箱入り娘、はじめての追っかけ

永井 茜

箱入り娘、はじめての追っかけ

登場人物


ひいらぎ鈴音すずね(19)

ひいらぎ史子ふみこ(48)

トキオ(29)

カズヒサ(27)

タカヤ(28)

畠中はたなかかずみ(19)

戸部とべ健太けんた(37)

藤村ふじむら仁美ひとみ(48)

北島きたじま俊樹としき(38)

結城ゆうきひろし(40)

たちばな幸雄ゆきお(41)

町田まちだだい(48)

清水しみず陽子ようこ(59)




○ 柊宅605号室・鈴音の部屋

  清楚な恰好をした、柊鈴音(19)、服を脱ぎ、『The Soralis』のロゴが入った黒いTシャツと、ジーパンに着替え、髪をくくる。

   ×   ×   ×

  鈴音、メモ用紙に書置きを書いている。

   ×   ×   ×

  鈴音、スマホの設定画面を開き、GpS機能をオフにする。


〇 マンション・エントランス(夜)

  オートロック式の小奇麗なマンション。

  柊史子(48)、カードキーを使って解錠し、マンションの中へ。


〇 同・6階廊下(夜)

  エレベーターが開き、史子が降りてくる。

  史子、自宅の部屋へ足早に向かいながら、腕時計を確認する。

  時刻は二十時三十分。

史子「ちょっと遅くなっちゃったな」


〇 柊宅605号室・玄関(夜)

  家の中は真っ暗で、無人の様子。

  鍵が開き、史子が帰宅してくる。

史子「ただいまー。鈴音ー?」

  返答はない。

  史子、電気をつけ、三和土を見下ろすと、そこには1足のサンダルしかない。

史子「(不審そうに)…鈴音?」

  靴を脱ぎ、リビングへ向かう。


〇 同・リビング(夜)

  史子、電気をつけ、リビングへ。

  ダイニングテーブルの上に、ラップされた1人分の食事と、置手紙がある。

  史子、鞄を脇に置き、置手紙を手に取る。

  手紙には「十日後に帰ります。鈴音」の一文。

  史子、驚愕し、鞄からスマホを取り出し、電話をかける。

  コール音が鳴るが、一向に誰も出ない。

史子「鈴音…!?」


〇 同・フロア(夜)

  人でごった返すフロア内、ステージにはドラム、ベース、ギターと、スタンドマイクが設置されている。

  鈴音、人をかき分けてフロア前方へ。

  するとフロアの照明が落ち、客が歓声を上げて一気にステージ前へ押し寄せる。

  鈴音、客に押されて前方へ追いやられる。

鈴音「うわっ…」

  SEの音楽が鳴り、鈴音がステージを見上げると、パンクバンド『The Soralis』のメンバー、タカヤ(28)、カズヒサ(27)、トキオ(29)が次々に現れる。

  一層大きくなる歓声の中、鈴音は呆然とステージを見上げている。

  メンバーがそれぞれ位置につき、ドラムのカウントから曲の演奏が始まる。

  トキオ、ギターをかき鳴らしながら、スタンドマイクの前に立ち、

トキオ「(シャウト)」

  客が一斉に拳を上げ、歓声を上げる。

  鈴音、感動に震え涙を流しながら、笑顔で拳を上げる。

鈴音「きゃあーっ! トキオーっ!」


タイトル 『箱入り娘、はじめての追っかけ』


○ 古アパート・外観(朝)


○ 同・102号室(朝)

  ロックバンドのポスターやフライヤーで埋め尽くされたワンルーム。

  鈴音、キッチンに立ち、朝食のパンケーキを焼いている。

  スマホの通知音が鳴り、鈴音、ポケットからスマホを取り出して見る。

  鈴音のツイッターアカウント「すずね」の「初めてのライブ最高だった!」というツイートに対し、「きったん」というアカウント(アイコンが子猫)がいいねを付けたという通知。

  ベッドの上で眠っていた家主、畠中かずみ(19)、料理の匂いで起床する。

かずみ「いー匂い…」

鈴音「おはよう、かずみちゃん」

  かずみ、起き上がる。

かずみ「おはよー。朝ごはん作ってくれんの?」

鈴音「泊めてくれたお礼。材料、そこのコンビニで買ってきたから、冷蔵庫には手つけてないよ」

かずみ「そんなの気にしなくていいのに。相変わらず気にしいだね」

  鈴音、スマホをしまい、パンケーキを器用にひっくり返す。

   ×   ×   ×

  ローテーブルを挟んで向かい合い、パンケーキを食べる鈴音とかずみ。

かずみ「明日の新幹線、何時だっけ?」

鈴音「十時四十三分。初めての大阪!」

かずみ「しかし凄い情熱だよね。ソラリスの全国ツアー、全部行くんでしょ? 昨日が横浜で、明日が大阪で、次が…なんだっけ」

  鈴音、カバンからフライヤーを取り出し、会場の記載箇所をかずみに見せる。

鈴音「十三日が福岡、十五日が北海道、十七日が最終日、東京!」

かずみ「うわ、交通費エグそう。お金大丈夫なの?」

鈴音「大丈夫じゃないけど…。もう二度と見られないって思ったら…」

かずみ「あー…」

  壁に貼ってある、The Soralisのセカンドシングル『生まれてくるんじゃなかった』のフライヤーを見る。

かずみ「まさか、解散しちゃうなんてなぁ…」

鈴音「……」

かずみ「でもさ、よくお母さん許してくれたね。めっちゃ厳しいじゃん、鈴音のお母さん」

  鈴音、気まずそうに、

鈴音「…あぁ、まあね…」

かずみ「中学の卒業旅行でディズニー泊まろうって話した時とかさ、『子供だけで外泊なんてとんでもない!』って言って、結局日帰りになったし。ま、さすがに十九歳にもなりゃね!」

