ex-1 もう一つの黒
その日、東の島国は地図から姿を消したらしい。
どこの誰がやったのかは分からない。何でも、東の島国の少年が、異国である西洋の一国、オルティスへと派遣された際、都合の良いことを吹き込まれ、いつの間にか回し者となり、東の島国の統治者を殺害したという。そして、ある港町にて異国の者たちと落ち合い、島国を襲撃させた。
魔法という技術を知ることなく、この国は絶えることとなった。
一つの世界が消えてしまうなんて、そんなことはありふれたことだった。滅びてしまったかの国の種族は、二人を除き、この世界からは消えてしまった。
彼は、残された、たった二人の片割れだ。癖っ毛と、紅い瞳が特徴的であった。
彼はオルティスの者たちに、自分ではない片方だけは助けてほしいと懇願した。けれど、かなわなかった。少年に利用価値があると判断したのも、オルティスの上層の者たちが、少年と親しかったその娘を標的としていたからである。
彼は、少女とは違い、王を中心とする上層部の者たちからは不要とされていた。利用され、廃棄されたのであろう。だから今、子供がいるにはあまりに不適切な場所に放り出されていた。
少年は、このオルティスの東部に存在する、ならず者たちが形成した領域の中にに置かれていた。その一画に位置する、大きな廃墟の中にいるようだ。
彼は鎖に巻かれており、自由に身動きを取ることはできない。壁には汚い言葉が堂々と描かれ、木箱が大量に積まれ、怪しい品々で溢れかえっていた。違法な薬の類だろう。薄気味悪い気配で充満しているのを感じ取り、少年は気分が優れなくなってゆく。空っぽになった胃の中から、何かが飛び出してきそうだ。
この地では珍しい、殊に真っ黒な髪を有することから、希少価値の高い民族として見世物とされるのか。売買にかけられるものなのか。もしくは、弱国の下等な存在と蔑まれ、いたぶり尽くされ殺されてしまうのか。
彼を中心に、いかにも品の悪そうな、清潔感の無い男たちが集まっていた。身体に奇妙な模様を張り巡らせたり、自らに傷を付けているのと変わりのないような付属品を身につけている。弱々しい少年の姿をあざけり、にやにやと、いやらしい笑みを浮かべる。少年は、歯を食いしばり、連中を睨みつける。しかし、石を投げられたり、殴られ、蹴られたりした。
男たちの中に、一人だけ、汚れにまみれたマントを被り、顔の見えない男がいた。その男は少年に手を出さなかった。微動だにせず、少年の姿を見つめていた。
疲弊した少年は、顔を下に向けた。
すると、目に入ったのは、冷たい石の床に描かれた、奇怪な文様であった。男たちが体にまとうものよりは、幾分か整ったものだった。禍々しさを感じる。美しいと呼べるものではない。マントをかぶった男が、手を振りかざす。そして、その文様が赤く光り出す。
少年を縛り付ける鎖が共鳴し、同じ色の光を発する。彼は、まるで全身から血を抜き取られるかのような感触を覚えた。おぞましいものだった。しかし、その光はすぐに潰えた。少年が感じた苦痛も、時間にすればごくごく一瞬のものだ。だが、ぜいぜいと息を切らし、大量の汗を滴らせていた。
マントを被った男は、手の中に光を収束させ、紅い結晶を手の中に握りしめていた。少年の瞳と、ちょうど同じ色だ。
「この位でいいか」
少年は、その言葉の意味が分からなかった。
だが、その言葉を聞いた途端、力がすっと入った。初めて人を殺めたときに抱いていた力に近い。けれど、少し違う。制御が効く。自身を、律することができる。
璃月の持つ不思議な力のように、綺麗なものじゃない。けど、その力に思考を、身体を、乱されるような感覚が無い。研ぎ澄まされた力だ。
呼吸をするにも不快な場所にいるというのに、二度と受けたくないような苦痛を味わった直後であるにも関わらず、なんと清々しい感覚なのだろう。
彼がまず思い立ったのは、周りの連中を一掃することだ。
少年は力を込め、鎖を弾き飛ばす。ぱりんと音を立て、鎖は崩れ飛んだ。彼はすくっと立ち上がる。男たちは、ぎょっとしている。
