E45 命を守りたい

 ――それから、二年余りの月日が流れた。


 元日なのに、二人は古民家を改築した家から教会だったアトリエまでゆっくりと散策してきた。


「寒くないか?」


「あなた、もう五度目ですわ」


 黒樹とひなぎくも胸一杯にして、この地に立つ。

 すっかり枯れてしまった下草が、春に萌え出るのを待とう。

 その気持ちも二人は一緒だ。


「昇って来ましたよ」


「うん。身の引き締まる思いだ」


 教会に朝日がきらきらとまぶされる。

 二人は、あの教会でのできごとを一生忘れない。

 大切な教会を明け渡ししてくださったご恩もある。

 アトリエは、守らないとならない。


「ひなぎくは、基本、土曜日にお仕事をしような」


「そうですね。イベントのある日に、がんばっちゃうのを反省しています」


 ひなぎくは、しみじみ思う。

 控えめにねと、あなたは支えてくれるのにねと。


「皆の好きなアトリエよ、あなた……。こうして周りを歩むとリラックスする」


 サクサクとする黒樹の後をサクサクサクと追うひなぎく。

 歩幅の違いもお互いにもう馴染んだ。

 ゆっくり歩かないとと黒樹が止まる。


「俺と一緒だからだろう? よかったじゃないか。ひなぎくも、三十路ライン突破か?」


 黒樹は、ひなぎくの皆とお揃いで編んだグリーンのセーターの袖をつんとつまむ。


「あなた、私もそろそろ春を戻したいわ。ねえ?」


「ねえって。ちょっとお腹が大きいんでないの? それにもうブラジャーが昔のアールヌーボーみたいなのじゃないしね」


 ひなぎくは、こんなおちゃらけた台詞にも頬を染めてしまう。

 それは、この身を大切に感じるから。


「や、やだわ。私って、そんなに好きそうかしら?」


「好きって。子ども好きだろうよ。俺みたいなのに引っ掛かってきて、とぼけてもだめさ」


 黒樹は、優しい……。

 落ち着きのある年上の男性。

 何をするでも本当はしっかりとした人だものと、今度はひなぎくが、揃いのセーターの袖をつんつんと戯れる。


「えっと……。この間、女の子だって分かったわよね。どうします?」


 黒樹には、こんな一瞬がひなぎくが女神に見えてならない。


「ど、どうもこうも。何人いても、大丈夫」


「予定日がね、今は妊娠六ヶ月なのよ。出産予定日が、五月十四日。何かの縁を感じるわ」


 誕生日が、ひなぎくは五月十五日で黒樹が十六日だ。

 縁を感じても不思議ではない。


「むむむむ。蓮花のヤツ、ひなぎくの付き添いを頼んだのに、肝心なガードが甘いじゃないか」


「まさか、こんなに早く判明するとは思わなかったの」


 ひなぎくの初産を誰よりも守ってくれているのは、黒樹だった。


「いや、それはいいよ。ただ、病院で初診の日さ、アトリエで仕事中の俺に、家からテレビ電話したろう。パソコンの画面一杯で……」


 黒樹は、しわぶき一つで済ましたいようだ。


「確か――。『あなた! きっと女の子よ!』だったわね。だから?」


「あうあう、ひなぎくさま怖い。ぶるぶる」


 嬉しい身震いか、ひなぎくに女神の微笑みが宿った。


「お乳も大きくなって、きっと、あなたを喜ばせるわよ」


「そりゃな!」


「即答でしたか」


 ◇◇◇


 蓮花さんは、一浪の末、上野の私立氷川ひかわ美術大学へ通っている。


 和くんは、高校二年生で、随分と成績がいいらしく、本人の希望もあって、都心にある、国立のあずま大学への現役合格を狙うらしい。

 この大学のコクーンビルのデザインは、とぼけた顔して、黒樹が行っていたりする。

 そこで、血の繋がらない親子なのに、やりたいことは一緒だ。

 和くんも父の仕事を知らなかったのに、将来は、建築を含むエクステリアにインテリアを丸々コーディネイトしたいと言う。

 フランク=ロイド=ライトを目指しているのかな?


