にんじん

真花

にんじん

 知らなくたって生きていけることが殆どだとしても、知りたいという欲求を突き動かすものは確かに存在する。その最たるものが学究と報道だ。前者は主に科学と発掘と調査と文献という手法を用いてその知りたいものに迫ってゆき、後者は取材や潜入という方法で知りたいものを明らかにしようとする。しかしそのどちらの手段を持ってしても判明しないものが、在る。私はそういう謎に取り憑かれてしまった。

 例えば夢を見てその内容に意味を探ることをオカルトと言うのか精神医学の一つの方法論と言うのか論が割れるのと同じで、学究も報道も辿り着くことが出来ないものを解き明かすための方法が、一般的ではない形で存在したとしてもそれを万人は妥当な手続きだとは言わないだろう。しかしそれが向こう側にアクセスする限られた方策ならばそれを採ることは必然なのではないか。もしそれが単独では検証不能なものなら、複数の独立したソースから比較検討することで真実が炙り出される、そう考えるのはおかしなことだろうか。

 この国にはイタコが居る。彼女らは死者の霊と交信をすることが出来る。

 私は謎を解くためにするべきことはイタコに訊く、いやイタコを介して訊くことだと見出し、これを選択した。

 私の追っている謎は現代の科学の届く範囲を超えていることが明白だし、と言うよりも私がその研究者であり、ああこれ普通にやってたら無理だ、新しい技術が開発されるまではもう進展はない、そう悟ってしまっている。つまり、学者としてやれることが過去の話のまとめたものを作るとか、空想的な仮説を立ててそれが実証されることがほぼ不可能だと分かっていながら実地調査をするとか、そんなものに限られているという現状、脱出出来ないトンネルに戻れないところまで入り込んでしまったような気持ちで、一人研究室で落涙するしかなくなっている。だが諦め切れない。生まれた時代が早かった、もしくは遅過ぎたと嘆いたまま止まっていることなんて出来ない。知りたい。真実を知りたい。それが現代人にとってクソの役にも立たなくて、トリビアでしかないとしても、私は知りたい。これまでずっと賭けて来た人生の分も、研究のための労力の分も、それらの全てが無に帰したとしたって私の衝動は原初の頃と同じ、いやそれ以上に強烈だ。もしイタコの言ったことを鵜呑みにして発表したならば私は科学者として失格だろう、しかしあくまで彼女の言ったことを足がかりに新たな研究仮説を立てる、必ず検証する、私は科学者としての納得を胸に恐山に飛んだ。そう、これは超能力を捜査の補助手段に用いるのと同じだ。

「流石に無理よ」

 イタコは要件を聴くだに言った。四十代前半くらいで深淵な、覗き込んだらそのまま飲み込まれてしまいそうな色気の残骸に少しだけ身構える。

「どうしてですか?」

「場所も時代も遠過ぎて、私の力じゃ届かないわ」

 霊界にも距離と時間の概念があるのか。ん、私の力じゃ?

「誰か届かせることが出来る方を紹介して貰えませんか」

「そうねぇ」

 迅速にいくばくかの研究協力費を彼女に渡す。研究費と言うのはお金で解決出来るものはそうしなさいという趣旨だから、合理的な行為だ。

「あ、思い出しそう」

 目の前に金が来るのか来ないのかを値踏みする目は毒気のある色気を含む。若いときに迷い込んだ覗き小屋では各覗き部屋の下の方におひねりを渡すための小箱があり、そこにお金を入れて箱を回すと覗かせている女性が居る部屋にパカっとお金が出る仕組みになっていた。女性は各部屋の前をゆっくりと歩きそこにお金が入っていた場合には性器を間近で見せるのだが、そのときの目。あそこに通う人と言うのは実は女体よりもその目を覗きに来ているのではないか。今はだから増資する。手に取ったものを改め終わった瞬間の顔、これで十分量が渡ったと書いてある。