鈴音「そうだね…」


○ 警察署・受付

  史子、受付に立つ中年の警官に迫る。

史子「ですから、昨日からずっと、娘と電話が繋がらないんです! スマホのGPSまでオフになってて、今までこんなことなかったのに!」

警官「まあまあ、お母さん。書き置きが残っていたそうだし、もう少し様子を見てみたらどうです? それに娘さん、十九歳なんでしょ? そんなに心配しなくても…」

史子「大切な娘を心配して、何が悪いんですか!? あの子はまだ学生なんですよ!?」

  警官、困り顔。


○ 同・玄関口

  史子、足早に警察署から出てくる。

史子「まったく、本当に役に立たない…!」

  歩きながらスマホを取り出し、鈴音のバイト先に電話を掛ける。

史子「もしもし、私、そちらでバイトしている柊鈴音の母親ですが。ちょっと娘のことで伺いたいことが…」


○ 道頓堀・景観(夜)


○ 大阪のライブハウス・フロア (夜)

  ステージの上で、激しくギターをかき鳴らすトキオ。

  鈴音、モッシュに揉まれながら、笑顔で拳を突き上げているが、右隣の男性客に強くぶつかられ、バランスを崩してその場に倒れる。

  すると、左隣の赤髪の女性客が、鈴音の腕を掴んで立たせる。

鈴音「あっ…ありがとうございます」

  女性客、鈴音にウインクしてから、前列に突っ込んでいく。

  鈴音、笑みを浮かべる。


○ ツイッターの画面

すずね「大阪最高! 転んじゃった時に助けてくれた赤い髪のお姉さん、とっても素敵だった(ハート) ありがとうございます(ハート)」


○ 駅前のストリート(夜)

  鈴音、ネットカフェの店前に辿り着く。

  緊張した面持ちで、ネットカフェに入る。


○ ネットカフェ・受付(夜)

  金髪の店員がかったるそうに受付に立っている。

  鈴音、小声で店員に声をかける。

鈴音「すみません…」

店員「うぃ」

鈴音「あの、一泊したいんですけど」

店員「…ナイトコースってことですか?」

鈴音「え? あ、はい、じゃあそれで」

店員「会員証ご提示ください」

鈴音「えっ…あの、すみません、持ってないです」

  店員、記入用紙とペンを差し出す。

店員「ここにお名前とご連絡先をお願いします。あと、入会費五百円いただきますんで」

鈴音「えっ、あ、はい」

  ペンを取るが、手が滑って落としてしまう。

鈴音「わっ、すみません、すみません」


○ 同・個室内(夜)

  鈴音、リクライニングシートで眠っているが、寝心地悪そうに寝返りを打つ。

  すると、扉からノック音が聞こえ、鈴音、眼を覚ます。

鈴音「はい?」

  鈴音、起き上がり、扉を開ける。

  そこには、下半身を露出した老人が、ニタニタ笑いながら立っている。

  鈴音、しばらく絶句してから、

鈴音「きゃあーーーーーっ!」


○ 駅前のストリート(夜)

  ネットカフェ前に止まったパトカーへ、警官に連れられた老人が押し込められる。

警官「おっちゃんなぁ、ええ加減にせえよ。これで何回目や?」

老人「堪忍なぁ、おっちゃん病気やねん」


○ ネットカフェ・バックヤード(夜)

  鈴音、荷物を抱えてソファに座っている。

  金髪の店員、かったるそうに鈴音のもとへやってくる。

店員「大丈夫っすか」

鈴音「はい、すみません…」

店員「それじゃ、個室戻ってもらっていいっすか。俺これから休憩なんで」

  鈴音、躊躇しつつも、立ち上がって個室へ戻る。

店員「(小声で)ったく、めんどくせー」


○ 同・個室(夜)

  鈴音、声を殺して泣きながら、スマホでツイッターに「ネットカフェで露出狂に遭った。ものすごく怖かったのに店員さんが冷たくて悲しかった。なんでこんな怖い思いしなきゃなんないの」とツイートする。

  しばらく泣いていると、通知音が鳴る。

  「きったん」からの「大丈夫!?」という返信。


○ ツイッターの画面

すずね「大丈夫です(泣いてる絵文字) でもホントに怖かった…」

きったん「女の子にそんなことする奴許せん(怒りの顔文字) ソラリスのツアー追っかけてるんだよね? この後大丈夫そう?」

すずね「お金無いからホテルとか泊まれないし、ネットカフェとか泊まるしかないんですけど、やっぱり怖いです」

きったん「次、福岡だよね? うち福岡住みだから、よかったら泊めるよ!」

すずね「え! いいんですか? 申し訳ないです(汗の絵文字)」

きったん「気使わないで! フォロワーさんの危機とあらば一肌脱ぐよ(やる気の顔文字)」


○ ネットカフェ・個室(夜)

