。

 皮肉のこもった笑顔で応答する。



「ふふん、ちょっとそこで待ってなさい」


「え、はい」



 戻ってきた千夏先輩は、私が用意したものと同じような小袋を渡してきた。中にはチョコレートが入っている。



「あたしもホワイトデー用のものは用意してきたからさー。あげる」



 トリュフチョコだろうか。粉パウダーが振りかけられていて美味しそうだ。形もちゃんとしている。市販で売られていてもおかしくないような見た目をしているが……。

 ひっくり返して見てみたが小袋に値札はついていなかった。



「……作ったんですか」


「そう、バレンタインデーにもらって食べきれなかったチョコを溶かして作った」



 千夏先輩は悪戯に微笑んだ。



「え……いや、いっぱいもらったんでしょうけど! それは良くないですよ!」



 私は千夏先輩にチョコレートを突き返した。

 さすがにこれを食べるのは抵抗がある。聞かなきゃよかった……!



「嘘だって。まじにすんなよー」



 パーで押し返されたのでしぶしぶと受け取る。



「まぁでも手作りなのは本当だから」



 これが手作りか……。まじまじとチョコレートを見る。やはり見た目は完璧だ、美味しそう。

 千夏先輩が言ってることが本当なら手先が器用なんだろう、さすが何でもできる人だ。でも……。



「……あの、変なもの入ってないですか?」



 中にとんでもないものが入っているかもしれないし油断はできない。



「入ってないよ。未来も変なもの入れてないよねー?」



 ギクッ……。

 カウンターをくらい、作った「平然」が崩れそうになる。



「……わ、私は入れてません」



 表情を保つために顔に力を入れて早口で回答。



「ふーん。じゃあ今ここで自分の食べ合って確かめてみる?」



 千夏先輩は横目でこっちを見ながら、針金の留め具の部分を人差し指の腹でなぞってニヤッとした。

 やばい。なんかお察しかもしれない、この状況はまずい。



「すいません、玲華先輩にも渡しに行かなくちゃいけないので失礼します」


「玲華は今別館だよ、学院長のところ。ホワイトデーの秘め事の途中かもねー」



 サプライズで渡したかったから事前に約束を取り付けているわけではない。休み時間が難しいのであれば放課後に渡そう。



「……じゃあ私は放課後にホワイトデーの秘め事します」



 千夏先輩は私の言葉を聞いて、一瞬固まった後に吹き出した。



「んじゃ玲華に会ったら言っとくよ。放課後に未来がやらしーことしたがってたよって」


「ちゃっと! やめてください!!」



――――――――――――――



 放課後になり、校舎の入り口で待ち伏せしていると玲華先輩を見つけたので捕まえた。



「えっと……」



 クッキーを取り出すためにバッグのチャックを開ける。



「未来、千夏から聞いたわ……」



 玲華先輩はチラッとこちらを見たが、気まずそうに目を逸らして猫の肉球ストラップをつんつんとつついている。



「あの……何を聞いたんでしょうか」



 手を止めて尋ねた。

 嫌な予感がする。



「私もこういうのは初めてなの……だから……」



 まさかあれ、本気で言ったの!?

 信じられない、千夏先輩のバカ!



「ち、違いますから! 私はただこれを渡したかったんです!」



 押し付けるようにしてクッキーを渡す。



「っ……」


「ホワイトデーなので。お返しというよりは私がただ渡したかっただけなんですけど……」



 玲華先輩はしみじみとした顔で袋を見ている。良い感じだ、渡せてよかった。



「ありがとう。ごめんなさい、私も用意しておくべきだったかもしれないのだけれど……」


「良いんです。私が心浮きだっているというか、こういう行事がなんか楽しくて……」


「未来、場所を変えましょうか」


「あ、はい」



 校舎の入口で話す風紀委員長と次期風紀委員長は目立つのか、生徒からのじろじろと見られているのは先ほどから感じていた。

 それは玲華先輩も同じだったようで私の手を取って歩き出した。



 結局来たのは風紀室。

 安定の場所だ。



「お腹空いてます? 良かったら食べてみてください」



 ここまで来たということは私のために時間を作ってくれるということ。それは嬉しいけれど午前授業で昼下がり、お腹が空いてくる時刻である。



 クッキーのレシピはインターネットで調べたものにオリジナルアレンジを加えた。ギーという特別なバターを使用して作ったこともあって、香ばしさが増したクッキーを作ることができた。早く玲華先輩の反応が見たいな、とか思ったり……。



