贋物のゴルゴネイオン

御調

第1話


「おかえり、ジルバール。私に夫を作ってくれないか」


 ジルバールと呼ばれた青年は動揺を隠せずにいた。彼が帰宅したとき、工房を兼ねた自宅は普段通り真っ暗だった。ランプに火を灯してみると部屋の真ん中に見知らぬ女がいて、自分の名を言い当てた。ジルバールの頭に幾つもの疑問が流れてゆく。誰だこの女は、夫を作れとはどういう意味だ。いや、それよりも。

「どうやって入った」

 ジルバールは警戒を強めながら問う。問いながら状況を分析する。空き巣の類ではない。部屋は荒らされていないし、堂々としている。何より俺の名を知っている。待ち構えていたと考えるべきだろう。強盗か。女の手に武器は無い。他に潜んでいる者の気配も無い。確かあの机の引き出しにナイフがあったはずだ。

 女は対照的に余裕の表情で、のんびりと言葉を返す。

「入ったも何も、招いたのはお前の方だぞ、ジルバール」

 そんなはずはない。ジルバールは即座に否定する。女を、いや他人を家に上げたことなどない。彼の仕事上、それはあってはならないことなのだ。しかし対峙する女の顔に嘘や誤魔化しの色はなく、当然のことを答えただけだと言わんばかりだった。

 雰囲気に呑まれて信じそうになる自分を振り切るように否定の言葉を叫ぼうとしたジルバールだったが、声になる前に女に制された。

「いや、お前にその気は無かっただろうな。だが結果として私は招かれているし、お前に用があるんだ」

 この女、頭がおかしいのか。言っている意味が全くわからない。

 と、改めて女の顔をのぞき込んだジルバールの脳裏に小さな疑念が過った。それは本来であれば意識に上る前に掻き消してしまうような馬鹿馬鹿しい発想であった。しかしその小さな疑惑の萌芽を女は見逃さなかった。

「私の顔に見覚えがあるのだろう、ジルバール?」

 自分でも気付かないようにしていた内心を言い当てられ、ジルバールの心臓は大きく跳ねた。そうだ、俺はこの女の顔を知っている。つい数ヶ月前まで仕事で嫌というほど見ていた顔だ。よく通った鼻筋も、豊かな髪も、冷たさを感じさせる瞳も。見れば見るほど確信は強まる。だがそんなはずはない。だって、だってあれは。

 ジルバールの思考を遮るように女が続ける。

「そうだ、お前は私を作ったろう。ジルバール?」

 ニヤリと笑う女の顔は、ジルバールが手掛けた贋作、彫像の女と瓜二つであった。



 ジルバールが贋作業を始めたのは十数年も前のことになる。

 彼は彫刻修復技師の弟子であったが、あるとき詐欺師の一団にその腕を買われることとなった。ジルバール自身にとって意外なことに贋物にせもの作りは彼によく合っていた。技術は日ごとに成長し、数年の内にそこらの放蕩貴族はおろか鑑定士にすら見破られることは殆ど無くなった。いつしか彼は贋作業を天職と考えるようになっていた。

 贋作師としての報酬はそれなりに大きかったが、当然リスクもつきまとう。所業が明るみに出れば良くて投獄、悪ければ処刑となるだろう。それどころか味を占めた詐欺師達は裏社会を牛耳る悪党連中にまで標的を広げ始めた。彼らに露見してしまうことを考えれば処刑された方がまだ幸せだろう。それでもジルバールは、贋物作りから足を洗うことはなかった。

 その代わり、ジルバールは身元を割られないように慎重を期していた。だからこそ自宅に入り込んだ見知らぬ女が彼の名を呼んだとき、大きく動揺したのだ。名を知られていると知ったとき、ジルバールは無意識に様々な可能性を検証し、最悪のパターンに備えようとした。しかし女の言葉は彼の想定を軽々と飛び越えていた。


「聞いているのかジルバール。私を作ったのはお前だろう?」

 女が再度問いかける。ジルバールの意思とは無関係に記憶の蓋が開く。

 そうだ、依頼があった。女の彫像の依頼だ。大昔の巨匠が作ったという魔除けの像。その現物は歴史に埋もれ、記録の上にのみその姿を残す像。その贋作を作れという依頼を確かに受けた。数多の資料を読み漁り、当時の文化を調べ、特殊な薬品で風化を装い、実物を見たこともない像を作り上げた。確かその名は。

「・・・ロギンスの魔除け像ゴルゴネイオン

「おお、ようやく気付いたか。そうだ、私だ」

 女は嬉しそうに答える。対するジルバールは未だ混乱が収まらない。彫像が生きて喋るなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。彼の理性はそう叫ぶ。しかし実際に目の前の女を前にして、彼は女の言葉を現実として受け入れ始めていた。

