第26話 約束
全てを語り終えたサヨは、怒りも悲しみも無い、能面のような顔をしていた。
そうして、ぽつりと僕らに呟いた。
「……ワタシが死んだ事で、あの男の子達がどうなったかは知らないわ。だけど、ワタシのやった事に意味はあったはずなのよ」
「意味……?」
サヨの口から出た言葉を、思わず僕も繰り返す。
すると彼女は、少しだけ眉根を寄せてサヤちゃんの方に視線を移した。
「今でもワタシの胸の内にあるのは、全ての女の子達の幸せを願う心と、彼らのような男の子達への強い憎しみの念……。ワタシの世界に連れ込めば、女の子達は永遠に可愛く綺麗なまま、ワタシの愛を受けて幸せに生き続けられるの。まるで、お姫様のお人形みたいにね」
けれども、サヨが死して得た悪霊としての力には『ある制限』があったらしい。
「アナタ達も気付いていたでしょう? ここへ来させる為のトリガーとなるのは、ワタシが書き残した手帳……今では『赤い手帳』と呼ばれる、七不思議の一つだわ」
「それをわたしが拾ってしまったから、わたしは急にこの世界に連れ込まれて……」
でも、その話にはおかしな点がある。
サヨが男子生徒達に理不尽な仕打ちを受けて、その場から屋上に直行して間も無く飛び降りたのなら……。
「待ってくれ! 確か僕が聞いた話だと、その手帳には君が書いた怒りの言葉がこれでもかと刻まれていたはずだ。だけど、さっきの君の話が事実だとしたら……君は屋上から飛び降りるまでの間に、それだけの量の文字を書き殴っていたのか?」
「ワタシが書いたのは本当よ。だけど……」
僕の質問に、サヨはニタリと口角を上げて言う。
「それは、ワタシが死んでから書いたものよ」
「死んでから……って、そんな事が出来るのか……⁉︎」
彼女のとんでもない発言に驚きを隠せない僕達に、サヨは心底愉快そうに笑いながら語り出す。
サヨはどこから取り出したのか、見た事もない真っ赤な手帳を手にして見せ付けてきた。
「これね、本物はとっくの昔に無くなってるの。だってもう、何十年も前の物なのよ? なのに今、その手帳はワタシの手の中にある……。何故だと思う?」
何故、遠い昔に失われたはずの手帳がここにあるのか。
そんなの、深く考えなくたって分かるさ。
本来ならばあり得ないはずのものが実在する──それをもう、僕達は嫌という程体感しているんだから。
「……この怪奇世界の旧校舎と同じように、君が生み出した呪いの産物じゃないのか? 永遠に続く夜の世界。激しく輝く、真っ赤な血のような月……失われたはずの赤い手帳。君ほどの力を持つ霊であれば、記憶の中にあるものを再現する事だって出来てしまう。……違うかな?」
「あははっ、よく分かってるのねアナタ! 流石にここまで生き延びた部外者は違うわね。そうよ、アナタの言う通り!」
校舎の屋上から飛び降りたサヨは、気が付けば真っ暗な闇の中に居たという。
その闇の中であっても、彼女は自信の願いと怨念を抱いたまま、存在し続けた。それこそ、気の遠くなるような永遠の闇の中で……。
そしてある時、誰かの声が闇の奥から響いてきた。
──君の想いは強く、終わらぬ闇の中であっても揺るがない尊い力だ。
──ならば、その力は正しく活かされるべきである。
──私であれば、君の中に眠る力を引き出せる。今こそ、世界をあるべき姿に戻す時だ。
「時を経た今となっては、どんな声だったかも思い出せないけれど……それでも、その声はワタシにそう告げたわ。その瞬間、ワタシの中に大きな力が渦巻くのを感じて……力を解放したら、この旧校舎が生まれたの」
「あなたの力で……こんな世界を生み出せてしまったのね。激しい憎しみと、歪んだ願いの力だけで……」