「彼女は多分天才だったわ。だけど、人より業を喰らったのかある日スッパリ辞めちゃったの。あんなに大変な修行したのにね」

「え、じゃあ、もう居ないんですか?」

「そう。居ないわ」

「そうですか」

 落胆を諦めないこころが跳ね返す。

「連絡先とか居場所とか、ご存知ないですか?」

 次に渡す額を同時に計算する。

「私から聞いたって、絶対言わない約束、出来る?」

「もちろんです」

 さっきとは違う値踏みの目。彼女は私を見ているのか、それとも私に憑いている祖先を見ているのか。

「いいわ。いっぱい貰ったし、学者さんと言うことだし、信じるわ」

「ありがとうございます」

「今彼女は樹里亜って名前でスナックのチーママをしてるの。弘前市内にある『とびら』って店よ」

「連絡先は」

「それは教えられないわよ。足が着くから」

 弘前の「とびら」はネットですぐ見付かった。すぐに向かう。

 低いビルの地上階、木製のドアには準備中の札。迷わず開ける。

 カランカランとドアの鳴り子。

「あ、まだやってませんよ」

 はすっぱい声が中年のめかし込んだ女性から飛んで来る。

「すいません、客としてではなくて別件で来たのですけど、話だけでも聞いて頂けませんか?」

「警察か探偵かい?」

「違います。学者です」

 いそいそと名刺を渡す。いつの間にかさっきの声の主以外にもう一人三十代後半くらいの女性が横に立っていて、彼女にも名刺を差し出す。

「実は樹里亜さんに相談がありまして」

 中年女性が、あー、という顔になる。若い方がじっと私を見る。

「樹里亜ちゃん、どうだい、合格かい?」

「合格」

 その言葉を受けて中年女性が半歩私に近付き、耳打ちの姿勢を取る。

「あんたイタコの仕事を樹里亜ちゃんにやってもらいたいんだろ。でも、この場所では出来ない。だから樹里亜ちゃんを貸し出すということになるんだ。彼女が合格を出したってことはその降霊を受けてくれるということだから、今から貸し出しということになる」

「分かりました」

「彼女が抜ける穴の分の料金ということになるけど、いいね?」

「当然です。お払いします」

 協力費を惜しみなくつぎ込む。樹里亜さんにも後で払わなくてはならないだろう。

「じゃあ、行っておいで」

 樹里亜と私はスナックからポイ、と出されて、ちょっと顔を合わせる。

「さて、どこでなら降霊がしやすいですか?」

「静かで、邪魔の入らない所だったらどこでも大丈夫ですよ。ホテルに泊まってるならそこでもいいですよ」

 私が急にムラムラして襲うとか考えないのだろうか。しないけど。

「分かりました、じゃあ今泊まってるホテルに行きましょう」

 車、左右に座る。

「どうして合格、ってすぐに決めたんですか?」

「あなたに憑いている霊達の声を総合したら、あなたは人生を賭ける目的のために今行動をしていて、犯罪はしたことがなくて、性的に危険なこともないし、って。でもね、危険性がどうかよりもあなたが人生を賭けて何かをしている人だ、ってのが協力したいと思った理由なんですよ」

 柔らかくてこそばゆくて、でも一番誰かに認めて欲しいと思っていたところを突かれた。学者として生きるというのはプロフェッショナルであることだから、がんばったとか人生賭けてるとかは評価の対象ではない。どういう結果を出したか見付けたかと言うことだけが評価される。それでも、自分がそれに人生を賭けているということはとても大きくて、でも誰にも言えないことで、本当は見て欲しい。そこへのアプローチが常識外だったのに、起きた結果は本物で、これって、今の手法で研究を進展させたとしてもその結果は本物になる、ということと同じなんじゃないか。

 胸の中の動きが強くて、車を降りるまで何も喋れなくなってしまった。

 ホテルに着く。特に荷物もないらしい。

 部屋。

 ベッドはメイクされた状態で清潔だからその上でするのが適当なのだろうか。

「じゃあ、この椅子に座るんで、テーブル挟んで向かい側に座って下さい」

 言われた通りに座る。

「それで、相談というのは何でしょうか」

「実は私、マヤ文明の研究をしているのです。どうしてもマヤの滅亡の謎を解きたい。それに取り憑かれてウン十年、しかし研究は行き詰まっています。そこで、マヤの最後の日を見た人を降霊して頂いて、そのときの話を聞けたらと思うんです」

「ずいぶん昔で、遠い国ですね」

 頷きながら聞いていた彼女が一枚だけ遠く構える。それに引っ張られるように私が前にのめる。

「もし、可能だった場合、言葉はどうなるのでしょうか、マヤ語ですか? 日本語ですか?」

「それは日本語です。媒体が私なので」

「昔で遠いと困難ですか?」

「いや、私は大丈夫ですけど、正確にするには例えば、その人の思い入れのあるものとかありますか?」

 ニヤリとしてしまった。スーツケースを開けに行く。中から取り出す。

「出土品です。科学的な鑑定の結果、現時点ではこれよりも後に作られたものはありません。だから終末の目撃者が使っていた可能性が高いです。しかもこれは、王族と考えられる人の身につけていたものです」

 装飾品のようなものをテーブルの上に眺め、樹里亜はふうん、説明する私の興奮も上の空のような様子。

「だから王の位置から見る自国の崩壊が分かることになるのです」

「残念ですけど、これに思い入れが一番強いのは作った人ですね。職人さんになるのかな、その人だったら呼べますよ」

「王は?」

「多分来ない」

「その職人さんでいいです。お願いします」

 頷く樹里亜。さてと、と座り直す。

「説明しますね。まず、降霊中に私に触ってはいけません。会話は普通にして大丈夫です。次に、降霊が終わるまでは決してその場所を動いてはいけません。私が急に暴力をするとかはないですので、心配しないで下さい。最後に、降霊で降りて来た人が何を言ったとしても私は責任は取れません。よろしいですか?」

