打ち上げ

語り継ぐ必要は非ず

 一八七一年、八月二九日。

 明治政府の行政改革、廃藩置県。

 これによって文字通り全国の藩が撤廃。藩を仕切っていた各地の大名が政府に、権力が集まっていくことになる。

 これの代わりに行われた府県統合によって、全国三府三〇二県――十一月頃には、三府七二県にまで統合、設置された。

 平安時代より続く、各藩各地の領主が支配する在り方を根本的に否定したこの変革は、後に明治維新と呼ばれる変革の中でも、最大のものと呼ばれることとなる。

 奇しくも『弱ったところを集って殺す』あの狂気の辻斬りと同じ思想に至った政府の在り方は、その後日本を富国強兵の強国へと成長させて行くのだが、その先に辿る末路を予期していた者は、誰もいない。

 話はそれからおよそ五年後――日本の法令に、廃刀令が発布された一八七六年、三月末。壊刀団解散から、実に八年が経った頃である。


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 尾張国、名古屋県――基、愛知県。

 周囲の一般家屋に比べてずっと大きな家は、元壊刀団所属、織田依姫の実家である。

 が、彼女はすでに織田姓でなくなっていて、織田の名札のほかにもう一つ掛かっていた。

「おばば! おばば! 見て見て! お庭の松の木になっていたのを拾って来たんだよ!」

 おばばと呼ばれた女性はその呼称とは裏腹に、白魚のような肌と細い指とで作られた美しい手を伸ばして、少年の手から松ぼっくりを取る。

 そもそもおばばとは女性の老人を意味する婆ではなく、自分の父の妹――叔母を差しての意味合いであった。

 叔母、鳴無静閑の手は、甥の鳴無心音こころの小さな頭を優しく撫で下ろす。

「こら、心音! 静閑ちゃんをおばばって呼ばないの!」

「でも、僕の叔母さんだよ?」

「それでもだぁめっ!」

 八歳になる息子を育てる織田依姫改め、鳴無依姫は壊刀団にいた頃よりも少し、気が強くなった気がする。

 やはり子供を持った母は変わるものなのか。鳴無も、あの頃すでに織田が兄との子供を授かっていると聞いたときには驚いたものだったが、今では彼女の変貌ぶりに驚いている気がする。

 ただし周囲からしてみると、この八年でずっと変わったのは鳴無の方であった。

 八年前から身長は実に三寸――約十センチ程度――も伸び、幼かった顔立ちも実に大人びて、近所では微笑み一つで男を魅了する美女として評判であった。

 何より、この八年で真白へと変色を遂げた髪と、金色に染まった虹彩が、彼女を妖艶に魅せていた。

 まるで世闇に生きる動物には必要あるまいと、かつて帯刀していた妖刀の冠する猛禽に変えられてしまったかのようであった。

 私生活には問題ないものの、染めてもすぐ白くなってしまうため、打つ手がない状態である。

 鳴無自身は気にしていなかったが、そのせいで甥におばばと呼ばれたり周囲に怪しまれたりと、鳴無の姓を受けて彼女の義姉となった織田は、何かと気にかけていたのだった。

 まだ自分より一回りも年下の、しかも夫の妹が老婆のように呼ばれているのは、同じ女性として我慢ならなかったのである。

 そしてそれは、彼女も同じであった。

「あ! 静閑ねえ、やっぱりここにいた!」

 静閑と同じ赤い髪紐で後髪を結わえた少女。八年経って、一人の女性へと成長した鳴無琴音である。

 言葉も覚え、洒落っ気にも目覚めた少女に、もう父に虐げられて言葉もろくに話せなかった捨て子の面影はない。今働いているうどん屋でも、看板娘になるほどの美少女へと成長していた。

