美しい世界にいる人

七山月子

ところで、お茶は美味しいほうがいいと思うのは僕だけでなく、世界中のどこの人だってそうだと思う。

彼女のネックレスの高価さよりも、彼女の髪の先につけたワックスの量よりも、彼女のリップの塗り重なった艶やかさよりも、彼女の爪先に光るネイルよりも、そんな事が気になっていた。

なのに彼女は僕の顔の作りや、僕の着た服の形や、そんなものばかり気にするので、言ってやったんだ。

「僕はおいしいお茶が欲しい」

率直に素直な意見だと、思ったのに彼女は僕を睨みつけ、

「おもしろくない人ね」

と自らの詰まらなさを棚上げにして去って行ってしまった。

そんな折、やたらと美味しいものの話をする、変わった女性に出くわした。

というのも公園の片隅に咲く冬桜を目にしたので、歩いてしばらく見上げていた時のことだった。

「なんて幻想的なの」

呟いたそれには僕という他者に向けたつもりが全く感じられず、これこそ独り言というものだったが、彼女の手にしていた近所の肉屋のコロッケが気になり、僕は声をかけた。

「あなたのコロッケ、美味しそうですね」

これが始まりだったと記憶する。彼女はそれを聞いて笑顔を僕に向けたのだから、驚いた。

僕の発する言葉には彼女を喜ばせるための気遣いなんてひとつもなかったし、今までに出会った女性というものは僕が気遣いを忘れるたびにふくれっつらをしていたからだ。

彼女は千織と名乗り、僕は千織に綺麗な名前だと気遣いめいた事を口にしたが、コロッケの笑顔ほどのものは得られなかった。

そこの肉屋にあるんですよ。このコロッケ、とてもおいしいんです。二つあるから、あげますよ。

僕は渡されたコロッケをひとかじり、桜を見てはひとかじりしたが、幻想的な冬桜の景色にコロッケの似合わない様が、どうも可笑しかった。

どうも可笑しかったので忘れることなどできず、大学が終われば毎日のように冬桜を見に足繁く通った。

時折、千織は僕の名前を呼んで、それから美味しいものの話をやたら嬉しそうにするのだから、なんだか心は和やかで、冬桜が枯れなければいいと願った。

しかし冬は通り過ぎた頃、彼女の姿をしばらく見なくなったのち、冬桜は萎み散り枯れて行った。

また一変通りの女性と僕は気遣いを忘れずに、接していく毎日が繰り返され、そのうち彼女を忘れるのだろうかとぼんやり思った。

カフェに入りコーヒーをすすりながら、目の前の女性の長くて出口の見当たらない話を聞きながら、ふと窓ガラスを見ると、桜があった。

春が来て、通常の桜が咲き溢れる時期になったのだ。

僕は鞄をひっつかんで、千織を探しにカフェを出た。

千織は、コロッケの代わりに重箱を持ち、やはり立っていた。

「あぁ、君。久しぶりだね。やっぱり、花見には団子だよね」

そんな笑顔に、僕はようやく、惚れ惚れしている自分を認めた。恋とは幻想的なものかもしれない。

桜は散り散り、舞い落ちて、次の冬桜までに僕は、千織の知っている美味しいものよりもっと魅力的な僕になることを、胸に誓った。

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