第27話 少女の願い

 仮眠室に戻ると、そこには力なく床に座り込んだサヨが居た。

 彼女は廊下から聞こえる僕の足音に気付いていたらしく、苦しげに眉を寄せながら、顔を上げて言う。


「どうして……戻って来たの……? このままワタシを放っておけば、全員無事に逃げ帰れたじゃない……」

「それを理解したうえで、僕はここに戻って来たんだよ」

「……? 言ってる意味が分からないわ」


 あれだけ渦巻いていた黒い力は、すっかり霧散していた。

 サヨが弱っているのも、あの黒い渦が消えたもの、花子様のお札の効力だったんだろうか。

 ふと気が付けば、あれだけ輝いていた真っ赤な月も元通りになっているらしい。奥の窓からは、ここに来たばかりの頃と同じ夜の暗闇と、蝉の声だけが響いている。

 僕は彼女の元まで歩み寄り、警戒するサヨになるべく目線を合わせた。

 土足のまま、床に屈み込む。そうすると、彼女の顔がよく見えた。

 ……細く滑らかな黒髪に、生き写しのように同じ顔。

 二人の『沙夜』がこの怪奇世界で出会ったのは、きっと何か意味のある事だったはずだ。

 多分……サヨの力を増す為の手段以外の、特別な何かが。


「このまま僕達が元の世界に帰っても、君は必ず同じ事を繰り返す。……君からの一方的な愛情を押し付けて、女の子達を家族や友人から引き離す行いを、何度でも。そうだよね?」

「当然でしょう……? そうする事でしか、女の子は……ワタシのような思いをする子を出さない為には、それしかないんだもの……!」


 騙され、嘲笑われ、誰に頼る事も出来ずに、自らの命を絶ったサヨ。

 もしかしたら彼女の言うように、そんな悲しい出来事を食い止めるには、問題の根本から取り除いて予防するしかないのかもしれない。

 そうすれば、サヨのように心を弄ばれる女の子は居なくなるだろう。

 だけど……彼女はその結果、その女の子や周囲の人々に降り掛かる問題に目を向けてはいなかったんだ。


「君のやった事は、君にとっては絶対の正義だったんだろうさ。だけど……突然自分の娘を奪われた家族の事や、その友達の事を考えた事はあったかい?」

「……っ、家族の……こと……」

「実際に会ってみて、分かったんだ。ここに連れて来られた女の子達は、誰もが幸せな日々を過ごしていた。家族や友達に囲まれて、学校に通って、毎日を生きていた」


 それは必ずしも、何の障害も無い平坦な日常ではなかったはずだ。

 けれども彼女達は、誰かに愛されて生きる普通の女の子達だったから。

 僕の言葉に、サヨの瞳が大きく揺れるのが分かった。


「サヨ……君だって、彼女達と何ら変わらない……頑張り屋で母親思いの女の子だったんだ。そして、君のお母さんだって娘を愛していた」

「母さん、は……母さんは、ワタシの為に……あんなにっ……!」


 一人娘のサヨの幸せを願って、彼女の母は無理をしてまでサヨを学校に通わせた。

 真面目で勤勉な娘の努力が、いつか何かの形で実る事を願っての事だったはずだ。そうでなければ、昔の時代に女の子を高校にまで通わせる片親なんて、そんなに多くはなかっただろうから。

 昭和の時代は、今よりももっと若い頃に結婚するのが一般的だったらしい。十代での結婚も、今と比べるとそう珍しくはなかったなんて話を聞いた覚えがある。

 それでもサヨの母は、何かの形で男性不信になって、娘に自分と同じような不幸を知らずに育つ事を願っていたんだろう。

 自分のような辛い思いをさせない為に──サヨの母も、サヨ自身も、その行動原理は同じだったんだ。


「君のお母さんが君を大切にしていたように、サヤちゃんや他の子達だって誰かから愛されて育ってきたはずだ。それがある日突然、高校二年の夏に行方知れずになったとしたら……残された僕達は、大慌てでその行方を探すんだよ」


