第3話

 俺が誰だかわかるな、と男が問いかける。

 返事を期待する問いではない。相手を威圧するためだけの、問いの形を借りた脅しだ。ジルバールは大声で叫ぼうとしたが、すぐさま男の部下が口に布を噛ませ、別の部下が扉を固く閉じた。床に組み伏せられてなお睨み上げるジルバールが、しかしそれ以上の抵抗ができないと確認した男は満足そうに口の端を歪める。

「随分とまあ、舐めた真似をしてくれたものだ」

 男は言葉を句切ってゆっくりと話す。自分の言葉ひとつひとつが相手に恐怖を刻むのを楽しんでいるようだった。

「そこいらのカモ相手にせこせこ稼いでる分には、まあ、見逃してやっても良かったんだ。俺は優しいからな」

 周囲の部下達から嘲りの笑い声が漏れた。男は笑いが止むのを待ってから言葉を続ける。

「だが俺達の金に手を出したのは、駄目だなあ」

 何か言いたいことはあるか、と男は問いかける。男が部下に合図を出し、ジルバールの口から布が外される。

「・・・俺は作っただけだ。騙したのは詐欺の連中だろ」

 そんな言い訳が通じる相手でないのは百も承知だ。案の定、絞り出した言葉は失笑を買っただけだった。それでもジルバールは言わなければならなかった。少しでも時間を引き延ばすために。タイミングを誤るな、会話に集中させろ、時間を稼げ。ジルバールは自分に言い聞かせていた。

「仲間を売るか、浅ましいなあ。だが残念、売られたのはお前の方だよ。もっともそのお仲間にはもう、罪を償ってもらったのだがなあ」

 男が顎で示すと、部下の一人がニヤつきながら、血の付着した何らかの器具を取り出し、ジルバールの顔の前で揺らしてみせる。

「で、お前はどうやって償うのが良いと思う?」

 これもまた問いの形を借りた脅しだ。これから始まる暴力を相手に想起させる言葉選び。隠そうともしない嗜虐欲の開示。こうして多くの相手の心を追ってきたのだろうが、今のジルバールには好都合だった。なんとか会話を引き延ばせ、とジルバールは返す言葉を練る。

「趣味が悪いな…あんまり痛いのは俺にもアンタにもお勧めしないぜ。こうなることくらい予想できたさ。準備はしてきた。俺が殺されたら証拠が残るようになってるんだ。あっという間にアンタらはお縄さ」

 ハッタリだ。男も信じはしないだろうが、多少は気になるはずだ。それでいい、少しでも奴らの時間を奪えれば。ジルバールはフラウベルの隠れた辺りを盗み見る。あの位置からなら隠し扉に気づけただろう。もう逃げられただろうか。

 男は数秒ほど沈黙していたが、すぐに口を開く。

「口車に乗せられてやろう。確かに殺しの証拠が残るのは都合が悪い」

 ジルバールの顔に安堵の色を認めた男は、その色を塗り潰そうと言葉を続ける。

「ならばこんな筋書きはどうだ?『若き贋作師はで大事な手を潰してしまい、失意の内に自ら命を絶ってしまいました』とな。ふふ、面白いだろう」

 男が言い終わるやいなや、部下達は男の筋書きを実現させる道具を探すために工房内を荒らし始めた。手を潰してしまいそうな機械、首を吊るためのロープ、それをかける場所。

 ジルバールはもう長くは持たないと悟った。だがもう少しだ、もう少し時間を稼げ。ジルバールは心の中で叫ぶ。その時。


「つまらない筋書きだな」


 部屋の奥から女の声が響いた。部屋中の視線がその方向に向けられる。

 声の主、フラウベルは注がれる視線など意に介さず一歩、二歩と部屋の中央に歩み出る。歩きながらぶつぶつと言葉を続ける。なぜ戻ったと視線で訴えるジルバールの顔さえ見ようとしない。

 周囲の男たちをジロリと睨み付けると、フラウベルは声を張り上げた。

「まったく稚拙な筋書きだ。これだけ世界は様変わりしたというのに、あの時代から全く進歩がない。いつもそうだな、お前達のような輩は」

 意味が分からず呆気にとられていた頭領の男が怒声を上げる。

「なんだお前は!何しに来やがった」

「もっと良い筋書を教えてやりに来たんだよ」

 フラウベルは即座に答える。そのまま投げ遣りな、抑揚のない声で続ける。

「『調子に乗って暴れた悪党共は、怪物に睨まれて石になってしまいました』」

「何を」

 叫び掛けた男は異変に気付く。大勢連れてきた部下の気配がしない。

 いや、いる。見渡せば部下達はそこにいる。だが誰も動かない。どういうことだ。組み伏せられていたはずのジルバールが何故か立ち上がった。その身体を抑えていたはずの部下は、ゴトリと石像のように転がった。思わず一歩後ずさろうとしたが、男の身体はそれに従わなかった。男の膝から下は既に硬い灰色に変わっていた。