 劉樹くんは、中学二年生になった。

 家事ができる時間が少なくなったが、元気にバスケットボール部で体を鍛えているのに、涙が出そうだ。


 虹花ちゃんと澄花ちゃんは、ともに、小学五年生になった。


 虹花は、バレエに打ち込んでいる。

 金髪美人と呼ばれたいらしい。

 だいぶいじめも克服されてきた。

 なによりじゃないか。


 澄花は、東日本コンクール小学生の部で、二等のメダルを貰った。

 惜しいと思ったり、やったとも思ったりしないで、普通に過ごしている。

 鉄棒が得意で、こちらの方が自慢のようだ。


 ◇◇◇


 ――それから、予定日通り五月十四日のことだった。


「あなた、お腹が……」


 ひなぎくは、夕飯のデザートにオレンジをカットしようとして、指を切ってしまった。


「はい、消毒、絆創膏!」


 黒樹は素早かった。

 そのまま、車で、いすみ産婦人科へと向かう。

 蓮花も付き添った。


「大丈夫か? ひなぎく」


「は……。い」


 他の子ども達は、後から和と一緒に来る。


 病院に着くなり、大人しいひなぎくが叫んだ。


「もう産まれる!」


 ◇◇◇


 それから、順調に進むかと思われたお産も難航し、蓮花を筆頭に子ども達は、控室で気を揉む。

 父親の黒樹だけが分娩室へ許された。


「ひなぎく、がんばり過ぎるな」


「私、と……あな……たの子」


「汗を拭いていいかい?」


 そうだ、いつだって黒樹は優しい……。

 ひなぎくの胸には、目を瞑っていても黒樹が浮かぶ。


「あた、あなた……」


 助産師さんらの掛け声で私も息をする。


「あ、あ、あ……。あなた――!」


 ひなぎくは、これで大丈夫だと力が抜けた。

 黒樹は、まだ安心しきれていない。


「ほ……」


 あれ?

 泣かないの?

 ひなぎくは、不安に思う。

 黒樹は、刻の神に願う。

 向こうで、医師らが賢明に処置をしている。


「ほっひ……。ほぎゃあー!」


「ああ、静花せいかちゃん。黒樹静花ちゃん、お誕生おめでとう!」


 泣いている、俺の嫁が、母親になったのか。

 赤ちゃんを抱いて。

 黒樹は胸一杯で、ひなぎくも我が子もよく見えなくなってしまった。


「私が、ママのひなぎくです」


「お……。俺が、パパの黒樹悠だ」


 お手当をしたら、病室まで参りますとのことで、黒樹の皆は、二号室の個室で暫く待つ。


 ――待望の静花ちゃんが皆の前にご登場だ。


「初めまして、蓮花はまだまだ彼氏募集中よ。あ、関係ないか、はは」


 父には分かるぞ。

 にやにやが止まらないのか。

 黒樹も心でにやけた。


「可愛いっすね。俺は和。何人いたって面倒みるから、かかって来いよな」


 本当に頼りになるな。

 大きくなったよ。

 黒樹は、和へ信頼を置いている。


「おむつ交換は劉樹がしたいな。お任せあれ」


 中学生の台詞か。

 確かに、虹花と澄花はお世話になりました。

 黒樹の感謝の念だ。


「虹花です。金髪でなくてよかったね。ひなぎくさんによく似ているよ」


 おおー。

 女の子は、可愛いね。

 黒樹は、虹花が金髪のコンプレックスはまだあるのか少し心配になる。


「可愛らしくてつんつんしたいです」


 澄花ちゃんは、米川にきて吹っ切れたな。

 伸び伸びとしてきた。

 ほっとする黒樹の可愛い娘だ。


 ◇◇◇


 子ども達は、病院では寝る所もないので、和が連れて帰った。


「なあ、ひなぎくさん。子ども達も立派になったな」


「元からご立派でしたわ」


 新生児室の静花を窓越しに二人であたたかく見つめる。


「あー、可愛いお顔をぽいっされちゃったよ、俺」


「あなた……。これからは毎日ですよ。それに、顔は七度でもそれ以上でも変わります」


 ひなぎくが暫く沈黙していたかと思うと、黒樹の頬を両手で包む。


「――晶花さんは、この痛みに何度も耐えたのですね」


 ひなぎくが黒樹を熱く焦がした。


「私、命を……。命を守れる母親になりたいな」


 黒樹の誰か見ているからとの言葉を無視して、ひなぎくはキスをしてきた。


 ひなぎくが、そっと顔を離して瞼を起こす。

 じっと見つめる先には、あなたがいる。



「愛しています。永遠に――」




 ――それからの育児ドタバタ劇は、想像ができよう。



「俺がひなぎくのIカップに惚れ直したことは、内緒にしてくれ……」



「なんですか? 授乳中ですよ。ねえ、静花ちゃん?」




 だってさ、ひなぎくのママンオーラが凄いんだもの!


 

「はーい。げっぷとんとん」


 振り向くとにこにこしている新しい親子がいた。



「まあ! 静花ちゃん、ゲップもお上手よ……!」













Fin.

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Eカップ湯けむり美人ひなぎくのアトリエぱにぱに! いすみ 静江 @uhi_cna

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