「帝都雨月兄妹物語」
涼月一那
第1話
時は大正三年。
帝都の片隅にある大きな白亜の洋館に、それはそれは美しい兄妹が棲んでいました。
兄は雨月霜威。
今年26歳になる青年で、大学で古代史を教えているが、本職は昆虫学者だ。
息を呑むほど美しい顔立ちはどこかの王族か貴族を思わせるくらい整っていた。
だがその中身はやや風変わりで、常人には理解し難いものを持っている為、大抵の人物は彼と数分話しただけで遠巻きにして近寄らなくなる
妹は雨月霧緒。
今年18歳になる少女で、現在は図書館の管理人をしている。
物静かな美貌はいつも憂いを帯び、近寄りがたい静謐を湛ているが、口を開くと辛辣な言葉が弾丸のように飛び交い、兄同様敬遠されていた。
そんな二人は通常の仕事がない日は、屋敷から出ずに広間で書物を黙々と読み耽るのが常だった。
兄は外国から取り寄せた昆虫の解剖図解を、妹は婦人雑誌を気だるげに眺めていた。
穏やかな初夏の日差しが大きめな出窓から優しく降り注ぐ。
何とも平和な1日だった。
そんな折、ふと霧緒が雑誌から顔を上げた。
そして向かい合う兄の顔をしげしげと観察をする。
兄の無駄に長い睫毛が白い目元に深い影を作り、それは優美だ。
そんな兄を執拗に眺めた後、霧緒はようやく口を開いた。
「愚兄よ。一つ訊ねたい事があるのだが、いいだろうか」
すると兄はゆっくりと視線を霧緒に向ける。
「………何だ。あまり聞き入れたいとは思わないが、一応聞こう」
「ふむ。実は愚兄を真の変人と見込んで訊ねたいのだが……」
「ちょっと待て。それはオレに対する何かの挑戦か?だとしたらオレはどうしたらいい」
霧緒はわけがわからないとばかりに首を傾げるが、すぐに気持ちを切り替えて話を続ける。
彼女は人の話は大抵聞かない主義である。
「この雑誌、通いで来て頂いている杉世殿からお借りしたのだが、この理想の婚姻についての……」
「婚姻だと?まさか我が妹からそんな言葉が出るとは思ってなかったぞ。もしや意中の男でも出来たか?」
霜威は思わず本を膝から落としそうになるくらい驚いた。
本と人をいたぶる事以外興味を示さなかった霧緒がどういう事なのだろうか。
ちなみに杉世とは、二人の棲む屋敷に通いで家事をしてもらっている女中だ。
この近くに夫と子供3人とで暮らしていて、二人とは一番気ごころが知れた他人である。
「そのようなものはいない。大体私は生涯を本に捧げると決めている。ただここの良き婚姻相手の条件とやらに「最愛」とある。最愛とは一体何だと思う?愚兄よ」
「………お前こそ真の変人だろうが。わけが分からないなお前は。まぁ、敢えて答えるなら最愛だから読んで字の如く、最も愛する者という事ではないのかい」
すると霧緒が小ばかにするように鼻で笑った。
「ふっ。我が愚兄とは思えぬ浅慮ぶりだな。私はそんな世間一般の口を聞きたいのではないのだよ。最愛とは言っても、世の中そうはいかないではないか。必ずしも好いた相手が幸せに繋がるものでもない」
「むっ。確かにそれはあるな。いかに開かれた今の世の中といえど、まだ婚姻は家同士の繋がりでするものという風潮が根強い」
霜威は霧緒の見ていた雑誌を捲ってみる。
良妻賢母を主眼とする女性としての在り方が可愛らしい図版と共に踊る記事が目に飛び込む。
この手の題材はあまり霜威の得意とするものではない。
彼はこのような古い風潮が合わず、このような世捨て人の生活を送っているのだから。
それは霧緒も同様なようで、大きく頷いた後不遜な笑みを浮かべた。
この場合、あまり良い方に転ばない事は長い付き合いで分かっていた。
「そこでだ。愚兄よ。私は提案する」
「な……何をだい」
ゴクリと唾を飲み下し、霜威は次の言葉を待つ。
霧緒の長く伸ばされた漆黒の髪がサラリと肩を滑り落ちる。
「愚兄よ。是非結婚して「最愛」がどのようなものなのか私に見せてくれまいか?」
「は?」
霜威の切れ長の瞳が大きく見開かれた。
これは結婚不適合者の兄妹が本気で婚活をしてみた挑戦活劇である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます