土の魔術師
前田有機
プロローグ
その国は強大な力を持っていた。人、金、武器、魔術、政治、資源。ありとあらゆる面において他国を凌駕し、そしてその強大さ故に大陸の均衡を守る国家間での指導者的役割も担っていた。そしてそれは一〇〇年余りの間の平和をもらたしていた。
その強大な国の名を帝政レッカードと言う。統治者の名はエルムメイ・レッカード。帝国史上最も優れ、最も慈悲深い国の統治者として大陸中にその名を広めている。エルムメイは特に、帝国の豊富な資源と国力を活用し、辺境国の発展に従事していた。それ故、彼を神聖視する民も辺境国の中には少なからず見られる。そんな国内外ともに高く評価されている彼でさえ寿命に勝つことはできなかった。
近年、エルムメイは高齢に至ったこともあり体調が優れず近隣諸国への訪問や国の会議の場に立てなくなることも増えてきた。そんな彼の晩年のことである。
表舞台から姿を消しつつあったエルムメイからだんだんと黒い噂が聞こえるようになってきたのだ。
あくまで噂ではあるのだが、火の無いところに煙が立たないのと同様に、恐らくその元となる何かがエルムメイの身にあるのだろうことが推測される。
エルムメイのこれまでの活動は高く評価されるべきものであり、噂も立証が困難である。彼のこれまでの功績を思えばこそ、噂が噂であり事実ではないことを願いたい。
「よし、書けた」
んーっと伸びをし、凝り固まった肩と背中の筋肉をほぐしていく。新人記者のエリオ・エメロットはペンを机に置くと自らが書いた原稿を読み返し、満足げに口端を吊り上げた。
「おい、エリオ」
名を呼ばれエリオは顔を上げる。そこには眠たげな目に無精髭を生やした中年男性が火の点いていない煙草を咥え、立っていた。
「あ、ども」
「書けたのか? 締め切り、五分後だぞ」
「え、まじですか⁈」
エリオは柱に掛けられた時計により現在の時刻を知った。
「おめえ、その囲み記事いつから書き始めたよ。……もしかしてまだ、あの事を調べてんのか」
中年男はやめとけよ、とエリオに忠告を投げかける。
「個人的な興味ですしそんなに深掘りしないって言ってるじゃないですか。マルコさん心配しすぎですって」
エリオは中年男、マルコの忠告を笑って受け流す。
「最近じゃあ向こうの国に批判的な思想がある奴ってを取り締まる動きが強まってんだ。大人しくしとくのが身のためだろ?」
「つっても市民一人一人の頭の中覗くわけじゃあるまいし、バレませんって。それに…」
エリオはマルコに詰め寄る。自らの流行に対しての情熱は人並み外れたものがあるエリオに、マルコはやや押され気味になる。
「そういうことをするってことはつまり、何か後ろ暗いことをしてるってことでしょ。それを明るみに出して、国民に問いかけ、正すのもある意味では僕ら新聞屋の役目じゃないんですか」
そうじゃないんですか? エリオはマルコに詰め寄る。
若者のこの向こう見ずなエネルギーに気圧されながらもマルコは一度咳払いをするとこう返した。
「お前、勘違いしてる上に今後の人生すら終わるぞ、そんなことしてたら。いいか。新聞やらこういう情報を伝えるもんてのはなぁ」
脇の机に置かれていた昨日の記事を取り上げエリオの眼前に掲げて見せる。
「この記事なんてまさにそうだ。政治家の意向やら国の方針てやつで端折られ、切り抜かれ印象を操作する。んで、事実を発信元やらお国にとって都合のいいもんに書き換えて買い手に伝える。ありのままの事実やら国の方針に異を唱えるのが新聞じゃあない。そんなことはその辺のゴシップにでも書かせておけばいい。奴らは所詮、噂の域からは出てこれないんだからな。もしも新聞屋がそんな国や政治家に都合の悪いことを書き始めた日にはその会社の役員、社員その他関係者の全ての人の人生が破滅する。そういう世界なんだよ。だからよ、エリオ。お前の個人的興味だけで周りの人間の人生を終わらせることになるってことを、自覚しろ」
マルコの言葉に数秒の沈黙を返すエリオ。一文字に結ばれた唇と眉間のシワが彼が納得していないことをマルコに伝えている。
「そんなこと父からも耳にコブができるくらい聞いてますよ。でもね、マルコさん。そんな真面目な父は帝国に連れて行かれたんですよ。当時は幼かったので理由は知りませんでした。でも、調べてるうちにわかったんです。父が連れて行かれたのは強制労働させられるためだって」
エリオは語り始めた。彼の幼い頃のこと。家族のこと。そして新聞屋になった理由。
エリオがここまで知っていたことをマルコは知らなかった。自分が危惧していた以上にこの目の前の青年は危険に踏み込んでいたのだ。これ以上進ませるのは彼自身が危うい。マルコはそう判断した。そして、マルコはエリオの右肩に手を置き、こう言った。
「よくそこまで調べたな、エリオ。俺が思っていた以上にお前は踏み込んでたんだな…。というよりお前は被害者だったというのが俺にはとても気の毒に思える。でもな、エリオ。世の中には踏み込んじゃいけない領域ってのがある。そこに対して的確に線引きができるのが一人前の大人ってやつだ。つまりな、エリオ。お前は若すぎた。若過ぎるが故に過ちを犯すこともある」
「ちょ、何を急に…………どうしたんです、マルコさん」
エリオはキリキリと痛む右肩からマルコの手を外そうともがくが彼の尋常ではない力にその抵抗は悉く意味をなさなかった。さらにこのマルコの変わり様にエリオの心は焦りとこれまでにない危機感を覚えていた。
