最初で最後の悪口を
澤田慎梧
最初で最後の悪口を
――姉さんは私の憧れだった。
勉強も運動も得意で、中学でも高校でも生徒会長を務めて、いつも皆の中心にいた、太陽のような人。それが私の姉さん。
それに引き換え、双子の妹である私はどんくさいし頭も悪い。内気で友達も少なくて、よく男の子達にいじめられていた。中学までは、毎日のように姉さんに助けてもらっていた始末だ。
『まったく。いつも私が助けてあげられるわけじゃ、ないんだからね?』
それが姉さんのいつもの口癖。
嫌味なんて無くて、ちょっと困った――でも少しだけ嬉しそうな表情で、私の頭をなでながらつぶやいていた、優しい言葉。
――結局、別々の高校へ進学しても、大学生になっても、私は姉さんに助けられてばかりだった。
ようやく姉さんの手を煩わせることがなくなったのは、社会人になってから。……と言っても、ただ単に姉さんも忙しくなって、私にかまえる時間がなくなっただけなんだけど。
私はほんの少しの寂しさを覚えながらも、ようやく姉さんに迷惑をかけずに済む、とホッとしていた。頑張って、これからは姉さんに恩返ししようなんて、大それたことも考えていた。
――それなのに。それなのに、酷いよ姉さん。こんなに早く死んでしまうだなんて……。
***
「イタタタタタ……足、しびれた~」
お寺の境内の片隅で、すっかりしびれた足をもみほぐしながら、そんな独り言を漏らす。
もし姉さんが傍にいたら、「
――今日は、その姉さんの一周忌の法要だった。
集まったのはほぼ近親だけ。おじいちゃん、おばあちゃん。お父さんにお母さん。おじさんおばさんとイトコ達。それと――
「お疲れ様、咲耶ちゃん。足、大丈夫?」
「――あっ、う、うん! 大丈夫だいじょーぶ!」
私に優しく声をかけてくれた、このイケメン。亡くなった姉の夫だった、
姉さんと私とは、小学校からの付き合いである、いわゆる幼馴染だった。
仁希くんが姉さん――
……私は仁希くんに少し憧れていた時期があったので、ちょっとだけ残念に思ったのは、ここだけの秘密。
でも、姉さんと仁希くんの幸せな結婚生活は、二年ほどで終止符を打つことになった。
姉さんが……不治の病に侵されてしまったのだ。
「美智留がいなくなって、もう一年も経つだなんて……信じられないな」
ポツリと呟いた仁希くんに、私は言葉を返すことが出来なかった。
亡くなる直前の姉さんは、別人のように痩せ細って、言葉もうまく出ないような状態だった。仁希くんはそれを、私の母と協力して必死に看病し、世話をしたのだ。一言では言い表せないような苦労があったはずだった。
本当なら、私も姉さんの看病を手伝いたかった。でも、当の姉さんが固辞したのだという。
曰く、「誰にだって見栄を張りたい人間が、一人はいるのよ。私にとっては、咲耶がそうなの」だそうだ。
「水臭い」と当時は思ったけれども、姉さんが亡くなってしばらく経ってからは、少し考えが変わっていた。
姉さんは私の憧れ――太陽だった。大人になってもそれは変わらなかった。姉さんは、そのことをよく理解していたのだと思う。
憧れが……太陽が朽ちていく姿を、私に見せたくなかったのだろう。今は、そう思っている。
***
一周忌の法要から数日経った、ある日のことだった。
我が家の郵便受けに、私宛の手紙が届いていた。
「……誰からだろう?」
白い封筒の裏には、差出人の名前がなかった。宛名もプリンターで印字されたものだ。
不信感を覚えながらも封を開け、中に入っていた手紙を読み始めて――私は思わず叫んでいた。
「これ……姉さんからの手紙!?」
――そう。青い便せんには、見覚えのある達筆で、私宛のメッセージが書いてあったのだ。間違いなく、姉さんの字だ。私が見間違えるはずがない。
『咲耶へ。
この手紙が届いているということは、私が死んでもう一年経っているのだと思います。
元気してる?
