異世界カウンセラーの私的日常 ~幕間は超ショックと朝食とともに~

 「剣斗先輩?……せーんーぱーいー!」

 「……あ?」


 幅広の川をゆっくりと水が流れている。土手の下の河川敷公園には遊ぶ子供たちの姿があり、向こう岸の土手の上には近代的なビルが頭を出しているのが見える。


 「んー…あれ?」


 (俺は何をしていたんだったっけか?)


 立ち止まって、ふと考える。頭がぼんやりとしていて、なぜこんな場所を歩いているのか思い出せない。


 「何をぼーっとしてるんですかー?起きてますかー?」


 ふと、こちらを追い越して視界に入ってきた顔があった。小柄で可愛らしいが、スーツを着ている。少女が背伸びして大人っぽくあろうとしているようにも見える。


 「あー、うん。起きてるよ。大丈夫。何でかちょっとぼーっとしただけだよ。」


 穏やかで優しげな、好青年そのものの声が自然と出てきた。決して投げやりで胡散臭い調子ではない。そうだ、僕はこういう話し方をしていた。


 「急に立ち止まるから、びっくりしちゃいましたよ。まだ冴えない顔してますけど、本当に大丈夫ですか?」

 「冴えない顔は元からだよ。」


 笑いながら答えてやる。視界に入ってきた後輩の顔を見て、意識がはっきりしてきた。仕事中に何でぼーっとしてしまったのか…。


 「じゃあ、今日のお仕事はなんですか?ちゃんと覚えてますか?」

 「子育て支援センターで、子どもの知能検査のお仕事です。」

 「それだけじゃないでしょ?」

 「初めて検査をとる後輩の指導をすること、だよね?」

「正解です。私はずっと緊張してるんですから、一人でぼんやりしないでくださいよー。」


 後輩が口をとがらせる。

 なぜ意識が飛んでいたのだろう。こののどかな風景に見とれてしまっていたのだろうか。考えながら河川敷の子どもたちを見やる。


 「それにしても、子どもたちが元気に遊ぶ姿っていいものですね。」

 「…そうだねえ。」


 後輩のハキハキした調子に急に影が差す。僕にもわからないでもない感傷だった。


 「世の中の子どもみんなが、こうだったらいいんですけどね。」

 「……ままならないものだよ、この世界は。」


 ふと視界の端に映ったある子どもに気が向いた。まだまだ小さい子どもが、よたよたと川の傍を歩いている。

 

 「あれ、ちょっと危ないかな。母親は……ママ友談義で気づいていないみたいだし。」

 「え?どこですか?」


 後輩は気づいていないらしい。そうこうしているうちに、子どもは躓きでもしたか、よろめいているようにも見える。


 「危ないな、もう!死んだらどうする!」

 「え?ちょっと先輩!?」


 僕はもともとは熱血な性格である。こんな状況、いてもいられず走り出さずにはいられない。目の前の土手を駆け下りて子どものもとに向かおう。とにかく川から遠ざけるつもりだった。

 と、走り出そうとした時だ。

 激しく揺れる視界の中で、水しぶきがあがる。岸の上にあった子どもの姿が無い。


 「くっ!」


 走る勢いのまま急坂に足を踏み出す。勢いとともに体に負荷がかかる。急がなくてはならない。遮二無二走った。

 さらに足を進めようとするその時、2度目の水しぶきがあがる。

 何が起こった?