  鈴音、涙を拭いて笑顔を浮かべる。

  きったんへ「ありがとうございます(ハート)」と返信。


○ ヒイラギハウジング・事務所外観


○ 同・事務室

  史子、デスクの前でPCの画面を見つめ、心ここにあらずといった様子。

  PCのデスクトップ画面には、陸上のユニフォームを着た、学生時代の鈴音の写真が映っている。

  電話に出ていた社員の、戸部健太(37)、電話を切って史子のもとへ。

戸部「社長、織部さんのところのリノベーションの件なんですが…」

  史子、戸部に気付いていない。

戸部「社長?」

  史子、ようやく戸部に気付き、顔を上げる。

史子「ああ、ごめん! 何の件だって?」

戸部「いえ、予定通り工事が完了したと電話が。…社長、今日はもう休まれた方がいいんじゃないですか? 顔色も悪いですし」

史子「…ごめん、そうさせてもらおうかな」

  PCの電源を落とし、席を立つ。


○ 歩道橋

  史子、足取り重く帰路に就く。

  すると、歩道橋下から女児の泣き声が聞こえてくる。

女児「(泣き声)」

  史子、驚いて声の方を見落とす。

  歩道橋から少し離れたところの歩道で、駄々をこねて泣いている女児が、若い母親に腕を引っ張られて、無理やり連れて行かれそうになっている。

女児「(泣きながら)やあだぁー!」

母親「いいから早く来なさい!」

史子「…!」

  史子、速足で歩道橋を駆け下り、母娘のもとへ。


○ カナリア保育園前の歩道

  女児はいやいやと首を振って、その場に座り込んでいる。

女児「いやあー!」

母親「何してるの、ちゃんと立って!」

女児「(叫ぶような泣き声)」

  速足でやってきた史子、少し離れたところで立ち止まり、女児をじっと見つめる。

  母親、史子の視線に気づき、気まずそうに女児を無理やり抱き上げる。

母親「ほら、恥ずかしいでしょ!」

女児「(泣き声)」

  史子、いてもたってもいられず、といった様子で、2人のもとへ駆け寄る。

史子「あの、その子のお母さんですか?」

母親「すみません、すぐ連れて帰るんで…」

史子「本当にあなた、その子のお母さんですか?」

  母親、驚いて史子を見る。

母親「えっ?」

史子「あなたが本当にお母さんだったら、その子、そんなに泣きます?」

母親「ちょっと、どういう意味ですか!?」

  通りすがりの人が、遠巻きに史子と母娘を見ている。

  様子を見に、保育園の中から保育士の藤村仁美(48)が出てくる。

史子「だってこの子、物凄く嫌がってるじゃないですか!」

母親「ワガママ言ってるだけです! いったいなんなんですか、あなた!」

  仁美、ただならぬ様子を察して、母親のもとへやってくる。

仁美「どうかされましたか?」

  母親、仁美に気付き、ほっとした顔。

母親「仁美先生! この人、変なんですよ!」

  史子、振り返って仁美と目が合うと、お互いにハッとした表情。

史子「あっ…」

仁美「鈴音ちゃんのお母さん…!」

  母親、仁美の様子に怪訝な表情。


○ カナリア保育園・面談室

  子供たちの声が壁越しに聞こえる室内で、史子と仁美が向かい合って座っている。

仁美「鈴音ちゃんは元気ですか?」

史子「…ええ、まあ……」

仁美「…あの、柊さん。その節は、本当に申し訳ありませんでした」

  史子に向かって深く頭を下げる。

  史子、それを慌てて遮る。

史子「そんな、仁美先生は悪くないですよ!」

仁美「いえ、絶対にあってはならないことですから…。あれ以来、うちの園では厳重な連れ去り対策を施しています」

史子「…私も悪いんですよ。忙しさにかまけて、鈴音のことはほとんど旦那に押し付けて…。旦那の浮気相手が私の名前を騙っても、先生たちはそもそもの私の顔を知らなかった訳ですから」


○ カナリア保育園・門前(回想)

  長髪の若い女に無理やり腕を引かれ、泣きながら連れて行かれる鈴音(3)。

史子の声「鈴音があの女に連れ去られて、ようやく気付きました。私は鈴音がいなくては、生きていけないと」


○ カナリア保育園・面談室(元の)

  史子、俯いて自嘲気味に笑う。

史子「それ以来、仕事中も家にいる時も、鈴音の姿が見えないと不安で…」

仁美「お察しします。お母さんにとって、お子さんが一番大事ですから。鈴音ちゃん、今年で十八歳でしたっけ?」

史子「十九です。看護の勉強がしたいって、女子大に通っています」

仁美「まあ、そうですか! あんなに小さかった鈴音ちゃんも、もうすっかり大人ですね」

史子「いえいえ、まだまだ子供ですよ」

仁美「そんなことありませんよ。目標を立てて、夢に向かって頑張ってるなんて、とても立派です」

  史子、ふと黙り込む。

史子「…私からすれば、まだまだ甘ちゃんの可愛い鈴音です」


○ 福岡の屋台街・景観(夜)


○ 福岡のライブハウス・外観(夜)


○ 同・フロア(夜)

