第50話 そして冒険へ……

 クラウズは部屋中央のテーブルの上に地図を広げた。


「ここが我々の住むリース。ここから東へ馬車で三日ほど行けばスフェーロの街。そこから北のオルムン山脈を越えたすぐ麓に、その迷宮はある」


「山脈の向こう側……。敵国ザーグ領内とは、また厄介な場所にあるな」


 こかげは難しい顔をした。他の者も顔をしかめる。


「この険しい山脈を越えるのも一筋縄ではいきませんよ」


 長旅を経験してきたテッドだからこそ言えるのだろう。ましてや面子の中には野外経験乏しいマチュアもいる。山を幾つも越えるとなると不可能に近い。


「山脈越えについては、だいぶ楽になるルートがある。スフェーロから徒歩で一日程の山の麓にドワーフの掘った大坑道があってな」


「ドワーフの大坑道……」


 マチュア以外の全員が一斉に彼女を見た。


「え? いやいや、あたし何も知らないし……。そんなのあるの初めて聞いたし」


 それを聞いて全員また何事もなかったかのように、黙って地図に視線を落とした。


「その大坑道を通れば最短で三日もあれば向こう側に出られる。ただし敵国側は狭く複雑な迷路になっていて、地図か案内人でもいなければ容易に抜けられんようになっておる」


「山脈を超えるよりはマシでしょうけど、それもまた随分と難儀ですね」


 カイムにクラウズが答えた。


「敵領に接するこの坑道が、閉鎖されずに済んでおるのはその為だ。無論、入口内には関所を兼ねた見張り所も設けられている」


「そこの地図はないんですか?」


「ある。この為に用意した」


 クラウズはフェイランに聞かれ、丸められた地図を得意顔で鞄から取り出した。


「それは助かりますね」


「だが、これだけでは心許なかろう。スフェーロの冒険者ギルドならその坑道に明るい者も多くいるはず。そこで案内人を雇うといい。上手くいけば、坑道の向こうに出て一日足らずの距離にある災いの宝物殿に詳しい者もいるやもしれん」


「しかし、敵領内にある上に、探索のしがいもなさそうな迷宮です。それについてはあまり期待出来ないかと」


 こかげの言う通り、坑道はまだ鉱石を掘るという目的があるのに対し、災いの宝物殿は危険を冒してまで赴く価値が無い。品のほとんどがすでに持ち去られ、残っていたとしても、それを持ち出すにはリスクを伴うという悪い噂が広まっている。近くの街に住む者なら尚更だろう。


「その宝物殿の地図は?」


「すまんが、それは無理だった。それと当然だが、案内人を雇う為の費用はこちらが出す」


「至れり尽くせりですね」


 フェイランの言葉にクラウズは今度はバツの悪い顔をした。


「そうでもない。その雇い賃やお前さん方の道中の食費、スフェーロでの宿泊費やら、かかる経費が多すぎてな……。それらを含めると難しい仕事の割に実際に支払える報酬額はこの程度しかない」


 クラウズの提示した額を見て五人はあまり嬉しくない顔をした。少なすぎるとは言わないが、費やす日数と難度にしては微妙な金額だ。


 スフェーロまで馬車で三日、街で準備を整えるのに最低限二日、坑道まで一日、坑道を抜けるのに最短で三日、そこから宝物殿まで約一日。宝物殿の迷宮を攻略するのにどれだけの日数を要するのか予測出来ない。それを差し引いても、片道だけで十日間の行程だ。これが長くなることはあっても、短くなることだけは絶対にない。


「どうしてもというなら坑道の案内人を雇わず、その分の費用を懐に納めて貰っても構わんが、あまりお奨めは出来ん」


 まだ換金してないが、こかげがクリスから受け取った宝石類も手付かずだ。現状それほど逼迫しているわけでもない五人にとって、その選択肢はない。


 クラウズは代わりにこの仕事で得られる金銭以外のメリットを提示した。カイムたちもすでに把握している点も多い。


 第一にこの街をしばらく離れる事によって、敵対する貴族らの監視を逃れられる事。


 第二に病から回復したヘルマン騎士爵を味方につけられる事。彼は衛兵隊の中だけでなく、市井しせいの人々にも大きな人望があるという。彼を味方につける事は両貴族や例の組織と対立する上で多大な意味を持つ。


 第三に彼の叔父ローゼンミュラー子爵も味方に引き入れる可能性も生まれる事。シュトルベルク、メランヴィル、ブリエンテら三男爵家と異なり、潤沢な資金力やそれによる武力はないが、人脈はある。この街で交通、流通にたずさわる行政の要職にも就いており、政治的発言力も高い。


 第四に災いの宝物殿において、こかげの呪いに関して手がかりを掴めるかもしれない事。これは正直望み薄だが、クラウズは彼女の強力な呪いに何かしら関連性があるかもしれないと睨んでいた。