こっちはぼちぼち。極楽極楽ってなもんよ! しらんけど。
実は、あなた達に頼みたい事があって、手紙をしたためました。
URLはこちら!↓ パスワードは仁希に送ったから、よろしく!
かしこ』
「……え? 何、これ……?」
姉さんからの手紙のあまりの怪文書ぶりに、思わず言葉を失う。
手紙の末尾には、何やらWebアドレスが書いてあったけれども、果たしてアクセスしていいものやら……。
それに、手紙には『パスワードを仁希に送った』とも書いてある。
仁希くんの所にも、同じような手紙が届いているということか……?
混乱する頭をフル回転させながら、私はまず、仁希くんに一報を入れることにした――。
***
――週末。
私は近場のカフェで、仁希くんと落ち合っていた。言うまでもなく、例の「姉さんからの手紙」について話す為だ。やはり仁希くんのもとにも、例の手紙は届いていたのだ。
仁希くんによれば、郵便物を預かって、死後に投函してくれるサービスがあるらしい。どうやら姉さんはそれを利用したようだった。
「まずは、このURLにアクセスしてみよう」
「だね」
うなずきながら、スマホのブラウザにアドレスを打ち込む。
すると……ややあって、「パスワードを入れてね♪」と書かれた入力欄だけのWebサイトが表示された。
早速その入力欄に、仁希くんのもとに届いた手紙に書いてあったパスワードを入力してみる。
……英数字だけのやけに長い意味不明な文字列なので、一文字一文字確かめつつ入れていく。そして――。
「最後は『AsR』……っと。これでOKかな? じゃあ、決定キーを押すね?」
私の問いかけに、仁希くんが無言でうなずく。
その瞳に見守られながら、私はスマホのキーボードの「決定」ボタンをそっと押した。
すると――。
「あ、画面が切り替わったね……。これは……美智留から僕らへのメッセージ、かな? なになに……」
言いながら、私のスマホの画面を見るために、ずいっと身を寄せてくる仁希くん。
……息がかかりそうな距離感に、ほんの少しだけ心臓がドクンと波打った。
「えーと、『咲耶に仁希へ。回りくどい手を使ってごめん。実は、他の人には内緒で二人にやってほしいことがあるんだ』だってさ。……あれ? またパスワードを入れる所が出てきたぞ?」
仁希くんの言う通り、メッセージの下にはまた「パスワードを入れて下さい」と書かれた入力欄が姿を現していた。
先ほどと違ったのは、その入力欄の下に「ヒント:私と咲耶が好きなケーキ」と書かれている点だ。
……これ、クイズ、かな?
「咲耶ちゃん。これ、答え分かる?」
「……うん。多分、だけど……『バスクチーズケーキ』っと。あ、やっぱりそうだったみたい」
入力欄に「バスクチーズケーキ」と入れて決定すると、またブラウザの画面が切り替わった。今度は……どこかの地図が表示されている。
ご丁寧に「地図アプリを開くにはこちら!」というリンクまで出てきた。
そして、地図画像の下には、姉さんからのこんなメッセージと何かの番号が添えられていた。
『二人には、私の心残りを片付けるのを、手伝ってもらいたいんだ。他の人には知られないように、こっそりと。
まずは、地図で指定した場所に行ってほしい。そこに、二人にしか分からないクイズを用意してあるから、次のメッセージはそのクイズを解いて確認してみてね! かしこ』
***
――そこから、ちょっとした冒険が始まった。
電車を乗り継いで地図で指定された場所へ行くと、そこはいわゆるトランクルーム。メッセージと一緒に書いてあった番号は、そこの部屋番号だった。どうやらその部屋に、何か預けてあるらしい。
「鍵はどこだろう?」と思ったけど、そのトランクルームは、登録した電話番号から指定の番号へ電話をかけると、部屋の鍵が開く仕組みになっていた。試しに私のスマホから電話をかけてみると、あっさり鍵が開いた。
――部屋の中には、宝石箱みたいな箱が、ぽつんと置いてあるだけだった。
鍵はかかっていない。中を見てみると、そこにはQRコードが印刷された紙が一枚入っていた。
「これ、読み取れってことかね?」
「多分……」
狐につままれたような顔になりながら、仁希くんと二人でそのQRコードをスマホに読み込ませると……また姉さんからのメッセージとパスワード入力欄、そして「クイズ」が書かれた、先程と同じようなWebサイトが表示された。
今度のクイズは「仁希くんの好物は?」だった(ちなみに「チキンカレー」だそうだ)。
そのクイズに答えると、また新たな地図が表示された。
――その時点で、私も仁希くんも「まさか」という嫌な予感を隠せなくなっていた。そして、その予感は的中した。
次の地図を頼りに辿り着いた場所も、やっぱり似たようなトランクルームだったのだ……。
――そのまま、同じようなことを五回……いや、六回ほどは繰り返しただろうか?