恐る恐る目を向ける。

 

 …あの子どもが泳いでいる。

 見事なバタフライだ。


 「は?」


 どんなに緩やかな川でも、小さな子どもの体はその流れに耐えられないことがある。川に入らないよう配慮するのは当然だと、僕は思う。

 川に飛び込んだ子どもがスイミングの天才少年だなどと、誰が考えるものか。


 「お?」


 それを見て呆けたのがいけなかった。土手の中ほどにあった石か何かにつまづいたのだろう、勢いのまま体が宙に投げ出された。

 視界から土手が消える。

 子どもを助けようとする熱意にほだされた神様が、飛翔の奇跡を与えたもうたのだ。

 束の間、僕はそう思った。

 しかしすぐに、視線は下を向き、目の前に石でできたベンチが現れる。

 後方から聞こえる後輩の叫び声が遠のいていく。


 (…やっと…か…。)


 薄れゆく意識は、わずかな思考を紡ぎ、途切れた。


 

 俺は…あの時…確かに…


 生命活動を停止……死んだのだ。



                   ●



 「ふぉをぅおっ!?」


 目が覚めた。

 見知った天井があった。相談所の二階にある、自室の天井だ。窓からは朝日が差し込んでいる。昇りはじめといった風情の太陽は、地上を爽やかに照らしていた。


 「うぉえぇぁぁぉぉ…」


 だがそれは、あくまで外の話だ。石ベンチに頭部をかち割られた感触が想起されたばかりのだ。俺としてはとても気分が悪い。喉からはいつものやさぐれた声で嗚咽が漏れていた。決して吐いてはいないが。


 昨晩寝た後、悪夢を見たのだろう。過去に起こった事実の悪夢を。

 そう、俺は一度死んで、目が覚めたらこの異世界カリスにいたのだ。

 何もかもが衝撃的なことだった。死んだことも、現代日本で流行のラノベよろしく異世界へ転生したことも、それはもう超ショックなことだ。

 だが俺にとって最も忌むべき事実は、その死因だ。仮に、一度死んで転生するというストーリーが必然だったとしよう。

まあそれはいい。実にドラマチックだ。何の変哲もない平凡な主人公が劇的な転身を遂げるのだ。流行るのもうなずける。うん。

しかしだ。本当にこんなことが起こり得るのか非常に疑問な展開で、何ともないことを事件と勘違いした道化が宙を舞った挙句に、どうでもいいベンチに衝突して死んだ。こんなにおバカさんな死因でいいのか?強引すぎやしないか?

 それでも事は起こってしまった。まるで世界や異世界など超越したところにあるとんでもなく大きな意思の、とんでもなく下らない嫌がらせであるかのように、俺には思えた。


 ……あの後輩は上手くやれてるだろうか。


 思い出そうとした後輩の顔は、もうぼやけてしまっていた。



                  ●



 “一つの世界”と呼ばれるこの異世界カリスは、たった一つの大陸のみで成り立っている。いや、海を遠く隔てたところにはまた別の大陸があるのかもしれないが、少なくともカリスの人間は自分たちの住む大陸が唯一であり全てであると信じているようだ。

 そのカリスの大陸は二つの国家―――帝国と王国―――によって中央から東西に二分されている。1年ほど前までは中央部に魔王の勢力が存在していたが、すでに倒されている。

 その西側を治める王国領の、さらに西の端にトルーアの街はある。大規模な港を備えた地域の交易の中心であり、周辺の村々のまとめ役となっている街だ。

古来よりカリスにおける争いは、その勢力図ゆえに中央で勃発していた。そのため西端のこの街は、戦争に巻き込まれることなく発展してきた歴史を持つ。そのためであろうか、住人は穏やかで調和的な気風を持ち、商人の街でありながらも競争ではなく互助と信頼によって成り立っているという稀有な存在でもあった。

だからこそトルーアはこう呼ばれる。―――『優しい街』と。

そんなトルーアの北西部、人通りもまばらな街はずれに相談所はある。2階建ての建屋の1階部分がオフィスであり、2階部分が2LDKの自宅になっている。

そこに、流れ者の二人が生活していた。



                  ●



 「……あ、ケント。やっと起きてきた。」


 リビングのドアを開けると、トーストとサラダの並んだ食卓の傍らにリリーが腰かけているのが目に入った。

 唐突な世界観説明が入った分、“やっと”感は余計に強いようだ。


 「起き抜けに何よくわからないことを言ってるの?」

 「さあ?なんだろうな?」


 自分でもよくわからない。これも悪夢の仕業だろうか。


 「朝ごはん、作ってあるから。早く食べちゃって。食器は流しに置いといてね。それ洗い終わったら、アタシ買い物行ってくるから。そしたらその間にでも、自分の部屋くらいは掃除しといてよ。」