「もう、また縁側で日向ぼっこして! 猫じゃないんだから!」

「……こと、ね。お帰り」

「静閑ねえ、あんまり縁側にいちゃ駄目だよ。髪の色珍しさに、塀上って覗きに来る人もいるんだから」

 鳴無はただ微笑みを返す。動く気はなさそうだ。

「もう、静閑ねえ!」

 この八年で、静閑は少しずつではあるが、喋るようになっていた。

 基本的には無口だし、何事に関しても反応が薄いところは変わらないものの、それでも少しずつ言葉を交わすようにはなった。

 皮肉にも、兄を殺した辻斬りの敵討ちがきっかけだから内心複雑ではあるが、話せるようになったことは良好に違いない。

 ただここまでの道のりは、とても長かった。

「ごめんください。鳴無静閑殿は御在宅だろうか」

「はぁい! ただいまぁ! ほら、静閑ねえ!」

 と、琴音に背中を押されて静閑は玄関へ。

 眼鏡をかけ、異国の正装を着た男性が待っていた。

「元気そうだな、鳴無」

 相手は壊刀団の頃にも世話になった、牛越永門ながと。双子の牛越兄弟の片割れ、兄の方である。

 今は異国の漢方や薬草など、薬に関わるものを専門に扱う行商人で、現在薬剤師として働く鳴無のところへ、度々商品を届けに来ていた。

 ちなみに、弟の方は壊刀団にて医療班に所属していた戌亥と結婚し、地元長野に小さな医院を設けている。

 此度の来訪は、前回から約半年ぶりの再会だった。

「本当に、元気そうで良かった」

 鳴無は微笑みを浮かべ、頷き返す。

 傍から見れば病人の空元気のようにさえ見えるものの、牛越ら知人からしてみればまだ元気になった方だった。


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 八年前。

 妖刀連合との戦いで兄の仇を取ることができたものの、辻斬りの剣から身を挺して琴音を護ってくれた君嶋が、作戦終了三日後に亡くなった。

 妖に変える妖刀の力に抗うため、片腕を斬り落とさせてまで皆を護った君嶋だったが、妖刀の力に体が蝕まれ、そのまま衰弱して死んでしまったのである。

 そのときの鳴無の塞ぎこみ方は、兄のとき以上だった。

 何せ復讐する相手はもう自らの手で斬り捨てて、怒りの矛先を失ってしまっていたから、まだ癒えていなかった心は追い打ちにやられて、もう死んでしまいそうだった。

 妊婦の織田は女性で医療の知識がある戌亥が診ていたし、織田の家で預かっていた琴音の面倒も、当時から戌亥と交際していた弟が看ることが多かったから、兄の永門が彼女を支えるのは自然な流れで、献身的に支えていくうち、別の感情が芽生えてしまうこともまた、自然な流れと言えた。

 亡くなったとはいえ、友の妹だ。兄を亡くし、知人を亡くし、憔悴し、弱っていた一人の女性に対してなんてことを考えるんだと最初は自責したものの、嘘をつくことはできなかった。

 憐憫か、同情か。理由はそんなところからかもしれないけれど、それでも、彼女を護りたいと思ったことは確かだったから。


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「やぁ、琴音くんもしばらく」

 様子を覗き見ていた琴音は見つかったとあって潔く出てくる。

 手には羽織を持っていて、それを背後から鳴無に被せた。

「静閑ねえ、ちょっと出掛けてくれば? お日様に当たっていたいんでしょ? ね、牛にい! 静閑ねえの散歩に付き合ってあげてよ!」

「こ、こと、ね……だめ、迷惑……」

 仕事の邪魔をしてはいけない、と言いたいらしい。

 が、察した牛越が先に言い切る。

「構わない。歩こう、鳴無。俺もおまえと、話がしたい」

 少し戸惑って、考えて、行こうかなと思うけれどまた躊躇ってと、踏ん切りがつかない義姉を見かねて、琴音は背中を押した。

 よろけた拍子に牛越の胸に倒れた鳴無は、耳ごと頬を朱色に染めて俯く。

「ってわけで、静閑ねえをよろしくお願いします。

 誰に似たのか、琴音はすでに見抜いている様子。結局彼女の後押しに負け、二人は散歩に出た。

 並んで歩く二人の距離感は、どこかぎこちない。

 鳴無は牛越の袖をつまみ、離れないように小さな歩幅で頑張ってついてきている。

 牛越もまた、彼女が疲れないよう歩幅を調節し、顔色を窺いながら歩く。

 あまりにもぎこちなく、しかし互いを慮りながら歩く二人の姿は見ていて微笑ましく、もどかしささえもあった。

 が、二人には少し違う思いがあって。

「落ち着かないか、腰に刀がないと」

 鳴無が小さく頷くと「俺もだ」と牛越は返す。その瞬間、二人に微笑みが生まれた。

 今までならば互いに腰には刀があり、鳴無は懐に拳銃さえあった。しかし廃刀令によって所持を禁じられ、二人の腰には刀がない。

 これを平和の始まりとして捉えるか自衛の術を失ったと見るかは人それぞれだろうが、少なくとも壊刀団として戦いばかりを続けてきた二人にとっては、少なくとも鳴無にとっては、因縁ある妖刀との決別となって、少しだけ体が軽く感じられていた。