 じわ……と、少女の両目から滲み、頬を一筋の雫が撫でていく。

 サヨは小さく声を震わせて、すがり付くように僕の両肩を掴んだ。


「わっ、ワタシ……あの子達から、幸せを奪ってしまっていたの……? 自分の知らない内に、ワタシも彼らと同じ最低な事をしてしまっていたというの……⁉︎」


 ぼろぼろと涙を零しながら、サヨは泣きながら僕に問い掛ける。

 肩に触れるその両手は、やっぱり氷のように冷たくて……。

 だけど、震えるその指先が示すものは、生きた人間と全く変わらない感情だった。

 僕は彼女の冷たい指先に、そっと自身の右手を重ね合わせる。ピクッと跳ねた彼女の指を、そのまま丸ごと包み込むようにして。


「……少なくとも僕は、君にサヤちゃんを奪われた事に怒ってるよ。それはきっと、新倉や村田さんだって同じだろう」

「や、やっぱり……」


 だけど、と僕は言葉を続ける。


「君から話を聞いて、どうしてこの学校に『赤い手帳』なんてものが生まれてしまったのか……その理由を知って、君がどうしてもサヤちゃん達を守りたかったのかを知る事が出来た。……それで、思ったんだ。何十年も自分の信念を貫き通してきた君は、次の人生では今度こそ幸せになるべき人なんだって」

「ば、馬鹿言わないで! アナタの言う通りなら、ワタシは……自分の身勝手さのせいで、数え切れない人達を不幸にしてしまった……ただの悪霊だわ!」

「それでも君は──やり方を間違えただけで、その願い自体は間違ってないと思う。だって、誰かの幸せを願うのは当たり前の事だろ?」

「本当に、ワタシは……馬鹿みたいな事をっ……」


 そう言って、サヨは力無く僕の両肩から手を離した。

 彼女は俯きながら、ぽつりぽつりと囁くように、静かな声を漏らす。


「これまでの全てを無かった事に出来れば、ワタシのした事は彼女達に……あの子達の大切な人達に、許してもらえるのかしら……」

「だけど、そんな都合のいい事なんて出来な──」

「出来る、のよ……」


 全てを無かった事に出来る……?

 サヤちゃんが、伊東さんが──他の女の子達がこの世界に閉じ込められていた日々の全てを、無かった事に……?

 だけどサヨは今、それを『出来る』と言い切った。

 本当にそんな事が可能だっていうのなら……何十年も前に消息不明になった女子生徒達は、元通りの人生を送っていた事になる。

 それは願っても無い話だけど……。


「……ワタシの力の根源は、長年語り継がれて肥大化した『賽河原高校の七不思議』そのものが持つ力なの。それを構成する軸となっているのが、このワタシ……七不思議の全ての始まりである『赤い手帳』の元凶。ワタシが消えれば……この世界も、七不思議も……ここで起きた全ての出来事が帳消しになるわ」

