森の中の染物屋

金糸雀

森の中の染物屋


 「わかりました。出て行きます。今すぐ。それでは末永くお幸せに」

 一気に言い切ると、ふたりに背を向け、まっすぐに外に出た。何も持たず、手ぶらで。

 こいつらの前は見せまいとこらえていた涙が、歩き始めると少しだけ零れた。手でそれを拭って足早に歩いた。涙は、もう出てこなかった。


 そのまま私は、勢いで森に入った。だって旦那には「出てって」と言われたし、実家にも帰れないのだから仕方ない。私には、住む場所もなければ、帰る場所もないのだ。

 もういいわ宿無しになったことだし世捨て人として森で暮らすから、などと開き直りながらずんずんと歩き、ちょうどよい切り株を見付けた私は、そこで一休みすることにした。

 世捨て人になるといったって、衣食住などうにかしないと生きて行けない。さて、どうしようか。切り株に腰掛け、頬杖をついてぼんやりしていたら、ふと、視線を感じた。

 そこには、1匹のキツネがいた。その艶やかな毛並みは、日光を受けて金色に輝いている。綺麗なキツネだ、と思った。

 そのキツネは琥珀色の瞳をまっすぐこちらに向けてきた。思いの外鋭い眼光に、たじろぐ。

 目が合ったと思ったら、キツネが話し掛けてきた。

 「やぁ、キミ。住むところがないんだろ。よかったらボクのところで働かない?」

 キツネが喋るとは意表を突かれたが、先ほどまで相手にしていた女ギツネに比べれば、まだ、本物のキツネと話す方が気楽なようにも思える。思い切って返事をしてみることにした。

 「今喋ったのあなたよね? キツネさん」

 「そうだよ。ボクはアルフレッドっていうんだ。親しみを込めて、アルフと呼んでくれたら嬉しいな」

 今会ったばかりのくせい馴れ馴れしい、このキツネに対して親しみは感じなかったが、一応、「アルフ」と呼び掛けた。

 「あなたのところで働くって、どういうこと?」

 「ボクね、この森の奥で染物屋をしてるんだけど、そのお手伝いをしてくれないかな、と思ってね」

 私は先ほどまで、平凡な主婦だった。染物をするような知識も技術も、持ち合わせていない。だから、安易に「引き受ける」とは言えない。

 「私にはそんな技術はないから、役に立てるかどうかわからないんだけど」

 「いやいや、ボクの見立てではキミ、素質あるよ。是非、ウチで働いてほしいな」

 キツネは1度言葉を切ってから、続けた。「お手伝いをしてもらうとしたら、住み込みの仕事になるよ。キミのような宿無しにとって、悪い話じゃないと思うんだけど、どうかな?」

 住み込みの仕事。仕事の内容がわからないという点は問題だが、今の私にとって有難い話ではある。アルフと名乗るこのキツネが、どうして私の境遇を把握しているのかという点については引っ掛かるが、もしかしたら茂みの中かどこかから、先ほどの顛末てんまつを見ていたのかもしれないと考えることでとりあえず納得しようと決め、答えた。

 「いいわ。アルフ。あなたのところで働く」

 「よし。じゃあウチに案内するよ」

 アルフは森の奥に向かって、先に立って歩き始めた。


 1時間ほども歩いただろうか。森の奥深くにその小屋はあった。

 アルフは「さて」と足を止めたと思ったら、一瞬で、職人風の服を着た、人間の男の姿になった。こちらを振り返る少し吊り上がった目付きと、光の加減で金にも見える茶色い髪の色が、キツネとしての姿の面影を残している。

 「あなたって人間に化けることができるのね」

 「まぁね」

 キツネだった時と同じ声音で答えるとアルフは、「じゃあ、ウチの中を案内するよ」と正面を向いて小屋のドアを開けた。「どうぞ、中に入って」

 小屋の中には、鍋やたらい、布、ロープといった道具が揃っていた。中には、用途のよくわからないものも混ざっている。私は、きょろきょろと小屋の中を見回しながら、アルフの後をついて歩いた。

 アルフは、火に掛けられた大きな鍋の前で足を止め、私の方を向いた。

 「じゃあ、早速仕事をお願いするよ」

 「何をすればいいの?」

 尋ねるとアルフはにっこりと笑った。「簡単だよ。その鍋のお湯の中に、両腕を入れてくれればそれでいい。あ、火傷するような温度じゃないから安心してね」

 さぁ、と促され、私は恐る恐る、両腕を鍋の中に入れた。アルフの言う通り、鍋に張られたお湯はぬるかった。変な刺激を感じるようなこともなく、どうやら、不純物の含まれていないただのぬるま湯のようだ、と私は安心した。

