第10話

 隣のキッチンから、母が料理を作る音がしている。いつの間にか眠っていたようだ。窓の外は夕焼けがきれいだった。喉が渇いていた。カオルは、キッチンに行き、冷蔵庫から牛乳を出した。

 牛乳を飲んでいると、母が言った。

「昼寝なんかしていたけど、夏休みの宿題は終わっているの」

「うん。いつから夏休みが始まるかは九月十日の学級会で決まるらしいけど、暇だから終わらせたよ」

「いつから始まるか、分からないって夏休みは明日から始まるわよ。明日が九月一日で、始業式でしょ」

「夏季休暇日数適正化法の社会実験のために、僕のクラスの夏休みはしばらく続くんだよ」

 母は、この子は何を言っているのかという顔をした。

「何を馬鹿げたことを言っているの。夏休みが伸びるわけはないでしょ。夢でも見たんじゃないの」

 カオルは急いで、部屋に戻った。夢だとしたら、宿題は終わっていない。急いで漢字練習帳を開いてみた。ノートはカオルの雑な字でびっしりと埋められていた。我ながら汚い字だと思いながら、めくっていくと、あるページから丁寧な字に変わっていた。その字には、見覚えがあった。夢の中で、夏休みが終わらず、持て余した時間をつぶすために丁寧に一字一字書いたものだった。

 カオルは、リビングに走っていった。西村君の家の番号は、知っていた。震える指で番号を一つ一つ押した。一度目の呼び出し音で、西村君が出た。

「夏季休暇日数適正化法のことだよね」

 電話越しから西村君の声が聞こえた。

「あれは、なかったことにしたよ。なんかさ、結構叱られてね。ずいぶんと無理があるんじゃないかって。明治維新なんかと比べると、必然性もないし。そもそも夏休みが伸びれば、世界が変わるだろうということが浅はかだとさ」

 西村君の話は、またもや意味が分からないことばかりだったが、魔法はなかったことになったというのだ。ただ、誰がエネルギーを叱るというのだろう。

「あまり聞かないでもらえるといいな。エネルギーってのも、なかなか大変なんだ。その代わり、宿題だけはそのままにしておいたから。これで、山田先生には叱られないだろう」

 電話は突然切れた。

 カオルは、全く意味が分からなかった。どうもエネルギーとやらの気まぐれによって世界は変えられようとしていたし、急遽それが取りやめになったらしい。

 カオルは部屋に戻り、もう一度漢字練習帳をめくってみた。やはり宿題は終わっていた。

 窓の外から見える夕焼けは、もう沈みかけていた。母の声が聞こえる。夕食の準備ができたらしい。



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終わらない夏休み 山脇正太郎 @moso1059

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