第2話
数日後、準備を整えたジルバールは「夫」の制作に取り掛かった。
正直なところジルバールは自らが手掛けた作品に命が宿るとは未だ信じられずにいたが、フラウベルがそれでも構わないと言って譲らなかった。巨匠ロギンスの作品ですら意思を得て動くまでに至ったのはごく一部なのだから、もとより期待は大きくない。他の誰かに頼むよりは既に気に入った作品を一つ手掛けたジルバールに頼むのが最も良い、というのがフラウベルの言い分だった。フラウベルが報酬を提示したこともあり、ジルバールは「夫」の制作を依頼として受け取っていた。
制作は出だしから難航した。
やはりというべきかフラウベルの要求は曖昧で「獅子をも恐れさせる勇壮さと月をも欺く知恵の男、あと美しい顔」との事だった。具体的な容貌を訊ねてみても実際のところフラウベルの中に確固としたイメージは無いらしく「相まみえればわかるだろうが、それまではわからない」との返事だった。
仕方なくジルバールはフラウベルの生まれた時代、すなわちロギンスの活躍した時代の神話や伝承を調べ上げた。フラウベルの抱くイメージは神話の英雄に近いと推察できたからだ。幸いにもかつてジルバールが
しかしここで新たな問題に気づく。
「なあ、フラウベル。とても言い難いんだがな、お前の望むような英雄を作ってしまうと、たぶんそいつはお前と相性が悪い」
ロギンスの魔除け像が歴史に名を遺している理由は、それが定石を覆し、後の世に溢れることとなる美しく作られた魔除け像の先駆けとなったからだ。
元来魔除け像とは恐ろしく醜い怪物を象ったものだった。毒を以て毒を制す、魔を以て魔を退けるという発想だ。その源流は、倒した怪物の邪眼を盾に嵌めて用いた勇者の伝説にある。ところがロギンスは「その怪物は元々は人間だったが、美しさを神に妬まれて醜く姿を変えられた」という説に着想を受け、怪物を美の象徴として表現してみせた。彫刻界に新たなる風を吹き込んだのだ。
「それがフラウベル、お前だ。そして俺もその話を頭に入れて今のお前を作った」
「つまり私は神に妬まれるほどに美しく在る、と言いたいわけだな?」
「そうじゃない、いや、そうなんだが」
「言いたいことはわかるよ、ジルバール。お前は私を怪物として作った。そして今のお前が英雄を作ろうとすると、私を倒してしまう存在になるんだろう。頭に巣くう記憶の蟲は容易に取り除けないからな」
「そういうことだ」
しばしの沈黙が流れる。何か良い案は出せないものかとジルバールは頭を捻ったが、付け焼刃の思考が良案を産むはずもなく、ただ押し黙るより他なかった。
沈黙を破ったのはフラウベルの方だ。それは殆ど聞き逃しそうな声でポツリと呟かれた。
「私が本当に怪物であれば良かったのにな」
「ん?」
繋がりの見えないフラウベルの言葉にジルバールは混乱するが、フラウベルはすぐに取り繕って笑みを見せた。
「いや、気にしないでくれ。…うーん、そうだな。長い間、私は漫然と過ごしていたんだ。ロギンスの作った身体が壊れてから、死んでいるわけではないが生きているとも言い難い、そんな時間をな」
ジルバールはフラウベルがどのように話を進めたいのか読めず、黙って頷く。
「そうしているうちに世界は随分様変わりしたようだ。私は、伴侶とすべき男といえば勇壮なる知恵者だと思ってきたのだがな、今の世にはもっと別の、良い男の資質が産み出されているのかもしれない」
フラウベルは最初のうち自分自身を説得するような調子で話していたが、次第に語調に熱がこもり始めた。
「ジルバール、私は楽しいぞ。世界は変わった。進歩している。刺激に満ちている。伴侶も欲しいが刺激も欲しい。この身体を得て、生き直して、私は本当に良かったと思う」
途中から独り言になっていたことに気付き、一度咳払いを挿んで言葉を続ける。
「たとえば、無茶な要求に応えようと頭を捻る優しさも、言いづらい事実を正直に相手に告げる誠実さも、良い男の資質に加えて良い」
礼を告げられていると気付いたジルバールはしかし、突然のことに動揺し、すぐには反応できないでいた。返事に窮して硬直する彼を見たフラウベルは、表情にいつもの余裕を戻して笑みを浮かべた。
「ここで気の利いたことを言えればもっと良い男だと言えたのに、残念だ」
ジルバールは今度こそ何かを言い返そうと思ったが、何を言っても敵わないと悟り言葉を呑み込んだ。
以降の数ヶ月、フラウベルの夫作りは一時棚上げとなった。理由のひとつはジルバールに仕事の依頼が増えたこと、もうひとつはフラウベルがもっと見聞を広めたいと言い出したことだ。そしてその二つは、偶然にも互いに助け合う関係となった。
ジルバールが贋作を作るために下調べをし資料を漁れば、その知識はフラウベルに伝わる。どこかに出かければ同伴することもできる。挨拶程度の会話ですら久々に生きはじめたフラウベルには刺激に満ちたものであった。
そしてフラウベルが見聞を広めるもう一つの手段、それこそが彼女がジルバールに提示した報酬のひとつだった。
「私の贋物はどれも私で、世界中に出回っていると言ったろう。今の私はこの姿で生きると決めているけれど、あれらはあれらで私のままなんだ。こうして集中すれば、世界中の私は私の耳目となるのさ」
意識が遍在していたころに比べれば制限はかかるものの、フラウベルは動かずして多くの情報を得ることができた。魔除け像の贋作そのもに限らず、それを描いた絵画や文献など、彼女に縁で結ばれた創作物は彼女の目となり耳となる。縁が弱くなるほどに見えなくなってゆくが、ジルバールの仕事に必要な情報を集めることには大いに役立った。
フラウベルが提示したもう一つの報酬は、巨匠ロギンスに関する昔話だった。フラウベルの理解の範囲を超えはしないものの、歴史の彼方に失われた大作家のアイディアや技術の片鱗はジルバールに刺激と着想を与えた。また単純に、彼の人となりや逸話を聞くのは楽しかった。その偉業のみが現代に伝わる天才にジルバールは偏屈なイメージを抱いていたが、フラウベルから語られる彼の人物像は意外にも親しみ深く、親近感を覚えるものでもあった。
「楽しい話を聞かせてもらった。大昔の人間だが、彼とは良い酒が飲めそうだ」
「どうだろう、ロギンスは酒に弱かったからなあ」
「それはまた意外だ。『芸術家は酒豪たれ』なんて言葉もあるがデタラメだったか」
くくく、とフラウベルも笑みを漏らす。ロギンスを懐かしむ彼女は楽しそうで、邪眼の怪物として作ったはずの彼女の両目がこのときばかりは柔らかく温かい光に満ちているのがジルバールにはわかった。
「それにしても、聞けば聞くほどに惜しい人をなくしたものだ。彼がもっと長く生きていれば美術史も百年は進んでいたろうに。いやしかし、それだけ世界が見えていたからこそ、見なくても良い所まで見てしまったのかもしれないな」
「どういうことだ?」
「彼の最後は自殺だったのだろう?」
フラウベルの目に宿っていた暖かな光が消えたことにジルバールは気が付いた。しばしの沈黙の後、彼女は一言だけ呟いた。
「・・・そう伝わっているのか」
以降フラウベルは口を閉ざしてしまい、ジルバールも深く追求すべきではないと判断した。記録と事実が異なることは往々にしてあり、何かしらの悲劇がそこに埋もれていることだってあり得るだろう。しかしそれは既に過ぎ去ったこと、現代を生きる者が今からできることなど何も無いのだ。
それからしばらくの間フラウベルは口数が少なかったが、数日の内には普段の調子を取り戻していた。ジルバールの仕事の依頼があらかた片付いたこともあり、その日は気怠くのんびりとした空気に包まれていた。
「もう夕刻も近いぞ、ジルバール。朝から寝てばかりだ。怠惰は人を殺すぞ」
「何十年も気怠く生きていた誰かは今も元気そうに見える」
「私は人ではないからな」
軽口の応酬も普段に較べて鋭さを欠く。仕事が入ればやる気も出るものだが、と呟いてからジルバールは微かな違和感を覚えた。普段ならもう次の依頼が来ていてもいい頃だ。詐欺師の一団とはそれほど密に連絡を取っているわけではないが、仕事の依頼か「身を潜めろ」との指示は必要な頻度で来ていたはずだ。今回ほどに待たされることがこれまであっただろうか。
ジルバールの内に芽生えた不安は急速に大きくなってゆく。
「フラウベル、前に会った胡散臭い男を覚えているか。詐欺師の連絡役だ。アイツの様子を覗けるか?」
フラウベルにもジルバールの緊張は伝わっていた。無言で頷くと彼女は目を閉じ、離れた場所へと意識を集中させはじめた。
そしてすぐに見開いた。額をに流れる汗を拭うことも忘れ、鋭く告げた。
「ジルバール、今すぐ荷物をまとめろ。逃げるぞ」
フラウベルの尋常ならざる様子に居竦んだジルバールだったが、そんな場合ではないとすぐに理解した。鼓動の早まるのを感じながら、問う。
「一体何が見えた。何かあったのか」
「もう殺されている」
その短い答えは、状況を理解するのに十分だった。詐欺師の一団は街を牛耳る悪党連中にまで手を出していた。そのツケが回ってきたのだ。詐欺師連中が殺されたということはこの住処の場所も知られているだろう。時を置かずにここに来るはずだ。
ジルバールにとってこのような事態は想定の範囲内であった。逃げる準備はいつでもしていた。今回は気を抜きすぎたが、まだ取り返せるか。最低限の荷物を纏めた鞄を引っ張り出したジルバールはフラウベルに目配せし、扉へと手を掛けた。
が、一歩遅かった。ジルバールは扉の向こうに複数人の足音を聞いた。足音は迷いなくこの部屋を目指している。間に合わなかったと考えるべきだろう。咄嗟に振り返り、フラウベルに「隠れろ」と合図を出す。
直後に扉は蹴り開けられ、ジルバールはなだれ込んできた男達に組み伏せられた。
開け放たれた扉をくぐり、ひときわ威圧感の強い男が部屋に入ってくる。他の男たちに緊張が走ったことから察するに、この男が頭領なのだろう。男は足もとに這いつくばるジルバールを一瞥し、ねっとりとした声で話しかける。
「ごきげんよう、贋作師君。会いたかったよ」
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