  ステージの上で激しいパフォーマンスを繰り広げるThe Soralisのメンバー。

  鈴音を含む観客、拳を掲げて激しいモッシュを繰り広げる。

  曲の演奏が終わり、観客の歓声が沸き上がる中、メンバーは水分補給を取る。

  鈴音、汗で顔に張り付いた髪をかき分けながら、ステージ上を見つめる。

客A「『生まれてくるんじゃなかった』やってー!」

  トキオ、マイクの前に来て、

トキオ「その曲はもうやらない」

  客席が静まり返る。

  鈴音、訝し気にトキオを見上げる。

  トキオ、観客を無視して、次の曲のイントロを弾き出す。


○ ツイッターの画面

すずね「ライブは最高だった。けどトキオが『生まれてくるんじゃなかった』はもうやらないって…。The Soralisで一番人気の曲なのに、どうして?」

  すぐに返信が飛んでくる。

きったん「ライブお疲れ! 迎えに行くから駅前で待ってて(笑顔の顔文字)」


○ ライブハウスの最寄り駅・改札前(夜)

  別のTシャツに着替えた鈴音、柱によりかかって立っている。

  そこへ、スーツ姿の太った男、北島俊樹(38)が声をかける。

北島「君がすずねさん?」

  鈴音、顔を上げると、北島を見て驚く。

北島「うわっ、めちゃくちゃ可愛いね! 想像を超えてきたなぁー!」

鈴音「あの…誰ですか」

北島「あ、ごめんごめん。実際に会うのは初めてだもんね。きったんです」

鈴音「えっ…!? きったんさんって、女性じゃなかったんですか!?」

北島「あー、俺よくツイートが女っぽいって言われるんだよね。絵文字とか使いまくるからかな? とりあえず、ご飯でも食べようよ。奢るからさ」

  鈴音、困惑しつつも、北島についていく。


○ 居酒屋・個室(夜)

  鈴音と北島がテーブルを挟んで向かい合い、テーブルの中央でもつ鍋が煮えている。

  北島、もつ鍋を小皿によそって鈴音に渡す。

北島「はい、本場のもつ鍋をどうぞ~」

鈴音「どうも…」

  引きつった笑顔でもつ鍋を食べる。

  北島、鈴音の食べる様子をニタニタ笑いながら見ている。

北島「いやー、ソラリスのファンだっていうから、顔中ピアスだらけみたいな女の子を想像してたら、めっちゃ清楚系の子だったからビックリしたよ。けどまあ、家出してまでツアーの追っかけしてるぐらいだから、心はパンクロッカーなのか、アハハ」

鈴音「え、どうして家出って…」

北島「いや、ツイートしてたじゃん」

鈴音「あ、そっか…」

  北島、煙草を取り出して火をつける。

北島「そんなに俺がきったんだったの意外だったー?」

  鈴音、北島が吐いた煙草の煙を吸ってむせる。

鈴音「(むせながら)意外っていうか、女性だと思ってたので…」

北島「アハハ、よく言われる。そういえば、トキオが『生まれてくるんじゃなかった』もうやらないって言ってた、ってツイートしてたよね。あれマジ?」

鈴音「はい。私、友達からあの曲を教えてもらって、それでソラリスを好きになったので…。ちょっとショックでした…」

北島「そうそう、知ってた? あの曲、トキオが自分の親のこと歌った曲なんだよ」

鈴音「勿論! ファンからしたら常識です!」

  前のめりになって語り出す。

鈴音「(早口で)トキオのお母さんはホントに酷い毒親で、トキオが中学受験に失敗してからは毎日のように殴られたり蹴られたりしてたって、デビューしたての時にインタビューで話してるんですよ! だからトキオの歌詞には自由への憧れとか、自分を縛りつけるものへの反抗心とかが溢れてて!」

  北島、鈴音の剣幕に若干引いている。

北島「すずねちゃん、本当に好きなんだね…」

  鈴音、水をぐいっと飲み、口元についた水滴を拭う。

鈴音「ソラリスを始めて聞いた時、衝撃だったんです。自由になりたいって思っていいんだって…」

北島「へぇー。けど、なんで封印しちゃったのかね。一番人気の曲だし、デビューシングルだってのに」

  鈴音、食事の手が止まる。

北島「どうかした?」

鈴音「『生まれてくるんじゃなかった』はセカンドシングルです」

  北島、バツの悪そうな顔。

北島「あっ、そうそう! 一番売れた曲だから、よく間違うんだよね」

  鈴音、不審そうに北島を見る。


○ 駅前のストリート(夜)

  居酒屋から、鈴音と北島が出てくる。

北島「じゃあ行こっか、すずねちゃん」

鈴音「え?」

北島「俺んち。すぐ近くだから」

  鈴音、硬直してその場に立ち止まる。

鈴音「あの…やっぱり大丈夫です」

北島「え?」

鈴音「だって、女の人だと思ってたし…」

北島「…いや、俺奢ったじゃん、もつ鍋」

鈴音「それは、ちゃんとお支払いしますから」

  財布を取り出そうとするが、北島に腕を掴まれる。

北島「(急に低い声で)いいから来なよ」

  鈴音、怯えて後ずさるが、無理やり腕を引かれて連れて行かれそうになる。

〈フラッシュバック〉

  鈴音の腕を引く、長髪の若い女の後ろ姿。

〈フラッシュバック終わり〉

  鈴音、腕を思いっきり振り払い、振り返って全速力で走る。

北島「オイ、待て!」

  鈴音を追いかける。

   ×   ×   ×

  鈴音、後ろを気にしながら走る。

  北島が追いかけてきているのが遠くに見える。

  鈴音、更にスピードを上げて走り、北島とどんどん距離が開いていく。

  北島、どんどん息が上がり、走るスピードが落ちていく。


○ 駅前の商店街(夜)

