第五話―⑫ 夢の終わり



 三時間目の授業がようやく終わった。次の英語をしのぎきれば、待望のお昼休み。

 ここの所、はるに勉強を教わってるせいか、苦手意識が克服できている。良い成績を取って、彼に褒めてもらおう。

 そのお礼、というわけじゃないけど、今日の弁当も自信作だ。ご飯を幸せそうにほおる晴斗の顔が頭に浮かび、何だかにやけてしまう。早くお昼にならないかなあ。


「なんか最近、えらくご機嫌じゃない?」


 私が妄想を楽しんでいると、ななさん達がやってきた。何か、用だろうか?


「何よ、ニヤニヤニヤニヤ、気持ち悪いわね。そういえばアンタ、キスの件はどうなったのよ。用事がどうのこうのでして。あれから随分ったじゃない。まさか、まだヤッてないとか言うんじゃないでしょうね」

「キ、キスだなんて、そんな! 私達には、まだ早いです! あ、でもでも、彼がもう少し積極的になってくれたら、その時は……きゃっ」


 想像しただけで、胸が高鳴った。

 そう、そうなの。どうも彼は私に遠慮しているんだよね。

 人を気遣うのは彼の美徳だけど、もう少し強引になってくれてもいいのに。


「え、ちょっとあささん? なな、何を?」


 東海林しようじさんが戸惑ったように目をパチパチさせている。


「つ、ついに頭がおかしくなったの? あんたの言ってること、わけ分からないんだけど」


 いつもはクールなとりまきさんも、なんだか慌てているようだ。

 三人とも、どうしちゃったんだろうか。


「本当に、何を言ってんのよ、アンタ! ふざけてるの!?」


 何をって、そっちこそ何を言ってるんだろう。おかしな人達。

 私は、自分の彼氏の事を話しているだけなのに。


「今日もね、朝一番に起きてお弁当を作ったんですよ? 彼、喜んでくれるかなあ。ねえ、どう思います?」


 そう言って、感想を聞いただけなのに。ななさん達の顔から血の気が引いてゆく。

 どうしたんだろ、貧血でも起こしちゃったのかな。保健室いく?


「き、気持ちの悪い事を聞かないでよ! わ、わたし達への当て付けのつもり!?」

「な、七瀬さん! 落ち着いてください!」

「そ、そうよ。あさなんて放っておいてさ、行こうよ。こんな根暗と話してたら、あたし達までおかしくなっちゃう!」


 こんなに慌てふためく七瀬さん達は初めて見る。やっぱり調子が悪いんだろうか。


「そ、そうね……。アンタ、そんな風に開き直っても無駄だからね! 最後まで付き合ってもらうんだから!」

「……はあ?」


 言っている意味がわからない。最後まで? 何を付き合うっていうの?


「──っ! 行くわよ、皆!」


 いきなり怒鳴りつけてきたかと思うと、サッサとドアを開けて出て行ってしまう。もうすぐ、休憩時間も終わるというのに、せっかちな人達だなあ。


「あ、朝比奈さん? どうしちゃったの?」

じまさん?」


 おそるおそる、というふうに。矢島さんが声を掛けてきた。

 彼女まで、一体どうしたというのだろう。


「何でもありませんよ。ちょっとね、七瀬さん達が変な事を言ってきただけです。ふふ、あの人ったら、まるでね、私とはるが付き合ってるのが、間違ってるみたいな事を……おかしな人達ですよね?」

「──え? あさひな、さん?」


 あれ、固まっちゃった。本当に、今日は皆、変だなあ。

 急に顔色を悪くした矢島さんを心配し、声をかけるが……彼女はおびえたように震えるばかりで、話にならない。

 どうしたものかと思っていると、彼女を呼ぶクラスメイトの声が聞こえてきた。


「ねえ、! ノート見せて! 英文の訳し忘れがあったみたい! 翻訳アプリ使ったんだけど、今一つ要領を得なくて──ね、お願い!」

「え──う、うん……」


 けれど、矢島さんは級友に声を返したものの、まだ気にかかることがあるのか、なにか言いたげな様子でこちらを見ている。うーん、どうしたんだろう?

 安心させるように微笑ほほえみ返してあげると、彼女の細い目が大きく見開かれた。

 そのまま後ずさりをしはじめたかと思うと、私から目を背けるようにして身をひるがえし、自分の席に帰ってしまう。……なんだったんだろうか?

 まあ、いいや。それよりも、はるの──私の彼氏の方が大事だ。

 スマホを取り出し、LINEを起動。彼とのやり取りを一つ一つ、上から下までじっくりと眺める。

 ……胸の奥からじんわりと、しびれるような愉悦の波が広がっていく。

 文面を見ているだけで、心が安らいでいくのがわかった。

 あいもないやり取りが、すっごく楽しい。うれしい。いとおしい。

 こんなにも素敵な恋ができるなんて、思わなかった。少し前まで、学校に来るのが嫌でしょうがなかった、だなんてうそみたい。

 ……あれ? でも、それはどうしてだっけ。たとえ、付き合う前だったとしても、学校に行けば、好きな人に会えるのに。なのに、それを嫌がるなんて──あり得ない。




 私は、どうして、あんなにも、毎朝、嫌な思いを、隠して──




「──つうっ!」


 また、頭が痛んだ。

 そうだ、余計なことは考えない方がいい。

 晴斗のことだけおもっていれば、それで──うん、それで、いいんだ。

 はやく、会いたい。彼に、晴斗にいたい。

 じれったい気持ちを押し隠しながら、授業を受け続け──やがて、待望のチャイムが鳴り響く。それは、私にとってはまさに福音だ。慣れ親しんだ電子音を聞きながら、内心で喝采をあげる。待ちに待った時間が、ついに訪れたのだ!

 私は、先生が退出するのと同時に、席を立った。

 早く、晴斗に会いたい。一緒に過ごしたい。その想いがあふれて、止まらなかった。

 はやる気持ちを抑えつつ、廊下に出る。さあ、行かなくちゃ。彼の、教室へ──


「ちょっと、待った」


 足取りも軽やかに歩き出そうとしたところで、その声に出鼻をくじかれた。

 つんのめりそうになるのをこらえつつ、すべるようにターン。声の聞こえた方向へと体を転換させる。

 すると、そこに立っていたのは……


「……ぜんくん? あれ、一人なんですか? 晴斗達は?」


 周りを見渡すが、彼以外に見覚えのある生徒は居ない。

 珍しい、備前くんが一人でここに来るなんて。


「ああ、安心してくれや。晴斗のやつには、あんたが今日は来れなくなった、って言ってあるからよ」

「え!? ちょ、それってどういう事ですか?」

「いやいや、大した事じゃないんだがな。あんたに、ちょっと話があってな?」


 話? いや、それよりも! そんなうそいて、どういうつもりなの?


「まあ、ここじゃあなんだし。どっか別の……そうだな、屋上にでも行こうか。聞かれちゃまずい奴もいるしな」


 一方的にそうまくしたてると、ぜんくんは私に背中を向けた。

 付いて来い、と。そう言う事らしい。


「待って下さい! 訳が分かりません! 一体、話って何を──」

「なに、本当にすぐ済むさ。ちょっと確認したいだけだからよ」

「か、確認?」

「ああ、そうだ。そうだとも。俺はよ、ただ、お前らのやってる──」


 こちらを振り向きもせず、夕食のメニューを尋ねるような、何気ない調子で。






「──『ゲーム』について、知りたいだけだ」


 彼は、そう言った。

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朝比奈若葉と〇〇な彼氏 間孝史/MF文庫J編集部 @mfbunkoj

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