プロローグ 続き


パラパラと頭上から砂埃が落ちてくる。床板一枚を隔てたそのすぐ真上には帝国の兵士がいる。時折聞こえる話し声や何かを物色するような物音から彼らが何かを探していることが考えられる。何を探しているのかは検討がつく。

それは今、自分の懐に仕舞われている。先日、逮捕された兄エリオ・エメロットの手記だ。彼の手記には親交の深いとある国についての情報が記されていた。兄は自らが捕縛されることを兼ねてより想定しており、捕らえられた際は自分に手記の回収をしてくれと、顔を合わせる度命じてきた。

 その意味がついに理解できた。

 恐らく兄は投獄されるだろうことは明白だ。それにしても、帝国の手が国外にすら伸びていたというのは驚きだった。父が捕まったのは帝国へ出張に行った時だ。確かに突然のことだったがいつかは帰ってくるだろうと当時は思っていた。実際は今になっても帰って来ることはなく、生きているのかすらわからない状況なのだが。父が捕まってから兄は狂ったように帝国の裏について調べ始めた。俺は兄が調べているのをただ見ているだけであまり深く関わらないでいた。そもそも父がなぜ捕まったのか事情すら知らなかったのだから興味も湧くはずもない。

 しかし、今日。これまでの無関心のツケなのだろうか。俺の平穏は壊された。

 兄が逮捕されたことによって。


 頭上の忙しない足音はついに止み、静けさが戻った。兵士たちが去ったのだろう。床下の通路を這って進み、地上へ出るためその天蓋を持ち上げる。目が明るさに対応し、周囲の景色が見えてくる。

 目の前に広がったのは荒らしに荒らされた我が家の一部屋だった。

 タンスは引き出しが全て引き抜かれ中身をひっくり返され、布団も無残に切り刻まれている。狂人が暴れたのかそれとも嵐が来たのか、あからさまな非現実が目の前に広がっている。

「はは……。クソ兄貴が」

 言葉とは裏腹に悔しさが湧き出てくる。父が捕まった時の兄もきっとこんな感情を抱いたのだろう。歳の開いた兄だったからこそ当時は彼の気持ちなど想像もできなかった。しかし当時の兄の年齢を越えた現在、ようやく理解できた。

 兄は確かに帝国からすれば危険な犯罪者なのだろう。がしかし、そもそも兄がこうなったのも全ては帝国に原因がある。これはあまりに理不尽な仕打ちだ。父が捕まってから母が女手一つで自分たち兄弟を育てた。夫が犯罪者であるという事による社会の目と子どもを育て上げねばならないという責任から母は心と身体を壊してしまった。兄も捕まった。自分も今、かなり危険な状況にある。

 なぜ、どうして。こうまでも自分たちは苦しめられなければならないのか。

 理不尽に対する怒りと、それと同時に何もできない悔しさと、これらやり場のない感情が互いに互いを高め合う。

「ちくしょう…………!」

 兄の手記を持つ手を振り上げる。投げ捨ててやろうと振り上げた手は数秒、小刻みに震えてからやがて糸が切れたように下されていく。それに連動するようにして立つ気力すらも失われていった。

 そして床にはポタリ、ポタリと滴が落ちて小さなシミを生み出していった。


* * *


 帝国を旅立ってからおよそ十日が経過した。そこは既に帝国領ではなく、隣国の鉱山の国ドワルト領内となっていた。

 ドワルトは四精霊の奇石の一つ。土精霊の奇石の加護を強く受けた地域が立ち上げた国である。ドワルトは他の奇石の加護を受けた国との中で最も帝国との親交が深い国であり、アーシアの一族も元々はドワルトが発祥である。アーシア自身は帝国生まれの帝国育ちであるが、ドワルトの地にはどこか懐かしさに似たようなものをこの地を訪れる度に、アーシアは感じていた。

 日は西に傾きつつあり、だんだんと空を朱が覆ってきている。

「近くの街まであと少しだ。頼んだぞ」

 この旅に連れ添う二頭の相棒たちに声をかけ、アーシアは鞭を振るった。


 ドワルト西部の街スワット。鉱山の国として有名なドワルトの中で最も内陸にあり、起伏の激しいドワルトの国土の中でも有数の平地に構える大きな街だ。アーシアはこの街に二日ほど滞在し、旅の疲れを一旦落とす予定で立ち寄った。

