最終話 高校二年の夏
眩しい光に、思わず目をギュッと閉じてしまった。
けれども次第に、その明るさに慣れていく。
そこは、まだ明るい時間帯の旧校舎のトイレ。
けれどもそこは、僕達が彷徨っていた夜の世界ではない。
「戻って……来れた……んだよな?」
「そのはず……だよね?」
「ええ、間違いありません。スマホに表示された時刻から察するに、こちらの世界では大した時間経過ではなかったよう……です、が……」
……何故だか分からないが、スマホを見詰める村田さんの様子がおかしい。
何かおかしな事でもあったのかと思って、僕も自分のスマホに視線を落とした。
怪奇世界では上手く時間が表示されていなかったけど、こっちに戻って来た事でその不具合は解消されたらしい。
僕達がサヤちゃんを探して旧校舎の鏡に飛び込んだのは、七不思議にあった通り、夕方の四時四十四分だった。
そして今、スマホは五時ちょうどを示している。
確認ついでに視界に入った日付は、八月十四日だ。
……ん? これ、おかしくないか?
「えっと……俺達って確か、十五日の夕方に雛森を探しに旧校舎に乗り込んだんだよな?」
「ああ、そのはず……なんだけど……」
「ですが……ここには間違い無く、八月十四日と表示されていますよね?」
僕と村田さん、そして新倉の持つスマホを全員で見比べた。
それでもやっぱり、表示されているのは昨日の日付。
おまけによくよく確認してみたら、僕達が戻ってきた元の世界は朝の五時ジャストだったんだ。
どうして時間が可能に遡ってるのか……それに、他の女子生徒達の姿もどこにも無かった。
「……考えられるのは、サヨの力の影響なんだろうけど」
「あの化け物の、ですか? 詳しく聞かせて下さい、須藤先輩」
村田さんに問われて、僕は新倉にもサヨがやろうとしていた『償い』の詳細を伝えた。
僕達四人しか居ないこの状況から察するに、サヨはこの事件に関わった人を全員元の時間に戻しているはずだ。だから伊東さんも含めて、『事件の被害者が賽河原高校の二年生だった時間』に飛ばされてきたんだろう。
次に、僕達が今居る世界の日付と時刻の疑問だ。
そもそもサヤちゃんが行方不明になったのは、八月の十三日の夜中。登校日前日の夜の事だった。
そして今が、登校日当日の早朝。サヤちゃんが今日の登校日に間に合って登校出来れば、そこまで大きな問題も無く元通りの日々を送れるだろう。
「ちょっと登校時間には早すぎるけど、登校日だから早めに家を出たってチャットで連絡しておけば、僕達の親にも上手くごまかせるんじゃないかな?」
「新校舎の校門が開くまでは、こっちでしばらく時間を潰しておけば大丈夫そうかもね。本物の旧校舎なら、窓からだって簡単に出られるだろうし!」
「だな! ……でもなんか、安心したら腹減ってきやがったなぁ」
「もう少ししたら、朝食を調達しにコンビニにでも行きましょうか。……新倉先輩の脚なら、すぐに帰って来られるでしょうし」
「俺またパシリなのかよ⁉︎」
いつも通りの新倉と村田さんのコンビ芸に、しんと静まり返っていた旧校舎に、賑やかな笑い声が響いた。
新聞部の四人でまたこうして過ごせる事に、心の底から幸せを感じられる。
オーバーリアクションを披露する新倉と、それを鼻で笑う村田さん。
ふと彼女を見た時に、視界に入った村田さんの右腕が……。
「治って、る……?」
「え……?」
「いや、ほら、その……村田さんの右腕の火傷、綺麗に治ってない……?」
僕にそう指摘されて、村田さんも自身の右腕に視線を落とす。
サヨにお札を無理やり押し付けた際に負傷した、焼けただれたような右腕の怪我。それがすっかり綺麗になっていて、全員が彼女の腕に釘付けになっていた。
村田さんは何度か右手を開いて、閉じてを繰り返したり、手をひっくり返して状態を観察している。
「……特に、痛みや異常は見受けられません。何故でしょう。完璧に元通り……ですね」