既に日は落ち、夜の
「こ、今度こそ最後……かな?」
「心底そう願うよ……」
私も仁希くんもへとへとになりながらも、律儀に姉さんの指示に従って、また新たなトランクルームへとやって来ていた。
……というか、これだけのトランクルームを一年以上も維持する費用を、姉さんはどこから調達したのだろうか? それに何より、離れた場所にある各部屋にQRコードを残していくだなんて、闘病生活を送っていた姉さんに出来たとは思えない。
これにも業者を使ったのだろうか……?
でもそれだと、「他の人には内緒で」という姉さんの依頼内容と矛盾する……。
「……咲耶ちゃん?」
「あ、ごめんなさい! ちょっと考え事をしてました……」
「無理もないよ。これだけ振り回されれば、ね。美智留のやつ、一体何を考えていたんだか……」
仁希くんの顔にも、深い疲れの色が出ていた。
体力的なものもあるだろうけど、何より、死んだ妻の奇行に振り回されているようなものなので、精神的な疲労の方が強いのかもしれない。
……しかし、姉さんは私達に何をさせたいのだろうか?
「心残りの片付け」とやらは、一体何のことを指すのだろうか? 私には未だにその片鱗も窺えない。
分かった事と言えば、仁希くんの好みくらいのものだ――というのも、「クイズ」の殆どが私や仁希くんの好物だとか好きな映画だとか、そういった物を答えるようになっていたのだ。後半は二つも三つも答えを要求されて……まあ、色々と大変だった。
けれども、そのおかげというかなんというか、今日一日でお互いの好みを随分と把握できたんじゃなかろうか?
――今回の部屋の中にも、同じような宝石箱が鎮座していた。
またQRコードが出てくるのだろうか?
「じゃあ、開けますね?」
仁希くんに一言断ってから、今度は私が箱を開けてみる。
すると、中から出てきたのはQRコード……ではなく、一通の封筒だった。
***
「これは……手紙、かな?」
「みたいですね。……開けてみますね」
仁希くんと顔を見合わせながら、封筒の封を破る。すると、中から例の青い便せんが姿を現した。なんだか久しぶりに見たように感じる、姉さんの直筆の手紙だ。
私と仁希くんは、肩を寄せ合うようにしながら、その手紙に目を落とした。そこには、こんなことが書かれていた。
『ふたりとも、お疲れ様。
ここまで私のわがままに付き合ってくれて、ありがとう。この手紙が最後です。
……今日は二人にとって、どんな一日になったかな?
死んだ人間のおかしな依頼に振り回された、散々な一日だった?
それとも、今までお互いに知らなかった沢山の事を知って、親睦を深めあった一日になった?
――出来れば、後者であることを願いたいなぁ』
……? 姉さんは、一体何を言っているのだろう?
思わず仁希くんと顔を見合わせながら、手紙の続きに目を落とす。
『咲耶。あんたにはもう少し、顔を上げて生きていってほしいな。せっかく可愛く生まれたんだからさ。下ばっかり向いてちゃ、もったいないよ?
こういうことを言うと、あんたは「そんなことない」って否定するかもしれないけど……ちっちゃい頃にあんたをイジメてた男子って、皆あんたのことが好きだったのよ? あんたが可愛いからイジメてたの。
本当、男子ってガキよねー(笑)。
あ、でも仁希はそういう男じゃないから安心して!』
……なんでここで突然、仁希くんの名前が出てくるのだろう?