 街の入り口の門を越えるとまず馬と持ち歩けない荷物を関所に預けると、二日間の滞在の世話になる宿を探しに向かった。

 スワットは帝国にも近いこともあり、往来には帝国から来たのだろう旅行者がアーシアの姿に気付く度、皆一様に頭を下げていく。そしてそれは気付けば通りの人々にどんどん広がっていき、そこ一帯はアーシアを中心にして跪く人々に埋められていた。

 それはまさに、帝国の権威の現れであり、それだけ帝室やアーシアが高い支持を得ていることの証明である。

「街の中だし、あまり畏まらないで。俺もみんなと同じ旅行者なんだ。身分はあまり気にせず、お互いに旅を楽しもうじゃないか」

 アーシアがそう言うと通りで跪いていた人々は徐々に頭を起こすとアーシアに、何か言いながら止まっていた通りの流れを再び進め始めた。

 アーシアの借りた宿は宿舎通りの中でもランクの高いところである。普段よりスワットの街に立ち寄った際はそこに宿泊することが恒例となっている宿だ。宿の名は「蛇の尻尾亭」。

 悪趣味な名前だが、サービスはかなり良い。帝国の厨房で働いていた料理人の一人が立ち上げた宿なので信頼性も高く、かつ料理も一級品のものが提供される。旅の羽休めには最適な宿だ。

 その宿のカウンターでアーシアは、宿泊の手続きをすると、

「レビンを呼んでくれないか。あいさつがしたい」

 受付に伝える。受付もアーシアの顔と名前は知っているため、少し待って欲しい旨をアーシアに伝えると、奥へと早足で消えていった。

 程なくして、真っ白の調理服姿の青年が腰に巻いたエプロンで手を拭きながらやってきた。レビンである。

 レビンはアーシアの姿を捉えると、険しい表情をふっと和らげた。

「久し振りだな、アーシア。いつ振りだっけか」

「前回この街に来たのが二年前だから、それ振りだね」

「二年か…。早かったなぁ。で、今回は何でこっち来たんだよ。わざわざ宮廷魔術師がおいでになるようなことなんてあったか?」

 レビンも帝国にいた頃はそれなりの地位を築いており、当時の人脈を使って都度、帝国の情報は耳に入れているのだ。

 アーシアは肩を竦めると首を横に振った。

「詳しいことはわからない。ただ、皇帝に奇石の様子を調べて来いって言われてね。こっちでも把握はできているはずだったんだけど、主人の命なら断れないよ」

「ははは! お前の甘ちゃんっぷりは変わらんなぁ。状況わかってるならはっきり言えばいいんだ。そのための宮廷魔術師だろうが」

 レビンがアーシアの肩を小突く。アーシアも苦笑いしながら、まあそうなんだけどね。と返す。

「ま、そうそう変えれるもんでもないだろうし、帝国を出た部外者の俺がとやかく言うことでもないからお前はお前のやりたいようにすればいいさ」

「無責任だなレビン。そう言うところは変わらないよ、ほんと」

「うるせえよ甘ちゃんが」

 レビンはそう言うと再びアーシアの肩を小突いた。

「んじゃあそろそろ俺は厨房に戻るぜ。今、ディナーの準備をしてるところなんだ。アーシアも食うだろ?」

「ああ。ご馳走させてもらうつもりだ」

「おう。出来たらうちのスタッフが呼びに来るだろうから部屋でゆっくり休んでな」

 レビンはそう言うと仕事人の表情になり先ほど歩いてきた通路を戻っていった。

 アーシアも自分の借りた部屋へと向かうのだった。


 アーシアが部屋に着いてから数刻。外がいつもとは違う騒がしさに包まれていることに気付いた。

 窓から通りを覗くとそこには大勢の帝国兵が一人の人を取り囲むようにして通りを占領していた。

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土の魔術師 前田有機 @maedasan_

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