「それなら……ここに連れ込まれた女の子達は、どうなるんだ?」

「ワタシの持てる力の限りを尽くして、元の時間に戻してあげられる。勿論、アナタやあのお友達達も一緒ね」


 サヨの話が事実なら、これでこの一連の行方不明事件は解決するはずだ。

 サヤちゃんを含めた八人全員が、『赤い手帳』に関わる前の時間に戻されて、平穏な日常を取り戻せる。


「……でも、それだと君は──」

「……良いのよ、それで。ワタシは、それだけの事をしてしまったんだもの」


 サヨの消滅と引き換えに、僕達は元の生活を取り戻す。

 それは、正しい事のはずなんだ。

 彼女だって、自分の犯した罪を認めて償おうとしてくれている。

 ただ、その対価が『自分の存在』と引き換えだったというだけで……。


 顔を上げたサヨは、これから自分が辿る運命を知っていながらも、笑っていた。


「あのね、ほんの少しだけで良いから……ワタシのワガママ、叶えてもらえるかな?」


 サヤちゃんととてもよく似た、何かを押し殺したような、今にも泣き出しそうな──あの笑顔で。


「あの子を……沙夜ちゃんの幸せを、どうか守ってあげて! 彼女、多分ワタシとよく似て……何でも抱え込んじゃうと思うから」

「……っ、当たり前だよ! サヤちゃんは、僕が──」





【雛森沙夜 四十八日目 残り四分】




 ────────────




 その後、僕は急いで例の合わせ鏡のあるトイレへと駆け込んだ。

 そこには既に皆が集まっていて、一番に僕に気が付いたサヤちゃんが、大きく手を振りながら叫んで言った。


「あっ、須藤くん……! 早く、皆待ってるよ!」

「うん!」


 僕が到着したのを合図に、鏡の前に待機していた女子生徒達を、村田さんが鏡に入るよう促していく。


「さあ皆さん、すぐにここから脱出を!」

「須藤、お前マジで無事なんだよな!? ったく、何で急に須藤も村田ちゃんも単独行動に突っ走ってんだよ〜! 心配するこっちの身にもなれよな‼︎」

「ごめん、新倉」

「今度で良いから、昼飯奢れよな!」


 そんな話をしている間に、他の女子生徒達は全員鏡の向こうに渡っていったらしい。

 サヤの言った通りなら、もう彼女達は元々生きていた時間に戻れているはずだ。

 僕達も早くここを出ないと……怪奇世界の主人を失ったこの場所は、もうじき崩壊してしまうらしいからな。


「須藤先輩達も、早くこちらへ!」

「とりあえず村田ちゃんから行け! 次俺行くから!」

「……分かりました。皆さんも、本当に急いで戻って来て下さいよ?」


 心配そうな顔で念を押した村田さんは、新倉の指示に従って鏡の中に飛び込んでいった。

 覗き込んだ鏡の向こうには、夕方の旧校舎のトイレが見える。けれどもそこに、女子生徒や村田さんの姿は見えない。


「んじゃ、次俺な!」


 さっさと来いよ、と叫んで勢い良く飛び込んでいく新倉。

 残された僕達も二人の後を追うべき……なんだけど。


「……? 須藤くん、皆の所へ戻らないの?」


 その場から動こうとしない僕を不思議に思ったんだろう。サヤちゃんが首を傾げている。

 ここから二人で出る前に、サヤちゃんにはこの場で言っておかなくちゃいけない事があったから。

 僕は眼鏡越しのサヤちゃんの瞳を真っ直ぐに見詰めながら、『彼女』からの伝言を口にした。


「『どうか幸せに生きて』……って、伝えてくれってさ」

「それって……もしかして、あの子が……?」


 頷きながら、僕は最後に見た彼女の笑顔を思い出す。

 他者からの悪意によって歪められてしまった、一人の少女が抱いていた夢。

 その夢はいつしか巨大な悪夢となって、この賽河原高校に根付く七不思議として語り継がれるようになってしまった。

 けれども、その始まりとなった少女の存在と引き換えに、全てを『初めから無かった事』として書き換えようとしている。

 自分の存在を、自分の手で消すだなんて……これでは二度目の自殺だわ、と呟いた彼女の乾いた笑いが耳にこびり付いてしまった。

 しかし、それしか償う術が無いのだとサヨは言っていた。


 ──せめて最後の最後ぐらいは、誰かの役に立っておかなくちゃ。


 彼女は背を向けた僕に、そう言い残して見送ってくれた。

 何の悪意も、何の殺意も無く。

 ただ純粋に誰かの幸せを願う、心優しい少女として。


「……そう、なんだね。あの子が消えたら、全部が元通りになるんだね」

「うん……」

「でも、きっとそれが……サヨにとっての償いで、唯一の救い……なのかも、しれないね」

「……うん」


 全てを、とは言ったって、とっくの昔に死んでしまったサヨが生き返る事なんて出来ない。

 死者が蘇る事はない。

 出来たとしても、別の人間として生まれ変わるのが限度だと、彼女は言っていた。

 でも、そうであったとしてもだ。


「だけど、またいつか……」

「何か別の形で、あの子と友達になれたら良いよな」


 だって僕達は、同じ学校の生徒同士だったんだ。

 出会いが違っていれば、きっと……なんて思うのは、これこそ都合の良い願いなんだろうか。


 そして今度こそ、僕達は一緒に合わせ鏡の中に飛び込んでいった。

 サヤちゃんと二人で、決してその手を離してしまわないように──。




【雛森沙夜 怪奇世界より脱出】

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