  ほとんどの店のシャッターが閉まっている商店街。

  鈴音、後ろを気にしつつ、走るスピードを落として呼吸を整える。

北島の声「あぁーっ、クソが!」

  鈴音、声に驚いた拍子に転ぶ。

  立ち上がり、前方を見ると、一件だけ看板が出ている小さなラーメン屋がある。

  鈴音、躊躇しつつ、ラーメン屋に駆け込む。


○ ラーメン屋だいだい(夜)

  カウンター席だけの狭い店内に、酔っぱらったサラリーマン、結城博(40)と橘幸雄(41)がビールを飲んでいる。

  カウンターの調理場で皿洗いをしている店主、町田大(48)。

  扉が開き、鈴音が駆け込んでくる。

鈴音「すみませんっ…!」

  大、結城、橘、一斉に鈴音を見る。

  鈴音、一瞬怯えるが、恐る恐る店内へ。

鈴音「あのっ、匿ってください!」

大「匿う?」

鈴音「男の人に、追いかけられてて…」

結城・橘「なあにぃ!?」

  同時に立ち上がり、千鳥足で鈴音のもとへ来ると、鈴音の背を押して店の奥へ。

結城「そりゃいかん! いかんったらいかん!」

橘「おねーちゃん、奥ば座りんしゃい!」

  鈴音、二人に押されるまま、一番奥の席に座る。

  大、鈴音に水を出す。

鈴音「ありがとうございます…」

  結城と橘、千鳥足で店の外へ。


○ 駅前の商店街(夜)

  結城と橘、肩を組みながら、千鳥足で辺りをうろうろする。

結城「おるぁー! おねーちゃん追っかけとるんはどこのどいつだぁー!?」

橘「その根性、叩き直してやるけんなー!」


○ ラーメン屋だいだい(夜)

  大、メニューを鈴音に差し出す。

大「なんか食うけ?」

鈴音「あ、あの、お腹いっぱいで、ラーメンはちょっと…。ごめんなさい…」

  大、メニューのデザートの項目を差す。

鈴音「あ…」

  メニューをしばらく見て、

鈴音「じゃあ、抹茶アイス、ください」

大「ん」

  冷凍庫を開けてアイスの準備を始める。

  結城と橘、自分の席へ戻ってくる。

結城「がはは! 俺らの剣幕に慄いて、近寄ってもこんばい!」

橘「安心しんしゃい、おねーちゃん! おっちゃんらが護っちゃるけん!」

鈴音「はあ…」

大「酔っ払いやけん、放っとき」

  可愛らしい器に盛られた抹茶アイスを差し出す。

鈴音「ありがとうございます」

  一口食べる。

鈴音「美味しい!」

橘「それ、大ちゃんの手作りばい」

結城「この店、肝心のラーメンよかデザートの方が美味いけん」

大「お前ら、ビール一杯でいつまでおると?」

結城「チェッ、仕方なか。ビールもう一杯!」

橘「おねーちゃんも飲むと? 奢っちゃるけん」

鈴音「いえ、私まだ未成年なので」

  結城と橘、大げさな動きで驚く。

結城「かあーっ! なんて良い子ばい!」

橘「俺らなんか十四で酒の味ば覚えたってのに!」

結城・橘「がはははは!」

  鈴音、二人のテンションに若干引いている。

大「放っとき」

  鈴音、神妙に頷いてアイスを食べる。

   ×   ×   ×

  結城と橘、鈴音と大に手を振りながら、千鳥足で店を出ていく。

結城「大ちゃん、また来るけんねー」

橘「おねーちゃんもじゃあのー」

  鈴音、小さく手を振り返して見送る。

  大、空いたグラスと食器を片付ける。

大「福岡には何で来たと?」

鈴音「好きなバンドの追っかけで。The Soralisっていうんですけど」

大「…すまん、知らんばい」

鈴音「あはは、結構マイナーなバンドなんで。もう解散しちゃうんですけど…」

大「ほう」

鈴音「もう二度と見られなくなるって思ったら、いてもたってもいられなくて。次は北海道に行くんです」

大「すごかね。家はどこと?」

鈴音「千葉です。でも…もう帰りたくないな、なんて」

  大、皿洗いの手を止める。

鈴音「…うちのお母さん、過保護で。大学生になった今でも、門限が夜の八時なんですよ。バイト先も、あんまり家から遠いとお母さんが心配するから、近所の時給九百円のスーパーで。もっとやりたいことも、行きたいところもあるのに、お母さんが家で待ってると思うと、一歩踏み出せなくて」

