第25話 夢

 ワタシは、真面目すぎる程に真面目だった。

 だからワタシは……初めから、こうなってしまう運命だったんだと思う。



 あれはもう、今となっては遠い昔。

 母はワタシを学校へ行かせる為に、かなり無茶をしてお金を捻出してくれていた。

 その努力と期待を裏切ってはいけないからと……そんな事は絶対に許されないからと、毎日必死に机にかじりついた。


 ──女のくせに、そんなに勉強して何になる?


 ──将来お嫁に出たら、どれだけ良い学校を出たって意味無いのにね。


 そんな言葉を跳ね除けて、ワタシはがむしゃらに知識を頭に叩き込み、それを組み立てていく術を学んでいった。

 ワタシがこんなに必死になっているのは、自分を学校に行かせてくれた母の為。

 女の子だって、馬鹿なままじゃ悪い男に騙される。一人でだって立派に生きていけるようにならないと──そんな母の言葉を、幼い頃からずっと言い聞かされて育ってきた。

 暇さえあれば借りた本を読んで、休みの日だって家でずっと勉強していた。

 そんなワタシに、友達を作っているような時間なんて存在しなかった。


 当時、地元で唯一の高校だった賽河原。

 そこで二年生に進級した、ある日の事だった。


「沙夜さん……どうか僕と、お付き合いをして下さい……?」


 いつものように登校した朝、机の中に入っていた手紙。

 書かれていた内容から、それは多分恋文というものなんだろうと察した。

 小説の中で読んだような出来事が、まさか自分の身に起きるだなんて思ってもみなかった。

 ワタシは何の面白みもない、勉強だけが取り柄の地味な女の子だ。

 それなのに、この恋文を書いてくれた男の子は、そんなワタシに恋心を抱いたらしい。

 とんでもない物好きもいるのね……そう思うと同時に、頬がカァッと熱くなる。

 他の同級生達に気付かれないうちに、恋文を通学鞄へとサッと隠した。

 にわかには信じられない事だった。だけど……家に帰って何度その手紙を読み返してみても、最初に読んだ時と内容は変わらなかった。


 ──どうか僕と、お付き合いをして下さい。


 母にも手紙の事を勘付かれないように、部屋の隅でそっと手紙に目を落として、深く息を吐き出す。


「……本当に、こんな事ってあるものなのね」


 心が躍る、というのはまさにこの事だろう。

 試験で満点を取った時よりも、雨上がりの空に虹を見付けたあの日よりも、ずっとずっと気持ちが高ぶっているのが分かった。

 家族以外の誰かから、一人の女の子として必要とされている──その実感は、ワタシの人生でこれ以上無い幸福感を与えている。

 そして、その恋文の最後には、「もしあなたが僕を良いと思ってくれるなら、明日の早朝に校舎の裏まで来て下さい。あなたが来て下さるのを、待っています」と。


「あまり話した事の無かった男の子だけど……こんなに丁寧な手紙を書く人だとは思わなかったわ」


 恋文の差出人は、同じ組の男子生徒だった。

 真面目さしか取り柄のないワタシと違って、彼はいつも皆の中心に居るような人物で……ワタシなんかとは、釣り合いそうにも思えない。

 彼は他の学年の女生徒からもハンサムだと言われて、ちょっと視線が合っただけでも、あちらこちらから黄色い声が上がるような人だ。

 でも……そんな彼が、ワタシを想ってくれるというのなら。




 けれど……そんな素直な気持ちを抱いてしまった、ワタシが愚かだったわ。




 翌朝。手紙にあった待ち合わせ場所の校舎裏に行くと、彼が待っていた。

 ただ、彼だけじゃなく……普段彼と交流のある友人達が、校舎裏の木々の影からぞろぞろと姿を現した。ニヤニヤとした表情でこっちを見ている事に、嫌な予感を覚える。


「まさか、本当に来るなんてな」

「え……?」


 彼らはワタシを囲む。四方八方から、クスクスと笑みを零している。

 ……胸が、ギュウッと痛むような気がした。


「僕が本気で君なんかを相手にすると思ったの? そうでなきゃ、真面目で堅物なところしか取り柄のない女が、こんな朝早くからノコノコやって来るはずもないか!」

「……っ、ワタシを……騙したの……?」


 そう言って、彼は……彼らは、ショックを受けたワタシの顔を見て、ゲラゲラと笑う。

 女の子の気持ちを弄んで、仲間内で優越感に浸って馬鹿笑いして……。彼がそんな事に喜びを見出すような人だったなんて、微塵みじんも知らなかった。

 だけど……大して話した事もなかったような相手を簡単に信じてしまった、そんなワタシの方が遥かに馬鹿だ。


 勉強しないと、悪い男に騙される──母は確かにそう言っていたけれど、それでもワタシは彼らに騙されてしまった。

 ワタシの幸せを願ってくれる母への恩返しの為にと、遊びも青春も放り出して、何かに取り憑かれたかのように勉強に明け暮れていた日々。

 そんな日常を過ごしていたのが、いけなかったのかしら……。

 彼の単純な手口にはめられて、生まれて初めて恋人が出来るかもしれないと、無邪気に舞い上がった。その結果が、このザマだ。



 女の子は誰だって、物語に描かれるような素晴らしい恋をして、幸せになるべきだ。

