YUUKI

坂本 ゆうこ

不可視な手の軌跡

カネダの投げた水風船が、大きく輪を描いた。ササキに向かって投げられたそれは、受け取られる事なく、砂利にぶつかり、割れた。

「おい、ちゃんと受け取れよ。掬うの大変だったんだぜ」

ササキはただ突っ立っていた。二人の横を祭りから帰る人々が通り過ぎる。

「ママ~。あのお兄ちゃんヨーヨー投げて遊んでるよ」

「ササキ! 俺が責められてんじゃねえか。一体どうしたんだよ」

近づくカネダを、ササキは睨み、叫んだ。

「お前なんかもう絶交だ! 死ね!」

そうしてくるりと真後ろを向き、走り去っていく。人の流れに逆らって、神社の方向に走る。カネダは追いかけようと思って、やめた。「絶交」は、ササキの口癖であった。そう口にして逃げ、カネダが追いかけてくるのを待っている。カネダが見つけられず家に帰ってしまうと、真夜中にカネダの部屋の窓に石を投げる。窓から顔を出したカネダに謝る。いつもの流れなら、どうせ謝りに来る。これからまた山を登り神社に向かうのは面倒だった。

カネダはひとり、家路をたどった。






ササキは、冬休み直前の終業式の日になって、やっと帰ってきた。


「おれはバグなんだ」

帰ってきたササキは、以前とどこか違った。本人も、何かに違和感を覚えていた。

「ササキはバグじゃないよ。だから、ちゃんと帰って来たんじゃないか。なあ、ガモウのじいちゃんのとこ行こうぜ」

「……なら、何が間違ってるんだ? カネダ、お前は前からそうだったか?」

「おう、おらァ前からこうだぜ? ササキサマは久しぶりの下界に酔ってんだよなァ。時差ぼけ時差ぼけ。バカやってる内に忘れちまうさ」

「……」

「な、もうその話はいいだろ。こっちまで時差ぼけしそうだぜ。おら、後ろ乗れよ。いい景色見せてやるよ。スッとするぜ?」

バイクにまたがり、エンジンを鳴らす。放ったヘルメットをキャッチしたササキが、不思議そうにカネダを見る。

「カネダ、お前バイクなんて乗ってたか?」

「乗ってたぜ? お前も乗ってたじゃねえか。……そうか、後ろに乗る必要ないか。ササキ、お前自分のバイクどうした?」

「ああ、おれもバイクに乗っていたっけ。……今日は、そうだな。学校に置き忘れたかもしれない」

「そうだよな。ササキぃ、お前考えすぎるから忘れるんだぜ? 今日はいいよ、おれの後ろ早く乗れよ」

ササキがヘルメットを被り、カネダの後ろにまたがる。車体がずんと沈む。

「しっかり捕まってろよ? いくぜェ!」


やっぱり何か変だ。くそつまらない英語の授業行って、サークルにちょっと顔出して、カネダと駄弁って歩いてたはずなんだ。カネダも歩いてたんだ。バイクがあるはずがないんだ。カネダはどこからバイクを出した? おれが今乗ってるこれはなんだ? 目の前の奴はカネダか? ……カネダって、前からつるんでたっけ?




王国にバグができた。やっぱり国づくりは単純じゃない。moriはため息をつき目の前に広がる世界を踏み潰す。砂浜に描いた落書きを消すのと一緒だ。消さないと、次の王国が作れない。

moriは、10歳の時から王国を作っている。小さい頃から妄想が好きだった。小学2年生の冬、クリスマスプレゼントでゲーム機をもらい遊ぶ妄想をしていたら、目の前にゲーム機の平面映像が出現した。その時は掴む前に一瞬で消えたが、その不思議な現象に、moriは夢中になった。いつの間にか妄想が出現するのが当たり前になり、平面映像が立体映像になり、出現する妄想の世界の時間を操れるようになった。高校を卒業する今でも、王国(出現した妄想)を弄って遊んでいる。

カネダとササキの世界も、これまでと同じでうまくいかなかった。次の世界を作る。次は、そうだな。美しい馬を走らせようか。




たんぽぽ畑の中を、僕の愛犬が駆けて行く。リードを外してやったら、すぐに行ってしまった。半年世話してやったのにこれだ。追いかける気はなかった。僕は車に戻り、たんぽぽ畑を後にした。犬が追いかけて来ないだろうかとサイドミラーを見たが、もちろん追いかけては来ていなかった。

家に着くと、午後の3時を回っていた。キッチンでは、ナカガワがジャムを作っていた。

「おかえり。あれ? いつものワンちゃんはどうしたの?」

「元の場所に戻してやった」

「元の場所って…ゴトウ君」

「元の場所は元の場所だよ。拾った場所に返してやった」

「捨てられてたわけじゃないんでしょ」

「……」

「どうすんのよ。あの辺家なんて一軒もないし、川もないから喉乾いて死んじゃうよ」

「どうせまた、僕みたいなやつが拾うよ」

ナカガワはそれ以上何も言わない。木苺と砂糖の甘酸っぱい香りが、キッチンいっぱいに広がっている。そう言えば木苺の木の周りを、あの犬は駆け回っていた。僕がリードをくくりつけていた木だから。あの犬は細い幹を折って逃げはしなかった。逃げはしなかったのに、どうしてたんぽぽ畑では逃げた。


「戻ってきてほしかったのかな、僕は」

匂いで、目の前に置かれたスープに木苺のジャムが入っていることが分かった。

「馬鹿だったのよ。情を確かめようとするなんて」

「そうだよな。馬鹿だったよな」

「スープ食べたら、迎えに行こうか」

思いっきり口にかき込んで食べた。木苺の香りなんて感じなかった。運転席に、乗り込んだ。助手席に滑り込んだナカガワは、タッパーを抱えていた。

「犬って、木苺大丈夫なの?」

「馬鹿ね、あのスープじゃないわよ。お手製のドッグフード」

「ああ、僕は馬鹿だな。これは木苺じゃなくてシーチキンの匂いだ」

車を発進させた。たんぽぽ畑までは3時間かかる。3時間、これからあの犬の口に入る食いモンの匂い。


たんぽぽ畑が道路の両側に現れた。今日あの犬のリードを離したのは、もっと先だったと思う。外灯なんてひとつもないから、あとどのくらいの場所でリードを離した場所に着くのか自信がない。絶対戻ってくると思っていたから、場所なんて覚えようともしていなかった。

「あんたどんだけ奥に行ったの? そろそろたんぽぽ畑終わるよ」

「ごめん。覚えてないんだ」

僕らは車を降りた。懐中電灯なんてないから、とりあえず叫んだ。

「犬! おい! 戻ってこい!」

「そう言えば名前つけてなかったね」

「犬はあいつだけだから」

「そうだね。犬! ごはんだよ!」

ワン!と声がした。ガサガサと音がして、ナカガワの目の前に飛び出してきたのは、まさしく僕の犬だった。

「犬! よく戻って来たなあ」

「はいはい、ご飯ですよ」

ナカガワの持つタッパーに、頭を突っ込む。お水もありますからねとナカガワはペットボトルともう一つタッパーを車から取って来た。

「用意がいいな」

「まったく、僕の犬なんてよく言ったものよ」

既にナカガワお手製のドッグフードを食べ終えた犬は、タッパーの水をひっくり返し、できた水溜りをぴちゃぴちゃ飲んだ。


犬を乗せて、車を走らせた。

そもそも僕の犬ではなかったのだと、思った。




ジリリリリリリリ!

ベルが鳴る。今日の国作りはこれまでだ。moriはパジャマに着替え、布団にもぐり、眠りについた。

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