 それでも刀を差していた期間が長かったから、未だに違和感を感じることもあるが。

「鳴無。俺もおまえの兄や、君嶋のことを俺も忘れることはできない。俺達のいた場所は秘め事ばかりで、共有できる人もそうはない。だが、語り継ぐ必要もないと、俺は思う。俺達の戦いは誰にも話せず、公にできないが、こんな戦いがあったのだと、公言する必要もない。俺達は名誉や勲章や、報酬が欲しくて戦ったんじゃない。こうして、愛しい人と隣り合って歩ける日を得たくて、戦ってきたんだ」

 鳴無は反論しない。むしろ同調する。自分は名誉も勲章も報酬も欲しなかった。ただ好きな人と、愛する人と共に在り続けられる日々が欲しかった。

 そして今、手にしている。

 いて欲しかった人、最愛の人はいないけれど、それでも、手に入れたかった日々にとても近しい日々を手に入れたのだ。そしてその日々は、幸せである。

「わ、たし……秘密、いっぱい、あります、よ。私、女と、して、も……未熟、で、あなたに、なん、て……釣り合え、ない、です」

「言ったろう。すべてを曝け出す必要はない。俺はただ、おまえの隣にいてやりたいだけだ。おまえの側にいたいだけだ。おまえを支え、おまえを護りたいと、思ってしまった。だからこの気持ちばかりは秘めずに、伝えたいと思う――愛している。鳴無静閑。俺の下へ来てくれないか」


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 桜舞う春。

 炎天の夏。

 紅葉の秋。

 白雪の冬。

 すべての季節を、すべての日を共に過ごせることはとても幸せで、ほとんどの人はそうすることはできない。

 いつか人はいなくなり、その人は誰かにとって大切な人であって、その人にとってはそれ以上ない悲劇だ。

 しかし、次の幸せを紡ぐのに、次の幸せを求めるのに、悲劇を伝える必要はない。幸せは、幸せだけで紡げばいい。辛いことも苦しいこともあるだろうけれど、記憶に残しておくのは面白いこと、楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことだけでいい。

 だから、これまでの悲劇を語り継ぐ必要はない。妖刀との死闘などという、非現実めいた戦いなど伝える必要はない。

 少なくとも今、この瞬間、鳴無静閑を取り巻く環境には、幸せばかりがあった。

 愛しい兄の血を引く甥の存在。

 甥と共に自分を愛してくれる義理の姉。

 自分を本当の姉のように慕い、心配し、背中を押してくれる妹。

 そして、自分をずっと支え、助け、愛してるとまで言ってくれた人。

 今、鳴無静閑を取り巻くすべてが、幸せだけで構築されていた。

 鳴無家の男子が引き継いできた因縁も、妹が実の父から虐待され続けていた過去も、兄の死も、先輩の死も、すべての悲劇があって今の幸せがある。

 悲劇のすべてを忘れることはできないけれど、それでもわざわざ口に出して語り継ぐことはない。自ら自分自身を不幸にすることはない。

 故に必要な言葉だけを、精一杯紡ぐ。

「はい……不束者ですが、よろしく、お願い、します」


  ◀  ◀  ◀  ◀  ◀


 これより先は語り継ぐ話はない。語り継ぐ必要もない。

 何せ今後の彼らにあるのは、そこらの小説より少しだけ非凡な程度の平凡な日常で、悲劇も喜劇も幸せとしてしまう、そんな家族の惚気話にしか過ぎないのだから。

 故に悲劇は乗り越えられず、当事者らの胸に秘められたままに、日本の裏で起きた戦いの一切は語られることなく、語り継がれることなく、妖刀剣戟物語はこれにて閉幕である。


 ――喋否者――悲劇は、語り継がなかったはなし……読了。

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壊刀団伝・乱之巻 七四六明 @mumei

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