ex-2 闇夜に踊る金色の灯

 オルティスの東部、鬱屈とした荒くれ者たちの街を優雅に歩く王女。二つに結われた金色の髪がその淀んだ空気を揺り動かす。


「今日も今日とてつまらないわ」


 だいたい、どうしてがこんな物騒な街の見回りなんかしなきゃいけないのよ。場違いにもほどがあるでしょ、父様とうさまは一体何をお考えになっているのかしらと、ぶつぶつ文句を垂れ流している。


 彼女は王族であるにも関わらず侍者を連れておらず、妙な輩が王女を物珍しく思い、近寄ってくる。そんな奴らを、影から呼びつけた使い魔たちで、跳ね除ける。この街は昼でも暗いから、闇の領域を住みかとする彼らにとっては、絶好の場所だった。


 彼女は足元の石ころを蹴った。勢いよく飛ばされたその石は、近くに居た者の脚にぶつかり、力なくぽとんと落ちた。


 その者は段差になったところに座り、下を向いていた。どのような表情をしているのかは分からない。その衣服は黒づくめであり、埃をかぶっている。


 だが、その者の容貌を一言で言うのであれば、この王女でなくとも、この者を一目見た瞬間、間違いなくこう考えるだろう。「みすぼらしい」と。また、一見した体躯から、その者は人間の男であるということもすぐに分かる。


 彼女は石をぶつけたその者に謝ることなどしなかった。しゃなりしゃなりとその者に歩み寄って、上から叩きつけるかのように、言葉を投げかけた。


「あら、私の足先で触れた石ころが当たるなんて、貴方、随分と幸運な人間ね。こんな掃き溜めみたいなところだけど、塵くらいのいいことは起きるんじゃないの」


 王女の前にいたその者は、気怠そうに顔を上げた。その者の容貌に、王女はこの上なく驚いた。


 あまりに、美しかったのだ。


 どうしてこんなところに、と王女は胸の内で呟いた。目を奪われ、見惚れてしまった。珍しく、気恥ずかしいという気持ちを抱いた。


 そして、妙なことに、彼はこの国の民族ではない。それだけならまだしも、今は滅びたとされる、大陸東方に暮らしていたとされる人間ではないか。魔力が微小な者が多い上、素の力も弱く、見世物にされてきて、利用価値が無いからと言って廃された者たちだ。


 エレアノールは美しいものには惹かれるが、珍しいものに惹かれることはあまりない方だった。けれど、そんな彼女がそう思うほどに、この世界にこの民族が生き残っていることは、大きな驚きだったのだ。


 王女は家族、兄弟の中ではあまり主張のできない立場であった。しかし、外に出てみれば全くそのようなことはあり得なかった。彼女のたった一言で物が、金が、人が動いた。さすれば当然、目にかける者がいればすぐに呼び寄せた。その対象となったのは、いずれも卓越した能力を持つ者、あるいは、容姿に優れた者たちであった。王女のお目に叶い、それに付き従えば、対価としてたいそうな額の金が与えられた。


 その者を見た刹那、王女は決意した。


「今から貴方は私のものよ。異論は認めないから」


 彼女は、その者を自分の手元に置くことにした。言うまでもなく、その者をいついかなる時も、視界に入れておきたいからだ。いわゆる、目の保養というものだ。


「ふふん、私は気まぐれだから、貴方に飽きてしまったら、きっと、すぐにでも捨ててしまうわ。いいかしら」


 自信満々な表情だった。何せ、こんなことはいくらでもあったからだ。好きな時に手に取って愛で、飽きればすぐに手放し、どこに置いたのか、そもそもそんなものがあったのかすらも忘れてしまう。彼女にとっては、呼吸をするのに等しい行為だった。


「そういう事には、慣れている」


 そう言った彼の声色は、少しだけ、ほんの少しだけ、寂しさを帯びていた。王女エレアノール・デ・オルティスは、それに気づこうとはしなかった。


 彼女はまるで、子犬を拾った幼子のようだった。不機嫌だった足取りはもうない。薄汚れた空気を物ともせず、拾った者を率いて城へ帰っていった。


 王女に見初められたその者は、彼女よりも少し年上であるようだった。ちょうど、世間一般には青年と称するに相応しい年齢であろう。


 青年は、王女の後をとぼとぼと歩いた。その動作には、生気が感じられない。死んでいるよう、というよりは、無機物に近いものであった。何を考え、何を思って彼女の言う事に従ったのかは、その時、誰にも分からなかった。


 青年の肌は煤で覆われていた。顔は俯き、視線は地面に向けられていた。目は伏せられ、長いまつ毛がよく目立つ。その瞳は、透き通るような紅であった。澄み切った空気の中に広がる、朝焼けのようだ。それに対して、髪は夜空のように黒かった。瓦礫と塵ばかりが広がるこのような場所にいて尚、清冽な月の光が差しこむような艶を呈していた。


 街中で彼を目にすれば、綺麗なものに格別な想いを抱くこの王女でなくとも、間違いなく、誰もが思わず振り向いてしまうだろう。それほどの容貌であった。彼は、この猥雑な街に、あまりにも不似合いだった。


 ――王女だろうが何だろうが、俺には関係のないことだ。必ず、オルティスを叩き潰す為の踏み台にしてやる。


 青年は、その紅い瞳で王女を睨みつけていた。

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リベリカルテスター・アナザーワールド 戸間愁 @tshm147

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