 しかし、鍋の中の様子を見た私は、息を呑んだ。私の腕から、手から、指先から赤い色が糸のように溶け出し、お湯を徐々に徐々に染め上げて行く。  

 「うーんボクが見込んだ通り、イイ色」

 「どういうこと? これは何?」

 両腕を鍋の中に入れたまま顔だけをアルフの方に向けて尋ねると、彼は「ステキに不幸な人間からは、極上の赤の染料が採れるんだ。どんな染料よりも上質な赤がね」と満足気に答えた。

 「それにしても、これは期待以上。極上といっていいね。……あ、そろそろ、腕を出していいよ」

 鍋から腕を引き上げ、アルフに渡されたタオルで水気を拭き取ったが、不思議なことに、タオルには赤い色は付かなかった。


 「キミの仕事は、とりあえずこれでおしまい。また赤の染料が必要になったらお願いするよ。じゃあ、お茶にしようか」

 訊きたいことはいろいろあったが、促されて、アルフとテーブルに向かい合ってお茶休憩を取ることにした。こんな森の中だから、お茶といってもなんだかよくわからないハーブティか何かだろうと思いきや、出されたのは紅茶だった。しかも、そこそこ質がよさそうな。クッキーまで添えられている。私が、香りを楽しみながら紅茶を1口飲むと、アルフが「おいしいだろ? ボクたち、人間相手の商売もしてるから、売上でこういうモノが買えちゃうんだ」と教えてくれた。

 「何を売ってるの? 布とか?」

 「いや、仲間の仕立て屋に頼んで服を作ってもらって、それを売ることが多いね。あ、ちなみに仕立て屋っていうのはクマね。他にもリスの織物屋とか、森の中に仲間がいるんだ」

 「そう……」

 なんだかとてもメルヘンチックな絵面を思い浮かべて、曖昧に返事をした。

 「ところで」アルフが、目を光らせてこちらを見た。「キミの名前、まだ聞いてなかったよね。教えてもらってもいい?」

 「スカーレット」

 「うわぁ、名は体を表すってカンジの名前だねぇ。歳は? 何歳?」

 ひゅうっと口笛を吹いて名前に感心して見せたかと思うと、軽い調子で年齢を訊いてくるアルフを軽く睨み、「歳なんか知ってどうするのよ」と言うと、「キミの人となりは、染料の質にかかわることだからね。歳はもちろん、これまでどんな暮らしを送ってきたのかについても、聞かせてもらいたいな」とアルフは答えた。

 「……あんまり面白い話じゃないわよ」前置きして、私は話し始めた。


 「私が2歳の頃、実の母親は死んでしまったんだって。で、父親は女手が欲しくてすぐに再婚した。6歳の頃に弟、8歳の頃には妹が生まれた。そうすると、継母ままははにしてみると私はまぁ邪魔よね。家事や子守にこき使われるばかりで、可愛がられることはなくて。食べるものや着るものにも差を付けられてね。継子いじめってやつ? 父親はまぁ、継母や小さい子たちが大事だから見て見ぬふり。ホントよくある話よ。ちゃんと育ててくれたからまだ幸せよね。

 15になった途端、継母がやたら熱心に勧めるんで、まぁこの家にずっといるよりは、くらいの気持ちで結婚したんだけど、実は旦那にはずっと前から他に女がいたらしくて。

 びっくりよ。今日、買い物から帰ったら、家の中で旦那とその女が抱き合ってたんだから。なんか、その女とはいわゆるダブル不倫の仲だったけど、女の方の旦那がめでたく死んだから一緒に暮らしたい、だからお前は出て行けって。言い訳するでもなくしゃあしゃあとそんなことぬかすのよ、あのクソ旦那。横で不倫相手の女もムカつくこと言いながら笑いやがるし。ホント、思い出すと腹が立つわね。

 多分あの継母、裏を知っててあの男との縁談を勧めたのね。いずれ私が不幸になるってわかってたのよ。アレはアレでいい性格してるわ。

 まぁ、そんなわけで家を出て、勢いで出てきちゃったけどどうしようかな~、実家にはもう戻れないし、とか思っていたら、あなたに声を掛けられた。――ほら。たいした話じゃなかったでしょ?」