「歪んでる……? 世界中の女の子達の幸せを願う事が、本当に間違っているなんて言えるのかしら?」
「そ、それはっ……!」
サヨへの反論に詰まったサヤちゃん。
すかさず僕は、サヤちゃんの代わりに真っ直ぐ言葉を返す。
「君からだけの一方的な愛情を受ける事が、本当に幸せな事だと思うのか? 僕は、そうは思わない」
「……でも、あと一歩でその願いは果たされるわ。彼女を……サヤちゃんをワタシの愛で満たしきれば、ワタシは今以上の力を手に入れられるのよ!」
そう叫んだサヨは、獲物を狙うような目でサヤちゃんを見ている。
僕はその視界から覆い隠すように、サヤちゃんを背後に庇ってサヨを睨み付けた。
そんな僕の行動に不快感を覚えたサヨは、混じりっけのない憎しみを込めた眼を僕に向けている。
「……今のワタシには、『賽河原高校の二年生の女の子』……それも、『恋に目覚めかけている』子にしか能力が及ばない。だけど、ワタシと外見も内面もよく似た女の子をこの世界に取り込む事さえ出来れば……ワタシの力は、その
「うわっ!」
「きゃあっ!」
ブワッ……なんて生易しいものじゃない。
その場に立っている事すら困難な程の突風のような、どす黒い力が僕達を吹き飛ばした。
後ろに倒れ込む時、とっさにサヤちゃんを庇うように振り向きながら腕で抱き寄せた……けど、そのせいで思いっきり左腕を床に打ち付けてしまった。
サヤちゃんを受け止めた負担もあるんだろうけど……頭に顔を歪ませながら確かめた限りは、彼女のダメージを軽減出来たらしい。彼女が床に頭をぶつける、なんて事にはならなかったようで何よりだ。
ただただ、僕の片腕が犠牲になっただけの事だ。サヤちゃんが無事なら、安いもんだよ。
しかし、それで状況が好転した訳でもない。
僕達を吹き飛ばした力の元凶──サヨは黒い風のようなものを纏って長い髪を揺らしながら、今にも僕を殺さんという勢いで僕を見下ろしている。
「アナタさえ……アナタさえ消してしまえば、サヤちゃんは誰にも奪われずに済むのよ! アナタを殺して、ワタシは理想の世界を外にまで拡げてやるわ‼︎ 今度こそ‼︎」
僕への怒りと焦りとが、サヨの力を更に引き出しているように見えた。
彼女を取り巻く黒い力の渦が、高く掲げた細い指先に寄り集まっていく。
それはテニスボールぐらいの大きさから、徐々にサイズを増していき……これを喰らえば、僕の存在なんて丸ごと消し飛ぶんじゃないかと思うぐらい、強烈な殺意と怨念が込められた塊になっていた。
「ワタシと、世界の為に……死んで頂戴ッ‼︎」
「ダメッ! ここから逃げて、カズキくんっ‼︎」
サヤちゃんとサヨの叫びが重なった──その時。
「悪霊っ、退散……‼︎」
「ぐああぁっ……⁉︎」
サヨの背後から、聞き覚えのある声と。
バリバリと激しく散る火花のような電流に、既視感があった。いや……これまで以上の激しさだ。
あの音と反応は、花子様のお札を使った時に現れる独特のもの。
彼女が持たせてくれた三枚のお札のうち、三階の小部屋には新倉の、この仮眠室に入る為に僕のお札を消費した。
残る最後のお札を持っていて、僕達の向かった先を知る人物といえば──
「雛森先輩を、お前のような化け物になんてくれてやるものですか……!」
「うっ、ぐぁぁっ……」
開け放たれたままだった仮眠室の扉の向こうに、彼女が──村田さんと新倉の姿があった。
村田さんがサヨの背中に押し付けたであろうお札は、既に彼女の手から消滅していた。多分、今の激しい音と共に跡形も無くなってしまったんだろう。
それでも、村田さんは全くの無傷だった訳じゃなかった。
禍々しい力を纏ったサヨの背中に、お札を押し当て続けていたせいだろう。村田さんの右手から膝にかけて、火傷のように皮膚がただれてしまっていた。