「了解しました」

 お互いに頷き合う。

「では、始めます」

 そう言うと樹里亜はゆっくりと呼吸をし始めた。

「なんだここは?」

 え、もう? 早過ぎだろ。

「ここは日本という国の部屋です」

「どうしてここに、俺は死んだ筈だろう」

「どのようにして、マヤが滅んだのかを伺いたくて、死んだ貴方を呼び起こさせて頂きました」

 雰囲気が明らかに樹里亜ではない。男性だ。ちょっと粗暴めだけど話の通じる大男の印象。

「どうして話さなくてはならないのかと思ったが、俺も話しておきたい、そういうことが起きたから、聞け」

 期待ではちきれそうになる。

「俺たちは平和に暮らしていた。俺は宝飾品を作る職人で、ちょうど最新作がそのときの王の所に届けられた頃だった。王はにんじんが嫌いで、平和な国にありがちな常識を度外視した法律を制定した。にんじん禁止令だ」

 犬公方の生類哀れみの令みたいなノリかな。

「街からはにんじんが消えた。農家も廃業に追い込まれた。でもそれに対しては国が保障をしていたから恨みはあまりない筈だと考えられていた。しかし、にんじんを限りなく愛している一派がいた」

 にんじんの話ばかりだがどう滅ぶんだ。

「その一派が強力な呪術士と手を組み、国中に呪いをかけた」


 俺はその日、材料になる石や金属を求めて街に出ていた。殆ど工房に籠って生活をしているからうきうきしていたが、その理由には自分の作品が王に使われるということが初めて起きたからというのもあったと思う。

 市場には人が溢れ、色々な食べ物、石、道具など、賑わいはこの国の繁栄を象徴するかのようだった。

 ふと空を見上げた。

 そこには一本のにんじんがまさに空から降って来るところだった。

 にんじんは猛スピードで落下、斜め前に構えていたテントを突き破りその下に居た男に当たって砕けた。男の方も無事ではなく、骨折以上のことが起きていた。辺りは騒然となった。

 当然、また空を見る。

 やはりにんじんが落ちて来る。今度はあっちにも、こっちにも。

 悲鳴が聞こえる。隠れろ! の声。

 俺は隠れるよりも先にこの場所から離れることが生き残るすべだと直観し、走って逃げた。

 しかし、にんじんは走っても走っても、落ちて来る、徐々に増えている。

 俺は住処まで戻り、やっと空を見上げた。

 空が全て、にんじんで埋め尽くされていた。

 右を見ても左を見ても、にんじんの空が、天に逆さにもうひとつの地平線を作っている。

 誰の宣戦布告があった訳ではないが、俺はこれはにんじんを禁じた王の失政の結末だと理解した。

 それから直ぐ、空を覆っていたにんじんが一斉に流れ落ち国中を埋め尽くした。ちょっとやそっとの量ならば食べてしまえばいいのかも知れないが、高台にある俺の工房も埋まって、俺もそこで身動きが取れないまま死んだのだから、国は全てにんじんで何メートルもの高さに埋められた筈だ。


「まさかにんじんで国が滅ぶとは思っていなかったが、実際そうなってしまった。あんたはどうやって滅んだって聞いている?」

「それが謎のままに今はなっています」

「だろうな。にんじんでの滅亡は誰も看破できないだろう」

 そう言って直ぐ男性の雰囲気は消えた。恐らくもう樹里亜さんに戻っているだろう。

「樹里亜さん」

「はい、ただいま、どうでしたか」

「信じられない話でした、でも、ありがとうございます」

「じゃあ、今日はこれでおしまいにしましょう」

 樹里亜を「とびら」に送り届ける。

 中年女性、樹里亜がママと呼んでいたのでママだったのだろう、がででんとやって来る。

「どうだった、望みのものは手に入ったかい?」

「まあ、そうですね、これからそれが望みのものかを分析します」

「そうかい」

 くっくっく、と笑って引っ込む。樹里亜も既に店の中だ。

 ドアがパタンと閉められる。

 ああどうしよう。にんじん。何かの比喩なのか。それともにんじんで毒が当たったとか。それでもやっぱり彼の言ったことが実際に起きたと仮定して論を煮詰めないといけないのか。でも、空がにんじんでいっぱいになるということは物理的に可能なのか。手の込んだ形でお金だけ取られて一杯食わされたのか。謎を解く筈が謎が増殖してしまった。もしかしたらにんじんが降ったのかも知れない、彼は正しいことを言っていたかも知れない。でもそれを検証する方法がない。でも今私が一番不安になっているのはそんなことではない。今後別の霊能力者とコンタクトを取って、何人も取って、話を聞く度ににんじんだったらどうしよう。私の知性の全てがにんじんを否定しているのに集めた情報は全てがにんじんを示していたら、それは事実が勝つから、屈するしかない。その未来が嫌だ。にんじんのある未来が嫌だ。でも、調査はまだ始まったばかり。悲しい未来に近付いてゆく道であったとしても、俺は知りたい。

 にんじんかそうではないのか。



(了)

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