罪のありか

透明人間

第1話

 もし死後の世界に、天国と地獄があるのだとしたら、僕はどちらに行くことになるのだろう。人は殺していないし、銀行強盗や詐欺行為はおろか、万引きや器物損壊などの軽犯罪すら犯していない。ただ、果たしてそれだけで天国と地獄の行き先を決める事ができるのだろうか。

 

 社会には法律、ひいては憲法。そして地域により細かく分類された、条例などがある。それらは全て人間の手により作られ、ほとんどが人間のために存在し、それを守るのもまた人間である。つまり、世にある全ての法というものは例外なく、人間のエゴが染み付いたものであるという事だ。


 罪無き者は天国へ、罪多き者は地獄へ。これに似たような言葉を耳にした事がある人も多いだろう。しかし、何をもって罪とするのか、何をもって罪でないとするのか。それを判断する材料はどこにあるのか。そして、それを決定するのは何ものか。これらの問いに答えられる人間は恐らくこの世に存在しないだろう。もし、答えられる者がいるとすれば、それは神なのか何なのか、そもそも神とは何なのか。神という存在でさえ、人間が不安から己を守る為に創り出した、ただの言葉に過ぎない。こんな事を言うと熱烈な宗教信者にえらく怒られそうだが、ここでは彼らがこの文章を読まないでおく事だけ、その神とやらに祈っておこう。


 なぜ、人を殺してはいけないのだろうか。

具体的には、なぜ、人が人を殺してはいけないのだろうか。アマゾンのジャングルで毒蛇が人を殺せば、それは事故として処理されるだろう。アフリカのサバンナを歩いていた人をライオンの群れが襲って殺したとしても、それは事故として判断されるだろう。多くの場合、人は自らと同じ種別であるものを殺す事で、それを罪と判断する。もちろん例外もあるが、ほとんどはそうだろう。逆に人が魚を殺し、食らったとしても、丁寧に育てた豚や牛などの家畜を殺し、それらを食らったとしても、人はそれらを罪あることだとは判断しない。何故か。それは、人が人に危害を加えられることに最も恐怖を感じ、また、その可能性が他の生物に危害を加えられることよりも圧倒的に高いからだ。人は感情を持っている。そしてその中には他の人間に対して憎悪の念や怨念を抱く者もいる。さらには、人類に一定数存在するサイコパスと呼ばれる者のなかで人を殺す事に快感を覚えるタイプの者もいる。人はそれらを恐れ、平和という名のもとに、それぞれを互いに法を用いて縛りあったのである。


               つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

罪のありか 透明人間 @yoloshikuooo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