不可視な手の軌道②

ジリリリリリ…


目が覚める。moriは、枕の下から手帳を引っ張り出し、何やら書きなぐった。夢のメモを書くのだが、寝起きに書く文字は解読不可能なことが多い。今のメモも、ミミズが並んでいるようにしか見えない。

布団から這いだし、適当な布を身にまとう。部屋の戸を開けると、いつもの場所にいつものように朝食が置いてあった。スープと、鶏肉を煮たもの。これもいつも通りだ。

moriは生活が予定通りに進まないことが大嫌いである。何もかもがいつも通りでないと気が済まない。プレートを部屋の中に持って行き、食べながら昨晩の王国を弄った。








外灯なんてひとつもないから、あとどのくらいの場所でリードを離した場所に着くのか自信がない。絶対戻ってくると思っていたから、場所なんて覚えようともしていなかった。

「あんたどんだけ奥に行ったの? そろそろたんぽぽ畑終わるよ」

「ごめん。覚えてないんだ」

僕らはたんぽぽ畑の終わりに着いてしまった。ひとまず、引き返すことにする。犬の名前を叫びながら、今来た道を車でゆっくりと辿る。

「犬! おい! 戻ってこい!」

「そう言えば名前つけてなかったね」

「犬はあいつだけだから」

「そうだね。犬! ごはんだよ!」

ワン!と声がした。ガサガサと音がして、車の目の前に飛び出してきたのは、まさしく僕の犬だった。

「犬! よく戻って来たなあ」

何が起きたか分からなかった。車がスピードを上げて、何かを乗り越えた。

「ああっ……!」

「どうして! ブレーキを踏んだはず」

ナカガワが、ブレーキとアクセルを間違えた。その事実、受け入れがたい事実が、後ろに遠ざかっていく。

「ナカガワ、止まれ!」

急ブレーキ。シートベルトが体に食い込んで、車が止まった。

「どうしようどうしようどうしよう……!」

「落ち着け! とにかく元の道を戻るんだよ!」

「無理よ、ああ、どうしようどうしよう……」

「そこ代われ! 戻るぞ!」

ナカガワは固まってしまっていて、動かない。無理矢理こちらを向かせキスをした。

「ナカガワ。ナカガワ。とにかく戻るんだ」

半分泣いている。助けを求める目。僕だって、どうしたらいいか分からない。

運転を代わり、犬がいるであろう場所へ引き返した。


犬は確かにそこにいた。車のライトに照らされ眩しそうにしていた。生きていた。

車から降りた僕に、思い通りにならない後ろ足を引きずりゆっくりと近づいてきた。

「ナカガワ! 生きてるぞ! 特性ドッグフード作ったんだよな!? 持って来てくれ」

のろのろと車を降りたナカガワに、犬はさっきよりも早く近づいていった。

そして、タッパーの中身をぺろりと平らげてしまった。

「犬、大丈夫そうだな。生きてるぞ、生きてるぞ」

ナカガワは、静かに泣いていた。

「骨折しただけだ。それにしても、こんな状態で平らげるなんて、よっぽどお腹が空いていたんだな」

ナカガワの頭を撫でる。僕もナカガワも、無事を噛みしめた。

そうしてぼくは、ナカガワに優しくキスをした。

「なあ、ナカガワ、いいだろ」

ナカガワの目は濡れていた。そして、震えていた。とにかくこの女を抱いてやらなければ、そう思い、彼女をその場に押し倒した。


僕らが抱き合っている途中で、犬が倒れた。ナカガワは気付いていないようだった。僕は、気がつかないふりをした。

最後に、ナカガワを後ろから突いてやった。ナカガワの目の前には、犬が倒れていた。おそらく死んでいる。倒れた犬が見えているだろうに、ナカガワは濡れた声を上げ続けた。

いったいどんな表情で死体を見ながらセックスをしているのだろう。無理矢理こちらを向かせた。だらしない顔をしていた。女とは恐ろしいものだ。

ナカガワの目には、ギラギラと目を光らせる僕が映っていた。


ペットボトルの水を犬にかけた。ナカガワが車で待っている。

「犬、死んじまったのか、おい」

当然返事はない。僕は運転席に乗り込み、その場を後にした。バックミラー越しに、闇に消えて行く犬が見えた。


家についた僕らは、玄関で再び抱き合った。我慢できなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

YUUKI 坂本 ゆうこ @skmtyk-a

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る