エピローグ:臆病者が手に入れたもの

 歴史的第一歩を踏み出した翌日、わたしはなんと風邪を引いた。


 それを知った葵さんがなんと家までお見舞いに来てくれた。


「みさきちー、やっほーぅ!」


「ぅ……いらっしゃ……ごほっ」


「あ、だめじゃん寝てなって! 具合悪いんだからさー」


「うっ……ありが……ごほっ」


 葵さんに支えられて布団に向かう。横たわると、おみやげの桃缶を葵さんが開けてくれた。


 お礼を言って一つ口にする。


「……おいしい」


「そう? よかったー。こういうの口に合わなかったらどうしようかと思ってたよー」


 からからと笑う彼女はわたしの情けなさとは反対に元気も元気といった様子だった。


「あ、あたし帰ったほうがいい? 寝るなら邪魔だよね?」


「いえ、あの、ずっと寝てたので……できればお話とかしてくれたら嬉しいです」


 と言うと、葵さんがとても嬉しげな笑顔になった。


「みさきち!」


 がし、とわたしの手が掴まれる。


「へ?」


「みさきちがわがまま言ってくれたよ! すっごい嬉しいよ! よーし、こうなったらみさきちのためにおかゆを……」


「え? え?」


「待っててねみさきち! 今、おかゆを作るよ!」


「え、あ、ちょ」


 確か葵さんって料理できないんじゃなかったんじゃなかったっけ。


「いえ、その、お、おなか! おなかすいてないので、今はおかゆはいいですから!」


「え? でも食べないと体力戻らないよ?」


「いいですから!」


 逆に体力落ちそうなので。


 どうにか説得すると、葵さんは不満げながらもおかゆを作らないことを約束してくれた。代わりにわたしの話し相手になってくれるらしい。


 それだけでも、暇をしていたわたしにとってはありがたかった。


 といってもわたしはあまりしゃべれないから、もっぱら寝そべって葵さんの話を聞くだけだ。


 そうやって雑談をしているうちに、昨日のお祭りの話になった。


「……葵さんは、小村くんに告白されたんですよね?」


「ん? そうだよ。ずっと好きでいてくれたんだって」


「……告白されてどう思いましたか?」


「んー、そうだなあ」


 人差し指の腹を唇に押し当てて、葵さんは少し考え込む。


「普通に嬉しかったっていうか、あたしもユウ君のこと好きだからさ。イギリスに留学する予定さえなかったら普通に受け入れてたと思う」


「……」


「でも留学しちゃうから、ちょっと付き合えないけどね。だからまた帰ってきた時に、ユウ君の想いに応えたいかなあって」


「へ? そ、それってつまり」


「うん。帰国したら付き合うつもり」


 あれ、返事は保留とか小村くんは言ってなかったっけ……?


 恐る恐る聞いてみる。


「あ、あの……もし葵さんの留学中に小村くんが彼女作ったら……?」


「裏切りには死を与えられるべきだと思うの」


 にっこりと笑った葵さんの笑顔が怖い。


 もしかしてわたし、血迷った?


 顔面蒼白になるわたしに気づいたのか、葵さんが気遣わしげな声をかけてくる。


「あれ。もしかしてみさきち、ユウ君のこと」


「うっ……」


「へぇ~、そっかぁ~………………………………好きなんだ」


 今度ははっきりと『好き』という言葉が使われて、顔の温度が急上昇。そんなわたしがおかしいのか、葵さんはけらけらと笑う。


「ご、ごめんなさいっ、その、わたしも小村くんが好きで……ごほっ、ごほっ」


「ああ、もう、叫んじゃダメじゃん。ね?」


 と葵さんが背中をさすってくれる。


「それにね、みさきちなら、いいよ。ユウ君のことが好きでも……渡すつもりはないけどね?」


「うぅ……」


「だからこれは、勝負だよ。ユウ君をかけた、女と女の一騎打ち」


 葵さんの言葉にわたしは思わず顔を上げる。目が合うと、彼女はにっこり微笑んでみせた。


「どっちが勝っても恨みっこなしの真剣勝負。あたしとする気、みさきちにはある?」


 挑戦的で挑発的なその視線に、わたしの小さな肝っ玉は思わずすくみ上るけれど。


 けどわたしは決めたのだ。振り向かせてみせるって。わたしのことを好きになってもらうんだって。そう決意していたからこそ、視線を逸らさず見つめ返すことができた。


「は、はいっ」


「ん、よくできました。――負けないよ?」


「わ、わたしこそ……!」


 と虚勢を張って言い返すと葵さんがすっと立ち上がる。


「さて、と。じゃあ頑張って戦うために、みさきちは早く風邪治さないとね!」


「は、はいっ」


「じゃあそのためにあたしおかゆを……」


「自分で作りますから、いいですからっ!」


 台所に向かいかけた葵さんをわたしは慌てて引き留める。そうしてやいのやいの言い合って、なんだかんだで結局わたしが自分でおかゆを作ることになって。






 思わず走り出したくなるような想いを知っている。


 その想いは世界の色を書き換えるほど。


 そんなことを知っているのは、数ある人々の中でも少しだけ。


 この世界で、たったひとつ。それは太陽よりも眩くて、そして月の光よりも繊細で――。



 そして臆病者にも、勇気を与えるのだ、それは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わたしをかわいくしてくださいっ 月野 観空 @makkuxjack

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