「第五に人助けが出来ることですね」


 フェイランが照れる素振りもなしにキッパリと言い、皆は苦笑しながらもそれに迷うことなく同意した。


 はっきりした時期は不明だが、ヘルマンはもうあまり長くはもたないらしい。彼を診た医者たちが皆、口を揃えて言ったそうだ。ほぼ間違いないだろう。艱難辛苦を乗り越え刀を迷宮に納めて帰ってきたら、彼が亡くなっていた。などということにでもなっていれば目も当てられない。出来るだけ急ぐ必要もあった。


 明日の夜明けと共に出発することが決まる。消去法で刀はカイムが持ち運ぶ事になった。刀はかなり重量もある。フェイランを除くと四人の中で一番体力があるのは彼だ。こかげもそれなりだが、彼女はその職の性質上出来るだけ身軽でいる必要がある。何より刀を持ったまま猫になるのも何となく嫌な話だ。


 今日一日で急ぎ準備を整えなければならない。クラウズはこのままローゼンミュラー子爵のもとへ向かい、馬車の手配と坑道の関所を通過する為の許可証を発行して貰う。あらかじめ伝えてあるので今日中にどうにかなるようだ。


 この仕事を任せられるのはカイムたち五人をおいて他にない。クラウズは端からそう考えていた。この仕事の一番重要な点は、刀を託す者たちが信頼出来るかどうかだ。事前に金銭で渡す諸経費も多い。それを受け取ったまま、刀だけどこかへ適当に売り飛ばして姿を眩ますといったことも出来てしまう。前述の通り、多額の報酬が支払えないので、実積や信頼ある熟練の冒険者は雇えない。かといって仕方なくというわけではなく、クラウズは彼らの事を好ましく思い、実力も信じていたからこそ依頼したのだ。


 クラウズが去った後、五人は自分たちの荷物を調べて最低限必要なものをピックアップした。毛布は部屋で今使っている物をそのまま譲ってくれるという。この街では自由に動けないので、本格的な買い物はスフェーロの街で行う。


 自分たちで直接選ぶ意味の薄い消耗品など、とりあえず必要な物は使用人たちに買いに行ってもらった。馬車移動間の保存食や、テッドの矢、フェイランの虫除け液など。カイムは猫用ブラシも頼んだ。他はマチュアとこかげの水袋も必須だ。二人の背嚢も欲しかった。こかげのはサイズが小さく、マチュアは麻袋しか持っていない。しかし、これは自分の目で選んだ方がいいとして、スフェーロで買い求める事にした。


 それと、テッドにはこの仕事の前にどうしても済ませておきたい事があった。家族への仕送りだ。この街にその為の行き付けの商会がある。スフェーロでは駄目なのだ。次にリースに戻れるのはおよそ一月後。自分にもしもの事がないとは絶対に言い切れない仕事だ。こかげがクリスから受け取った報酬を換金して送っておきたかった。


 こかげに付き合って貰い、危険をおして街に出た。赤毛の女がネズミから人に戻っていないであろう現時点なら、まだ貴族の監視はシュトルベルク邸に集中している。


 まずは宝石商で鑑定して貰い、ざっと総額を出す。その半分を換金し、テッドの取り分はすべて渡した。余った残りの金は四人で等分し、あとの宝石類は持ち帰ってカイムに預かって貰う事にする。すべて換金しなかったのは、かさばる上に現金で持ち歩くにはリスクが高いからだ。また現金が必要になったら今度はそれを四等分すればいい。


 そこから行き付けの商会へ行き、テッドは当面必要な額を手元に残し、後はすべて仕送りに回した。ついでにあらかじめ買っておいた妻娘への土産と手紙も一緒に送って貰う。二人からの手紙が届いていたようで、彼は心底嬉しそうにそれを受け取った。その場で読みたかったが、こかげを待たせている。危険な街中であまりのんびりしている猶予もない。これ以上うろうろ出歩くのはまずいので、その後急いで屋敷へ戻る。


 テッドはこかげと共に油断なく周囲に視線を配りながら、急ぎ足で街中を歩いていた。しかし、その表情は緩み、右手は手紙を忍ばせた胸の辺りを強く押さえている。


「付き合って下さってありがとうございます、こかげさん。それに、こうしてまとまった額を仕送り出来たのも、あなたが命懸けでクリスさんと会って下さったおかげです。あなたには感謝してもしきれません」


「そんな大層に言われるほどのことではない。テッド殿は大袈裟だな」


 カイムに褒めて貰いたくてやっただけだ、とはさすがに答えられず、こかげは少し困った顔でそう返した。


「ご家族と離れてさぞやお辛いだろう。帰る予定はないのか?」


 何故そんな事を聞いたのか、自分でもわからなかった。テッドはその質問に、しばし間を置いてから躊躇ためらいつつ答えた。


「……この仕事を終えたら、一度帰ろうと思っています」


「そうか……」


「まだ貴族たちとのいざこざが解決したわけでもないのに、あなた方を放って帰るのは心苦しい限りですが……。無論、またすぐ戻ってきますけど」


「解決するにも長くかかりそうだし、仕方なかろう。気に病む必要はない」


「すみません……」


「貴殿のご家族にいつかお会いしてみたいものだな。他の皆もそう思っているだろう」


 返事がなかったので、こかげは隣を歩くテッドの顔を窺った。驚きに満ちた顔で口を開け、こちらを見つめている。


「何かおかしな事を言っただろうか?」


「いえ、その……。まさかあなたの口からそんな言葉を聞けると思っていなかったもので」


 つい昨晩、己の口から出た台詞だ。こかげは何ともいえない表情になる。片やテッドは顔を綻ばせた。


「ええ、ええ、もちろん大歓迎ですとも。落ち着いたら、喜んで皆さんをご招待させて頂きますよ。妻も娘もきっと喜ぶと思います」


「そうか。楽しみにさせて頂こう」


 堅苦しい真面目顔でこかげはそう答えた。



 すべての準備を終え、翌朝の日の出を迎えた。街が人の活気に満ち始める。


 二頭立ての大きなほろ馬車に乗り、クラウズが屋敷を訪れた。関所の通行許可証を渡すと共に見送りに来たのだ。


「出来ることなら、わしもスフェーロまでは同行したかったのだがな」


「お孫さんに寂しい思いをさせるわけにもいかないでしょう」


「……すまぬ」


 クラウズはカイムたちに申し訳なさそうな顔をした。


「くれぐれも気をつけてな。お前さんたちなら必ず成し遂げてくれると信じておる」


 あまり大仰に送り出して人目を引くわけにはいかない。貴族たちがどこで目を光らせているかもわからない。クラウズとヘルマンの夫人、それに二人の家臣だけの慎ましい見送りだった。


 子爵家の使用人、フリッツという名の若い男が馬車の御者を務める。五人を乗せた馬車は屋敷を発ち、何事もなく街の東の城門に到着した。こかげはその寸前で猫に姿を変えている。そこで軽く検査を受けた後、通行を許可されて街の外に出た。


「どうしてこかげさんは猫に?」


「検問が煩わしかったみたいだね。それに警戒を強めたい夜までに、人に戻れるよう時間調整も兼ねているらしい」


 揺れる暗い馬車の中、フェイランの質問にカイムが答えた。例の刀は荷物と共に傍らに置いてある。


「それもあるだろうけど、ここじゃ人の姿でカイムとイチャつけないからでしょ」


 などとマチュアなら言い出しそうなところだ。幸い彼女は幌馬車の後部を覆い隠す垂れ幕から顔を出し、外の景色に目を奪われている。


「見て見て! 城門が遠ざかっていくよ!」


 一旦顔を引っ込め、興奮した口調で振り返った。 


「本当ですか!?」


 それを聞き、フェイランが馬車の中を這って後ろへ移動する。


「……って、そりゃ当たり前ですよ」


 フェイランにとって街の外に出るのはたいして珍しいことでもない。


「あまりはしゃぎすぎると馬車酔いしますよ」


 テッドの忠告にも構わず、マチュアは顔を出したまま何か見つける度に、いちいち振り返っては報告してきた。街の外に出たのが、よほど嬉しいのだろう。フェイランも一緒になって顔を出していたが、すぐに飽きて引っ込んだ。


「そういえば、カイムさんとこかげさんて、いつの間に仲直りしたんですか?」


 胡座あぐらをかくカイムの足の間で眠るでもなく、こかげは腹を見せてすっぽりそこに収まっていた。大事そうにカイムの腕を前足で抱え、おとなしくしている。


「言われてみればそうですね。僕も忘れてましたよ」


「あれからすぐだよ。俺たちの絆は簡単には揺るがないさ。なあ、こかげ?」


 カイムに撫でられ、こかげは腕に抱きついたまま彼を見上げた。ずっと喉を鳴らしている。


「はいはい。相変わらずお熱いことで……」


 気づかないうちにマチュアが呆れ顔で振り向いていた。








[あとがきに代えまして]


 誠に勝手ながら、ここで一旦お休みさせて頂きます。ここまで読んで下さって本当に有り難うございました。

 一度、別の作品に着手してみようと思ったのが、中断の理由です。申し訳ありません。

 こちらの再開はいつ頃になるのかはっきりお約束出来ませんが、必ず続きは執筆したいと思っております。

 重ねて申し上げます。有り難うございました。

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ご主人様のことが好きすぎる猫と駆け出し冒険者たちの伝説 夏侯シロー @kakous

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