あの時のように、衝動に駆られることなく、手に、刃物を創り出す。想像したものが、形となり、浮かび上がる。彼が手にまとう紅い光のかけらが、薄暗い空間に飛び散った。
少年は無言で、その小さな刃物を近くにいた男の心臓めがけて突き刺す。男の仲間らしき者たちは慌てて逃げ出そうとしたが、無駄だった。
「ふうん。まあまあやるな」
マントを被った男は、少年を評価するように言う。
少年はその男にも例外なく、襲いかかる。しかし、彼は違った。とっさに作り出したナイフで軽く少年をいなし、壁に向かってへ突き飛ばした。その衝撃で、周りの積荷がばらばらと崩れ落ちる。
壁に叩きつけられた少年は、背中を強く打ち、苦しみの表情を浮かべながら、げほげほと咳き込んだ。だが、男に隙を与えないよう、立ち上がる。少年は逃げることにした。微かな外の光が差し込んで来ている方向に走り出し、廃屋を後にした。
「あの小僧、生き残れっかな」
男は、軽々とした口調だった。
「何考えてんだか。あの王子さんはよぉ。こんな奴を、野放しにしちゃっていいのかな。……ま、友達の考えだからいいんだが」
のらりくらりと、今起きた事象を彼なりに整理した。軽い仕事をこなしたというだけであった。
黒の魔法使いの片割れであり、その紅の力を有する少年の魔力を、少し奪え。けして殺してはならない。加減を間違えると、魔力を失い体を保てなくなり、少年は命を落とす。だから、慎重に、かつ速やかに行え。王子から与えられた、その命令を実行したのみである。
男は、逃げ出した少年の背中を追うことはせず、散らばった死体の傷口の観察を始めた。少年の使った力について、興味を持ったようだ。
少年はこの出来事を機に、魔法の扱いを身につけようと決意した。
どうせ厄介者しか存在しない町であるようだから、これを活用しない手はなかった。何人傷つけようが、殺そうが、お構い無しだ。それに、うかうかしていると、自分も何をされるかわからない。気がつけば腕や脚がなくなっているかもしれないし、それならばまだましな方である。殺し合いが絶えないこの街に身を投じることで、彼は、強くなろうと決めたのである。
邪魔な者を殺すための武器を創る。色々な種類があったほうがいい。街にいる者たちが携えている物を真似る。
小さなナイフ、軽く振り回せる剣、投げられる剣、銃。最後のは少し、創るのが難しい。適当な奴を殺して奪って、解体して中の構造を覚えた。
また、物体として手に持たないのであれば、発した紅い光のまま、打ち出すこともできるようだ。
そして、物の気配を感じ取る練習をした。人もそうだが、街をふらつく魔物も良い練習台になる。山へ逃げる際、璃月はそのようなことができると言っていたが、多分、俺にもできる。魔力の質やそれにより得意とすることは違うようだが、同じこともできるようだ。
俺の力は、璃月のように、傷を癒すものではないようだった。璃月は怪我をするとすぐに治っていたが、俺は違った。極力、攻撃を受けることのないような立ち回りを覚えることとする。
それから、璃月の力と異なる点として、殺しには、おそらく俺の力の方が向いている。璃月の力の方が汎用性が高いが、自分の身に危機を覚えたところで、せいぜい敵を撒く程度の力しか、とっさには発揮できないようだ。でも俺の力は、即座に発した魔力を武器として形成したものでも、一定の殺傷能力があるらしい。
身につける衣は、黒く目立たないものにする。光の差し込まないこの街で、姿を闇に紛れさせる。
一面の赤に染まり、終末を迎えたあの国で。彼女をあんな手段でしか守ろうと考えることができなかった後悔。あの時、自分自身に、彼女の為に闘う力があったならば、彼女にあのような思いをさせる事がなかったのだろう、と想いを馳せた。
――全ては、彼女のために。自分の身が汚れようとも、滅びようとも、彼女だけは、苦しませない。死なせない。そう誓った。
少年は、幾度となく闘いを繰り返した。そして、いつしか青年となった。彼は、自分の姿がどう変わったかなんて、そんなことを気にする余裕はなかった。興味もない。
幾時を経ようとも、この青年、
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