「本当に、全部が元に戻ってるんだね……! 良かったぁ……響子ちゃん、もう腕痛くないんだよね!!」
「わっ……⁉︎ ちょ、雛森先輩っ!」
急にサヤちゃんが村田さんに飛び付いて、思い切り彼女を抱き締めた。
いきなりの行動にビックリしていた村田さんだったけど、まんざらでもなさそうだ。
彼女の腕の怪我が治ったのも、きっとサヨの力だろう。
サヨが他の七不思議と共に存在そのものを消し去る事で、僕達の全ては怪奇世界を訪れる前に戻っていった。
こうして四人で無事を確かめ合えているのは、僕達に力を貸してくれた花子様のお陰だ。花子、様の……。
「……っ、そうだ! サヨと一緒に七不思議が消えたなら、『トイレの花子さん』だった花子様はどうなってるんだ⁉︎」
僕がそう叫ぶと、村田さんをギュウギュウと抱き締めたままだったサヤちゃんが顔色を変えた。
彼女だけじゃない。花子様と直接会った事のある村田さんも、新倉も……青ざめた顔で互いに視線を交わし合った。
僕達に手助けしてくれた花子様だって、この賽河原高校に伝わるれっきとした七不思議の一つだ。それなら、彼女だってサヨと一緒に消えてしまっている……かも、しれない。
新校舎の昇降口が開いたタイミングを見計らって、僕達はすぐに旧校舎を出た。
転ばないように、けれども大急ぎで裏山を駆け下りる。
走るのが苦手な村田さんも、花子様の事が気掛かりなんだろう。ぜぇぜぇと息を切らしながらも、必死になって僕達について来ていた。
そのまま新校舎の昇降口に駆け込み、乱雑に靴を放置したまま上履きに履き替えて、階段を駆け上がっていく。
目指すは四階。花子様の縄張りである、あの女子トイレだ。
「着いたぁっ……!」
「は、花子様は……無事なのか⁉︎」
早朝とはいえ、真夏の全力ダッシュは死ぬ程キツい。
けれどもそんな事なんて気にしていられないぐらい、僕達にとって花子様という存在は、なくてはならない程に大きなものとなっていた。
「「「「花子様!」」」」
トイレに向かって、四人で彼女の名を叫んだ。
……けれども、女子トイレはもぬけの殻だった。
そこには美しい女子生徒の姿は無く、四番目の個室の扉は開け放たれたまま。
「嘘、だろ……?」
「わたし、まだ花子様に何のお礼も言えてないのに……どうして、こんな……!」
本来ならばそこで僕達の帰りを待っていたはずの少女は、もう居なかったんだ……。
────────────
結局、借りたままになっていた旧校舎の鍵を戻しに行くついでに、職員室で新聞部の部室の鍵を借りていった。
先生達はまだあまり出勤していなかったけど、いつも早めに来ている川上先生が居た。
勝手に旧校舎に入り込んでいた事が先生にバレないよう、部室の鍵を取るのと同時に、こっそりと旧校舎の鍵と入れ替える。
「あ、そうそう」
すると、僕の背後から川上先生の声が。
既に取り替えられた部室の鍵を手に、何食わぬ顔をして振り返る。
……上手くごまかせてると良いんだけど。
でも川上先生は人生経験が豊富だからか、妙に勘が良くて怖い時があるんだよなぁ。流石は学校一のお爺ちゃん先生だ。
「明後日の花火大会、須藤は行くのか?」
「は、はい。新聞部の皆で約束してるので、行く予定です」
「そうかそうか。オレも家内と行くから、もしかしたら会えるかもなぁ」
ああ、そうだ。川上先生は奥さんと仲が良いから、五十過ぎでも時々デートに出掛けてるって授業中に
川上先生は片手に持ったマグカップからコーヒーを啜りながら、皺の刻まれた顔を更にくしゃくしゃにして笑いながら言う。
「いやー、人間いくつになってもデートってのは楽しいもんなんだよ。お前もそのうち、うちの満子みたいな良い嫁さんを貰えると良いなぁ!」
「あはは……そうですね」
「そんじゃ、部室の掃除頑張ってこいよ〜」
そう言って、川上先生はデスクに戻ってのんびりコーヒーブレイクを楽しみ始めた。
先生の奥さんみたいな人……か。
うーん……何でだろう。何か、ちょっと引っ掛かるような……?