そしてサヨはというと、背後から不意打ちを食らった影響で、ガクリと床に両膝をついて倒れている。
今ならここから逃げ出して、教室で待っている伊東さん達を連れてトイレまで行けるはずだ。
「先輩方、今の内にここから脱出を!」
「それより響子ちゃん、腕が……!」
「良いんです、多少の犠牲は覚悟の上です。私の心配より、全員での脱出を優先して下さい!」
「村田ちゃん、こんな無茶しやがって……! 俺が、もっと早く止めてりゃ……」
村田さんの腕が負傷してしまったのは、彼女と一緒に居たはずの新倉もかなり気にしているらしい。
向こうで何があったのかは分からないけど、何らかの事情で飛び出して行ってしまった村田さんを、新倉は引き止めきれなかったんだと思う。
サヨの力に、花子様の力が対抗した……その反動に村田さんが巻き込まれた事を、きっと新倉は激しく後悔している。
新倉は、何かというと身体を張る場面で引き受けたがる
僕はただ単に、新倉が元運動部だから何でも安請け合いしてたんだとばかり思ってた。だけど……あの顔を見れば、分かる。
あいつは、自分以外の誰かが傷付くところを見たくなかったんだ。
自分が怪我のせいで野球の道を断念せざるを得なかった分、誰かがそんな風に何かを犠牲にして、一生後悔してしまうのを防ぐ為に……。
「カズキくん、今の内に……!」
先に床から立ち上がったサヤちゃんが、僕の腕を掴んで引き上げようとしている。
彼女に従って腰を上げて、そのまま二人で廊下に飛び出して……。
……でも。
これで本当に、全てが解決するのか?
そんな疑問が、胸の奥底から湧き上がって止まらない。
新倉が、床に倒れこんだままの女子生徒を担いで歩き出す。
村田さんが、僕とサヤちゃんを先導して空き教室まで走っていく。
そしてサヨは……苦しそうに呻き声を上げたまま、仮眠室に取り残されたまま。
このまま、この世界から脱出したとして。
怪奇世界は。
夜のままの旧校舎は。
賽河原高校の七不思議は。
赤い手帳は。
……サヨは、このままこの世界に留まり続けるだけなのか?
「……それじゃあ、あまりにも卑怯だよな」
「カズ……須藤くん? どうしたの……?」
急に立ち止まった僕を、サヤちゃんが不安げに見詰めている。
僕は困ったように笑いながら、彼女に背中を向けた。
「……ごめん。先に行っててもらえるかな」
「ど、どうして……? 早くしないと、またサヨがわたし達を襲ってくるかもしれない。皆で合わせ鏡の所に急がないと……!」
「分かってるよ。……でも、やり残した事が残ってる」
「やり残した事……? それって──」
来た道を引き返しながら、告げる。
「全ての女の子が幸せにならなくちゃいけないなら……まだ一人、この世界には救わなくちゃならない女の子が残ってるからさ」
「須藤、くん……」
そうでなくちゃ、彼女は──サヨは、この先も救われないし、報われない。
ただひたむきに頑張っていた、真面目で努力家な普通の女の子だったサヨ。
幼馴染のサヤちゃんと瓜二つの彼女が生み出した世界に、僕達がやって来た事の意味があるとするのなら。
「……わたしっ、待ってるから! 絶対に、皆で一緒に元の世界に帰ろう! 約束だよ、カズキくん‼︎」
泣き出しそうな彼女の声に、何故だか自然と頬が緩むのを感じた。
分かってるよ、サヤちゃん。約束だ。
幼い頃に、皆でかくれんぼをした時の事が脳裏に浮かぶ。
例え君がどこに居ても……今も昔も僕は必ず、君と一緒に帰るから。
……だからこれは、ずっと昔から決められていた、君と僕との約束なんだから。
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