 矢継ぎ早に言葉が飛んできた。寝起きの頭には結構ツライ。特に、あんな悪夢の後には。

 今日は相談所の休業日だ。昨日は新規ケース―――ロベリーさんのケースだ―――が入ったこともあり、結構疲れている。朝くらいは、もう少しゆっくりさせてほしい……。


 「無理に起こさないだけ、優しいと思いなさいよね。」

 「お前は俺のオカンか。それもだいぶ厳しいヤツ。」

 「………ダメな子どもがいると大変なのよ。」


 ダメで悪かったな。とは思うが、子ども扱いはまあ仕方ない。事実、家事に関しては任せきりになっているし、結果として家の中では主導権を握られている。

 ちなみにカリスの女性は15歳から結婚が認められており、それくらいの年齢での結婚はそれなりにある。リリーの歳で母親、というのも無いわけではない。

 こんな話になると誤解を生じそうだから断言しておくが、俺からリリーに対してそういう気持ちは無い。世には実に多様な人間関係があるし、ここで無理に俺とこいつの関係を一言で表現する必要もないが、それでも強いて言うなら居候と家主という関係だ。

 

 

 「何か言いたげね?」

 「まあ、最近はこの辺でも晩婚化が進んでいるからな。安心しろ。焦らなくていいぞ。」

 「……あ゛?」


 睨まれた。

 なお、世界を跨ぐ話をするときは“この辺は~”“遠い地域では~”などとぼかしている。


 「だいたいさ、困っている人はたくさんいるのに、カウンセラー様はこんなにだらだら休日を過ごしていていいわけ?」

 「……俺らだって人間なんだけどな。医者だって風邪を引くだろうし、俺だってストレスは感じるんだよ?」


 誰かのストレスをキレイさっぱり取り除くことなんてできないし、同じように自分のストレスを無くすこともできない。誰にだって休息は必要だ。

 どんな職業だって、休日を日がな一日ダラダラ過ごす権利を持っているはずだ。


 「アタシの前ではそんな不遜な態度なのに、外面はまるで別人だもんね。演技するのは疲れるでしょうよ。」

 「まったくだな。」


 態度も表情も声色も技術の内だ。頼ってきてくれる人のために、自分に使える技術を最大限に活かすことは悪いことではないと、俺は考えている。大工が仕事のために大工道具や建築技術を使うのと同じだ。

もっともカウンセリングの技術を活かすためには、相手に共感し、理解する必要がある。そうして相手に寄り添うことが無くなると、態度のコントロール技術は悪い方向に向かう。他者をだますことにだって使われ得るのだ。『クライエントのため』という前提を見失ってはならない。


 「アタシに対しては横暴でも別にいいっての?」

 「俺にだって素を出せる時間は必要だ。その点で、お前なら安心して素を出せるってことだ。」

 「………アタシの気も知らないで……。」

 

 さきほどまで不機嫌だったリリーだが、少し表情を変えている。いや怒っている感じもあるのだが、それだけでもないような、なんというか複雑怪奇な表情だった。

 ―――ふむ、これは“ツンデレ”というヤツか?まあ俺は大人だ。子どもに惑わされたりはしない。ここは聞こえないふりでスルーしておいてやろう。

 しばらく怪訝な顔を作って黙っていると、案の定むこうから反応してきた。


 「もういい。コーヒー淹れてくるから、早く食べちゃって。」

 「あ、俺のは紅茶にして。こないだ買った、桜の香り付きのヤツ。」

 「……。」


 今度は無言で睨まれた。


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転生したカウンセラーは異世界で相談所を開いたようです なねの @tpn1932

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