  大、冷蔵庫の中からコーラを取り出す。

大「…優しかね、お客さん」

鈴音「…え?」

  大、コップに注いだコーラを鈴音に差し出す。

大「心配かけたらいけんと思っとるんやろ。お母さん思いの良い子ばい」

鈴音「…でも私、心の中では、お母さんのこと邪魔だって思ってるんです」

大「そげなこと、誰だって思うばい。変でもなんでもなか」

鈴音「……」

大「お土産、買うちゃるとよか。博多はやっぱり明太子ばお勧めたい」

鈴音「お土産…。思い付きもしなかった」

  コーラをぐいっと飲む。

鈴音「……」


○ ツイッターの画面

すずね「色々あって疲れたけど、ラーメン屋だいだいさんの抹茶アイスは、今まで食べたアイスの中で一番美味しかった。いつかラーメンも食べに行きます!」

  食べ途中の抹茶アイスの写真。


○ 博多駅構内

  すずね、あくびをしながら新幹線のホームへ向かう。

  途中、明太子を売っている土産物店の前を通りかかり、足を止める。

  明太子の箱を手に取り、少し考え込む。


○ 柊宅605号室・玄関

  チャイムの音が鳴り、史子が応対にやってくる。

史子「はいはい」

  玄関を開けると、配達業者が小さめの箱を持って立っている。

業者「お荷物です、サインをお願いします」

  伝票を受け取り、サインして返す。

  業者、箱を史子に渡す。

業者「要冷蔵ですので、早めに冷蔵庫に入れてください」

史子「はい、ご苦労様です」

業者「ありがとうございましたー」

  駆け足で去っていき、玄関が閉まる。

  史子、荷物の宛名を見る。

  宛名は『柊鈴音』になっている。

史子「鈴音!?」

  慌てて箱を開け、中を確認する。

  中身は明太子と、「お土産です。私は元気なので心配しないでね。鈴音」と書かれたメッセージカード。

  史子、脱力してその場に座り込み、どこかほっとした様子。


○ 札幌テレビ塔・景観(夜)


○ 札幌のライブハウス・外観 (夜)


○ 同・フロア(夜)

  ステージの上には誰もおらず、客席からアンコール待ちの拍手が鳴り響いており、鈴音も笑顔で拍手している。

  しばらくすると、トキオ、カズヒサ、タカヤがステージへやってきて、客席から歓声が沸く。

  トキオ、ギターを手にしてマイクの前へ。

トキオ「あの、もう解散するんだけど、新曲やるから」

  鈴音を含む観客、笑顔を浮かべていっそう大きな歓声。

トキオ「『インスタントコーヒー』って曲。…聞いてください」

  歓声のあと、トキオが優しいギターリフを弾き出すと、客席が静まり返る。

トキオ「(歌) インスタントコーヒーを淹れたよ、だからソファにでも座って話をしよう、砂糖はいらない、ミルクだけでいい、長くなるだろうけど話をしよう」

  鈴音、曲に聞きほれている。

トキオ「(歌) そりゃ許せないことは幾らでもあった、けど良い思い出だって幾つかはある、あんたのこと本当はどう思ってんのか、自分でもわからなくなっちまった」

  直立不動で曲を聞いている観客たち。

トキオ「(歌) インスタントコーヒーはなかなか冷めない、火傷したくないから話をしよう、たいして美味いとも思わないけど、飲み切るまでは話をしよう…」

   ×   ×   ×

  ライブが終わり、フロアの照明が点く。

客A「日和ったな。トキオはもう駄目だよ」

客B「あんな歌詞書くようじゃ解散するわな」

  続々と帰り始める観客の中、鈴音はその場に立ち尽くしている。


○ 駅前のストリート(早朝)

  夜が明けたばかりの薄暗い空。

  『女性専用個室有り』と書かれた看板のネットカフェから、鈴音が出てくる。

  鈴音、欠伸をしながらストリートを歩く。

   ×   ×   ×

  鈴音、通行人の男女とすれ違う。

通行人女「朝から嫌なもん見ちゃったね」

通行人男「夏でよかったな、冬だったら死んでるぞ」

  鈴音、しばらく歩くと、シャッターのしまった居酒屋の前で、男が嘔吐しているのを見つける。

  その男は、トキオである。

鈴音「…トキオ!?」

  トキオ、しばらく嘔吐していたが、急に激しく咳き込む。

  鈴音、慌ててトキオに駆け寄る。

  トキオ、苦しそうな様子。

  鈴音、トキオを横向きに寝かせ、背中を叩く。

鈴音「しっかり! 大丈夫ですか!?」


○ 公園(早朝)

  トキオ、吐瀉物で汚れた服を水道で洗っている。

  鈴音、ペットボトルの水を持って、トキオのもとへ。

鈴音「大丈夫ですか?」

  トキオ、鈴音から水を受け取る。

トキオ「(小さな声)ありがとうございます」

  近くのベンチに座り、水を一気に飲む。

トキオ「…あの、もしかして、ライブ来てくれた方ですか」

鈴音「え!」

トキオ「Tシャツ、グッズのやつだから…」

鈴音「あ…そうです。あの、ファンです…!」

トキオ「…変なところ見せて、すみません」

  深々と頭を下げる。

鈴音「いえ、謝らないでください! …あの、おひとりですか? スタッフさんとか、他のメンバーの方は…」

トキオ「…俺は嫌われ者ですから」

鈴音「え?」

トキオ「反骨の心を忘れて日和ったボーカルとは、誰も飲みたくないんですよ」

  鈴音、驚いている。

トキオ「…新曲、どうでした?」

鈴音「…あの、私、全国ツアーのライブ、全部行ってるんですけど。福岡で、『生まれてくるんじゃなかった』はもうやらないって、仰ってたじゃないですか」

  トキオ、頷く。

鈴音「…トキオさんがそう言った理由、何となくわかるかな、って…。『インスタントコーヒー』を聞いて、思いました」

トキオ「…そうですか」

  ポケットからスマホを取り出し、画面を見る。

  母親とのラインでのトーク画面、深夜1時に送った「母さんには今まで黙っていたけど、バンドをやっていて、最後のライブが十七日に東京であります。来てくれませんか。今の俺を認めてほしい」というメッセージ。