 異変に驚き、戻せと喚く男を無視して、ジルバールはフラウベルに向き直った。

「こんなこともできたんだな」

私達ものは作られた通りに在るからな。だが・・・いや、なんでもない」

 ジルバールはフラウベルの様子がおかしいことに気が付いた。

「・・・お前、何か怒っているのか」

 フラウベルはじろりとジルバールを睨む。ふん、と鼻を鳴らして口を開く。

「この悪党共の筋書きは時代遅れで酷い出来だったよ。そしてお前も同じだ、ジルバール」

「何を言って・・・」

「お前は、私を逃がすために己が身を諦めたろう!大昔から何も進歩していない・・・!」

「いや待て、フラウ・・・そうだ、早くここを出るぞ!」

 何か言いかけたジルバールは突然フラウベルの手を取ると玄関へと走り出した。転がる石像を飛び越え、ドアを引き開け、外に飛び出した。息の収まらないままに、フラウベルが声を上げる。

「ハア、ハア・・・なんなんだ突然」

「アイツを見てみろ」

 ジルバールが後ろ手で頭領の男を指さす。言われてフラウベルは、いつの間にか喚き声が聞こえなくなっていたことに気付く。男の足から始まった石化はまだ腰の辺りに達した程度だった。しかしその上に乗っていたはずの上半身は今やダランと垂れ下がり、口からは泡を吹いていた。

 息を切らしながら、ジルバールが話し出す。

「俺はな、フラウベル。確かにお前を逃がすことを優先したよ。でもな、自分が助かるのを諦めてなんかいない」

 反応できずにいるフラウベルの前で呼吸を整え、ジルバールは続ける。

「贋作を作るときに、石を風化したように見せかける薬液を使うんだ。こいつが危険な代物でな、使い方を間違えると空気を毒へと変えてしまう」

 フラウベルにも彼の言わんとすることが見えてきた。

「この薬液を、襲われたときに床にぶちまけておいたんだ。気化した毒は天井から溜まっていくから、俺は伏せていれば良かった。あとは奴らがたっぷり毒を吸うまで待てば・・・」

「ジルバール!」

 フラウベルが大声を上げて遮り、ジルバールは慌てて口を噤む。

「そういうことは早く言え!私がどれだけ・・・いや、いや。これでは助けに出た私が道化のようじゃないか」

 いつものフラウベルらしからぬ怒鳴り声は少しずつ収まり、言い終わるころにはその表情に余裕が戻りつつあった。ジルバールはどう返答したら良いのか迷いながらも、正直に白状することにした。

「いや、もともと一か八かの賭けだったし、きっとお前が来なければ間に合わなかった。助かったよ」

 ジルバールは今になって自分の足が震えていることに気付いた。それに気づいて笑うフラウベルの目尻に涙が浮かんでいることを指摘しようかとも考えたが、やめておくことにした。



 ジルバールの工房は荒らされてしまい、薬液をはじめとした幾つかの道具も駄目になってしまった。作りかけだった「夫」も壊されてしまった。そして住処を知られた以上はここに住み続けることはリスクが高い。様々な要素を勘案した結果、ジルバールは工房を捨てることに決めた。

「お前の旦那を作るのは、悪いがだいぶ待ってもらうことになりそうだ」

 荷物を纏めて外に出たジルバールは言い辛そうに告げる。だが対するフラウベルは意外なほどあっさりとそれを呑んだ。

「構わんよ。私は随分長いこと待った。今更多少増えても苦はないさ。それに…」


 それに、とフラウベルは内心思う。かつてロギンスを救おうとしたフラウベルは石化の邪視など使えなかった。自分が本物の怪物であったならばと、長いあいだ我が身を呪ってきた。怪物の贋物の、そのまた贋物。それが今の自分だった。所詮は贋物、怪物に及ぶ力など持ちえないとどこかで思っていた。それなのにあの土壇場になって、今ならば使えるという確信が生まれた。そして事実、私は危機を乗り越えた。

 この若き贋作師は何を思って私を作ったのだろう、その手の生み出すものは、私の想像を超えるのかもしれない。期待、愉悦、昂揚…フラウベルは自分の胸に込み上げてくる感情に適切な名をつけられずにいた。


「それに、なんだ?」

 続く言葉を待っていたジルバールが痺れを切らして問う。

 フラウベルが何と答えたかは、風の音に消されて聞くことは叶わなかった。

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贋物のゴルゴネイオン 御調 @triarbor

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