『仁希。……まずはごめんなさい。咲耶も。
私ね、仁希が最初に好きになったのは、咲耶の方だったってこと、知ってたの。咲耶が仁希のこと好きだったことも。
気付いた上で、それでも仁希に愛してもらいたくて、振り向いてほしくて、必死に口説き落としたの。私、ズルい女だったんだ』
――頭が真っ白になった。姉さんは、一体何を言っているのだろう?
仁希くんが、私のことを好きだった?
姉さんは、私が仁希くんに憧れてたことを、知っていた?
……仁希くんの様子を窺いたかったけれども、私の目線も首も、全く動いてくれない。彼の表情を確かめるのが、怖い。
『そうまでして仁希に振り向いてもらったのに……こんなに早く死んじゃって、本当にごめんなさい。私、最低だよね? いい奥さんでも、いいお姉さんでもなかった。
だからね? もし二人さえ良ければ……こんな最低女のことなんか、すっぱりきっぱり忘れて、二人で新しい人生を――』
――そこまで読んで、私は衝動的に便せんを握りつぶしていた。
うまく言葉に出来ないけれども、この先の内容は仁希くんには決して見せてはいけない気がしたのだ。
でも……それは一歩遅かったらしい。
傍らから、押し殺した息遣いが聞こえてくる。……見れば、仁希くんは泣いていた。肩を震わせて、悲痛な表情を浮かべながら。
その表情は、「亡き妻からのメッセージに感動してむせび泣いている男」のものではない。どちらかと言えば……「妻に見捨てられて悲嘆に暮れる男」のそれに見えた。
姉さんからの手紙には、「仁希くんが最初は咲耶を好きだった」と書いてあった。
けれども、小さな頃から姉さんと仁希くんを見てきた私だから断言できる。それはまったくありえない。仁希くんは、ずっと姉さんだけを見てきた。
「振り向いてほしくて必死に口説き落とした」のは、むしろ仁希くんの方のはずだ。――彼が私の方を見ていたことなど、一度だってない。
私が仁希くんから、「美智留の気を引くためにはどうしたらいいか」なんて、ストレートな相談をされたことも、一度や二度じゃないのだ……。
――姉さんのこの手紙は、仁希くんのそんな一途な愛を否定するものだ。
姉さんだけを見てきた仁希くんの想いが、本当の意味では姉さんに届いてなかったことの証拠とも言える。
だからきっと、仁希くんが泣いているのは……。
……私も、泣きたい気持ちだった。
確かに、仁希くんにはずっと憧れていた。今だって、好意自体はある。でもそれは、あくまでも義兄として、身近な男性としての彼に向けた好意だ。
淡い恋愛感情なんて、とっくの昔にケリを付けている。言ってみれば、とっくの昔に塞がった古傷だった。
――それを今更ほじくり返されたって、痛みしか感じない。
「……仁希くん。きっとこの手紙、姉さんは闘病中の錯乱した頭で書いたんだよ」
――姉さんの闘病生活は、それは過酷なものだったらしい。一番酷い時には、錯乱してよく分からないことを言って、仁希くんや母を困らせたという。
だからきっと、この手紙も……。
「こんな手紙、私たちは見なかった。姉さんは――美智留は、私たちの美智留のままで、天国へ行った。そういうことにしておこう?」
私に背を向けて、ただコクンと頷きだけを返す仁希くん。
それを見届けてから、「先に帰るね」とだけ告げて、私はトランクルームを後にした。
――外はすっかり夜になっていた。
肌寒さに身を震わせながら、私はコンビニに立ち寄ってライターを買い――夜の公園で、姉さんの手紙に火を点けた。
「……あの世で少しは反省しろ、バカ姉」
メラメラと燃えゆく手紙を眺めながら、私は生まれて初めて、姉さんを罵るのだった――。
(了)
最初で最後の悪口を 澤田慎梧 @sumigoro
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