トキオ「メンバーには、クソ曲だって言われました。ファンに幻滅されるだろうって」

  鈴音、首を横に振る。

鈴音「そんなことない! 私、音楽のこととか全然わからないですけど、すごく優しい曲だって思いました! 幻滅なんてしません! 私、ソラリスが大好きです!」

  トキオ、微笑む。

トキオ「…俺もあいつらも音楽は続けるし、他にもかっこいいバンドは沢山あるから」

鈴音「…?」

トキオ「俺らは解散するけど、これからもライブとか来て、音楽を楽しんでください。…ソラリスを好きになってくれて、ありがとう」

  鈴音、トキオを見つめ、神妙に頷く。


○ ツイッターの画面

すずね「トキオが勇気をくれたから、わたし帰らなきゃ」


○ 東京駅・新幹線ホーム

  新幹線から降りてきた鈴音、深呼吸をしてから、歩き始める。


○ 柊宅605号室・リビング

  史子、鈴音からの書置きを眺めている。

  すると、玄関の方から鍵を開ける音が聞こえてくる。

  史子、一瞬驚いて、すぐに玄関へ走る。


○ 同・玄関

  史子が走って玄関までやってくる。

  扉が開き、鈴音が帰ってくる。

史子「鈴音…!」

  鈴音、史子に気付き、一瞬驚く。

  史子、鈴音に駆け寄り、頭を叩く。

史子「この馬鹿娘!」

鈴音「…ごめんなさい」

  史子、鈴音を抱きしめる。

史子「本当に、馬鹿なんじゃないの…!」

鈴音「…ただいま、お母さん」


○ 同・リビング

  ダイニングチェアに腰掛ける史子。

  鈴音、インスタントコーヒーを入れたマグカップを2つ持ってきて、1つを史子に渡して向かいの席に座る。

史子「どこに行ってたの」

鈴音「…全国」

史子「全国!?」

鈴音「大好きなバンドが、解散するの。The Soralisっていうんだけど…。それで、全国ツアーの追っかけをしてたの」

  鈴音、コーヒーを一口飲み、意を決して口を開く。

鈴音「それで、明日もライブがあるの」

史子「…えぇ?」

鈴音「明日、渋谷で夜の7時から。帰りは9時過ぎくらいになると思う」

史子「ちょっと待ちなさい! 昨日の今日のでそんな…」

鈴音「私、どうしても行きたいの!」

  史子、黙る。

鈴音「本当は、中学の時のディズニーだって、みんなとお泊まりしたかった。バイト先だって、何度も行ったことのあるスーパーなんかじゃなくて、都内のおしゃれな喫茶店とかで働きたい」

史子「……」

鈴音「今までずっと、お母さんが反対すると思って、我慢してきた。でも、もし明日のライブに行かなかったら、私きっと一生後悔する。…だから、明日行ってきます」

  史子、頭を抱えて溜息。

史子「…あんた、自分のしたことの意味、本当にわかってる?」

  書置きを鈴音に掲げる。

史子「こんな紙切れ一枚だけ残されて、ずっと連絡が取れなくて、心配しない訳がないでしょう」

鈴音「……」

史子「自分がやったことがどれだけ非常識で、どれだけお母さんを心配させたか、本当にわかってるの?」

鈴音「わかってるよ、でも…」

史子「それがわかってるなら、私だったらとても『明日も行きます』とは言えないけど」

  鈴音、立ち上がる。

鈴音「だって、どうせ行くなって言うでしょ! でも、どうしても行きたかったから、だからこんなことしたんじゃん! お母さんがもっと私のやりたいことを尊重してくれる人だったら、私だってこんなことしなかった!」

  史子、鈴音の剣幕に驚くが、目を逸らす。

史子「じゃあ勝手にしなさい。その代わり、お母さんはあんたのことなんてもう知らないから」

鈴音「…」

  マグカップを置いて、リビングから出ていく。

  史子、去る鈴音に目もくれない。


○ 同・鈴音の部屋(翌日)

  鈴音、『The Soralis』のロゴが入った黒いTシャツと、ジーパンに着替え、髪をくくる。


○ ツイッターの画面

すずね「今日で本当に最後。悔いを残さないよう楽しんできます」


○ ヒイラギハウジング・事務室(夜)

  終業後の事務室、史子はPC前で仕事を続けており、戸部は帰る準備をしている。

戸部「すみません社長、お先に失礼します」

史子「はーい、お疲れ様」

  戸部、事務室から出ていく。

  史子、背伸びをして時計を見る。

  時刻は十八時五十五分。

  史子、室内に人がいないのを確認し、PCを操作して動画サイトを開くと、The Soralisと検索する。


○ 都内のライブハウス・フロア(夜)

  開演を待つ観客の中、鈴音がいる。


○ 同・出演者トイレ(夜)

  トキオ、洗面台に向かって嘔吐している。

  口元を拭い、鏡に映る自分を見る。


○ 同・出演者楽屋(夜)