……とにかく、今は鍵を持って部室の掃除に行かないとだな。時間が戻ったせいで、また同じ場所を掃除しなくちゃいけなくなったんだから。
職員室を出た僕は、寄り道せずに部室へ直行した。
四人で隅々まで探したけど……やっぱり、花子様はどこにも居なかった。
ちょっと偉そうで怒りっぽい子だったけど、何だかんだで世話を焼いてくれた花子様。
彼女が居てくれたからこそ、僕達は全員揃って怪奇世界からサヤちゃん達を連れて戻って来る事が出来た。
……改めてお礼が出来なかった事だけが、本当に心残りだな。
部室の前には、サヤちゃん達が待っていた。
「鍵、取り替えてきたよ」
「上手く戻してきたみたいだね」
「仮に新倉先輩が返しに向かっていたとしたら、ほぼ確実に失敗していたでしょうね」
「流石にそこまで不器用じゃねえよ⁉︎」
すっかり定番になった二人のやり取りをBGMにして、部室の鍵を開けて扉を引く。
そこはいつもと変わらない、長机と椅子と棚が置かれた馴染みの空間──の、はずだった。
『あら、ようやくここに顔を出したのね?』
彼女は机の上に腰を下ろして、僕達を待ち構えていた。
ぱっつん前髪に、滑らかな黒髪ロングとセーラー服。
透き通るような白い肌に、高圧的なお嬢様っぽい立ち振る舞い。
『……サヨを、七不思議の呪縛から解放してくれたみたいね。それにしても、期待以上の成果だったわ。まさか私まで七不思議から外されて、それなのに消滅せずに現世に留まっていられるだなんて想定していなかったけれどね?』
「は、なこ……様……?」
『ええ、そうよ。この美しい私が、花子様以外の何に見えるというの?』
間違い無い。
この無駄なまでにプライドの高い言動は、僕達の知る『トイレの花子さん』──いや、花子様だ!
「ど、どうして花子様が僕達の部室に……⁉︎」
「あのっ! わたし、今回花子様にとてもお世話になった雛森沙夜と申します! 須藤くん達に力を貸して下さって、本当に──」
「悪霊って、そう簡単に成仏しねぇんだな……」
「花子様からトイレというアイデンティティーが失われたとなると、ただの高飛車お嬢様キャラになってしまいますね」
『な、何だか失礼な発言が二つ程聞こえてきたけれど……まあ、今回ぐらいは水に流してあげなくもないわ!』
どういう偶然か、それとも奇跡か──サヨの残した贈り物、とでも言うのだろうか。
花子様が言うには、僕達がこの世界に戻ってきた直後に『賽河原高校の七不思議』そのものが、歴史からさっぱりと消えてしまったのだという。
『トイレの花子さん』
『夜の音楽室のピアノ』
『動く人体模型』
『魔の十三階段』
『開かずの扉』
『夕方の合わせ鏡』
そして『赤い手帳』の七つ。
僕らの帰りをトイレで待ち続けていた花子様は、その瞬間に他の六つの霊力が消滅したのを感じたらしい。
それから、自分の身に異変が起きた事も。
『何故だか分からないけれど、何だか行けそうな気がしたものだから……思い切って廊下に向かってみたのよ。そしたらもうビックリよ! ずっとトイレから一歩も出られなかった私が、廊下に立てたの! その勢いで貴方達を探そうと、この部屋の中で待っていたのだけれど……』
「ああ、幽霊だから鍵のかかった部屋でもすり抜けられるんですね! 凄いです、花子様!」
『うふふっ、そうでしょうサヤ! そうよ、私は何と言っても高位の霊だもの! 全くもって理由は不明のままだけれど、花子さんパワーはそのままに自由に動き回れる霊となったのよ‼︎』
サヤちゃんからキラキラした視線を向けられて、上機嫌な花子様。
彼女が無事だったのは、僕らにとっても幸運だった。
花子様はある意味で命の恩人だと言える人で、今回の事件を解決に導いた重要人物の一人だ。こうして再会出来たのは、この上なく喜ばしい。
『そういう訳だから、気分が乗ればまたいつか私の力を貸してあげなくもなくってよ? 貴方達と一緒に居れば、楽しそうな事が起きそうな予感がするのよね!』
「こちらこそ、改めてよろしくお願いします!」
「部長の雛森さんがそう言うなら、今日から花子様も新聞部の一員だね」
「これが本当の……」
「マジモンの幽霊部員、ってヤツだな!」
こうして、僕達はサヤちゃんを無事に取り戻す事が出来たんだ。
それに……新たな部員も。
僕の高校二年の夏には、一生忘れられない出来事が刻み込まれた。
一つは勿論、この『賽河原高校の七不思議』に関する事件。
そしてもう一つは……僕とサヤちゃんにとって大切な思い出になった、花火大会だ。
────────────
「須藤くん、待たせてごめん! ちょっと支度に時間がかかっちゃって……本当にごめんなさい!」
「……だ、大丈夫だよ。僕もちょっと忘れ物して、取りに戻ってたからさ」
首を長くして待ち望んでいた、八月十六日。
今日は盆踊りの後に、花火大会が開かれる日だ。
小走りで待ち合わせ場所の校門前に現れたサヤちゃんは、いつもはポニーテールにしている髪をお団子にしていた。
眼鏡はいつも通りだったけど、着ているのは綺麗な花柄の赤い浴衣だった。
それを着た彼女が、あまりにも可愛かったから……一瞬言葉に詰まってしまった。
Tシャツに短パンなんて普通の格好をしてきた自分があまりにも恥ずかしくなってくるレベルに、サヤちゃんには幽浴衣が似合いすぎている。大和撫子とは、彼女の事を言うんだろう。
「えっと……変じゃないかな、わたし。変に気合い入れてきちゃったみたいで、何だか恥ずかしいんだけど……」
「そ、そんな事ないよ!」
不安げに見詰めてくるサヤちゃんに、とっさに否定の言葉が口から飛び出した。
「何かもう、ビックリするぐらい似合ってて、めちゃくちゃかわい……あ」
「か、可愛い……⁉︎ ほ、本当に……? 須藤くん、本当の本当に……⁉︎」
「……ほ、ほんとに……可愛い、です……!」
ここまで来たら、もうヤケだ……!