 読書家の祖父の家で、そんな小説を読んだ。

 今でもその物語は記憶に焼き付けられていて、いつかワタシもそんな素敵な恋をして、幸せになれるのではないかと思っていた。


 ……でも、違った。

 ワタシに突き付けられた現実は、自分に初めて芽生えた感情を大勢に踏みにじられるという、最悪の結末だったの。

 ついさっきまで胸にあった暖かな気持ちは、真冬の海よりも激しく凍り付いていた。


 嘘の恋文をしたためて、女の子を騙して、複数人で囲んで馬鹿にする。

 きっと彼らは……ワタシ以外の女の子達も、こうして騙してきたはずだ。

 あの手紙には、特におかしな部分は無かった。待ち合わせ場所も人目につかない所を選んでいて、準備が良すぎるように感じる。

 彼らは、ワタシ達の学年では人望がある。一人も友達が居ないワタシなんかより、皆はきっと彼らの言葉を信じるだろう。


「あっ、こいつメソメソ泣いてやがるぞ!」

「あーあー、可愛い顔が台無しだぜ〜?」

「誰が泣かせてるってんだよ、アッハハハハ!」


 ……勿論、母になんて相談出来るはずもない。

 こんな情け無い姿、見せられるはずがないじゃない……!


 流れる涙を、セーラー服の袖で拭う。

 止まらない。

 止められない。

 悔しい。彼らが死ぬ程憎たらしい。

 そして何より、女の子の恋心を踏み躙る彼らを、どうしても許せなかった。


 ワタシは彼らへの怒りを原動力にして、自分を取り囲んでいた輪から飛び出した。

 急に突き飛ばされたせいだろう。男子の一人が、受け身も取れずに尻もちをついた音が背後でした。


「おい、待て!」


 そんな怒声が飛んで来たけれど、構わず駆け抜ける。

 一秒だってこの場に居たくない。

 けれども、彼らには相応の罰を与えなければ──。

 そんな二つの感情が、胸の中で渦を巻いていた。




 ふと気が付けば、ワタシは屋上に立っていた。

 本来なら施錠されているはずだったそこは、その日は偶然にも鍵をかけ忘れられていたらしい。

 激情に身を任せて、階段を一気に駆け上がってきた。

 少し陽が上がってきた屋上から見下ろす景色に、何の感想も抱けない。

 空は、どこまでも晴れ渡っていた。

 頭上を照らす太陽が、やけに不快に思えた。

 ただ……。


 ここから飛び降りてしまえば、彼らはどんな風に思うのだろう?


 ワタシがここから落ちて死ねば、きっと理由を探られる。

 その原因となったのが彼らだと知られれば、あの少年達の未来はどうなるか。


「……これは、賭けだわ」


 人生最大の、大博打。

 ワタシ一人の力では、やれる事にも限度がある。

 けれど、人ひとりの命は重い。

 その重さを武器にして、ワタシは彼らに罰を与えよう。

 眼下には、校舎のある山を登って来る生徒達の姿が見える。



「さあ……アナタ達のせいで、これから一つの尊い命が失われるわ」


 生徒の一人が、こちらを指差している。


「ねえ、あそこ……誰か居ない?」

「本当だ……」

「あの子、何で屋上なんかに……?」


 次々に注がれる視線が、何故だかとても心地良く思えた。

 あの生徒達が見届けてくれるのなら──きっと、上手くいく。そんな核心じみた予感があった。


「ワタシは……もう、ワタシのような思いをする女の子を生み出させない。女の子は皆、幸せになるべきよ。もし、そうならないのなら……」


 幸せになるはずだった女の子を……お姫様のように愛されるべき子達を、ワタシの手で守らなければならないから。


 ワタシは屋上の柵に身を乗り出して、乗り越える。

 あと一歩でも踏み出せば、この身体は重力に従って、地面に真っ逆さま。

 ……それで良い。

 ワタシには、これ以上この世で生きていく自信が無いんだもの。

 だから、こんな馬鹿真面目な女の命一つで出来る事を、やり遂げてみせたいのよ。


「おい、あの子あこそから飛び降りるつもりなんじゃないか⁉︎」

「先生は何やってるの⁉︎ 早く止めなきゃ死んじゃうよ!」


 思い切り息を吸い込んで、ワタシは叫ぶ。

 あの子達に聞こえるように。ワタシを騙した彼らの耳にも、届くようにと。


「ワタシは、ここから飛び降りて死ぬわ! この命を使って、賽河原高校に未来永劫えいごうの呪いと守護を与えてやる‼︎」


 あの少年達に──全ての女の子を不幸せにする者達を呪う。

 ワタシはか弱い女の子を……お姫様になるべき少女を、この手で鳥籠に閉じ込めるの。

 そうすれば、絶対に傷付く事はないんだから。

 危険な外の世界から、徹底的に隔離するのよ。

 例え何年、何十年かかったって構わない。

 だって、こんな辛い思いをするのは、ワタシで最後にしなければならないから。

 その為なら、憎まれ役にだってなるわ。

 恋なんて知らずに、ずっとワタシからの愛情だけを注がれていれば幸せでしょう?

 だって、愛には色んな形があるんですもの。良いでしょう? そうすれば、皆が平等に幸せになれるんだから!










 そうしてワタシは、新たな夢への一歩を踏み出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る