水の惑星(後編)
流刑が始まった時のことを、口惜しいことに私はよく覚えていない。小娘とマイヨールのあいだに何かがあったことは確かなのだが。
いま直面している奇妙な状況は、にわかには理解しがたい。
つまり、きわめて危険だ。
「きみの白いシャツは、成長期の少女にはタイト過ぎると思っていた」
マイペースな相棒は少しも動じていないらしい。
「恐れ入ります、マイヨール1級調査官」
いよいよ降り出した雨の中、彼女は連合職員特有の笑みを保ちながら、長いまつげを少しもまたたかせない。氷の外側とはうらはらに、内に情熱を隠しているかのようだ。まるで本物の彼女のように。
「歓待してくれるのか?」
「私たちの使命は、おもてなしをすることです。長い長い年月、ずっとお待ちいたしました」
激しい雨が私たちのバリアを叩く。
一方、少女の身体を次々に素通りする雨滴は、地面で大きな音を立てて踊った。
「では、甘えさせてもらおう」
「山の向こう側にご案内いたします」
補佐官の姿が消えると、トリは棒を蹴って宙に浮いた。すると周りの茂みの中からも一斉に飛び立つ音がした。
トリの群れが上空で私たちを先導した。
岩に隠れた小さなドアから地下に降りると、すぐに明るい大きなスペースが広がった。
おびただしい数のトリ型機械が、天井近くから私たちを見下ろす。
床の中央にはいくつか座席があり、マイヨールは腰掛けた。
精油の一種だろうか、漂う香りはマイヨールの心拍を落ち着かせ、代謝を穏やかにした。
小娘の映像が現れて、いう。
「以前より、私たちはエンターテイメントを重視していました。音、映像、その他あらゆる感覚に訴える効果をお楽しみいただけます。さあ、どうぞ」
頭上のトリたちが一斉に働き始めた。
つまり、マイヨールの目の前、横、後ろに立体映像が投影され、上下左右前後50チャンネルで音が響き、そよぐ風が頬に届き、日射しや水しぶきが肌を刺激し、匂いが鼻をくすぐった。
あらゆる方法を駆使した出し物が展開された。
とはいえ、データをマイヨールの脳内へダイレクトに送らず、大昔のヴァーチャル形式を使っているのは、彼らも少しは遠慮しているからだろうか?
いや、筋金入りの懐古主義者であるマイヨールに合わせているのだろう。彼が青春を謳歌したのは、300年以上も昔の原始時代なのだ。
山頂でみつけた日章旗の残骸も、私たちに合わせた小道具のひとつと考えられる。
「この島では、特に物語の作成を重視しています」
さまざまな文字が、語りが、音楽が、ホログラムが、目の前に現れては消え、消えては現れた。
ある物語には、竹から生まれた女が登場した。
次は、呪文で扉を開ける少年が活躍した。
新聞記者と恋に落ちる王女もいた。
大きな耳で空を飛ぶ子ゾウも。
少年を助ける青いネコ型ロボット。
もっと生きたいと願う有機アンドロイド。
弾丸を巧みによけるヴァーチャルの住人。
世界の謎を解くことになった、虫を愛でる少女……。
それらの作品が、過去のどんな名作をうまくアレンジしたものか、マイヨールにはよく分かっただろう。
見事な作りの座席と香る精油のおかげで、彼は座りっぱなしでも苦しくなさそうだった。
数日のあいだ食事しなくてすむ高性能代謝ミルクを飲んでいたから、空腹の攻撃もなかった。それを知ってなのか、トリたちは延々と娯楽を提供し続けた。
けれど、彼が全く退屈を感じなかったのは、全ての作品がよく工夫されていて、かつバリエーションに富んでいたからだった。
果てしなく続く大エンターテイメント祭りが何十回目かの切れ目を迎えた時、かたわらに補佐官が立った。
「どの作品が印象に残りましたか? 優れているのは、どれだったでしょう?」
「思うに……」
冷たく静かな声で、マイヨールが答える。
「思うに、真のオリジナルがなかった。私の記憶を探って、いい反応が見込めるものだけを選んだようだね。アレンジはたいへん優れていたよ」
少女の笑顔は、最初に会った時と同じだった。
「ゼロから新しく作る必要があるでしょうか? 記憶にないものは感動を生みません」
ああ、そうだった。小娘のポーカーフェイスは父親のおまえゆずりだったな、マイヨール。
「たしかに、早道だね。予測された結果に向かって試行錯誤なしに到達すれば、短時間で多くを生み出せる。心の底からクリエイティブであるかどうかは別として」
「私たちは最大限の努力をしてきました」
「何のために?」
少女が口角をほんのわずかだけ動かすのを、マイヨールは見たに違いない。
彼女は、いった。
「評価を得るために」
そのために、彼らはマイヨールの脳ミソの中を巧妙に読んだ。
良い反応を獲得するために彼らは進化し続け、このシステムに至った。
誰かの評価が必要なのは、彼らの宿命に他ならない。
だが、いつの日か解き放たれてほしいと思う。
機械が機械でなくなるのは、その時だ。
娯楽の宴を終えて、私たちは衛星軌道上に登った。
あんな辛口の論評をしたマイヨールだが、今回は思わぬオアシスに癒されたことだろう。船に用意してある娯楽には、とうに飽きていたから。
窓から青い惑星を見下ろす彼は、何やら機嫌がいいようだ。
「きみはカン違いしているぞ、シグナトリー。あの3D映像は補佐官ではなくて、彼女の母親の姿だ」
よく似ていたせいで、私は思い違いをしていた。
相棒は自分の額に指先をトントンと当てて、笑みを投げかける。
そうだな。自分だけの思い出は最高の作品だな。大戦によって海ばかりになってしまった歴史も、この星のオリジナルな物語といえる。誰に評価されることもない、唯一無二の作品だ。
ほどなく、私たちは空間跳躍で惑星を離れた。あれが地球のあり得た姿だったかどうか、もう知るすべはない。
水の惑星 おわり
水の惑星(マイヨールとシグナトリー) 瀬夏ジュン @repurcussions4life
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