  トキオ、部屋の中に入る。

  部屋の中には、清楚な格好をしたトキオの母、清水陽子(59)が、カズヒサとタカヤに囲まれ、PCに刺さったヘッドホンを付けて曲を聞いている。

  カズヒサとタカヤ、トキオに気付いて振り返る。

トキオ「あ…」

カズヒサ「いつまでトイレ籠ってんだよ。来てるぜ、お前のお袋」

  タカヤ、陽子の肩を叩き、トキオを差す。

  陽子、振り返って、トキオと目が合う。

タカヤ「お前の曲、一曲も聞いてないっていうからさ。聞かせてたんだよ」

  陽子、ヘッドホンを外して床に落とすと、トキオに近寄る。

トキオ「母さん…」

  陽子、トキオに平手打ちする。

  呆然とするトキオを見て、涙を流す陽子。

陽子「…こんなこと言われるのなら、私の方こそ、お前なんて産むんじゃなかった」

  部屋を出て行こうとする。

  トキオ、陽子の背を見て、震えだす。

トキオ「…アァーッ!」

  近くにあったギターを手に取り、陽子を追って後頭部を殴りつける。

  鈍い音が響く。

  カズヒサとタカヤ、慌ててトキオを止めに走る。

カズヒサ「おいっ、トキオ!」

  ヘッドホンに足が引っかかり、コードがPCから抜けて、大音量で『生まれてくるんじゃなかった』が流れ出す。

スピーカー「(歌)いらない、いらない、こんなものいらない、あんたなんかいらない、こんなことなら生まれてくるんじゃなかった」


○ 同・フロア(夜)

  ステージ上には誰もおらず、観客からブーイングが飛んでくる。

客A「おい、何分押してんだよ!」

客B「トキオー!」

客C「出てこい、トキオー!」

  ステージの照明がつき、男性ローディーが登壇してくる。

ローディー「お待たせして申し訳ございません。メンバーの急病により、誠に勝手ながら今日のライブは中止とさせて頂きます」

  悲嘆の声と、一層強くなるブーイング。

  鈴音、不安そうな面持ちで、ステージ上を見上げる。


○ ヒイラギハウジング・事務所(夜)

  誰もいない室内で1人、PC画面に映るThe Soralisのライブ映像を見る史子。

スピーカー「(歌)こんなに邪魔な荷物なら、遠く遠くへ投げ捨ててしまいたい、そしたらきっと空だって飛べる」


○ 電車内(夜)

  軽く込んでいる電車内で、座席に座っている鈴音。

鈴音「(深い溜息)」

  スマホでツイッターを開き、タイムラインを更新すると、一番上に「ロックバンドのボーカル、解散ライブ直前に実母に暴行」という見出しのニュース記事のリツイートが表示される。

鈴音「えっ…」

  すぐに記事のリンクをタップすると、トキオが陽子を殺そうとしたことを報道するニュース記事が載っている。

  鈴音、絶句する。


○ マンション・6階廊下(夜)

  鈴音、自分の家の前で、1人立ち尽くしている。

<フラッシュバック>

  ステージ上で歌うトキオの姿。

<フラッシュバック終わり>

  鈴音、Tシャツの裾を握りしめ、泣きそうになっている。

  そこへエレベーターが開き、史子が帰宅してくる。

史子「…あ」

  史子と鈴音、お互い顔を合わせ、気まずそうな様子。

史子「…早かったわね」

鈴音「…色々あって」

史子「…ご飯は?」

鈴音「え?」

史子「夜ご飯、もう食べた?」


○ 柊宅605号室・キッチン(夜)

  史子、エプロンを着けて、夕飯の準備を始める。

  後ろから、鈴音がその様子を見ている。

史子「…ごめんね、鈴音」

  鈴音、驚く。

史子「あのね、あんたは覚えてないだろうけど、昔あんた、お父さんの浮気相手に連れ去られたことがあってね」

鈴音「えっ?」

史子「あんたがいなければ、うちが離婚すると思ったのか…。あんた、隣の県の山道に置き去りにされたの」

  史子、涙ぐみながら料理を続ける。

史子「偶然通りがかった人に助けてもらえなかったら…。お母さん、あんたを失うところだった」

鈴音「…」

史子「お母さんが心配性なのは、もう治りようがない。あんな怖い思いは二度としたくない。…けど、あんたばっかり窮屈な思いをするのは、不公平だもんね」

  振り返り、鈴音に微笑む。

史子「ごめんね、鈴音」

  鈴音、涙ぐんで首を横に振る。

鈴音「私こそ…ごめんなさい。別に、お母さんに心配かけたい訳じゃなかったの」

史子「うん」

鈴音「やりたいことをやって、行きたいところに行きたかっただけなの。でも、お母さんが嫌なら…」

  史子、料理の手を止めて、鈴音のもとまでやってきて背中を摩る。

史子「お母さんも若い頃、ロックが好きだったのよ」

鈴音「そうなの?」

史子「そうよ。アルフィーとか」

鈴音「…アルフィーってロックなの?」

史子「えっ、違うの?」

鈴音「いや、私もよくわかんないけど…」

  鈴音と史子、顔を見合わせて笑う。


○ 同・リビング(夜)

  鈴音と史子、向かい合って夕食を食べている。

  食卓には史子の作った料理と、お土産の明太子が並んでいる。

鈴音「今度から、出かける時はちゃんと言います。こまめに連絡もします。やっぱり私、お母さんに心配かけたくないって、どうしても思っちゃうから」

史子「…そっか。ありがとう、鈴音」

  史子、笑顔で明太子をご飯に乗せ、食べる。

史子「うん、本場のは美味しい」

  鈴音、晴れやかに笑う。


○ ツイッターの画面

すずね「あの人は私を救ってくれた。私の傷を癒してくれた。だから、あの人の傷が癒える日が、いつか来ますように。私はあなたが大好きです」


END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱入り娘、はじめての追っかけ 永井 茜 @nagai_akane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