第4話 かさね

冬がやってきた。彼への愛は変わらない。秋になって木の葉が朽ちても、冬になって凍てついた風が頬を撫でても、夏と変わらず、私はドアを開けた瞬間に「別人」となり、外の世界に歩き出す生活を送っている。


そして日に日にその感情は、私の心を蝕んでいる。和樹への申し訳なさで、満たされているのだった。彼は何も知らない。常に私のことを大切にし、笑顔で語りかけ、慰め、愛を与えてくれる。私が唯一心から安らげる、たった一人の人であることは間違いなかった。そんなこの世で一番幸せだと錯覚させるほどの生活を、自分は何故蔑ろにしているのだろうか。帰宅すると、毎日自己嫌悪が襲った。


しかし、夜になっても江藤さんの残像は付きまとう。和樹と体を重ねていても、集中できない日が増えた。気持ちよくないことなどない。体も心も満たされる。なのに、時々目を瞑り、想像するのだった。今、自分がいるのは、あの人の腕の中。私の輪郭をなぞる指、肌を優しくこする掌、熱く、愛しさを伝える息遣い。そして終わった後、自分がしたことを毎回後悔するのだった。目の前の人を蔑ろにしたことを。


ある日、私は職場を同僚2人と後にした。そのタイミングで江藤さんも帰路につくところだった。和気藹々と電車に乗った。本当は2個目の駅で私は降りる。しかし、2回に1回くらい、彼と帰りが同じになれば「都合の良い嘘」をつき、彼が降りる駅まで共に行くのだった。


今日も結局同じことをした。「買い物をする」という言い訳を放ち、私は満員電車に彼と揺られた。2人の同僚はそのまま乗り換えず、乗っていた電車に揺られているだろう。電車が揺れるたび、荷物を抱えている彼の手の甲に、私の指が触れる。元々冷え性な私の指は、彼の手に触れるとその冷たさを改めて感じさせられた。


彼の表情を見ても特に変化はない。元々冷静沈着な性格で、そこまで感情を表に出さない。しかし、満員電車で冬で着込んでいるとはいえ、彼と0距離でいることは気恥ずかしく、話が途切れると、どこを眺めたら良いか途方に暮れた。私はしきりに腕時計を見たり、車窓に眩しく見えるビル群をみつめたりしていた。


目的地に到着し、私は彼に軽く手を振って電車を降りた。帰宅ラッシュのホームは出入りする人でごった返し、すぐに彼の姿は人の渦に飲まれて消えた。


帰宅し、私はさっきまで電車でしていた話の続きをしたくなった。正直、どうでもいい話ではある。ほかの同僚や和樹にすればそれで済む。つまり、結局は彼と繋がっていたいという欲望が、くだらない口実を後押しするのだった。


私は散々悩んだ挙句、彼に連絡をした。しかし、彼は先程言っていた通りなのか、ちょっと食事をしてから帰るのか、1時間ほど「既読」の文字はつかなかった。


漸く返事が来たとき、私は一人食卓についていた。和樹の帰りは遅くなりそうだった。でも、あまりにも返事のことで頭がいっぱいで、ろくに箸は進まなかった。


送ってから後悔していた。ろくでもない話を、そんなに仲良くもない、しかも職場の人から、終業後にされるのは、私が逆の立場だったら、あまり嬉しいとは思わないだろう。彼のプライベートな時間を奪うことが申し訳なく思い、


「これだけなんです。人にしてもどうしようもないという笑 仕事の話でもないのに、ごめんなさい。」


そう打ち込んだ。それからほどなくして返事が来た。


「別に仕事以外でもいいですよ?ただ、彼氏さんにじゃなくていいんですか?」


私は思わずスマホを床に落としそうになった。暗くなった画面にも気づかず、凍り付いていると、玄関から「ただいま」という明るい声がした。私はソファから一ミリも動かず、部屋のドアが開いた時に初めて「おかえり」と立ち上がり、そっと和樹の腰に腕をまわした。


なんとちぐはぐな構図だろう。心と頭はここにはなかった。なんと返事をすればいいかで脳内は騒がしかった。これは、彼が私の気持ちに気づいているということなのか、それとも世間体を考えて、ただ単に疑問に思っただけなのか。


私は彼是30分打ち込んでは、消して、を繰り返した。正直和樹はほかの男とやりとりをしていても目くじら立てるような人ではない。嫉妬はするかもしれないが。


「全然怒りませんよ。仮に私たちが連絡をとっていても、やましいことはなにもないから大丈夫です。」


悩んだ末の文だった。まるで自分の気持ちを否定したくてしかたないが故の言葉が並んだ。本当は真逆だ。彼の気持ちはわからない。ただ一つ言えるのは、私はやましいことだらけだ、ということだった。

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