ゆらぎ
年が明けた。江藤さんとは時々連絡を取っていた。それでも毎日毎日取るのではない。そしていつも私から。基本的にはその日のうちにやりとりは終わる。結局私が彼と繋がりたい一心で、無理矢理用事を作っているだけだ。
木枯らしが吹く日が増え、雪予報も出るようになった。私の生活は変わらない。江藤さんとのやりとりが唯一生活に増えたこと。和樹との生活にも浮き沈みはない。
そんなある日、4月に向けて人事異動が発表された。それぞれに手渡された殺風景な紙。私の生活は変わりがないようだった。ちょっとした昇進はあったが、給料が大幅に変わるわけではなく、一緒に働くメンバーも顔なじみばかりのようだ。唯一、慕っていた先輩が退職することが痛手となりそうだった。
しかし、私にとってのダメージはそれではなかったのだ。江藤さんが辞める。
彼が辞めることが公になった途端、視野が狭くなった気がした。彼に理由を問い詰める同僚たち、ねぎらいの言葉をかける上司・・・がやがやとした騒音には聞こえる。しかし、私の耳までその詳細は入ってこなかった。
これから私は何を生きがいに歩んでいくのだろうか。
正直言えば、「諦め時」なのだ。否が応でも彼は3月末にいなくなる。連絡を取れるとは言っても、プライベートに踏み込む会話をする頻度はほとんどない。そんな状態でお互いの生活圏が切り離された後、あえてつながりを保つだろうか。
彼がいなくなればすべて元の世界に戻るだけだ。私はドアを開けても、閉めても、「私」のまま。つまり、純で、平凡で、穏やかな生活を謳歌している私が続く。何事もなかったかのように、もう一人の人格はそのうち消滅するだろう。
ダメだ。私の頭の中に不穏な考えがよぎり始めた。
仕事に集中することはできず、早めに退勤することにした。下まで降りたとき、江藤さんがいた。なんとタイミングが悪いのだろか。
「お疲れ様でした。お帰りですか?」
「ああ、今日はやるべきことも終わったしね。」
「あの・・・。」
「はい?」
「お辞めになるんですか?」
「はい。」
「何でですか?」
「あー、元々一つの会社で長々と働くタイプでもないし、単純にもっと好条件な所が見つかったっていう。そんな感じで。」
「そうですか。」
「あの・・・。いや、何でもないです。よければ途中まで一緒に帰りましょう?」
「そうですね。」
私は危うく出かかったはしたない言葉をかみ砕くように唇を固く引き結ぶと、そう述べて、「そうですね。」という彼の返事と共に外へ出た。
“最後に1つだけ、お願いを聞いてくださいませんか?”
そう言おうとした。その「お願い」の内容など、言えたものではないのだ。
アシェンプテルの夜 みなづきあまね @soranomame
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