真花

 夕闇の中ぼやっと光る界隈に近づいて行ったら、露天商の集まりだった。

 店は数十はあろう、客もかなり居て、冷やかしたり店主と談笑をしたりしている。

 彼等の喋り声が耳に心地よく、右に左に数限りない雑貨を食べ物を横目に通り過ぎ前に後に人と交差しても、空気の香りを嗅ぐ余裕さえある。商品を手に取ったりしながら店の連なりを縦に抜け二度横に縫って、この夜の灯りの気配は吸い付くしたかな、店舗達の外のぐるりを歩いて帰ろうと思ったら、遠目にもう一つ店が在る。

「まだあるみたいだよ」

 連れの女に囁いた私の半分はその店にわざわざ寄らなくてもいいと考えていた。

「見てみようよ」

 女は嬉しそうに言って、小さく駆ける。

「あ、画廊だ」

 振り返る、手招き。

 呼ばれて早足に彼女に寄り、肩を並べて店の構えと対峙する。

「ほんとだ」

 六畳ほどの敷地に絵がところ狭しと並んでいる。半分近くの絵が他の絵と重なっていて見えない。棟方志功やクリムトと言ったよく知っている画家の絵をさーっと攫って、まあこんなものか、振り返ったそこの絵に、私は釘付けになった。

 それは縦一メートル横八十センチくらいの白いキャンバスに、ただ一本線が真横に引かれているだけのもの。線の太さは一センチくらいでフリーハンドで描かれているのは明らかだが、その真っ直ぐさに力がある、美しい。

 線は蛇だ。白い大地を横切るものだ。

 しかし次の瞬間、線は地平線になる。全てを含んで白の大地と、全てがない白の空。

 さらりと水平線に変化する、白の海と空に青い色が浮かんで見える。

「気になってるの?」

 女に話しかけられて我に返る。

「うん」

「誰の作品?」

「分からない」

「けど、好きなんだ?」

「うん」

 この作品を手許に置きたい。これはまだまだ変化する。

「これ、買おうと思う」

「ほんとに? でも、私も好きだな、この絵」

「ほんと? じゃあ迷う理由はないね」

 ラッピングに閉じ込めてその間見られない、抱えているのにその機能を享受出来ない。早く鑑賞の続きがしたい。私の衝動を女も感じ取ったか寄り道はそれ以上せずに宿泊するホテルに急ぐ。

 到着して私は一服つく間もなく梱包を外しベッドから見える位置に絵を立て掛ける。

 絵は相変わらず白に一本の線だけだ。

「こっちへ来て。一緒に見ようよ」

 ベッドに横たわる私に女がぴったりと嵌る。

 自らの内面に次々と噴出するイマジネーションを撒く前に訊いてみようと思った。

「あの線、何を分けていると思う?」

「上が水で、下が空」

「逆じゃないの?」

「世界を見るレンズなの。ここから南半球を見たの」

「なるほど。ペンギンもいそうだね」

「シロクマもいるよ。空に落ちそう」

「私はね、やっぱり何かを分けているように見えるんだ」

 私は腕を伸ばして、ピッと張った指で線を中空でなぞる。

「YesとNo、この世とあの世、意識と無意識。対になっているものってたくさんあると思う」

「ずいぶん観念的だね」

「観念的?」

「うん。私分かった。どうして今日この絵が必要だったか」

「なんで?」

 クスっと女が笑う。

「あれ、あなたと私だよ」

 虚を突かれて私は固まった。

「二人は寄り添ってる、けど、決して一つではない」

 お前はそう感じていたのか。

「一つの魂を分け合ってるって確信があるのに」

「じゃあどうすればいいんだ?」

 女は指先をゆっくりと動かしてVの字を描く。

「線に出っ張りがあればいいんだよ。出っ張った分、入って来るでしょ?」

 そのまま手を私の股に滑らせてゆく。確かにそうすれば一つになる感覚を得るかも知れない。お互いが別のものであることを前提にしてそれを破る方法なのかも知れない。だけど。

 女の手にそっと手を添えて制する。

「まずは境界線を感じよう」

 私は女を強くつよく抱き締めた。彼女も同じことを私にする。

 女の額に口づけ、ぎゅっとする。女が私の胸に頬をこすりつけ、ぎゅっと仕返す。何かをしては、また抱き締めるということを繰り返す。しかし抱き締めても抱き締めても、境界線は溶けない。

「裸になろう」

「うん」

 ベッドに横たわって、抱き合う。

 ふと上半身だけ離れる。じっと見つめ合うといつもより女の目が綺麗で、頭をやさしく撫でる。いつの間にか私は強烈に勃起していて、前戯の必要なく私達は繋がった。

 中に入ったまま抱き締め合う。次第にVの字の部分が溶けてなくなってしまったような感覚になって来た。絵ならば線のVが溶けるということは境界線がなくなるということだ。

 私は上体を起こし女の目を見た。さっきよりさらに綺麗な目。

 見つめ合って、じっと、ずっと、見つめ合って、また、抱き合った。

 結合部と目と、二つの箇所で繋がって、環のようになっている。女も同じように感じていることが分かる。連結の感覚、循環のような、シンプルな境界の破綻のような。

 絶頂は同時に訪れ、いつもよりはるかに熱いものが受け止められた。

 果てた後も抱き合って、時間が流れているのかそうでないのか分からなくて、それでも十分な気がしたから離れて体を伸ばす。もう一度くっついてみる、さっきに比べて格段に別々の肉体である感じがする。

「Vのところが、溶けた。一つになっている感覚があったよ」

「私も。目も繋がってた」

「元の一つの魂に、なってた」

「不思議」

「今はまた別々って分かる。でも前後で全然違うのも分かる」

「お互いの魂を分け合ったのかもね」

 絵の近くに私は立つ。

「この、線は、二人がばらばらの肉体にある、分割されたものであることを描いている。と、同時に、一つに繋がることが出来ることも描いている。さらに、そのあとに一部混じった上でまた二つになることも、描いているってことか」

「もう、そうとしか見えないよ」

 ベッドに座る女。

「線が、動いて、入って、溶けて、また何事もなかったかのように戻るんだもん」

「これは、言う通り、二人のことが描かれてるんだね」

 腕組みの私。

「二人の魂が一つのものだった証明も、されたわけだ」

「それは、元々分かってたことだけどね」

「たしかにそうだね」

「でも、間違いないって、確信した」

「私もだよ」

 そう言って、二人は二人のままで肩を寄せ合った。



(了)

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