第2話
「ふむ。まずは結婚といえば、経験者の意見を聞いてみる。それが一番妥当な線だろう」
翌朝、霜威は一番に馬車で屋敷を出て、旧友、藤崎学人の住まう邸宅を訪ねた。
学人とは共に尋常小学校で学んだ仲で。変人な霜威とは何故か波長が合った。その分、彼もまた奇天烈な性格の持ち主で、恐らく変人の度合いでいうと霜威とどっこいどっこいといった具合だろう。
そんな学人が結婚したと聞いた時は兄妹揃って驚いたものだ。
あの学人と夫婦になりたいと思う奇特な女性がこの世にいるとは思っていなかったからだ。
知らせを受けた時にはもう諸々の式は済ませていたので、霜威は後日簡単な祝辞と祝いの金品を送ったのだが、会うのはそれ以来だ。
彼の住まいは親から譲り受けた別荘を改装した西洋風の屋敷で、全体的に白く、宮殿のような小ぶりの屋敷だ。
呼び鈴を押すと、小間使いか奥方が出ると思っていたのだが、予想外にも学人本人が出た。
「やぁやぁやぁ。誰かと思ったら霜威じゃないか。息災だったかい?」
大袈裟に両腕を広げて学人が歓迎の意を表す。久しぶりに見る学人は記憶の中のものよりやや顔の輪郭は細くなり、鼻の下に髭を蓄えていたせいでやや老けて見えた。
しかし昔から女受けしそうな甘い顔立ちは以前と変わらぬ面影を残している。
そんな彼に対し、霜威は無表情かつ端的にその熱烈歓迎を黙殺した。
「なんだいつれないなぁ。共にあの小さな学舎で学んだ仲じゃないか」
「…すまない。過去は振り返らない主義なんだ。それより中へ入っても構わないかい?」
「あぁそうだったね。広いだけで何もない部屋だが上がってくれたまえ」
そう言って長い廊下を歩いた先に案内されたのは、夜会でも開けそうなくらい広い応接間だった。
美麗な陶器等が収められた洒落た棚が壁際に沿ってある他は、ビロード張りのソファが四脚と大理石製のテーブルがあるだけだ。
しかし大きめの窓から注がれる日差しは柔らかく、とても居心地が良さそうな空間だ。
室内をぐるりと見渡して、霜威は目を細めた。
「中々どうして立派な住まいではないか。一体こんな素晴らしい建物どうしたんだい?」
屋敷の規模からいって、とても今の自分たちでは手が出せないであろう豪邸だ。
しかし学人は薄く笑ってティーポットを軽く揺すった。
「僕に八つ年の離れた兄がいてね。その兄は資産家のご令嬢と婚姻した事によって大層羽振りがいいのさ。それでこの屋敷は成婚祝いとして、別荘に使っていたものをいただいたのだよ」
「ほほう。それほどまでに羽振りがいいとは恐れ入ったね」
いとも簡単に説明する学人に霜威は思わず唸った。
それと同時に幼少の頃はかなり親しくしていたというのに、彼の家族や彼の置かれている環境について一切知らなかった事にも内心驚いた。
「まぁただ広いだけで維持費や嵩むわ掃除は難儀するわでそうそう良いものでもないよ」
そう言って学人は霜威の前にほんわりと良い香りり立つ紅茶の入ったカップを置いた。
「それより今日はどういった用向きで訪ねてくれたんだい?」
そこで霜威はようやく本来の目的を思い出した。
「そうだった。すっかり忘れていた。実は君に結婚生活の事や婚姻を結ぶ事の利点や心がけを是非聞いてみたいと思ってね」
「ほぅ」
そう言うと学人はやや困ったように眉根を顰めた。
そういえばまだ彼の奥方は顔を出していない事も気になる。
ただ留守にしているだけだとは思うが。
すると学人はカップに軽く口を付けた後、ようやく口を開いた。
「ふーむ。そうは言われてもなぁ。僕にも結婚生活やその他諸々の事なんてわからないからぁ。何を話せばいいのやらだ」
「ちょっと待て。それはどういう事だ。君は結婚したのだろう?」
「ふむ。まぁ……そうだね」
何だろうこの学人の歯切れの悪さは。
嫌な予感が高まっていく。
「だったらどういったものかわかるだろう。それを聞きたい」
「いや…ね。本当に知らないのだよ。妻になる女性は結婚式以来姿を見せていないのだからね」
「なっ………」
霜威はカップを握りしめたまましばし絶句した。
この件についてはもう少し彼に詳しい事情を聞かねばならない。
「帝都雨月兄妹物語」 涼月一那 @ryozukiichina
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