 俺の作った贋作が俺のもとにやってきた。贋作業を咎めにやってきたのか。そんなリスクは想定していなかった。

「俺を、裁きにきたのか」

 ジルバールはそう訊ねる。しかし女の方は意外そうな顔をした。

「どうしてそうなる。むしろ礼を言いたいくらいだ。それに言っただろう、私は夫を作ってもらいに来たんだ」

 疑問符を顔に浮かべるジルバールを見て女は溜息をつく。

「さて、どこから説明すれば良いか・・・。まずは名を知ってもらおう。私はフラウベル。魔除け像のフラウベルだ。ロギンスはそう呼んでいた」


 フラウベルの説明は脱線が多く感覚的だったが、徐々に落ち着きを取り戻したジルバールは何とか整理することができた。それによれば、彼女は文献に記録の残る巨匠ロギンス・メルベイの作品『魔除け像ゴルゴネイオン』そのものである。彼女に言わせればモノに命が宿ることはそう珍しくはないらしく、生物を模した彫像であれば尚更との事だった。ただし明確な意識を持ったり、自由に動いたり、言葉を解したりするだけの力を得られるものはごく少数、というより彼女の知る限りロギンスの作品の一部のみがそうなれたという。

 フラウベルはロギンスの作品として産まれたのち、魔除け像として一種の信仰を集めるうち、いつしか意識を持ち動けるようになっていたという。しかしその本体と言うべき彫像はその後の長い歴史の中で埋もれてゆき、ついには人知れず朽ちてしまった。彼女自身も自分の生はそこで終わったと思ったそうだが、実際にはそうならなかった。

 どういうわけか彼女の魂は贋作の身体に引き継がれることとなった。

「きっとあれらは『私』として作られたから私になったんだろうな」

 彼女の贋作は長い歴史の中で幾つも作られており、本来の彼女の身体である像が朽ちたとき、彼女の意識は世界中に散らばる数多の贋作に遍在していたという。

「あの感覚は説明が難しいな。ここにいて、同時に向こうにもいる。書を読みながら弓を弾くような・・・湯に浸かりながら森を歩くような・・・まあ、そんな感じだ」

 遍在する意識を何処かひとつに纏めることができるという実感は早い内からあったが、フラウベルはずいぶん長い間それを実行せずにいた。贋作たちの出来は彼女を満足させるものではなく、それらの姿を得て生き長らえる気になどなれなかったのだという。かといって自ら生を終える術も無く、長い年月をそうした曖昧な存在として生きてきた。

 そんな折、ジルバールが彫像を作りはじめた。新たな自分が作られゆくことをフラウベルは知覚していた。最初こそ期待も何も無く漠然と知覚していたのだが、作業が進むにつれ興味を惹かれていった。完成間際の時期にはフラウベルの意識は殆ど一日中、この工房にあった。そして像が完成したとき、気が付けばフラウベルはその像の、すなわち現在の姿になっていた。

「ということでお前には感謝しているんだ。また生きたくなってしまった」

 ジルバールは未だに理解が追いつかなかったが、心の引っかかりを言葉に出した。

「気にならないのか。贋作の、その贋物の姿になってしまったことは」

「言っただろう、私はこの姿が気に入ったんだ」

 それにな、とフラウベルは続ける。

「気に入ったのは容姿だけではない。私には解るぞ、ジルバール。お前は作る事を恥じていない。これまでの贋作達は負い目を抱いた者ばかりだった。私達は作られた通りに在るものなんだ。自らの在り方を恥じるような存在に誰がなりたいと思うか。お前は違う。お前は贋物であろうとなんだろうと、その手が生んだものに誇りを持っている。だから気に入ったんだ」

 ジルバールは呆気にとられる。フラウベルは誇りを感じたというが、ジルバールにその自覚は無かった。しかし確かに、作ったものを恥じたことはなかった。作っているのは詐欺道具の贋作だ、真っ当な人間なら恥じ入って然るべきだろうに。

 不意に笑いがこぼれ、そのことに自分で驚きつつ、気分が晴れてゆくのを感じた。

 ひとしきり笑ってから、ジルバールは思い出したように尋ねる。

「それで、フラウベル。夫を作って欲しいというのはどういうことだ」

 やれやれ、やっと話ができると悪態をついてフラウベルが応える。

「うん、私はそもそもこの生を終えても良いと思っていたんだ。それを若き贋作師にまた生きようだなんて思わされたものだから、そいつには私が生を謳歌できるよう責任を取ってもらわなくてはならないと思ってな」

 冗談めかして言うフラウベルにジルバールは苦笑いで返し、続きを促す。

「ま、正直に言えばこの生を共に歩む者は前々から欲しかったのさ。そこに腕の良い彫刻家が現れたわけだ。とびきりの美丈夫を頼むよ、ジルバール」

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