思わず敬語になっちゃったけど、本心は伝わったはず……だと思う。
その証拠と言わんばかりに、サヤちゃんは浴衣に負けないぐらいに頬を真っ赤に染め上げていた。
……多分、僕も同じぐらい赤くなってるんだろう。とんでもなく顔が熱い。顔から火が出そうだ。
「あ……ありがとう、ございます……!」
「ど、どういたしまして……!」
お互いどうすれば良いのか分からなくなって、謎に敬語になってしまう始末。
ああ……早く新倉と村田さんが来てくれないと、このままぎこちない空気が続くんだけど、僕はもうどうしたら……!
そんな時、遂に待ち望んだ二人の救世主が現れた。
僕と似たようなラフな格好の新倉と、落ち着いた水色の浴衣に身を包んだ村田さんだ。
ただ一つ、そんな二人のおかしな点を挙げるとすれば──こっちに向かって歩いてくる二人が、何故か恋人繋ぎをしている事だった。
「須藤ー! 雛森ー! 俺達、今日から付き合う事になったから宜しくな〜‼︎」
……絶句した。
え、何であの二人が?
何がどう転んだら新倉と村田さんがお付き合いをする事になるの?
まるでペットと飼い主のような二人が、何故あんなにも自然に手を繋いでいらっしゃるんですかね⁉︎
「……まあ、そういう事ですので。人生、何が起きるか分かりませんね」
「「ほ、本当だね……」」
サヤちゃんと声を揃えて、そう言葉を返すのが精一杯でした。
校門前に集合した僕達は、そのまま会場を目指して歩いていく。
夕暮れ時のこの街には、浴衣や甚平に着替えたカップルや家族連れが多い。田舎がこっちにある人が帰省したり、そのまま地元で暮らしている人が多いからだろう。
会場となる河川敷には、屋台と大勢の人で賑わっていた。
屋台を見ながら途中で買い食いしたり、新倉と村田さんの激しい金魚すくいバトルを見守ったり……そうこうしているうちに、盆踊りが始まった。
何だかんだで、四人で色々と買い込んでしまった。結局四人で空いたスペースに集まって、焼きそばやチョコバナナを口に頬張っているだけの時間を過ごしていたんだけどな。
そして遂に、本日のメインの花火大会が始まった。
腹に響く大きな音と、夏の夜空を鮮やかに彩る大きな花火。
立派な花火が花開くと同時に、会場が歓喜に湧き上がる。
ちらりと横目で見ると、夜空を見上げるサヤちゃんも彼らと同じく、無邪気に花火を楽しんでいるようだった。
すぐ近くには、新倉と村田さんも居る。でも、この騒ぎの中でなら……新倉達にも気付かれずに済むだろうか。
子供の頃からずっと抱えていたこの想いを、彼女に打ち明けてしまっても良いのだろうか?
……言わなくちゃ、何も始まらないよな。
サヨとだって、約束したんだ。
サヤちゃんを幸せにする為に、僕が彼女を守るんだって。
僕は意を決して、隣で花火を見上げている彼女の手を取った。
「須藤、くん……?」
ドクン、と心臓が高鳴った。
ほんの少し彼女と目が合っただけで、こんなにも胸が熱くなる。
「……君に、聞いてほしい事があるんだ」
この胸の高鳴りを、ほんの小さな勇気に変えて。
僕は、大好きな女の子に想いを打ち明けた。
「──、─────!」
花火の音に紛れた僕の告白は、確かにサヤちゃんの耳に届いた。
それを聞いた彼女は、とろけるように幸せな笑みを浮かべて、涙交じりに大きく、大きく頷くのだった。
【END】
賽河原高校の七不思議 雛森沙夜と赤い手帳 由岐 @yuki3dayo
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