「若くてどれだけ将来が有望でもな、やっちゃいけないことはやっちゃいけないんだよ。それに、そういうことをしたら当然、相応の罰ってもんが下る。当然だよな。だから………」
マルコの表情が険しくもやや気怠そうでどこか温和な印象だったものから軍人のような硬く厳しいものへと豹変した。そして、感情のない声でマニュアルを読むようにマルコは告げた。
「エリオ・マクレイ。帝国への反逆意思の疑いと機密情報への抵触によりお前を逮捕する」
エリオが事態を理解するのにさほど時間は必要ではなかった。
自分は日々警告されていたことを犯していたのだ。そしてそれは既にバレており、取り返しのつかないところに自分は入り込んでしまった。故に最悪の結末を迎えたのだ、と。
スルリとマルコがエリオの背後に回る。そしてエリオの両手を後ろに回させ、手錠を彼の両手首にかけた。
* * *
コツ、コツと一歩歩くたびに通路に足音が響き渡る。夕陽が通路を紅く染め上げる。通路の柱と柱の間にはとある人物を讃える絵画や見るからに高価な芸術品などが等間隔に陳列されている。
それらを尻目に黒衣を纏った男はその広く長い通路を早足で歩く。
そしてその通路の最奥。一際、絢爛で大きな扉が眼前にそびえる。彼はその扉に対し、何かを思うでもなく日常的に部屋に出入りするようにそれを開け扉の内側へと入り込む。扉を超えた先は広大な空間になっており、中央には相当に高いであろう真紅の絨毯が直線状に敷かれており、その両サイドには腰に剣を提げた兵士が等間隔に整列している。たった今、その広間に立ち入った彼が用のある人物はそんな厳重な警備の先にある数段の高くなった場所に一際豪華な椅子に鎮座する老人である。
その老人の名をエルムメイ・レッカード。帝政レッカードの第八十四代目皇帝である。
「アーシア・ユミンコフ、ただ今参上いたしました」
玉座に鎮座する主人に対し黒衣を纏った男、アーシア・ユミンコフは跪き、挨拶を述べた。
「うむ。我が忠実なる宮廷魔術師のユミンコフ卿、よく来てくれた。此度はお前に尋ねたいことがあったのだ」
宮廷魔術師。アーシアは帝国の皇帝に直接使える魔術師の一族の一人である。アーシアに命令を下せるのは皇帝であるエルムメイだけであり、エルムメイが宮廷魔術師を呼び出す時は決まっており、それは魔術的な視点での助言を得たい時、のみである。
「私の知る限りであれば」
「ユミンコフ卿よ、お前はこの大陸の四方に封じられている奇石について知っておるな?」
「火、風、水、土の四元素の力を封じた精霊の奇石のことですか、陛下」
「そうだ。先日、とある者が儂の下に尋ねてきたのだが、其奴めがなかなかに面白いことを言っていたのだ」
見下ろす皇帝の視線を感じながらアーシアは皇帝の紡ぐ言葉の先を考えていた。
「何者かが奇石の力を使い、数年後にこの国を滅ぼすのだと言うのだ」
頭上から降ってきた声にアーシアは驚き、皇帝を見上げた。
「どう言うことでしょうか陛下。この国は大陸において絶対的な力を持ち、周辺諸国に対しては完璧なまでの信頼関係を築いています。それなのに数年後にこの国が滅ぶなんて、あり得ない。それに、精霊の奇石はこの大陸の自然の調和を保つためのものであり、そのような破滅に利用できるものではありません」
アーシアの言葉に玉座に座る皇帝はその通りだ、と答えた。
「かの奇石を使い我が国の破滅させるなぞ、其方の言う通り無理な話だ。流石に儂も其奴の言葉を一蹴して牢に入れてやったわ。が、しかしだアーシアよ。万が一のこともある。奇石の調査に出向いてはくれぬか。これはあくまで極秘である。ここにいる全員に現在をもって箝口令とする。アーシア、良いか?」
「我が主人の意思のままに」
アーシアは再び頭を下げると、それでは、と皇帝の前を去った。
アーシアは城の一画に用意された住まいに戻ると真っ先に精霊の奇石に関する本を書棚から取り出した。
『精霊の奇石』とは
火、水、風、土の世界を構築するための基本となる四つの元素の力を凝縮し結晶として封じ込めたもので、とても強力な魔力を内包する。これらは大陸の東西南北の四方に祀られ、それぞれが干渉し合い絶妙なバランスによって大陸を保っている。
その四つの結晶の総称が精霊の奇石である。由来としてはそれぞれに対応した精霊を太古の魔術師が石に封印したからと考えられていたためその名が付けられた、とされている。
この奇石は全てが強力な魔力を内包している、ということと、大陸の自然を保っている、ということ以外はほとんどが謎に包まれており、より詳しくはそれぞれの奇石を管理する四部族のみが知る。
現在も専門の研究者はいるものの解明される事実はなく、一つわかっていることは奇石自体を人が扱う、ということは限りなく不可能である。ということである。つまり、この精霊の奇石はただの石である、というのが現段階での研究結果である。
「やっぱり、精霊の奇石で何かをするなんてことは不可能だ。まず、あれを使うことができないんだから」
精霊の奇石にまつわる本を開きながらアーシアは呟いた。
この事実は皇帝エルムメイも知っていることである。では何故、エルムメイは自分に奇石の調査なんてものを命じたのか。アーシアの思考はやがてそちらへと変わっていった。
それから数日後。アーシアは疑念を抱きながらも皇帝の命により、奇石調査のため城を出るのだった。
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