 私に勧められるまま玲華先輩はクッキーを一かじりした。



「どうです……?」


「おい……しい……わ」



 玲華先輩は強張った表情をして、水筒の水を飲んだ。

 あれ、思った反応と違う……。



「え、お気に召しませんでした……?」


「美味しいと言っているでしょう……」



 玲華先輩は残りのクッキーをまた一つかじった。

 顎のあたりが微かに震えているのが分かる。



「ちょっと失礼します」



 私は玲華先輩が手に持っているクッキーを奪って口の中に入れた。



「うわあぁぁ!」



 つんとした塩辛い味にソファに項垂れる。

 そしてたちまち絶望が渦巻いた。……最悪だ。千夏先輩に渡す予定だったものを玲華先輩に渡してしまったんだ。

 舌に残る不快感。私が今感じている苦痛と同じものを玲華先輩は2度も感じているはずなのに、私を気遣ってか美味しいだなんて……。



「玲華先輩、ごめんなさい! これは本来千夏先輩にあげるものだったんです! 間違えて美味しい方を千夏先輩に……! うわぁごめんなさいごめんなさい!」



 土下座の体勢になりソファーに頭を擦りつけた。

 もうだめだ、今日を1からやり直したい。



「……千夏にも渡したの?」


「はい。せっかくの私の力作が……」



 こんなんになるなら、お互い食べ合ってみるか聞かれた時に素直にそうしておけば良かった……。それで気がつけたはずなのに。



「はぁ……」



 玲華先輩は溜息をついて私の膝に横たわった。



「玲華先輩」



 下を向いて少しふくれっ面な玲華先輩の顔を覗き込む。さすがに怒ったよね……。膝に頭を乗せてくれている状況ではあるけど……。



「撫でて」


「はい……」



 灰色の眼差し。立場のない私は言われるがままさらさらの黒髪に指を通して頭を撫でた。



「あの……本当ごめんなさい。友達の仇を打つために千夏先輩に塩クッキー食べさせようとしてて……どれが美味しい方かすぐ分かるように印つけておくべきでした……」



 バッグに入れた位置で判別していたつもりだったけれど、いつの間にか入れ替わってしまっていたんだ。



「勘違いをしないで。あなたが私のために作ってくれたものなら何でも嬉しいわ」


「でも……怒ってますよね」



 頭を撫でながら再度顔を覗き込むが、やはりどこか不機嫌そうだ。



「バレンタインデーの日にあなたが嫉妬してくれたこと、嬉しかった。私も同じ気持ちだったからよ」


「え……」



 私が嫉妬……。

 あぁ、そうだ。あの時は玲華先輩に本命チョコを渡す人がいることに嫉妬を覚えた。玲華先輩も同じ気持ちだった……の?



「バレンタインデーは校内での一種の行事になりつつあるから、あなたが他の人にチョコレートを渡すことは我慢したわ。でも今日は……私だけで……。なんでもないわ」



 玲華先輩はぷいと顔を横に向けてしまった。



「玲華先輩……」



 両頬を挟んで優しくこちら側に顔を向かせた。



「こんなくだらないことであなたの自由を奪ってしまいたくはないと思う。でもあなたのことを独り占めして良いのは私だけのはずでしょう」



 目は合わせてくれないが、瞳は潤って揺れている。

 何かを期待しているかのようなその表情にスイッチが入りそうになる。



「はい。私は玲華先輩のものですよ……」



 囁くように言うと、玲華先輩はこちらを見てくれた。



「ここは誰のもの?」



 玲華先輩の細長い手が伸びて、私の上唇をつついた。甘えているような少し不安そうな顔。



「玲華先輩のものです」



 これ、キスしてって言ってるようなものだよね?

 あぁ、本当にかわいい。



 背中を丸めて距離を近づける。物欲しそうな唇に自分のものを重ねた。ずっとこのままでいたいが、体勢が少しキツい。惜しむように離れた唇を軽く舐めるとうっすらと塩の味がした。



「今度はちゃんと、玲華先輩だけに作りますからね」



 この日のホワイトデーは私にとっては少ししょっぱい思い出になったのであった。



――――――――――――――



「ふふふ」



 やきもち焼きさんなのは今も変わらないよね。



「何を笑っているの」



 玲華先輩は布団を下にずらして目を露わにした。あの時より少し大人びていて、大人の色気を伴った玲華先輩。どんどん、綺麗になっていく。



「ううん、ちょっと思い出し笑い。おはよう、れいちゃん」


「……おはよう」


「ねぇ、今日なんの日か知ってる……?」


「何かあった……?」


「れいちゃんが私を独占して良い日」


「……」



 思い当たったのか、布団ごとガシッと抱きしめられた。布団を下にずらして美少女の顔全体が見えるようにし、そっと唇を落とす。

 今日はホワイトデー、特別な日だ。

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難攻不落の風紀委員長を落としたい 風丸 @rkkmr

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