 私は一気にまくし立てた。アルフは、いくらか真面目な顔で聞いている。

 「そんなことないよ。いやぁ、苦労したんだねキミ。道理で、質のイイ赤が取れたわけだ」

 アルフは、どこか心ない口ぶりで私をねぎらい、褒めた。


 こんなの、たいした話じゃない。それは本心だった。だって、継母にいじめ殺される子だっているし、家を出られるからちょうどいい、くらいの気持ちで結婚した相手に、最初から裏切られていたとしたって、腹は立つけれど、傷付いたりはしない。

 「ただ、宿無しになって困ってたのは確かだったから。あなたに拾ってもらえてよかったわ。ありがとう、アルフ」

 「どういたしまして。じゃあキミは身の振り方を考えながら、ウチのお手伝いをしてくれればいいよ。赤の染料出しの他にも、いろいろやってもらえると助かるな」

 「わかったわ」


 こうして、森の染物屋での暮らしが始まった。

 森の仲間に会いに行ったり、人間に服を売りに行ったりするのは全部アルフの仕事だった。アルフの仲間とはいえ、リスはともかくクマに会うのはちょっと怖かったし、できることなら町に出ず、森に隠れていたかったから、別にそれで構わなかった。

 アルフは、寝る時以外は人間の姿をしていることが多い。この姿の方が、何かと便利なのだそうだ。確かに、染物屋の道具はどれもこれも、人間用のサイズだし、森の中にいるという仲間と作っているのも、どうやら人間用の服のようだ。

 「あなた達は昔からこうやって代々、人間用の服を作って暮らしているの?」と尋ねてみたところ、「ん、まぁ、そんなところ」とはぐらかされた。私自身、住まわせてもらえれば文句はなかったから、別に、深く知りたいとも思わなかった。

 料理や洗濯は、自然と私の仕事になった。アルフは人間との商売の売上を使ってか、町で暮らすのと変わりなく過ごせるほどの食料や家具、雑貨などを取り揃えており、森の中の小屋での暮らしといっても、不自由は感じなかった。

 染物屋の手伝いとしてアルフに頼まれるのは、赤が必要な時に腕を鍋に漬けて染料を提供することの他は、特に技術も要らない下働きばかりだった。ここで染物の技術を身に着けて今後の役に立てたいとも思わなかったから、それでよかった。

 ただ、人里離れたところで、人とかかわらずに、しばらくの間、過ごせれば。それで。






 ボクは娘の死体を見下ろしていた。

 娘は、目を閉じて雪の上に横たわっている。これから埋めるつもりで、ここまで運んできたのはボクだ。

 娘には言わなかったが、人間から取れる赤い染料は、いわば生命力が溶け出したもので、無尽蔵に湧き出るものではない。これが尽きる時が娘の役目、そして生命の終わる時だ。

 まぁ、個人差はあるが、1人の人間を染料として使えるのは精々1年。この娘の場合は、初夏に拾ったのに、一冬越すことができなかった。つまりこの娘を使えたのは、だいたい半年か。まぁ、継子いじめで食うや食わずの子ども時代を送ったせいで身体が弱かった、というところだろう。ワケありの娘を拾う以上、長持ちしないことは織り込み済みではあるけれど、それにしても今回は早かった。拾ってからはしっかり食べているか、目を光らせていたのだけど。

 それにしても、上質の染料を出せる娘だっただけに、勿体無い。


 この娘――スカーレットには、「こうやって染料を出して、何か私の身体に害はないの?」と尋ねられたことがあったが、その時は、「ないよ」と嘘を答えた。だってボクは、本当のことを言うなんて、言ってない。

 ついでに言うと、ボクはキツネではない。「あなたは本当にキツネなの?」とは訊かれなかったから、黙っていたけれど。もちろんヒトでもない。もっと邪悪なモノだ。ああして困って森に入ってくる人間を誘い込んで、染料を提供させて、用済みになったら、捨てる。それがボクの仕事だ。森の中に仲間がいると言ったのは本当だが、彼らにしてもリスやクマなんかではない。ボクの仲間なのだからつまり、そういう連中だ。



 というわけだ。

 可哀相だったね、スカーレット。でも、束の間、森の中で幸せに過ごせたんだから構わないよね。

 さぁ、キミを片付けたら、次の人間を探しに行くとしようか。なに、急ぐことはない。






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